金曜の帝国

由利 唯士

メリンダ

第1話

 メリンダは父親から借りたチェロキーをジョージア州クリスタルレイクへと走らせていた。

 大学のあるボストンからだとあまりに遠くてさすがに一人で運転する気にはならないが、実家のあるフィラデルフィアからなら2時間半もあればクリスタルレイクのあるブレアーズタウンまで辿り着ける。

 メリンダは燃費の良い母親のトヨタを借りようと思っていたのだが、父親に行き先を告げると「あの辺は道が悪いから」とチェロキーを押し付けられたのだった。

 目的地に近づくにつれて、確かに道はかなり荒れてきている。

 舗装はされているのだが、アスファルトが捻れるように細かなアップダウンを繰り返す。

 確かに足の弱い日本のセダンでは腹を擦るか打ち付けるかして故障していたかもしれない。こんな山奥でエンコはごめんだ。

 跳ね上がって足元に落ちそうになっているラップトップPCとボイスレコーダーを安全な場所に移そうとグローブボックスを開けると、中には父親の拳銃が入っていた。

 黒いナイロンのケースに収められてはいるが銃器というのは独自の存在感を放っている。

 メリンダは銃のその禍々しいまでの存在感が苦手だった。

 嫌なものを見たかのようにメリンダはグローブボックスを荒々しく閉じる。

 そもそもグローブボックスはPCを入れるには少々小さかったようだ。

 古臭いリボルバーは見なかったことにしてラップトップの上に鞄を乗せて重しにした。これで少しは跳ね回るのを抑えられるだろう。


 メリンダが向かっているのはクリスタルレイク湖畔に建設中のペンション。その名は仰々しくも「フライデーランド」という。

 週末を過ごすお客の為の施設だから付けられた名前だろうか。それともいつ来ても週末のようにゆっくりと過ごして欲しいという願いが込められているのか。

 なんにせよ高々山小屋に"ランド"とは大袈裟なネーミングだ。

 とはいえ、ちょっとしたアトラクションが付いているらしいので某遊園地的なイメージなのかもしれないが。

 「目下建設中」とあるHPでは具体的なアトラクションの内容はよく分からないが、とりあえず大学のレポートのモデルになるのではと話を聞きに来たのだ。

 メリンダの研究テーマは「地方経済の活性アイデア」だ。観光資源がない土地で外部から人を呼び込む個人事業の試みについて調査を始めようとしているのだ。


 ところで、チェロキーのナビが黙り込んでそろそろ5分になる。

「目的地の近くです。案内を終了します。運転ご苦労様でした」

 そうナビが素っ気なく言い放つとほぼ同時に、ラジオも電波が途絶えて急に車内が静かになった。

 目的地の看板を探しつつ、カーブの多い山道を運転するのに難儀しながらラジオのボタンをいくつか押してみたが受信はしなかった。選局ボタンに登録されていないローカル局しか入らないのだろう。

 フライデーランドのオーナーとは事前にメールでやりとりをし、訪問のアポを取ってある。

舗装路から山小屋へ下る入り口に小さな木の立て看板があるはずなのだ。しかしさっきから見つかるのは「〇〇農場」とか「〇〇家」といったそっけない看板やポストばかりでそれらしい看板は見当たらない。

 すると急に景色が開け、それまで走っていた山間の道から眼下に湖が見渡せる場所へ出た。深い森に囲まれた淡い緑の湖。風が無い所為か湖面には山々と空がくっきりと映り込んでいる。これがクリスタルレイクだろう。幸い路肩が広く車を停めるのに好都合だ。

 メリンダは電波がある事を祈りながら携帯電話を手にした。

 ありがたい事に電波は来ていた。

 早速フライデーランドのオーナーの携帯に電話をすると相手は直ぐに出た。

「ハロー? ああ良かった。本日お約束してたルイスです。近くまで来てるとは思うんですけど迷ってしまって、、、」

「ひょっとして湖が見渡せるカーブのところにいる?」

「え、はいそうです! なぜ分かるんです?」

 向こうからはこちらが見えているのだろうか?

 メリンダは湖畔に沿って目を凝らしたが何も見つからない。

「そこまで停車できる場所は中々みつからないからね。もう1マイルくらい先の左側に看板のある側道があるからそこから降りてきてくれないかな?」

 見えているわけではないということか。

オーナー氏は、入り口は森のトンネルみたいになってて暗い所だから見落とさないように気をつけて、と付け加えた。

 メリンダは道が間違っていなかった事に安堵し、チェロキーを再スタートさせた。


 言われた通りに車を走らせると左手に白い看板が目に入った。

 簡素ではあるが木の潜門が設えてある。

 自然の立木を利用したであろう二本の支柱には太い鎖が垂れている。利用者がいない時は鎖を渡して部外者が入れないようにしているのだろう。

 土が剥き出しになった森の中の坂道をしばらく下りると、そこには美しい山小屋があった。

 背後に深い森を擁し、日光に照らされた白い木造の2階建は何処かヨーロッパを感じさせる洗練された佇まいだった。

 湖畔まで伸びる階段の先にはこじんまりとしたボートハウスがあり、その脇にはテラスも作られている。

 余りの美しさと新しいペンキの白さに、車から降りるのも忘れて暫し見惚れていると中からオーナーと思しき人物が姿を現した。

 オリーブ色のTシャツの上にオレンジ色のフランネルのシャツを羽織り、カーキ色のカーゴパンツを履いている。足元は茶色のクロックスだ。服全体にペンキが飛び散っており、独りでリフォームをしていると知らなければただの建設現場の労働者だと思っただろう。

 タオルを巻いた頭の下には人懐っこい笑顔が浮かんでいた。

「ルイスさん?」

「そうです初めまして、ヴォーヒーズさんですね? お忙しいところお邪魔します」

 白いタオルの下に覗く髪の毛は栗色。目は濃いブルー。6フィートを超える高い身長に無精髭。優しい笑顔の所為で華奢な印象を受けるが体つきはがっしりしている。

 対してメリンダはグレーのパンツスーツに黒いカールした髪をひっつめに結び、化粧っけは薄い。あくまでビジネスの場を訪問する学生として先方に失礼のないような格好を選んできたつもりだ。

「この格好は場違いだったかしら?」

「いや、大丈夫。ペンキはもう乾いているから。でも楽な格好で来てくれるように言っておけばよかったね」

 オーナー氏は済まなそうに頭を掻くと、黄色い皮の手袋を外して握手を求めてきた。

「なんにせよ、よく来てくれたね。じゃあ案内するよ。ちょうど外のペンキが昨日終わって養生を剥がしたところだったんだ。中々のもんだろ?」

 オーナー氏はメリンダを誘って庭からの外観を見せてくれた。

 山小屋や別荘としては珍しい、手の込んだ2階屋となっている。2階部分は1階よりも小さくなっており、2階の屋根の三角部分には明かり取りの窓が見えることから屋根裏部屋もあるのだろう。

「思ってたのと全然違ってホント素敵!」

メリンダの感想を聴くとオーナー氏は嬉しそうに笑い、館の来歴を話しだした。

 この館は元々50年前に実業家の隠居先として建てられ、人手を幾つかわたり歩き、最後のオーナーが手入れを止めたまま放置したせいで傷んでしまい買手が付かなくなってしまった物件らしい。

 築50年には見えないとメリンダがいうと、ここまで直すのに時間もお金も掛かったからね、とオーナー氏は笑った。

「ただ、中はまだ全然なんだ。見る?」

「よかったら、是非!」

 本来はフライデーランドのサービスやターゲット層、他の似た施設との差別化などを聞くはずだったのだが余りのロケーションの素晴らしさについつい案内されるがままにアメリカでは珍しい石造りの土台の話やリフォームの苦労話を楽しんでしまった。


「そろそろ帰らないとこの辺は街灯がないから、運転が危ないんだけど大丈夫かな?」

 そう言われてメリンダは我に返った。携帯の時計を見ると既に16時になっている。

 ここに到着したのは昼過ぎだからいつの間にか3時間経ったことになる。

「大変、聞きたいことが色々あったのに全部忘れてたわ! ええと、明日また来てもいい?」

 オーナー氏は済まなそうに頭を掻くと、

「もちろん構わないよ。むしろゴメンね。ビジネスの話を聞きに来てるって分かってたんだけど、人と話すのが久しぶりなもんだからつい苦労話がとまらなくて、、、」

 と謝罪した。

 メリンダはオーナー氏に好感を持った。山小屋を独りで修理するような独立心の強い男が、学生の小娘に頭を下げるとは思っていなかったのだ。

「いいえ、2〜3時間でチャチャッと話を聞こうだなんて私の考えが甘かったわ。山の夜は早いのね」

「そうなんだ、暗いと何かと不便だしお日様と同じペースで活動するようになる。さあ、そこまで送るよ」

 オーナー氏のオフロードバイクに先導されて山道を上がっていく。

 湖の方は開けているせいか明るく感じていたのだが森に入ると既にかなり暗い。

 メリンダは明日またこの道程を踏むと思うと気が重くなった。

 近くにモーテルかなにか探して泊まった方が時間の節約になるかもしれない。安い所が見つかればガソリン代とトントンだろう。

「ねえ、この辺にモーテルか当日急に泊まれるペンションか何かないかしら?」

 オーナー氏に尋ねると彼はバイクのエンジンを切り、宙を睨んで少し考えてから答えた。

「ちょっと思いつかないな。知らないだけかもしれないけど。。。ただ、もしキミが良かったらだけど、フライデーランドの宿泊客の第一号になってくかい? もちろんオープン前だからお代はいらないよ」

 そうだ、思えばここは宿泊施設なのだ。メリンダは彼の提案に乗る事にした。男1人女1人である事に少しの心配はあったが。

オーナー氏は大袈裟に両手を広げ笑みを浮かべて言った。

「ようこそ、フライデーランドへ!」


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