君の涙を見て、俺は殺さないと、と思った。 04

 待て待て、落ち着け俺。いくらなんでも、これだけでは殺傷の言い訳は立たないぞ。

「魔方陣……?」

 複雑な、とても複雑な紋様だった。何重にも重なる円の中に、大小の円が銀河系の如く無規則に散在している。それぞれの円は全て違う模様で埋められ、色こそ付けられていないがその繊細かつ豪奢な線描は、ケルト装飾写本にも似た美しさを放っていた。

「……これ、お前が書いたのか?」

 印刷されたものではないのは一目で分かった。俺は恐る恐る花折に問い掛ける。

「うん。っていっても、写しただけなんだけど」

 花折は学校指定の携帯端末タブレットを取り出すと手早く操作して俺に画面を向ける。そこには紙にあるものと同じ画像が写されていた。

「学内ローカルネットワーク上の掲示板の雑談用スレッドにね、放課後の錬金術師ってタイトルで貼り付けられてたんだ。それを印刷して手で写したのがこれ」

 花折の言う学内ローカルネットワークとは、名前の通り校内の敷地内でのみ指定の端末でアクセス可能な、地域限定的ローカルなネットワークのことだ。

 ペーパーレスは進み、現在プリントなどの配布物はおろか、テストさえも全てデータ化されている。それらはネットワーク上の配布物フォルダに格納され、スケジュール同期によって生徒達の携帯端末タブレットへ勝手にコピーされたり、はたまた端末から宿題データを強制的に回収されたりもする。学級日誌や学内掲示板なども例に漏れず、ここ数年でネットワーク上に移設されていた。

 その中でもマニアックな掲示板というコンテンツを話題に出してくるとは。今や個人用端末では多人数でのチャットや音声会話が標準採用され、情報の殆どはSNSでリアルタイムに収集する時代だ。廃れて久しい掲示板という単語に俺は更に興味を掻き立てられ、花折の差し出すディスプレイに顔を寄せた。

「なになに……」

【掲示日2054年3月10日】

【掲載者:      】

【タイトル:放課後の錬金術師】

【本文:私は優秀な助手を探している。

    我こそはと思う者は、四時四十四分にこの図を広げ待たれよ。

    準備は顔を水で洗って行え、だがその熱には気をつけろ。

    石さえも灰にするその熱は消えることは無い。

    さすれば、私はそなたの前にこの姿を見せよう】

 芝居がかった口調で書かれたその記事は、掲載者名が空欄になっていた。通常他人を誹謗中傷するような記事を無記名で掲示されることがないよう、学内のコンテンツに投稿を行えば強制的に掲載者の名前は明記されるようになっているはずだ。

 何らかのテクニックを使っているのはわかりきっているものの、ぽっかりと抜けた掲載者欄は否応無しに不気味さを感じさせた。掲載日は約一年半前。学校側もこんな悪戯記事さっさと削除すればいいものを、閲覧数も伸びていないところを見ると気付かれてすらいないのかも知れない。

「それで、お前は此処で一人待ってたって訳か」

「あはは、馬鹿みたいだなあって思う?」

 花折は笑う。俺は渡された紙を再び折りたたむと彼の胸ポケットへと差し戻した。

「いや。興味深い」

 嘘偽り無い感想だった。本当に。だって場合によっては許可されるかもしれない。

 お前を、殺す事を。

「毎週待ってたのか?」

「うーん、僕暇だから」

 はははっと乾いた笑い。ちらりと菫がかった色の瞳が俺を窺い見た。

 身構えている。

 覚悟している。

 馬鹿にされることを。

 気味悪がれることを。

 その怯えを見つけた時に、殺意を持て余して疼いていたはずの俺の心は、何故か一瞬静まった。あくまで一瞬だけだったが。

 すぐに再燃した俺の本能欲求が告げる、今こいつを放すのは惜しいと。

「じゃあ俺も、一緒に待ってみようかな」

 さり気無く提案すると、花折は目を見開いた。

「えっ、未散はこういうの信じるの?」

 まるで自分は信じていないかのような言い草に俺は笑ってしまった。

「信じるって言うか、気になりはするな」

 だって、あんな懐かしいものを眼前に突き出されたのだから。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る