日々と同居人

とりい

夏のこと

 生きていると、ものを考えること全てが夏でしかなくなるような時期がある。そこでは季節は夏と夏の名残と夏の準備だけになって、冬の最も寒い時ですら、かつてあった夏をたたえた光の欠片を探す時期であったりする。

 シェアハウスというのも不思議なもので、そこに同居しているネコやトカゲは近いようで遠い。特に人は遠い。人の距離は、友人とも恋人とも家族とも言えず、同居人としか言いようがない、月と地球のような、離れる気もないしだからといって近づくこともできないようなものになる。

 家に帰ると二人の同居人のうちの一人、私と同じ部屋で寝ている方の同居人1が玄関から直接見えるリビングに居て、パソコンで大切そうなものを書いていた。もう一人の同居人、同居人2は別室でゲームばかりしている。リビングにつながる部屋の扉は閉まっていて、居るのかどうかはわからない。

「ただいま」

「おかえり、おかえり、うへへへへへ」

 同居人1はくるりと椅子を回してにこにこする。うれしいの?と尋ねると、いやーとか言ってまた椅子を左右にくるくる回した。金魚みたいな動きだった。私は荷物をおろして定位置に置いたら、同居人1はなぜかTシャツをめくって腹を出していた。「どうしたん?」「今日はねー、つかれた!」「疲れるとハイになるんだね」「そうだよ今日も頑張った」話しながら私は汗だくになった服を着替え、同居人はいつのまにか腹をしまっていた。ふと思い立って、訊いてみた。「今日さ、花火しない?」花火は良い。ぴかぴか光って面白い。前半の燃やすという純粋な喜び、音と光を楽しむ中盤、そしてもうだいぶ飽きて、花火を楽しんでいるのかただ燃やすべきものを燃やされる運命のもとに葬っているだけなのかわからない後半、最後の線香花火の菌類のような光。これは夏だ。冬でも火が消えてよいなら花火ができるけど、夏にするのはなんだかそれよりもずっとよい。「ただでさえ暑いのにー。外かー」と同居人1は渋る。2は部屋から出る様子もない。じゃあ行かないのか。ならばと座って本を開いていると、同居人1が「行かないの?君はね、日和るからね」と立ち上がって催促しに来た。バケツを出すかというと出さないし、別にその他の準備だってするわけではないけれど、それでもその言葉は尻を押す効果があった。私はバケツをベランダから引っ張り出して水を淹れた。水はとーと低い音を立ててすぐにバケツに水面をつくった。花火いくよと、ゲーマーの方の同居人2に声をかけると、軽快にコントローラーのスティックをカチャカチャと鳴らしながら、雨じゃね?と言った。雨だったら明日にしようね、いうてそんな降ってないっしょ―とか言いながらドアを開けると見事に雨だった。ゲームをしているような奴のほうがよくわかっていることもあるものだ。

 

 次の日もその次の日もどうやら雨のようで、同居人と私は日がな一日寝転んだり起き上がったりして過ごしていた。同居人1は、よく、遊んで、という。私には妹が居て、小さいときはよく妹にあそんでよと言われたことを覚えている。同居人1も末っ子らしく、そんなことが言動に関係するんだろうかと思いながらも、遊んで遊んでというのを聴いていると、人は幼少に慣れた方法で人と付き合い続けるんだろうかと思う。

 「プールに行こう」

  二人ともプールは好きだった。プールは駅三つ離れたところに区営のものがあって、いつもそこの一時間券を買って泳いで過ごす。同居人はよく泳ぐ。

 「プールいいよー、プールはね、よい。」

 二人で立ち上がって、家を出て駅へ向かう。道は雨でしっとりと濡れていて、子どもを連れた母親が手を引いて駅の方へ歩いて行く。道路はずっとまっすぐに続いていて、このまま濡れて世界の端まで湿らせていそうだった。真っ直ぐな道には、道路を挟んで花壇がある側と駅がある側があって、花壇の側のほうがにぎやかで人通りがも多かったが、たまにゲロが落ちているので気をつけなければならなかった。家は花壇側の道を抜けたところにあったため、二人で花壇側を歩いた。

「仕事やめようと思うんだよね」

 いつもの、例えばオムライスと天津飯の違いを語るような調子で同居人が言った。

「いいんじゃん、前からつらいっていってたし。でも辞めちゃったらどうすんの?」

「なんとかなるっしょー」

「なんとかなるならいいと思うよ」

「うーん、たぶん」

 駅に着くと、改札階に上がるためのエスカレーターがあって、若い人も若くない人もそれに乗る。駅前はきれいにしてあって、ベンチに座っていると地元の人に話しかけられることもあった。

「じゃあ君は会社を辞めても仕事があるんだね。」

「君は辞めないの?」

「私は借金があるからなあ」

「日和るなあ」

 なんだかやたら楽しそうに同居人が言って、スマホにくっつけたICカードを改札にかざした。私も歩きながら鞄を探って財布を見つける。

「仕事を辞めても仕事がなくなるわけじゃないんだよなあ、もっと暇になりたい」

「暇になったら遊ぶ?」

「どうかなあ、遊ぶとは思うけど」

「じゃあ遊ぼう」


 プールに着くと、早速同居人1は水を抱えて泳ぎ始めた。それを水上から、水中から、しばらく眺めてから、自分もそれに続く。プールは空いていて、水は右へ左へとよく揺れていた。同居人は本当によく泳ぐ。速く泳ぐためにはそれなりに多くの筋肉で水を従えないといけないのだろうし、筋力のない私はバタバタするだけで全然進まないのだが、すごい速さでそれを追い抜いていく同居人の姿は、水が人間のために空けている場所をするするとすり抜けているかのようだった。時折私の横に来て泳ぎ方を教えてくれるときも、水を蹴るんだよと言って動きを見せてくれるのだが、あまり蹴っているようには見えず、人が泳いでいるのか水の方から後ろの方にどいてくれているのかよくわからなかった。同居人は水泳用のレーンへと行ってしまって、私は自由レーンで教えてもらったばかりの平泳ぎを試みるも、全然進まないで、疲れ果ててぷかぷか浮かびながら水上で遊ぶ人を眺め始めた。プールには珍しくほとんど人が居なくて、筋肉のある白人とその人の妻らしい人が泳いだり並んで水中をぎこちなく歩いたりしていて、子ども連れの人々も、あっちへこっちへ泳いでみたり、ビート板を沈めて手を放すと飛び出してくるのを見てきゃっきゃと声を立てていた。監視員は見ているのか見ていないのかわからない調子でプールの橋からもう一方の端へと目を泳がせて、すこし前に乗り出して、笛を吹くかとおもうと 吹かなかった。少し塩素が香った気がした。

「何してるん」

 同居人がいつの間にか戻ってきて、横で浮いていた。

「つかれた」

「そろそろ出るかー」

 プールには温水ジャグジーが備え付けられていた。ジャグジーにも人は少ない。水と比べて、お湯にはあまり浮かない気がする。

「仕事、ほんとに辞めるん?」

「あんなんとはねー、やっていけませんわ。あいつらマジでサイコパスだからね、人の悪口見えるところで隠し、人を攻撃して平気だからな」

「そんな赤ちゃんみたいな人とは仕事しないほうがいいよね、きっと。おつかれさま」

「そうなんだよねえ」

 スイムキャップを水につけて膨らましたのを、ボコッと沈めてジャグジーを出た。着替えてプールの外に出ると、プールより外は蒸し暑かった。

 

  どうにも夏というものは困ったもので、花火をするには熱すぎる日が続いたかと思えば、雨が降ってきたり、台風が来たりする。

  台風が来たときぐらい休みにすればいいのに、会社というものは忙しいもので、通勤の時間にぶつかってこなければ来て仕事をしろという。なにしろ、仕事を途切れさせないために会社は存在するのだ。どれだけ祈っても、台風は都合よく電車を止めてくれないし、鉄道会社だって簡単には止めるわけには行かないのだろう。

「誰も幸せにならない」

 行く支度をしている私に同居人1が言った。

「誰も、幸せに、ならない」

 そんなこと言ったって、人は放置していると勝手に自分たちの首を締める方向へ頑張るし、いつの間にかそれが当たり前になってそんなことなんてしない賢明な奴らを責め始めるものなんだ、第一君はもう会社に出なくていいんじゃないのか。

「確かに行かなくてもいいけど、家で遠隔でやる仕事はある。こんなにもだるいのに!やだよーやだー」

 同居人1は全てを布団の中で言って、布団の中でばたばたした。

「私だって嫌だし泣きそうだよ、台風来たらだるいし、どうせ電車は動いてるし!」

 そうこう言っているうちに、同居人2はさっさと荷物を持って出ようとしていた。

「あれ?傘ないの?」

「走るわー、コンビニに傘あるっしょ」

 そう言ってすぐに出ていってしまうも、コンビニに着いたらすぐ駅なのでびしょ濡れになってしまいそうだろう。それでも走るというなら止めないが。玄関が開くと、風がごうと吹いて窓ガラスががたがたと音を立てた。同居人1が寝ながら言った。

「頑張りやさんだ」

「文句も言わないなんて立派だよ」

 自分用の傘はあったので、私はそれを差して出ることができた。出たい気持ちが全くないままでも、身体を動かすことはできてしまうようだ。それでもまだ決心がつかないで玄関の前に立ちすくんでしまった。学生のときに学校に通うのが上手かった人は、会社員になっても行きたくない気持ちに逆らって出ることに慣れているのかもしれない。同居人2は中高で皆勤賞をとっていたらしく、学校をちゃんとやると社会で役に立つ能力が与えられるのは本当なのだとよくわかった。

「行きたくないなあ」

「でもどうせ行くんでしょ」

「金が無いからなあ。こんなんで苦しむのつまんないよ」

「辞めちゃえばいいじゃん、金なら私もないよ、一緒に破滅しよう!短い人生だ!」

「うーん、うーん」

 それにははっきり返事ができないまま玄関を出てしまった。雨は意外と激しくなかったが、風がごうごう鳴って小さい枝をたくさん落としていて、それをぱきぱきと踏みながら駅へと向かった。傘はどっちにせよあまり役に立ちそうになかった。

 

 会社はそれなりにいろいろあっても静かなもので、何かをを生み出してはいるがその実何も生み出してはいない、穴を掘ってはそれをまた埋めているかのような時間だった。

「人が生きるには穴を掘って埋める必要がある。でも人間自体飯を食っては腹を空かせる存在だから、それは仕方がないのかもしれない。」

「帰ってきていきなりどうしたん、まあ座りなよ」

 同居人1は既に家に居て、また何かをパソコンでカタカタやっていた。

「鍋をつくるじゃん、夏だけどさ、それを食べる、おいしい、でもまた鍋を作るために働きに戻らないといけない、鍋はもういいよ、仕事ももういい。お腹も空かなければもっといい」

 私は椅子からずるっと半分落ちる。続けてつぶやく。

「仕事辞めたいけど仕事辞めたら仕事を探さないといけない、大変だ、大変なんだ、君は仕事を辞めてどうするんだ」

「会社作って受託する」

「そうなのかーそうだよねー。私はもう何がつらいのかわからないよー」

「つらいね、つらいね会社ってやつは」

 と、玄関がガチャガチャ鳴って同居人その2が帰ってきた。ただいまーと入ってきて、自室へ直行する。ご飯はすでに食べたと連絡が入っていた。足音をどかどかと響かせ、ベッドへどっさーと倒れ込んだ。足音だけでなく、その倒れる音まで大きかった。同居人1もその音を聴いているようだった、しんどい話を続けるには、あまりにも深いどっさーだった。先に口を開いたのは私だった。

「ねえ」

「なに」

「花火したくない?」

 引きこもったと思った同居人2の部屋から声が聞こえてきた。

「外雨だったよ」


「いや、それでも花火をする」

「まじか、できんの?てか風邪引くよ?」

「それでもいま花火をしないといけないんだ、たぶん、いや、ぜったい」

 今日行かなければ絶対に行けない、バケツを出して、買ってあった花火を出して、バケツに水を張った。「行くよ」「まじで行くん?」「花火しようよ」嫌がるというよりむしろ面白がっている同居人1を立ち上がらせて、外に出た。雨は思ったより小雨だった。

「どこでやるん?」

「どっか、公園?」

  幸い場所の目処はついていた。傘も持たず出たので、バケツに張った水に雨が落ちて小さい波をつくった。

「ライター持ってるよね?」

「あ、タバコ忘れた」

「まあ雨だし」

「コンビニで買ってっていい?」

 いいよ、と返してコンビニへ向かう。雨は小雨すぎて、降り止もうとしているのかそうでないかもわからなかった。

 コンビニの近くにある公園の駐車場に着いた。当然ながら雨の公園の駐車場には誰も居なくて、街灯が誰もいないにもかかわらず仕事をしていた。トイレの電気みたいに人がいるときにつければいいのにと思ったが、それだと人が歩いている場所が遠目からでもわかってしまって、スナイパ―が仕事をしやすくなってしまうかもな。

「火、つくかな」

「ロウソク付きじゃん、風に強いって書いてあるよ」

 風はほとんどなかったので、ロウソクには簡単に火がついた。雨が当たらないよう、袋の厚紙側を上にして花火を取り出す。暗くて個包装のフィルムを剥がすのに難儀した。ながいこと家に放って置かれた花火だからか、雨のせいか、火はつくがあまり燃えないものも多かったが、一度燃え始めると明るくて強い光を放った。燃え終えて水につけるとシャーと音を立てた。

「会社も燃えたらいいのにな」

「もう辞めるじゃん」

「でも燃えてほしいよ」

 花火をどんどん燃やして、バケツに突っ込む。

「なんであいつらじゃなくて私が辞めるんだよーひどいよー」

 本当にひどい。けれど、そういう風に社会はできてないんだろう、花火を三本持って火をつける。

「いいな、それやりたい」

 同居人1も三本どころでなく、ごっそり持って火をつけた。湿ってあまり燃えない花火も、束ねると迫力があった。

「従順なやつしか残らない会社だったんだよ、長居しなくて正解だよ」

 花火はしゅうしゅう言って辺りを一瞬まぶしくする。

「同居人2はえらいよな、本当に文句を言わないし」

「それは性格じゃね?どっちにしろ、真似できんよね」

「うまくいかないね、うまくやりたいね」

  あらかた燃やし尽くした花火は、よく燃えたのも燃えなかったのもまとめてバケツに入っていた、汚い生花のようだった。線香花火を取り出して火をつけるが。湿った線香花火はみなすぐに落ちてしまう。

「これからどうやって行きていこう」

「二人でスラムでも作る?」

 スラムかーと同居人1は両手に線香花火を持って言った。どちらもすぐに落ちてしまい、落ちた先を見ながらもう一度言った。スラムかー。スラムじゃ復讐にならんよ。

「復讐するん?」

「いまだって復讐したいよ」

「じゃあもうあいつらより大儲けしてハッピーに暮らすしかないね」

「一発当てたいなあ」

「一発当てたい」

 燃やし終えた花火のバケツを持ち上げる頃には、すでに二人で一発当てたような気分になっていた。湿った身体にも駐車場にも、火薬の匂いが染み付いていた。もう一雨降ったら、匂いはすっかり落ちるだろう。誰も花火なんかしなかったかのように、駐車場は駐車場の匂いになるだろう。それでも、雨の中燃え上がっていた花火の、その光のことは。 ずっと覚えているような気がした。

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