第二十話 お会いしたく存じます。

 散る梅を平坂と咲夜と梅は見上げていた。春の昼下がりらしい暖かさだ。

 ヒトガタなどの妖モノは咲夜が粗方追い払い、ヒト払いも済んでいるので、周囲は静かだった。学校の植物たちは、大半が桜が暴れた時になぎ倒されたが、学校の方で植え直せるものは植え直したらしい。


 今はもう、歪みもない。

 何も歪んでなんかいない。


 梅との大立ち回りから一晩明けていた。

 既に松江邸へ赴き、三途への報告は済んでいる。二人の報告に彼女は多くを語ることはなく、ただ“歪みが失せたんは、坂許町を治める者として喜ばしく思うわ。ありがとう”と述べたのだった。


「ああ、写実師さん方」


 声のする方を見上げれば、梅の木の上に腰かけた少年が二人を見下ろしていた。


「調子はいかがですか、梅」

「お陰様でもうすっかり。此度はご迷惑をおかけしました」


 梅の返答に平坂は頷いた。


「良かった。もう大丈夫そうですね」

「そうみたいですね。しかし、まさか自分が歪むとは思いませんでした。思考も心もとにかくごちゃ混ぜになったようで。まさか、自分が見境なくヒトを食らったなんて信じがたい……ですが、事実そうなったのですよね」


 歪みは正され、平穏が訪れた。しかし、喰われた者たちが戻ることはない。


「歪むとはそういうことです」

「でも、今は嘘みたいにすっきりしているんですよ」


 確かに梅は憑き物が落ちたように晴れた笑顔を浮かべていた。

 背負っていたものを何かも捨て去ったかのように。


「 」


 咲夜がぽつりと呟いた。


「え?」

「……いや、すまん。何でもない」


 それから平坂が二、三、簡単な世間話をした。歪みが残っていないか一応の確認をするためだ。結果的にどこにも歪みは見られなかった。正常で、一般的な会話だった。


「花が散る前にまたおいでください」


 別れ際にそう言う梅に、咲夜は小さく笑みを浮かべる。


「いや、花ばかりが梅の妙というわけでもなし。また来るぞ、私も平坂も」

「ええ、是非。僕待っていますから」


 手を振る梅の笑顔は、散り始めている花に飾られ輝いていた。


 ◇


「そう言えば、あれは随分と手荒な真似だったな」


 帰路、梅と咲夜の大立ち回りについて平坂はそんな感想を述べた。


「書簡を斬り刻んで相手の歪みを促進。精神から何から全部歪んで、判断が鈍ったところで調律。……歪みをあえて悪化させるのは、危なかった気もするが」

「別に。そんなんじゃない」


 平坂は首を傾げた。僅かに先行している咲夜は少し元気がないようにも見える。


「少し疲れたな。久々利堂で饅頭でも、」


 振り向いた咲夜の目にぶち当たり、平坂は一瞬口を噤んだ。いつもなら饅頭と聞けばパッと輝く瞳が、赤縁の眼鏡の奥ですぐに伏せられた。


「咲夜……?」

「平坂、私は……」


 迷うように言葉が切られ、


「私は……もっと上手くやる方法があった気がしてならん」


 何だ。そんなことか。


 平坂は首を傾げる。

 はて、この少女は決して完璧主義者というわけではないように思ったが。

 しかし、気落ちしているようなのは明らかだったので、元気づけようと言葉をかける。


「結果的に歪みはなくなったんだから、何も問題はない」


 黒髪が翻って、顔が上がった。先の燃えるような瞳が瞬いている。

 平坂の目を見つめたまま、咲夜は何度か口を開いたり閉じたりして発言に窮しているようだった。そして、最終的に、


「そうか」


 そう返して、困ったような笑みを浮かべた。


「……久々利堂で饅頭を買ってから寄りたいところがあるんじゃが、良いかのう?」

「どこに?」

「何、手紙を届けたいだけじゃ」


 咲夜は懐から二つの書簡を出してみせた。一つは平坂にも見覚えがあった。春子の最後の書簡だ。もう一つは、見覚えのないもので。薄紅の封筒に梅の小枝が添えられている。


「それは?」

「預かりものじゃよ」


 目の前の少女が二つの書簡を胸に抱き、ニッと笑う。


「というわけで、饅頭は平坂と私含めて、四つで頼むぞ」


 少女の笑みに平坂は苦笑した。気落ちしていた理由は分からないままだが、何はともあれ泣いた鴉はもう笑っていて、それに少し安心する。

 やはり彼女には笑みが似合う。


「心得た」


 平坂は力強く頷いてみせた。目の前の笑顔が優しく綻んで、どこからか紅の花びらが舞う。あの梅のようでもあり、それとは似つかわしくないようでもあり。


 それは風に乗って青い空へと吹き上がり、やがてくるくると回りながら遠くへと見えなくなった。


  坂許町にも、もうすぐ本格的な春が訪れる。



 ◆



 花びらがどこかへ飛んでいくのを眺めていた。

 ああ、それは自分の意志とは関係がなく。

 ただ季節が経つのに合わせて、ただ時が流れるままに。


 さっき写実師が来た時に手折った枝の部分をそっと撫でる。

 少女はあのように言っていたが、散る花もこの枝もやはり何だか物悲しい。


「いつかまた……」


 だから、その思いだけでも取りこぼさぬように口にする。


 過ぎゆく中で失くしたものにまた会えるようにと。


 僕はただ一人願うのだ。



 了

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