音にまつわるはなし

予感の音

十月二日(月)

 最近悪夢ばかり見るので、夢日記を書いて不安を少しでも減らそうと思う。

 今日はわたしが転んで怪我をする夢だった。

部活の帰りに静まり返った暗い住宅街を、わたしはうつむきながら歩いていた。夢の中では第三者が撮った動画を見ているような視点だったので、わたしが何を考えながらうつむいていたのかはわからなかった。突然、頭に響くような甲高い音が近くの家から聞こえてきた。皿が破壊される音のようだ。夫婦喧嘩でもしているのだろうか。住宅の壁を通して聞こえてきた音とはいえ、風の音しか聞こえない住宅街でのその音はとても大きい。わたしはびっくりして顔をあげ、音の発信源を反射的に振り返った。そのよそ見がいけなかった。歩道の左わきに車道との境目として設置された、レンガ造りの花壇の角に足を取られる。バランスを崩した体を花壇に突っ込むことだけは避けようと、右側になんとかよじったものの、体勢を立て直すことはできなかった。大の字で歩道に倒れるわたしは、転んだところを見られた恥ずかしさで頬を赤く染めた。その場を早く立ち去ろうと体を起こすが、左足は花壇に強打し、顔から右足までアスファルトで擦りむいて全身がヒリヒリする状態だったため、到底素早く立ち去ることなどできなかった。

 朝起きると、自分の体がひどく痛むような気がした。でもただの気のせいだ。夢を夢で終わらせられるよう、今日の部活帰りには足元によく注意した。週の初めから怪我などしたくない。


十月三日(火)

 今日の夢は友人のNと大喧嘩する夢。

 Nがわたしの大好きな漫画について酷評したから、わたしはムッとしてNを馬鹿にするようなことを言ってしまった。Nはわたしのお気に入りの作品だと知らなかったようだったから、言う相手が悪かっただけなのだろうが、わたしはそう割り切れなかったらしい。Nも頭に来たようで、振りかぶった二つの拳をわたしの机に打ち付けた。残響に震える机を離れ、Nはどこかへ行ってしまった。わたしは眉間にしわを寄せ腕を組んで座っていた。その日は木曜日だったので部活もなく、一人で帰宅した。帰り道が長く感じた。

 これが夢で本当によかった。Nと一緒に過ごせないのはとてもつまらない。帰宅時にNとおしゃべりできることがいつも以上に楽しく感じられた。


十月四日(水)

 最悪だ。家が燃える夢を見てしまった。

 金曜日の夜から旅行に出かける予定だった。わたしは部活から帰ったばかりでろくに仕度もしていなかった。玄関で靴を履いて待っている両親は、列車の発車時間に遅れるとわたしをせかした。階段を二段飛ばしで駆け下り、履き古したスニーカーに足を差し込むと、両親に続いて玄関を飛び出した。父が鍵を閉めている間に、母に荷物を持ってもらい踏みつけた靴のかかとを直す。それから三人で小走りに駅に向かった。あまりに急いでいたから、隣の家から微かにパチパチという音が聞こえることにも、その家から食べ物でないものを焦がす臭いがすることにも注意が向かなかった。

 本当に気分が悪い。母にも心配されてしまった。でも、母は朝食やら弁当やらを作るので忙しそうに動いていたから、夢のことを話すのはやめておいた。隣の家が木造であることを確認してしまい、スッと血の気が引く思いをした。なにしろ金曜に旅行に行く予定なのは本当のことなのだから。


十月五日(木)

 昨日に比べたら平和な夢だった。でも相変わらずいい思いはしない。

 その日の家庭科は調理実習で、グラタンとスープを作った。わたしの班はとても順調に進んでいて、あとはスープを皿によそって、グラタンが焼きあがるのを待つだけだった。わたしは皿を取ってくると言って食器棚の前に立った。扉のガラス越しにスープ皿の位置を確認し、それから扉を開く。横着な私は六人分の器を一度に取り出そうとした。しかしそのスープ皿は薄い見た目に反してなかなかの重量があった。その重さを考慮していなかった腕が重力に従って落ちる。…しっかり支えられていない皿が落ちて割れるのは自然なことだ。わたしは同時に六枚もの皿を割り、先生にこっぴどく叱られた。班にも影響を与えてしまい、試食に入るのが一番遅くなってしまった。

 来週の火曜日は調理実習だから、気を付けなくてはいけない。もし夢の通りになったら罪悪感しか残らない気がする。


十月六日(金)

 また気分の悪くなる夢だ。短かったのがせめてもの救いと言える。

 ハロウィンまであと二十日を切り、不気味に光る装飾物だけが明るい夜道を歩いていた。いつもより歩くスピードは遅かった。足元は見えなかったから、なぜそんなに歩くのが遅いのかわからなかった。わたしは前方から聞こえたパリンという音が気になっていた。しばらく行くと、地面にキラキラ光るものが散らばっているのが見えた。…銀行の扉のガラスが割られていた。わたしは思わず「泥棒」とつぶやいた。頭は真っ白で、とにかくもっと銀行に近づいてみようと進んだ。途中ですれ違った人に肩をぶつけてしまっても謝りもしなかった。その人がしばらくしてから振り向いて、銀行を一直線にめざして歩くわたしをしばらく見ていたことにも、手に光る何かを持っていたことにも、その後、背後から鬼の形相で私を追いかけて来ることにも気がつかなかった。その人は黒ずくめのいかにも怪しい服装で、いっぱいに何かを詰めた大きなかばんを肩に下げていた。

 (追記)今日は本当に最悪だった。この夢を見て、部活に行かないで明るいうちに帰りたいと思ったわたしの感情に従えばよかった。そうしたら花壇で躓いて左足を骨折することにならなかったかもしれないのに。


十月七日(土)

 夢の中とはいえ、テストで0点を取るのはこたえる。

 得意な数学の中でも特によくできる分野だからと侮って、ろくに勉強もしないまま水曜の数学の小テストに挑んだ。しかしテスト本番、クラス出席番号氏名を書いたところでペンが止まる。わたしは焦った時の癖でひたすらペン回しをしていた。適当に書いてみるが、すぐ消してしまう。それを六回くらい繰り返したところで、テスト終了の号令がかかった。

 勉強しなくては、と思ったけれど、結局勉強しないんだよなあ。


十月八日(日)

 今日のは金曜の部活帰りに事故を目撃してしまう夢。

 通りを猛スピードで走る黒い車に驚いた次の瞬間、その通りを渡ろうとしていた小学生の姿が消えた。わたしはしばらく状況を理解できなかった。車が慌てて走り去ってしまったあとでようやく頭が働き始め、周りにはわたししかいないのだからと、震える手でケータイを取り出した。

このところ特にひどい夢が多すぎる。


十月九日(月)

 クラスメイトが階段から落ちて肋骨を折る大けがを負う夢を見た。

 環境委員としてよく働く子で、その日もピンクのコスモスに水をやろうと、立派な花瓶を運んでいた。流しに向かって階段の踊り場を過ぎたとき、ふざけて取っ組み合いをしていた男子の一人がその子にぶつかった。ちょうど階段を下りていたわたしは、その一連の流れと、その子が手を放してしまった花瓶に気を取られて階段から落ちてしまうのを目の当たりにしてしまった。男子たちが呆然と立ちすくむ踊り場を抜け、その子が落ちていった階段を下りる。花瓶の破片が散らかるもう一つ下の踊り場で、その子はうつぶせに倒れて気を失っていた。

 (追記)驚いた。いや、その一言では言い表せない感情に苛まれた。何しろ今日見た夢が現実になってしまったのだから。夢と全く同じシチュエーションだった。環境委員の子が男子に押されたのを階段から見たとき、夢のことなど半分忘れていたわたしは「なんだろうこの既視感」としか思わなかった。夢のことを覚えていたらもっと何かできたのではないかと、後悔ばかりしている。わたしは足を骨折していたからと言い訳してしまいたい。


十月十日(火)

 木曜の英語の授業で居眠りをして先生に起こされ、さらに質問に対して頓珍漢な答えを言ってしまうという、なんとも恥ずかしい夢を見た。でも今までと比べたらよい夢だ。この夢が実現しても、わたしが恥ずかしい思いをするだけで、正直大したことない。

 (追記)今日の家庭科で皿を割って怒られた。これにも何かデジャヴを感じたが、この日記を読み返して思い出した。五日に見た夢そのままではないか。でも、土曜に見た夢も火曜日の話だったが、テストで大失敗することはなかった。きちんと勉強したからだ。今まで見た夢が全部正夢というわけではなさそうだ。少し安心。


十月十一日(水)

 この夢は本当に実現させたくない。

 わたしが玄関を開けた瞬間、物を落とす音がした。何事かと急いで家に上がり込むと、キッチンで母が倒れていた。背中や足を曲げ、小さく丸まって横に倒れていた。苦しそうに眉間にしわを寄せ、口は何か言いたそうに半開きになっている。食器を洗っていたのだろうか、服の左胸を固く握りしめる手は泡だらけで濡れていた。床には欠けた皿が落ちている。わたしはフリーズする体を無理やり動かして母に駆け寄った。どんなに声を荒げ呼んでも、肩をゆすり頬を軽く叩いても一向に目を覚ます気配がない。座り込むわたしの頭は働いていないようだった。それとも体が動かないのか、あるいはどちらもなのかもしれない。ふと目に入った日めくりカレンダーは、十月十二日を示していた。


***


 日記はこれで終わっている。ミサキは自分の日記を読み返し終え、表紙を閉じて机に置いた。ふーっと長いため息をつき、椅子の背もたれに寄りかかって力を抜く。

 朝、母が倒れる夢を見てから何か引っかかっていた。このところ見た夢のいくつかが現実化していることも、この引っかかりの一つの原因だった。母の夢は本当に起こるのか。その手掛かりを得るため、ミサキは日記を読み返していたのだった。

「…もしかしたら、現実化する夢の共通点が分かったかも…。」

誰に言うでもなくつぶやいた。

「…それがあっているなら…お母さんは明日倒れる…。」

ミサキはそれだけは絶対に避けなければならないと思った。しかし、どう避けるというのだろう。母本人に相談?それとも父の方がいいのか。誰に相談するにせよ、すぐに信じてはくれなそうだ。やはり自分で動かなくてはいけないのだろうか。

「…よし。」

ミサキは勢いよく立ち上がり、母のいる一階のリビングへ向かった。


 十月十二日の木曜日。ミサキは誰もいない帰り道を歩いていた。誰もいないのは、もともと人通りの多くない通りの上、近所の高校の生徒が帰宅するには少し早いからだ。ミサキは病院に行くと言って六時間目の終了直後に帰路についていた。やっと慣れてきた松葉づえを懸命に動かし、なるべく早く町の総合病院に向かった。そこで母と待ち合わせをしているのだ、急がねばならない。

昨日ミサキは簡単な計画を立てた。母が倒れることを避けるのはきっととても難しい。倒れた後にすぐ病院に行ける環境を用意して、手遅れにならないようにする方が簡単だろう。すぐ病院に行ける環境を作るのも簡単だ。自分の怪我を使えばいい。そう考えたミサキは、母に「明日病院に行って怪我の様子を聞くのに付き添って」と頼んだのだった。ミサキが病院着いたとき、母は元気に手を振ってミサキを呼んだ。その母があと一時間もしないうちに倒れるのかと思うと、とても不思議だった。

 医者が長々と骨折の完治について語っているとき、母は苦しみだした。隣で母が胸を押さえて痛みに耐えているのを見ているのは辛かったが、ここはすでに病院、しかも総合病院だということに安心していられた。母はすぐに内科に運ばれ、大事には至らなかった。母は心筋梗塞だった。時間によって命取りになるものだったため、病院にいたのはとてもラッキーだったと医者は言った。ミサキの作戦は成功だったようだ。


 十月十三日の金曜日。ミサキは数週間ぶりに気持ちの良い朝を迎えた。母は手術を受けることになったが、成功率は高く、それほど心配はいらないらしい。この日は悪夢を見ることすらなかった。今まで見ていた悪夢は、母が倒れることを示唆するためのものだったに違いない。自分はその暗示を読み取って、母を救うという役割をきちんとこなしたのだ。そう思うと自分を誇らしく感じた。ミサキは気分よく学校に向かった。


 しかし、ミサキは一つ忘れている。日記をもう一度読み返せばわかることだ。そう、金曜日に起こることを予兆したような夢を、三つも見ていたではないか。しかも一つはミサキが発見したある法則に従っている。つまりこの日、その夢が実現するということだ。その夢とはいったいどれのことなのか。すべては日記にヒントがあるのだが、どの夢が実現するにせよ、ミサキが現実で悪夢を見る羽目になるのは間違いない。



BAD END













以下、解答














実現の条件は、「何かが割れる音」。


つまり、実現するのは銀行強盗の夢。


この後ミサキは走ることもままならない状態で銀行強盗の犯行現場に遭遇してしまう。現場と犯人を目撃したため、凶器を持つ犯人は口封じに……。


予知夢はこの時のためであり、母を救えたのも「夢で見たことは変えられる」という暗示だったのだが…。


油断大敵。




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