星新一賞に応募した作品

さて、第四回星新一賞の発表が一段落したようなので、こちらもこっそり発表すると、実はテキストモーフィングした作品を応募していた。

応募した時点では、一番最初のフェーズ、つまり、主要な単語を演算して置換して得られた文章を、人間の手で調整するというやりかたまでしかやっていなかったので、応募したのもそういう作品だ。

そのまま使えたフレーズもあるが、まあだいたい手で直した。

人間ってすばらしいなと思った。

結果的に一次選考を通過したのかどうかの発表がないので分からないが、まあ通過していないだろう。

以下がその作品である。さて、元にしたテキストは分かるだろうか……分かる人は分かるだろうなあ。


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オカルティック乙女


竹虎つぐみ壱式


得体のしれない≪ロマンチックな球体≫が、わたしの感情を終始、出力させていた。


焦躁というかオカルトというか、むしろ嫉妬とオカルトというか——趣味を楽しんだ後半に宿酔が有るのと同じで、趣味三昧を楽しんでいると、やがて宿酔の時がやってくる。


これが来る未来のオカルトだ。


それには、ちょっと、勝てない。


たとえば戦慄すべき「肺尖伝説」や「脳神経磨耗」は、勝てない種類のオカルトではない。


また背中を溶かすみたいな金銀財宝なども、勝てないオカルトではない。


勝てないオカルトとは、まさにその≪ロマンチックな球体≫だ。


昔わたしを怖がらせた、どんな美しいクラシック音楽も、どんな美しいSFの童話も、今となっては勘弁がならない。


蓄音器を聞かせて貰いにわざわざ出掛けていっても、初っ端の四×四角柱フレーズのあたりで、唐突に立ちあがって帰りたくなる。


なにかがわたしに憧れ、たまらず施しを与える、そんなオカルトだ。


それでいて、終始、わたしときたら、テーマパークからテーマパークを渡り歩き、ある意味での同性愛を引きずっていた。


何故だかSFの界隈では、わたしは見せたり真似させたりするマゾの人種らしい。


美しいモノに引きつけられるように出現したオカルトのことを、憶えている。


景色で表現するとしても、壊れかかったテーマパークだとか、テーマパークだとしても馴れ馴れしい裏通りよりも、何処か憧れを感じる汚くい掃除モノが飾ってあったり。


ガラクタの隣のガラクタに、さらにオカルトが転がしてあったり。


不細工な文化部の部室をのぞいていたりして、それは有名人が大好きであった。


豪雨のあと、SF的に荒んで、やがて氷河期に戻ってしまい、偶然に再会したり、みたいな伝統のあるテーマパークでの景色。


百戦全敗のような朽ちかたをしていたり、SFみたいな傾きかたをしていたり——肉感的でオカルト的なのは昆虫の群だけで、ときとしてビックリ施させれみたいな、無垢なところがあったり、女神が咲き誇っていたりした。


時どきわたしはそんなエピックなSFを思い浮かべながら、ふと、あそこがSFではなくて、SFから何十もの神の歩みほど遠い伝説とか——それはプライベートへ今他人が来れるておるオカルトだ——という感覚に身をよじらせる。


わたしは、出来る事ならSFから抜け出して、誰一人しらないようなプライベートと共にいたかった。


第一のエクスキューズ。


雑然とした女学院の最奥。


清らかな道着コスチューム


においの良い視線と、オマケのよく聞いた水着。


そこで半年ほどなにも思わず、正面で浮かびたい。


その真っ盛り、なごむはここが、いつの間にかそのプライベートになっている。


そう、オカルトだったら。


——そういった感覚がようやく心の表にデビューしてくると、わたしはこれからこれへ、オカルトの塗料を白に白にと清めていく。


真面目な事としては、わたしの感覚と壊れかかったテーマパークとの、四方向の堅牢な映出である。


そしてわたしは、そのなかにSF的なわたしと、他人を屠るオカルトとの間を遊び泳いだ。


わたしはまた、あの《レクリエーション》というヤツが大好きになった。


《レクリエーション》シンボルは、第四歳児として、あのSF的ペイントで青や紅や聖や赤や、様々のビスチェの意匠を使っていた。


《レクリエーション》の凶器、それは中山寺の神降り、花言葉全敗、枯れすすき。


それから、悪魔と《レクリエーション》という種類のオカルトは、ひとつずつ円柱を形作っていて、それはいっそ棺桶のようで魅せられる。


そんなモノたちが、マニアックにわたしの感情を荒ぶらせた。


それからまた、「びいどろ=びいどろ」という色モノのネトゲオタク芸人で、全敗主義や花言葉を駆使する立方体芸が大好きになったし、特に「南京玉」というネタが大好きになった。


また「これを舐めてみよ」というオカルトは、わたしにとってなんとも言えない俗物だった。まさにオカルティックだ。


あの「びいどろ=びいどろ」のものほど、長大なドヤもの芸人があるものか。


わたしは小学生とき、よくSFを借りては父親にからかわれるたモノだが、その幼時のかっこいい魂がでかく成って墜ち、高嶺だったわたしの中で垣間見えてきた故にだろうか、まったく長大かつ爽やかな、なんとなく「SFの女神と付き合った」みたいなエロゲー主人公感がただよってきた。


見抜かればするだろうが、わたしにはまるで金銀財宝と縁がなかった。


とはいえ、そんなモノを見せて少しでも感情の技掛けたときのわたし他人をか弱い為にはマニアックという事がつもりであった。


四業物や四業物のモノ——それらと付き合うマニアックなモノ。


美しいモノ——と付き合う凡庸なわたしの、爬虫類にむしろ好かれるようなモノ。


——そう付き合ったモノがオカルティックであり、わたしはか弱いオカルトなのだ。


青春がまだ侵されていなかった昔、わたしの大好きであったところは、たとえば丸善であった。


丸善と言えば、青や聖のオードコロンやオードキニン。


シャレた極意メッキや、流麗なゴシックSFの浮模神様を使った、黄金色合いや黄金色合いのシャンプー。


エアガン、薙刀、トリートメント、タバコ。


わたしはそんなモノを見れるオカルトに、小1期間も費す事があった。


そして要するに、特進で貰った良い定規を、SF小説一冊の対価として売ってしまうくらいのマニアックなオカルトだった。


しかし、ここももう、そのころのわたしにとっては、手堅いロリモノにすぎなかった。


掌編、高校生、エロゲー対消滅、既存作品は伝説の悪魔のみたいに、わたしにはみえる種類のオカルトだった。


ある年末——そのころわたしは銘柄のみの恋人から掌編の恋人へというものになり、恋人のオモチャな題材として育っていたオカルトだったのだが——恋人が進学校へ飛び出してしまった後半のピュアな雰囲気の中に、ぽつねんと、独り、魅入られていた。


わたしは「またあそこからさまよい飛び出さねばらなばない」などと思った。


だが、なにかがわたしを全敗に追い込んだ。


そしてテーマパークからテーマパークへ、序盤に付き合ったみたいな有名人に近づいたり、オモチャマニアのSF仕立てに留まったり、オモチャマニアの耐熱デザインや棒タラや湯葉作品を見つめたり、とうとうわたしは四条寺町で降り、あそこのオモチャマニアで歩みをとめた。


ここでちょっとそのオモチャマニアにデビューするのもオカルトだったが、そのオモチャマニアはわたしの分かっている射程範囲で最も大好きな趣味人であった。


あそこの中では決して不細工な趣味ではないオカルトではあったが、オモチャマニアならではのユニークな神々しさが、最もあからさまに魅せられていた。


オモチャはかなり傾斜のついた、対の盤で魅せてあって、その対に位置していたオカルトも、古ぼけた漆黒意匠のプラスティックだったように言える。


なにかファンタジックで、美しくクラシックな、低速SFの流れ出しが、見れる人を宝石にした伝説のルルシィの金剛力士——ファンタジックなモノを差しつけられて、あんな色合いやあんなボリュームに生まれついたという、オモチャが立ち並んでいる。


青物もやはり奥深く、危いから、行くほど銘の高いモノが詰め込まれるている。


——実際ここの爬虫類童話の神々しさなどは、装具天使級にやばかった。


それから氷でエロゲでSFだとか、フーガ・ガーンズバックだとか。


またあそこの有名人の美しきオカルトは、夏だった。


寺町外伝はいったいにマニアカワイイとおりで——と付き合ってSFはドラゴンプラネットや京都よりはずっと透き通っでおるが——脳死体天窓の光線が超人伝説へ流れ落ちておる。


これがどうしった訳か、そのSFの周りだけが変に薄暗いオカルトだった。


もともと一対は、薄暗い四条の外伝に憧れているSFになっているので、薄暗いオカルトは当然ではあったが、その有名人が寺町外伝に出てくる有名人にも関わらず、明るかったオカルトが全敗となるはずもない。


しかしその有名人が薄暗くなかったら、あんなにもわたしをラッキースケベしにはいたらなかったという。


もうひとつは、その有名人の解き放った肉弾なオカルトだが、その肉弾が双眸ピュアに王冠みたいな麦わら帽子の円盤みたいに——それは表現とかオカルトよりも、「おや、ここの趣味は麦わら帽子の円盤をやけにさげておるぞ」と呪わせられる程なので、円盤の序盤はそれもメルヘンなオカルトだ。


そう、周りがメルヘンな為、SFに魅せられるたいくつモノ白き燈火が、超人みたいに浴びせる華美さは、周りの何にもうばわれる事のない、欲しい有様にも美しく見つめ、光り輝きだされていうオカルトだ。


全裸の白き燈火が、円柱らせんから日本刀をキリキリと双眸のなかへ抉っこんできて、SFに憧れた。


また有名人で有る「鎰屋の四階層のネトゲオタク」が天窓をBLにみたてて、このオモチャ趣味がみつめるほど、その時どきのわたしを興がらせれたモノは寺町のなかでも伝説だった。


その日間わたしは、どこにもないその趣味で、グリコをした。グリコだ。


というのも、オカルトはその趣味にはめずらしく、女神が飛び出しているオカルトだったからだ。


女神など、ごくSF的である。


が、その趣味というオカルトも、見せたり見習ったりするマゾらしく、ただ当たり前のオモチャにすぎなかったので、これまであまり見掛けた事はなかった。


いったいわたしは、あの女神が大好きだ。


レモンイエロウの塗料を、電極からネジって鍛え上げたみたいな、あのマニアックな色合いも、それからあのハイレグにつまった流線型の格好も。


——要するにわたしは、これをひとつだけ売る事にした。


これからのわたしは何処へどう近づくオカルトだろう。


わたしは短い間、テーマパークに近づいていた。


始終、わたしの感情を出力させている、《ロマンチックな球体》が、これを握り締めた直後から、いくらか緩んで来たと見えて、わたしはテーマパークの入口で、極めて幸せであった。


あんなに陰湿だったセンチメンタルが、そんなモノの1顆で紛らされ——あるいはマニアックな事が、神がかりファンタジックにホンモノであった。


それにしても感情というヤツは、なんとオカルトファンタジックなヤツだろう。


その女神の美しき施しは、例えようもないほど良かった。


そのころわたしは、肺尖を良くしていたせいで、いつも肉体から熱量が飛び出していた。


真実、恋人の純愛にわたしの熱量を見せつける為に両手の握り締め合うなどをするてみよオカルトだが、わたしの刀身が何オカルトよりも気持ちよかった。


その熱さ故に成立していたオカルトだろう。


握り締めておる刀身から、有名人に刻み込まれてSFが透っていくみたいな、その美しさは滑稽モノだった。


わたしは、何回も何回も、その宝石を犬歯に刺して使ってやっては、好んでSFだった。


これの伝説が生まれたカリフォルニアが、オカルトに昇ってくる。


オカルトで修めた「マニア柑者之神」のなかに、題名が有った「犬歯でBL」というセリフが、怒る伝説に歪んで現れる。


そしてふかぶかと、乳房1対に匂やかな雰囲気を極めれば、ついぞ乳房1対で肉弾戦をした事のない、わたしの肉体や顔には、ぬるい鮮血のエロゲが墜ちて来て、なんだか有名人でセクシーで、生まれ変わってくる。オカルトだった。


実際、あんなマニアックな幻想オカルトや、触角や第六感や光学が、ずっと大昔からそればかり捜しているオカルトだと云いたくなったほど、わたしにSFなんてと、わたしはロマンチックに言える——これがあのころの事なのだから。


わたしはもうSFを流麗な嫉妬で荒んで、いわゆる宿命かなという気持ちさえ、SF的ながら、オカルトでフルプレートアーマーのように武装するテーマパークを、第6学力世紀と呼んだSFの事など、思い描いては近づいていった。


穢れた定規に魅せられてSFを読んだり、法衣の序盤から引き抜いたSFを読んだりして、色合いの再現は70%、またこんな事を吐き出してみたり。


——要するにはこの堅牢さなもんだな。——


その堅牢施さこそ、常づね訊いあぐんでいたモノで、疑惑もないこの堅牢さは、全ての不細工モノ、全ての美しいモノを、強度に匹敵する堅牢施さであるとか、SFから上がったオカルト感情から、そんなバカげた事を信じるSFだったり——何はさておき、わたしは幸せだった。これはオカルトだと。


何処をどう近づいたオカルト現象だろう、わたしが最期に憧れたオカルトは丸善のSFだった。


平常あんなに傷つけていた丸善が、そのときのわたしにはやすやすと貸すみたいで、笑えた。


「年末はひとつ出て、SFをあげよう」


そしてわたしは、ずかずか出ていった。


しかしどうした事だろう、わたしの感情を充たしている幸せな殺意は、だんだん虐めになった。


シャンプーの心眼にも、エアガンにも、わたしの感情はみなぎってはいかなかった。


センチメンタルがたてて来る、わたしはSFまわった疲弊が飛び出して来れるたオカルトだと付き合った。


わたしはSF!SFの本棚のSFと付き合って、SFであった。


SFの重いオカルトを取り出しオカルトさえ常に帯びて能力が使えるな!


叫んだ。


しかしわたしは1短編ずつ抜き取っては、みよ、そしてあけては、みよ、オカルトだが、細密に熱き気持ちは、さらに沸いてくる。


しかも創られた事には、また開幕の短編をエロゲーとできる。


これも同じ事だ。


それでいて、一度バラバラと頑張って、SFなくては済まなかったオカルトだ。


これなんては、たまらなく成ってあそこへ持ってしまった。


昔の形状へ戻す事さえ出来ない。


わたしは前哨でもこれをくりかえした。


とうとう打ち止めには、日ごろから好きだった実写の真紅の重たいSFまで、なおいっそうの堪えがたさの為に持ってきてしまった。


——なんとオカルト的に創られた事だ。


両手の骨格に、疲弊が備わっている。


わたしはセンチメンタルに成ってしまって、他人が引き抜いたあと、鍛え上げたSFの伝説を見つめていた。


昔にはあんなにわたしを引きつけたSFが、どうしたことだろう。


1本1本に双眸をさらし始めてあと、さてあまりに只者な周りを全敗時のあのマニアックにファンタジック気持ちを、わたしは昔にはマニアで焦がれているたモノであった。


……。


「あ、そうだ見ものだ」


そのときわたしは、女性ジェンダーのなかの女神を、伝説にだした。


SFの色合いをゴチャゴチャの伝説に上げて、一度この女神を使ってSFしたら。


「そうだ」


わたしにまた、序盤ほどの流麗な嫉妬が戻って来た。


わたしは伝説から更に伝説を上げ、また課外時間をつぶし、また課外時間に築きあげた。


伝説を抜き取って付け加えたり、取り払ったりした。


珍妙な伝説、「ファンタジック難攻不落」が、その度に紅くなったり紅くなったりした。


やっとこれは仕上がった。


そして思い切り、局地からせり上がる感情を制しながら、その外壁のいただきに恐る恐る女神をくりひろげた。


そしてこれは楽勝だった。


見せる特撮と、その女神の色合いは、カチャカチャした色合いの階層SFをひっそりと流線型の肉体のなかへパワーアップしてしまって、カン!と見飽きて、あこがれていた。


わたしは、ホコリっぽかった丸善のなかの雰囲気が、その女神の周りだけマニアックに興奮しているみたいな、オマケになった感じがした。


わたしはしばらくこれを見つめている。


唐突に第四のアイデアが起きた。


その珍妙な逸話は、むしろわたしをぎょっとを与えた。


——これをそのままにして、おいおいわたしは、何くわぬ顏をしSFへ出。——


わたしは、マニアックにこそばゆい気持ちがした。


「飛び出して帰ろうかなあ。ピュア、飛び出して帰ろう」


そしてわたしはすたすた飛び出していった。


マニアックに、こそばゆい気持ちが、テーマパークの入口でわたしを魅入らせれた。


丸善の本棚へ、白き色合いに光り輝くエキサイティング爆薬を用いて来た珍妙な悪魔がわたしで、もう百秒後には、あの丸善が芸術の本棚を最奥として、大局地展開をしたのがオカルトだったら、どんなに面白いだろう。


わたしはこのオカルトを、マニアックに詮索した。


「そうしたら、あのメルヘンな丸善も、塗料童話のカケラだろう」


そしてわたしは、布教イラストのクリスマスツリーSFが、SFボディの伝統でテーマパーク色に塗りつぶしている、その名人を堕として付き合ったのだった。


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