アウトスケイプ
神橋つむぎ
第1話 リミテッドスカイ
時々、何気無く空を見上げては思い出すんだ。ああ、空はどこまでも広がってるんだと。
雲がどこから流れてくるのかは知らない。どこまで流れていくのかも知らない。そんな事はどうでもいい。ただ、空は続いてる。僕が知らない遠い遠い場所まで。それさえわかればいい。
空はただひとつ。僕達は同じ空の下にいる事を忘れないで。
昔誰かがそんな事を言っていた。それが誰なのかは忘れた。有名な詩人だった様な、ヒットチャートを賑わせた歌手だった様な、教科書に載っていたモノクロの古臭いおじさんだった様な。とにかく、どこかでそんな言葉を聞いた気がする……いや、やっぱり誰もそんな事言ってなかった気もするけど。
そいつに言ってやりたい。この嘘つき野郎、って。
「信号」が青に変わった。周りの人達に押し流される様に、僕は「横断歩道」を渡り始めた。「駅」に着くと急いで「切符」を買い、「プラットホーム」に向かう。思っていたよりも時間が危ない。「改札口」の上の「電光掲示板」には次の「電車」が来る時刻が表示されている。腕時計に目をやった……もうすぐに来てしまうじゃないか……その時、コンコンコンと、聞き慣れた音が響いた。
「起きなさ~い」
「…………」
気が付くと僕は床に倒れていた。いや、寝ていた。
「もー、またベッドから落ちて……早く支度しなさい。遅刻するわよ?」
「……夢か……」
母さんはそのまま適当なリズムで、お玉でフライパンの裏を叩きながら部屋を出て行った。僕は床に敷かれていた布団をベッドの上に戻し、着替えてから食卓に向かった。
「今日はどんな夢見たの?」
ご飯をよそいながら母さんが言った。
「さっき、夢かって言ってたでしょ。どんな夢だったの?」
「……いつも通りだよ。『歩道』を歩いて、『駅』に向かう夢。途中『信号』に引っ掛かった。『電車』が来る直前に母さんに起こされたよ」
「あら、邪魔しちゃったみたいね」
母さんはくすりと笑う。
「ほんとだよ」
僕はわかりやすく不機嫌な顔をしてみせてご飯を一口食べた。
「また今夜見れたらいいわね」
「いつか夢じゃなくて、この目で見るよ」
「……そればっかりね。大人になったら自由にしなさい」
「うん。こんな村出て行く」
今度は弁当のおかずとして作られた卵焼きの余りを摘まむ……母さんの卵焼きはやっぱり今日もおいしい。他の奴の弁当に入ってるのよりも数倍。
「ごちそうさま」
さっさと朝食を済ませ歯を磨くと、今日の授業の準備をして僕はすぐに玄関に向かった。
「行って来まーす」
10年前にこの国を襲った大地震「オーバー・ブレイク」は、建物の倒壊だけじゃなく、断層も引き起こして地盤を沈下させた。そうして全国各地に生まれた、崖に挟まれた狭間の集落「プレスド」。僕が住んでいる村もそのひとつだ。生活に必要な電気の他に、ここで消費されている食べ物や飲み物は全て崖の上にある街「アップタウン」から数キロメートルかけて供給されている。他のプレスドだと水も供給されているそうだけど、この村は幸いに地下水脈を掘り当てて自分達で
なのに、大人達は決してここを離れようとはしない。長い間住んでいたこの土地を離れるのが嫌だからだろうか。崖に挟まれているこの村は、5、6キロ歩くとすぐに空が終わる。ほんとに僕らは同じ空の下にいるのだろうか。こんな狭い空、嫌いだ。
だから、僕はいつか絶対、この村を出るんだ。崖の上に行って、そこで暮らす。どこまでも続いている空の下で。そして、「信号」も「駅」も「電車」も、この目で見てやるんだ。
「ミーくーん」
学校に向かっている途中、聞き慣れた声が飛んできた。振り向くとそこには僕の幼馴染の女の子、カリンの姿があった。
「おはよー」
「……今日もやってるのか。早くしないと学校に遅れるぞ」
「うん。もうちょっとやってから」
「……また休むなよ」
「うん。今日はちゃんと学校行くよー。ミー君こそ、急がないと遅刻しちゃうんじゃないのー?」
「そうだけど、お前が言ってる場合じゃないだろ」
「あはは、大丈夫だよ私は」
「じゃあな」
「うん、じゃあねー」
カリンはいつも家の近くにある空き地を耕している。種を埋めては水をやって、どうにか植物を育てようとしてるけど、一度も芽が出た事は無い。あの大地震以降、この土地はおかしくなってしまった。それでも、カリンは毎日土を耕してる。
学校に着いた。僕が通っている学校は村の一番端っこにある。つまり崖の真下にある訳だ。だからここまで来るともうほんとに空が途中で切れてしまう。今まで何度見上げてきた事か。その度に忘れそうになる。空はどこまでも続いてるんだって事を。
外に設置されてある時計に目をやるとまだホームルームまでは少し時間があった。何だ、そこまで急がなくてもよかったのか。もう少しゆっくり来ればよかった。
ひとりでぶつぶつ言いながら教室に入ると、何だかみんな騒がしい。何か事件でも起きたのか。事件といっても、そんなに大した事では無いのだろうけど。
「お、おはよーミスミ」
あいさつをくれたのは僕の友達、ライラックだ。気さくな彼は誰とでも簡単に仲良くなれるタイプで、内気な僕とは正反対だ。
「おはよー……何でこんなに騒がしいの?」
「え? 何だ、お前掲示見なかったのか?」
「? 何の?」
「ほら、あれだよ。年に一度の」
「…………!」
あれ、か……。
「……もうそんな時期か」
「何言ってんだよ、おっさんみたいに」
あれから1年か……僕はこの1年に起こった出来事を思い出してみる……といっても、そんなに大きな事があった訳でも無いからこれといってぱっと浮かぶ事は無い訳だけども。
「今年は誰が出るんだろうな」
「さあ? ……ちょっと見て来ようかな」
教室を後にして僕は廊下にある掲示板に向かった。そこには保健室からの衛生通信、体にいい食事、なんてどうでもいい様なプリントの中に紛れてこっそりと
「……」
年に一度この村で開催されるイベント「スカイ・ホルダー」。簡単に言うと、ただの走り幅跳び。ただ、規模がでかい。この村の周りを囲む崖にはアップタウンへと通じる道が作られているのだけど、その途中、地上から20メートル程の所に、崖の内側、つまり村の上空に伸びる橋がある。橋といっても数十メートルで途切れていて、挑戦者はそこから思いっきりジャンプする。数メートル先の下の方に組み立てられたステージがあって、そこのクッションに見事到達する事が出来たら大成功。失敗した場合は、その周りにでっかく広げられている布に落下。橋からステージの周辺の地上には何本か棒が立てられていて、そのそれぞれの先端に布が結び付けられているからちょうどトランポリンみたいになって挑戦者を受け止める。一見危険な様に思われるけど、過去8回の内死傷者はひとりも出ていない。大地震で落ち込んでいたみんなを元気付けようと、崖を上手く使った度胸試しを考えたのだ。成功すればそれこそだけど、例え失敗してもその人は軽く英雄扱いだ。参加者は主に若い男の人から中年のおじさんで、たまに女の人もいる。そして僕にとって重要なのが、僕の学校も毎年各クラス最低ひとりを出場させてるって事。どうやって決めるのかって? そりゃやりたい人がいればそいつがやるんだけど、そんな物当然誰も参加したがらなく、結局毎年じゃんけんで負けた奴だ。
そうか、もうそんな時期なのか……今年は誰がやるんだろう? まさか僕になる訳無いよな……。
ホームルームが始まりそうだったので僕は教室に戻った。カリンの奴、ちゃんと間に合ったのか?
「ポン!」
少しでも考えるとやっぱり現実になるんだろうか。僕はじゃんけんに負けた。
「よっしゃ~~~~~~!」
「じゃあよろしく、ミスミ!」
……嘘だ……。
「まあ……お前なら出来るよ……!」
ライラックが気休めの言葉をかけてくる。
「……何で……何で何で何で……」
僕が、スカイ・ホルダーに出る? あの高さから跳ぶ? 僕が?
「……何で……嘘だろ……?」
何でだ。どこで間違った……何であの時僕はチョキを出したんだ……。
「だ……大丈夫、お前なら出来るって!」
「……気休めはいいよ……知ってるだろライラ? 僕の50メートル走の記録」
「落ち着け、足の速さは関係ねーよ」
「あるよ。運動駄目なのは知ってるだろ?」
「……もう腹くくるしかねーよ。決まっちまったんだし」
「無理だ。僕には出来ない」
「出来なくても跳ぶしかねーだろ?」
「無理だ。無理無理無理無理」
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