第21話
広場は相変わらず閑散としていた。
前は昼時だからかもと思っていたが今日も夕方なのに人気がなく、ただひとり岸崎がベンチでスマホに指を滑らせていた。近づくとむすりとした顔がこちらを向く、匡直らしきLINEに『いま学校出たとこ』だと返信しバスからなるべく急いだのだが、心なしか機嫌が悪そうに見えて恭は足を速める。
「待たせた?」
「別に」
「あのLINE、匡直だよないつから――」
「あれくらい…」
「たんま、全然ダメだわ」
「?」
「俺俺、加田オレだって」
「――――ッ岸、崎!?」
「気づくまでフリしてようとしたけどマジ無理だわ、キャラ違い過ぎだもんな?」
だろと表情を崩した岸崎は、LINEの中身考えるのは意外と手間だったと愉快げに笑った。
「………本当に、岸崎―――?」
一体何が―――匡直は?どうなってる―――
「学校で加田が視界に入っても平気だったからいけるだろとは思ってたけど、けっこう緊張したわ」
「匡な――」
どう返事をしてよいか分からぬまま無意識に口を衝く。
「アイツ、気づいてないっぽいぜ、聞いてないだろ」
゛アイツ゛に微かに友好的でない響きがした。
「…聞いてない」
「――昨晩からなんだけどさ」
そう前置きして岸崎は話し始めた。
「前に爪刺さったとき変則二人羽織状態ってのあったろ、昨日の夜それと同じことが起きた」
「―――!」
「学校のグラウンドで、あれ爪崩しってやつだよな?」
「――うん」
「やっぱそっか、けど爪は切った筈だし変だなと思って、今朝加田に聞こうとしたけどすれ違って、そしたら2限の途中でまた変則羽織状態になった。けっこう長時間で―――、そのとき気づいたんだよな、あ、コイツ俺のこと気づいてないっぽいって」
昨晩から今に至るまでの話とともに岸崎が判断した理由を聞くにつけ、確かにその可能性が高いと思わざるを得ない。混乱しつつも状況も飲み込めた。
「――なあ、その爪…」
岸崎が恭の親指の、歪んだまま未だ伸びない爪に目を止めた。はっとしてポケットを探る。昨夜の成果、小さい方の断片が半分に減っている他は彫爪の欠片もこれといった変化はない。
(てことは岸崎の欠片も消えたりじゃないよな)
一瞬、匡直が出ないのはそのせいではと思ったのだがやはり違う。おそらくいることはいるのだ、
(だけどじゃあ、)
匡直は今この事態も感知してないのだろうか。
「加田?」
「これ見てくれ」
とにかくまずは
「―――そんなことになってたのかよ…加田はでも、話そうとはしてくれてたんだな」
「うん。でも匡――あいつに無駄だしむしろ岸崎への負荷が増すだけみたいに言われて…ごめん…」
「…そっか、事情は分かった。けどさ、怒ってるわけじゃないけど、やっぱ話してみて欲しかったっていうかさ――、どのみち聞く耳持たなかったかもだけど――…にしてもかなり入れ替わったままだったんだな…」
岸崎はため息を漏らした。
本当に以前と違う。他人事のようにでなく完全に自分事と捉えているのだと恭は改めて驚く。決定的だったのは席のことだと言っていた『担任に呼ばれて、自分は許可取った記憶あんのに担任は知らないって――それ聞いたとき初めてああ本当だったんだって心底実感した。こんな風に色々変えられまくってたんだなって…』
匡直状態のときの記憶が甦った訳ではない。ただそれで藍沢に伊出の会話からおよそ何が起きていたかを察し、サッカーでの自身の中と外部との認識のずれも自覚できたという。
「…学校で入れ替わってる間の俺どうだった」
出来るだけ詳しくと請われ、恭はなるべく詳細に話していったが、匡直が振りをしている部分はそもそも変える必要がないからか、藍沢のとこが多少変わっている他は概ね噛み合っているようだった。
「爪の有効範囲内に入ってたら、俺が近くにいなくてもあいつのままだから、その間のことまでは分からないけど…」
「………」
「けどあいつ、本物の岸崎じゃないかっていうくらいそっくりで―――」
「そっくりでって、加田俺のことそんな知らないよな?伊出はキャラ変なときあるって言ってたし、言うほど上手くいってないんじゃないか」
「……だよな…サッカーに藍沢のこともどうにも出来なくて、席も――」
「席は加田のせいじゃないし、たださ、他も不可抗力な部分あったとは思うけど、学期始まって早々あんま浮きたくないっていうか」
「分かってる。他に何かあれば後からでも出来るだけフォローするし」
「だから加田知ってんのはアイツの方だろ、下手に口出されてそんなでさあもし―――悪い…」
「いや、大丈夫」
声を荒げかけた岸崎にふと思う。理由が微妙過ぎ、恭はリスクがありつつ登校を続けた経緯だけぼかしていたのだが、匡直のあの妙なこだわり、意向に沿ったものという弁は案外真実かもしれなかった。
「で、どうするんだこれから」
「…とにかく爪は崩した方がいいと思う―――あの、匡直の気配とかホントに」
「匡直は俺な」
「――だよなゴメン…」
「――アイツ全然出ない感じだし、彫爪崩しっていうの?それ俺じゃムリなわけ」
「それは…―――そうだ身体能力っ」
それさえあればいけるんじゃないか――だが既に試していたのか、岸崎が浮かぬ顔で軽く体を動かしただけで、並みの運動神経しかないと見て取れた。
「――クッソやっぱダメか、なんでだよ……」
腹立たしげな呟きが耳に入る。
(――なぜだろ)
不完全な爪だからと言ってしまえばこれまで同様説明がつきそうだが、疑問に加え恭には何となく不自然に思えた。
(そうだ、変則二人羽織でも大丈夫だったのに―――)
爪崩しのさ中その状態にあったとはいま聞いたばかりだ。だったら岸崎だけでも身体強化が現れたっておかしくなさそうなものなのに―――『爪が原因で生じた存在だとしても、俺はお前の爪が生んだものじゃない』
偶発的に思い出す。
最初会った日に匡直が言った言葉だ。
自分は爪に対処するために生じた存在であって、間違っても゛爪が直接関与゛して在るのではないという意味だと恭は解釈している。ただ実際そうなのかしれないが、爪の力に従属してもいると自身も認めるくらい間接的な関与のされ方は頗る付きだ。
例えばあの特異な身体能力も、爪がその力を行使するために生じさせた゛環境設定゛みたいなものらしい。―――そして匡直は、体調の変化を除き爪の影響…力を丸ごと引き受けた。岸崎の代わりにすべて。もしかしたらそのことが力を゛匡直に固定化゛させてしまってはいないだろうか?
匡直が前面にいる変則羽織では問題なく、今はダメだという理由もこれなら説明が――
(…ついたらついたでどう――)
「失態だ、」
急に苦々しい掠れ声が岸崎から漏れた。
「?」
「どうにかして眠らせろ――」
迷ったのはごく僅かだった。
「よかった――!!」
「え?」
「よかったもうどうすればってパニクって」
「はあ?」
「え?」
「何言ってんだよ」
「えっと……岸崎――」
匡直に似た険を含んだ表情が怪訝そうに見返す。
(…短時間で気づかなかったのか)
ともあれあれは紛れもなく本人だ、ただ表に出れなくなっている。
(『眠らせろ』って言ったよな)
つまり岸崎の意識を断てば入れ替われる余地はあるということだ。
(急いだ方がいいよな絶対)
「ええとゴメン岸崎、眠ってみるとかって、出来ないか?振りでもいいかも、頭の中を空にするとか…」
「………」
当然、岸崎はより怪訝な表情だが立て続けに想定外が起きているのだ、次どんなことになるか知れない――焦りに押された唐突かつ直球だが、恭は意も決し続けた。
「いま匡、あいつが一瞬出てきて」
いま起きたことを話すと岸崎が息を呑む。暫く無言で、それから言った。
「―――加田も、そうした方がいいと思ってるのか?」
「…多分、――これは俺の想像なんだけど――…」
「…つまり俺は用なしってことか」
「そういうんじゃなくて」
見る間に色を失い引き攣る顔に、仮説まで持ち出す必要はなかったんじゃと後悔する。
「言ってんじゃん、要は俺のままじゃ身体能力並みのままで爪崩し無理ってことだろ」
ドサリと音を立て再びベンチに腰を下ろした岸崎が、地べたを見つめ、絞り出すように言った。
「――記憶に齟齬があるって気づいて、そんでやっと加田の言ってたこと実感したときの俺の気持ちって分かる?自分が揺らぐっていうか…そんで不安だの、焦燥だの疑念だのが一気に押し寄せてくる感じ、けどさ、まだましだって思った、その方が、頭弄られて覚えがない、実感すらないとかよりよっぽどいい」
「岸崎……」
「他に方法がないんならそうするしかないのは分かる、けどさ―――…」
諦めたように、岸崎は深々と息を吐いた。
「――もし、アイツと入れ替わったら伝えてくれ、『余計なお世話だ引っ込んでろ』って、自分のことなのに常に第三者とかマジメに意味分かんないし」
恭は急に祖父の兄嫁である奥さんが、喋れず理解しているかも定かでない夫に対しあれこれ話し掛け、さも会話に加わっているかのように接していた姿を思い出した。 あれはきっと本来なら夫が聞き、話すべきところを本人の頭越しにすることへの、夫が感じるであろう疎外感や不快さを推し量ってのことだったのだ。
(きっと一緒だ、祖父のお兄さんと――)
恭は更に自己嫌悪で、頭を抱えたくなった。岸崎は他人事みたいだと言いながらも全く無関心ではなかった。やっぱり自分のことだし気になるよなくらいしにか思ってなかったが、そこにはすべてが蚊帳の外だという、すっきりしない感情が含まれていたんじゃないのか――…?
控え目に間を空けてベンチの端に腰掛けた恭を、岸崎は何も言わず横目でチラとだけ見た。
「…少し時間をくれ、やっぱり他に方法がないか――…あっ!」
たったいま座ったベンチから跳ね上がる。
「何?」
岸崎が薄く、それでも驚いた様子で顔を向けた。母の『独自ルートがある』という言葉を思い出したのだ。
「――それ、真っ先に聞くとこじゃね?」
話すと呆れ果てた調子で岸崎は言った。
「そう言われると…でも何とかなりそうだったし…」
「…こんなこと言いたくないけどさぁ、ちょい危機感緩くね?こっちは体張ってんだし、頼むぜ」
「だよな…ホントごめん…」
「――加田はさ、あっちと仲良さげだし、気持ちの面で色々あるかもだけど、こっちは正直もう勘弁してくれっていうか―――とにかくあんなのには消えてもらいたいんだよ今すぐ」
「――…うん、そう、だよな」
疎ましさしかない、そう突き付けられたも同然の言葉はひどく刺さった。匡直のことは口調は少しキツイがいい奴でと、悪いイメージを持たれないようにしてきた積もりだ。でも全く伝わっていなかった、というよりむしろこれが普通の反応なのかもしれない。
(――けど)
「ホント悪かった、けど、けどさ―――いや、…ゴメン……」
喉から出かかった感情は抑えきれたが不満な顔を隠せず、取り繕おうと発しかけた声も岸崎の無言の拒絶を前に詰まった。
「…親に、電話いれてみるから――」
恭は漸くそれだけ言い、母のスマホに掛けたが繋がらず、会社にも不在で結局伝言を頼んだ。
「LINEもしといたし、何か分かったら必ずすぐ連絡する」
岸崎は黙って頷くと、
「じゃ、」と短く言って帰って行った。
母から折り返しがあったのは岸崎と別れて帰る途中だった。
『いまどこ?とりあえず帰ってらっしゃい』
「家いるの?」
この時間帯にいるのは珍しい。残りの道を駆け戻ると、おかえりーと声がして食卓にノートPCを広げた母が待っていた。
「出先から直帰したからこれだけね――すぐ済むから」
温かい飲み物を頼まれカップにカフェオレスティックの粉を入れ、沸かしたお湯を注ぎ始めると母は終わり終わりと、計ったようにPCを片付け始めた。恭も喉の渇きを覚え冷蔵庫からペットのお茶を出す。
「ええそれ飲むの、寒いでしょ」
「走って来たし、別に寒くないけど、髪切りすぎなんじゃない?」
「若いよねぇ」
熱いマグカップを受け取りながら母は笑った。
「ありがと。それでLINEに゛いきづまった゛ってあったけど」
「うん、何とかしないと岸崎が危ない――時間がない」
母は少し驚いた顔をした。想像より拙いことを抱えていると自分の表情から悟ったのかもしれない。
「そう、じゃあ細かいことは後回し。貞一和君て子がいるの」
「てい…?」
どこかで聞き覚えがある。
「
正気を失った人を元に戻す力―――、
『なんだそりゃ、ああテイクンか』
「―――あ、もしかしてじいちゃんの言ってた?」
「なんだ聞いてたの」
「いや名前だけ、この間――」
話しそびれていた祖父との会話を伝える。
「うん。その貞君、あんたと同じルーツの力を持ってるみたい」
「みたいって…てかどういうこと!?俺聞いてないよね」
身を乗り出して母に問う。初耳どころの衝撃ではない。
「一昨年の末くらいだったかな、白と病院に行ったとき知り合ってね」
「病院!?」
「おばさん、白のお母さんが急病で入院したことあったでしょう、それのお見舞い」
「ああ…」
こっちは聞いた覚えがある。幸い大したことはなかったと聞いた。母によれば病室での揉め事に居合せた際、白師が場を収めたことがきっかけだと言うのだが、この日聞いたのではないが貞の話ではそもそも見舞う病室ではなかったり、二人して首を突っ込んだに限りなく等しい、というのが恭の感想だった。
「恭のこと話したら、一和君ぜひ会ってみたいって言ったんだけど、割と複雑な事情もあって難しくてね、漸く落ち着いてきたから5月頃にはって白と話してたところ」
今日まで黙っていたというのは余程のことなのだろう。が恭はガキっぽいと自覚しつつ若干拗ねた。
(じいちゃんには話してたくせに――)
岸崎の気持ちが若干リアルだ。
「きっと力になってくれるから相談してみたら、場数はあっちの方が断然上だし、ゼロ回答ってことはまず無いと思うよ」
「場数って…一体どんなヤツ?」
「ごく普通の子、恭と気は合うと思うな。゛場数゛については直接聞いてみるといいよ、だけどそれも、複雑な事情っていうのも一和君の力に絡んでのことだから、その辺よく考えて―――本人は別に平気ですって言うけど、当人以外が迂闊に喋る事柄ではないから」
「――そうする」
「でね、さっき聞いたら夜の10時以降なら大丈夫で、説明文は苦手だから電話でお願いしますって、明日も仕事だっていうから遅くならないうちに連絡なさいね」
「仕事?」
「今年の春から一人暮らししてて、昼間は仕事、夕方から定時制高校に通ってるの」
家族と離れ日中はホームセンターで働き、夜間高校に通うことは貞自身が決めたことだという。
「へえ…」
身近でそんな話は聞いたことがなく、恭は素直に驚き感心した。なんか相当しっかりしてそうだ、でも説明文苦手って?などと思いながら宿題に風呂だのを済ませると、あっという間に時刻になった。
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