第20話

 その夜、フィッシュタウンにあるアフレック氏の行きつけのパブで決起集会が行われた。

 シュルツ氏が好んだ地元産のエールビールとチップスだけの3人きりのささやかな決起集会である。

 クレアと二人きりでないのは残念だが、ボスと距離がぐっと近くなってありがたい席ではあった。

 カウンター上のモニタでは野球の中継を流していた。

 クラークがカウンターでエールを3杯買い、テーブルに戻ると給仕がチップスを運んで来たところだった。

「ドクター、テーブル席なんて珍しいね」

 給仕が皿を置きながらアフレック氏に声を掛けた。

「ああ、マイクを悼む会だよ」

 給仕は黙って頷くと店中に響く大声で

「ドクター・シュルツに!」

 と献杯を呼びかけた。

 テーブル席のカップルたちはキョトンとしていたが、カウンターの客は全員こちらを向いて杯を掲げた。

「クレア、お父さんはお元気かな?」

 グラスを置くとアフレック氏はクレアに尋ねた。

「ええ、血糖値が高いとかでビールは前ほど飲めなくなりましたけど元気みたいです」

「そうか、もう一緒には暮らしてないんだったな。戻らんのかね?」

「心配ですけど父も私も自分の生活がありますから」

「ま、そうだよな。一緒にいたらあれこれ言いたくなるのが親ってもんだ」

「そうなんです。これくらいの距離がちょうど良いみたいです」

 クラークは何のことやらさっぱりだったが口を挟むことはしなかった。家の事情はそれぞれあるものだ。いつかクレアと自分も家庭の事情を共有する日がくるかもしれない。

「ところで犯人とおぼしき人物が特定されたらどうするね?」

 アフレック氏は唐突に話題を変えた。

「どうって、自首を勧めるとか警察に突き出すとかそういう話ですか?」

 アフレック氏は頷いた。

「自首を勧めるのはいくら何でも危険過ぎます。おそらくドクターはそれを試みた筈ですよね?」

 クレアが即答した。

 確かに下手に手を出すと4人目の被害者になりかねない。

「しかし警察に突き出すのも難しいですよね。なにしろ現場に遺留品が全然ないですから、この人が怪しいですと通報しても証拠がないと警察だってどうしようもないです」

 アフレック氏は顎をさすりながら天井を睨んだ。

「そうなんだよなぁ」

「バーンズさんが何か分かったら連絡するように言ってましたが、バーンズさんは何か策があるんですかね?」

 アフレック氏はクラークに目を戻して答えた。

「あいつは刺し違えるつもりだよ。バーンズはビジランティスト(自警主義者)だからな」

 クラークはハッとした。バーンズの言葉を思い出したのだ。

「そういえば "法の範疇を逸脱することができたのに" とか言っていたかもしれません、、、」

 クレアがクラークに尋ねる。

「バーンズさんてこないだクラークさんのオフィスに訪ねてらした警察の方ですよね?」

州保安官コンスタブルだ。住民から権力を委任されたいわゆる保安官シェリフとも違い、州に任命されている」

 アフレック氏が訂正した。

 クラークはチップスをケチャップに浸けながらアフレック氏に聞いた。

「法の執行者である保安官がビジランティストって矛盾していませんか?」

「まあ、あくまでも理想論的な思想だがね。バーンズいわく、法というのは誰かから押し付けられるモノではなくて、各々が遵守し、お互いを見張るものであるべきだということなんだ」

アフレック氏はエールを口に含んで続けた。

「そのような社会であれば、法の眼をかいくぐるような搾取は許されなくなるし、弁護士が使うトリックみたいな論述で悪者が無罪を勝ち取るみたいな裁判劇はなくなるだろうと、そういうことだ」

 クラークは唸った。

 自警主義とか自警団というと無法者の私設軍隊のようなものを想像してしまうが、正しく機能すればバーンズの言う通り、悪いものは悪いと裁くことが可能だろう。

 このところ、法さえ侵していなければ何をやっても許されるという風潮があるが、神の前に人が平等であるならば、一部の権力者が法を執行するシステムではなく、それぞれが自分と法を守るというビジランティズムの考え方は正しく思える。

 しかし、それがおそらく社会的には正常に機能しないこともまた容易に想像できるので賛同することはできないのではあるが。

「しかし、刺し違えるって随分と物騒ですね」

 クラークがそうコメントするとアフレック氏は厳しい顔つきで応じた。

「バーンズは高潔な男だ。私刑は私刑でしかないとわかっているさ。仮にバーンズが犯人を手にかけて、それでも叙情酌量の余地があるとして過失致死と同じような扱いになったとしても、その場合、刑務所に何ヶ月入れられる? 我々ももう年だ。刑務所暮らしには耐えられんよ。それにバーンズは保安官の名を穢すようなこともしたくない筈だ。だが刺し違えて両者が命を落とせばむしろ美談になる。悪は滅ぼされ、州保安官の名も穢れることはない」

 クラークはしばし絶句した。

「そんなことまで考えて、、、」

「まあそんなもんだよ。我々の歳になると、どう人生の幕を引くかが関心ごとになる」

 クレアは最初のひとくち以降はエールに手を付けていない。

「しかし犯人はシュルツさんを殺してまで、しかも巻き添えを2人も出してまで、何をするつもりなんでしょう?」

「そうさなぁ。テロか、私的な復讐か、あるいは快楽殺人か、はたまた愛する人を独占したいカタツムリ野郎か」

「カタツムリですか?」

 エールに伸ばしかけた手をとめてクレアが問う。

「知らんかね? カタツムリは大変嫉妬深くて交尾の際、ナイフのような器官を出して相手を刺すんだ。刺された相手は卵を産むと、まもなく息絶えてしまう」

「え、それって嫉妬が理由なんですか?」

「確証はないが利己的遺伝子を持つ生物ってのは割といるんだ。カマキリが相手の雄を食べてしまうのは有名な話だが、一部の蜘蛛も同じ行動を取る。アンコウという魚はオスはメスに吸収されてしまうし、蛸にいたってはオスは自ずから死んでしまう」

 アフレックはエールを飲み干して続けた。

「虫や魚だけじゃないぞ。オオカミのメスは交尾の際にもれなく膣痙攣を起こしオスの生殖器を抜けないようにしてしまう。自分が選んだ相手以外のオスを受け入れないためだと言われているが、これが実に笑えるんだ。困った顔をしたオスがメスの背中にくっ付いたままひょこひょこついて行くさまはオスの悲哀を実に良く表している」

 アフレック氏は空のグラスを弄びながら首を傾げた。

「話が逸れたかな? そう、カタツムリだ。あいつらは雌雄同体だからお互いに刺し合って寿命を縮め合うんだ。恐ろしくもあるが、ロマンチックでもある。なんにせよ他の虫と違って相手を栄養にはしないんだからやっぱり嫉妬と解釈するのが自然じゃないかね?」

「うーむ、コメントに困りますね。しかし独占欲や嫉妬という感情は我々人間はすべからく持っている訳ですから、その感情がもたらす生物学的な恩恵はおそらくあるのでしょうね」

「そのとおり! 感情とは効率良く遺伝子を残す為に取捨されてきた道具である筈だ。君とは話が合うな。シュルツとはその辺の考え方は全く共有できなかった。奴は感情ってものを女みたいにロマンチックに捉えていたよ」

 クラークはクレアの顔色を窺った。ボスの発言が女性蔑視として受け止められてはいないだろうか。

 クレアの表情に変わりはないが心の中でどうかは分からない。

 アフレック氏はポリティカリ・コネクトネスなぞ気にせず続けた。

「だからこそ奴の傾聴は丁寧だったし誘導も見事なもんだった。クライアントに真に寄り添うことができた。優秀なカウンセラーだったよ」

 グラスを置いて肩を落としたアフレック氏の手をクレアが握った。

「ありがとう、クレア。すまんね。こんな風にしんみりするのつもりはなかったんだが」

「いえ、いいんです。お気持ち分かります」

 突然カウンターの客たちが歓声をあげた。贔屓のチームが得点したのだろう。

「よし、お開きにしよう! 来週からは普段の診察に加えて犯人探しを始めなきゃならんからな。まあ、つまりは普段通りか」

 そう言ってアフレック氏は笑った。

 無理して笑っている様子はなかった。

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