平坂紅梅奇譚
笹倉
◇断章一 雪降る夜は魔を呼ぶ
師走の忙しさに、古書店が並ぶ石畳の通りを急くように歩き過ぎる人波。吐く息は白く、そしてすぐ消えていく。その人波に混じるように、着物姿の男もまた、足早にブーツを鳴らしていた。
群青の着物の上には黒い羽織。加えて、同じように暗い色合いのマフラーや手袋で冬夜の寒さを凌いでいる。
男は一仕事を終えて自分の住まいに帰ろうとしていた。
通りでは、古書店だけでなく居酒屋も行灯を提げていた。よく味が付いているだろう煮付けの香りや炭火で焼いた串物の香りに誘われるまま、一杯ひっかけるという考えもうっかり脳裏に浮かび、男の足行きが鈍る。
雪は降り続け、人波は流れていく。男が立ち止まったからと言って、それは変わらない。
しかし、男が立ち止まったのは何も、酒の誘惑のせいだけではなかった。
通りの行灯の光が届かない、居酒屋の合間に動く影を視界の端にわずかに認めたのである。
“雪降る夜は魔を呼ぶ”という言葉をふと思う。それは、本で読んだのか。昔誰か同業から聞いたんだったか。はたまた、近所の井戸端会議を小耳に挟んだんだったか。
いずれにせよ、その言葉は間違ってはいないと男は思っていた。汚れのない雪の白にこそ、魔は強く映り、色濃く宿る。
彼は目を凝らし、その影に近づいた。まさに、路地裏の闇に誘い込まれるように。
雪は降り続け、人波は流れていく。男を見咎める者は、誰もいない。
冬の景色は変わらぬまま。
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