君の背中を、俺は突き落としたい衝動に駆られながら。 11

 巡り巡って金曜日。端末に映る校内案内図は殆どが試行済マークで塗り潰されていた。調査は進んでいるように見えて、だが収穫は何も無いという状況。俺は薄々あの書き込みはやはり何も知らない人間のイタズラで、あの図は偶然使われた線が濃厚なのではないかという確信を抱きつつあった。

 だが、目の前でシャツをはためかせる花折はそう思ってはいないようで。

「空が青いねー」

 見上げる空は電線すら視界に入らない。田舎の学校の強みである広いグラウンドを、様々なユニフォームに身を包む部員達が駆け回っていた。

 そのグラウンドの隅で、俺たち二人はぬるくなったミネラルウォーターをちびちびと飲みながら四時四十四分を待つ。

「地球は青かったって、そりゃあこれだけ青かったら青いよね」

 シャツをばたばたと羽ばたかせて少しでも涼をとろうと花折は躍起だ。そして俺はお天道様の下、限界まで稼動している体温維持機構サーキュレーターにエネルギーを奪われ、気だるげに立ち尽くしていた。

「宇宙から見て青いのは海面および森林部分で、空じゃないんだけどな。後、正しくは地球は青いベールをまとった花嫁のようだった、だ」

「未散博識!」

「ていうか、大体あれは地球に戻ってから言った事だろ」

 あ、ペットボトルの蓋を落とした。俺は舌打ちをしつつ砂に塗れたそれを拾う。

「そうなんだ。何か分かる気がするね」

「あ?」

 俺は横目で花折を見た。空を見上げ沿った白い首に、希薄な殺意が軋む。

「だって実際宇宙から地球を見たらさ、感動で言葉なんて出ないでしょ。自分はこんな綺麗な星に住んでたのかって」

 まあそうかもな。我々も最初地球を見つけたとき、感動して声も出なかったし。何となく納得する俺。

「……とは言ってもガガーリンが乗ってたロケットにはそもそも窓が無かったって説もあんだけどな」

「夢が無いなー未散は」

 我々の母船には外を触覚で感知できるように透過窓があったから、青を示す光波長は見えてたんだよな。俺は今も軌道上を回り続ける母船を思って空を仰ぐ。

「……あっ、今日顔洗うの忘れた!」

 突然声を上げる花折。

「あー言われて見れば」

 だが今校舎に戻ったら、この灼熱のグラウンドには二度と戻って来られない気がする。

「もう、これでよくね?」

 花折の手にあるペットボトルと取り上げ、俺は遠慮なくその顔に降りかけた。

「うわっ!?未散何するの!?シャツまで濡れたって!」

「どーせ汗で濡れてんだから変わんねーよ」

 自分も残った水を頭から浴びる。後十五分程度なら、水無しでも我慢できなくないことも無い。砂が付く事も構わずに腰を下ろす。

「あっ、駄目だよ未散!立って!」

「うあっなんだ!?」

 驚いて立ち上がると、未散が俺の後ろに回り「あーあ」と声を上げた。

「やっぱり、白線の上に座っちゃってる」

 呆れたように尻を叩かれる。確かに俺の尻に白いラインがくっきりと付いていた。

「まじでか……」

 げんなりしながら粉を叩いていると、

「あんたらエセ文化系が何やってんの?」

 という不審げな声。すぐに分かる。この無愛想な声は。

「あーらら、お尻にライン引かれているわよ加賀君ー?」

 これ見よがしに噴出す高岡教員をジト目で睨みながら俺は無言で汚れを落とす。手にまで着いた白い粉を叩いていると、咎めるように高岡教員の視線が刺さった。

「叩いただけじゃ駄目。それ消石灰だから洗い流してきなさい」

「あ?」

 俺の頭上に疑問符を見たのだろう。高岡教員は呆れたように深いため息を付く。

「私の授業でやったわよ。消石灰っていうのは水酸化カルシウム。たんぱく質を分解する――要はほっとくと手の表面が溶け出すってこと」

 こういうことがあるから害の無い炭酸カルシウムに変えろって校長に言ってんのに、と高岡教員は眉を寄せてぶつぶつと呟いている。

 水酸化カルシウム、と俺は復唱する。

 その言葉を、つい最近も授業以外で聞かなかっただろうか?

「あ……」

 そして気付く。

 放課後の錬金術師というふざけた名前。

 光で読み込む図書室のバーコード。

 顔を洗えという意味の分からない指示。

 試験対策の語呂合わせ。

 添付された図。

 ぼこぼこと湯気を立てていた化学室のビーカー。

 軌道上を巡る我々の母船。

 俺たちの文字。

「高岡教員……この粉って……」

 質問の答えを聞いて、俺は確信した。

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