【獣神らとともに】2
床に敷いたシートの上に食事が並び、皆が車座となってあぐらをかく。
幾つかの缶詰と、出来立ての温かいビーフシチュー。それが晩餐だった。
久しぶりのまともな食事に、麗華の箸も進む。
「さて。食べながらでいいんだけど、色々と聞かせて欲しいんだよね。何があったのか。出身はどこか。とか。自己紹介からお願いしていいかな」
「はい。
私は蛭田麗華。一九九四年生まれの日本人。こっちに連れてこられたのは十六歳のとき……でした」
麗華は、ぽつりぽつりと語り始めた。
嵐の夜。記憶喪失。デメテルとの出会い。国連軍の夜襲を受けた事。初めて飛んだ感動。樹海の旅。あの街でのありすとの出会いと斉天大聖級との闘い。陣地にたどりついた時のあれこれ。記憶の回復と絶望。遺伝子戦争のこと。ヘカテーを殺したこと。十二年前、門が再び開いたその場にいた事。門を開通させた者たちが自分たちに対して述べた口上の記憶。国連軍との闘いの日々。
そして、デメテルとの再会。
すべてを語った。
皆が、黙って麗華の話を聞いていた。その七十年にわたる生涯についての全てを。
あまりの壮絶さに圧倒されていたのである。
遺伝子戦争期以前から生き残っている眷属はほとんどいない、と考えられている。遺伝子戦争でも三千体を超える眷属が撃破されたし、生き残った者もその大半は今の戦争に投入され、磨り潰された。麗華が今、ここで生きていること自体が奇跡と言っていいだろう。
麗華は人類と神々との関わりの歴史の生き証人なのだ。知性強化動物たちが知る限り、麗華より古い神格はほんの数名。今も地球で暮らしている人類側神格の一部くらいのはずだった。
「たくさん人を殺しました。都市を住人ごと吹き飛ばしたこともあります。なのにこうして生きている。私なんかより生きる価値のある人が、たくさんいたのに。本当なら私はもう、死んでいなきゃいけないのに。こうしてのうのうと助けられてる。安心してる。
生き汚いですよね。でも駄目なんです。死にたくないんです。生きていたい。もう七十歳のおばあちゃんなのに。十分生きたはずなのに。帰っても、待っている人なんて誰もいないのに。
こんな、人でなしの化け物が……」
いつしか麗華は食事の手を止め、手で顔を覆っていた。やがて聞こえて来たのはすすり泣き。
ミカエルは手を伸ばし、その背をさすってやった。
「あなたは化け物なんかじゃない。人間だよ。あなたが殺したんじゃない。やったのは神格。だから、ね。泣かないで」
「それでも。この世界で目覚めてからも、たくさん傷つけました。はやしもさんの姉妹や、いろんな知性強化動物の皆さんを。死んだひとだっているはずです」
「……わたしは、痛かったけどへいきです。ほかのひとも、きっと大丈夫。ゆるして、くれます」
「……?」
「ああ。あなたが目覚めた日に戦った相手は私たちなの。まさか、とは思ったけど」
「…これも縁、です」
はやしもは、顔を歪ませた。それが笑顔を浮かべたのだと知って、麗華も微笑み返した。涙の痕はそのままだったが、気持ちは伝わったはずだ。
それにしても、なんという科学力なのだろうか。無数の昆虫の集合体が、人間のように振る舞っているだけではない。人の気持ちを理解し、慰めてくれるとは。更に、他の皆のようにシチューを食べ、缶詰の中身を呑み込んでさえいる。おそらく内臓の機能も再現しているのだろう。この一点を見ても、もはや人類の力は神々を超えつつあるのは明白だった。
よくぞ五十年弱でここまで進歩したものだ。というのが麗華の正直な感想である。
「……わたし、知性強化動物ってもっと兵器然としたものだと思ってました。でも皆さん、全然そんなことないんですね」
「知性強化動物は伝統的に、人間の家庭で育つの。だいたい週末、土日を過ごす感じかな。後の五日間は軍の施設とかだけどね。多様性があって愛情たっぷりの環境でないと、脳が十分に発達しないから」
「大人になって神格を組み込んでからも人間と同じに過ごす。休みの日には家族と買い出しに出かけたり映画を見に行ったりもするしな。仕事先は一律、国連軍になるが。俺はこの戦争が始まる前は、軌道上にある国連の研究所で宇宙工学の研究をしてたんだぜ。戦争が終わったら古巣に戻るつもりだ。この話をするとみんな"死亡フラグを立てるのはよせ"って言うんだが、こうしてちゃんと生き延びてる。気が付いたら研究してた時間より戦場にいる時間の方が長くなっちまったが」
「へえ……」
ミカエルと
「この戦争、もうそう長くはないわ。最前線にいてもそう思うもの。勝敗よりも、自分が終戦までいかに生き延びるかを気にする段階に入ってる」
「だな」
アデレードの言葉に呂布は頷いた。麗華も同意する。衛星軌道上を国連軍の艦隊が我が物顔で占拠している状況が何年も続いているのだ。神々の劣勢は明らかだった。
それに、眷属の性能はこの五十年間、ほとんど上昇していない。人間は結局のところ、神格に最適化されていないからというのが最大の理由だった。巨神のテクノロジーは成熟しているから、根本的な性能向上を図るなら肉体の方を改良するしかない。その条件下で眷属の戦闘力を引き上げるなら、あとは膨大な戦闘経験を積むしかなかった。しかし眷属は建造されたそばから戦場に投入されて損耗していく。神々の軍勢の質は下がる一方だった。
対する人類製神格は、肉体である知性強化動物の性能が年々向上している。それも爆発的に。今のペースで高性能な新型の投入が進めば、ほんの数年後には眷属では全く歯が立たない水準になっていてもおかしくない。神々が知性強化動物を投入する、というのであれば話は別だが、今から着手しても手遅れだろう。知性強化動物の成熟は二年、教育と訓練にも二年という歳月がかかる。知的生命体である以上、それが短縮できる限界だった。そもそも開発するだけの莫大なコストを背負い込むだけの余裕があるかどうか。
結局のところ、そこが人類と神々との決定的な差だった。人類は、人口を増やすことで社会を発展させ、その莫大なコストを負担することができる。対する神々は繁殖力を喪失し、人口は減少する一方だ。社会も縮小し、巨大なコストを要する事業を負担できなくなりつつある。両種族の科学力が並んだ時点で、この戦いの結果は決まっていたのだ。
「ま、理想は神々が降伏してくれることなんだけどね。こればっかりは向こうもどう出て来るか分からないから。まだこの世界には、たくさんの人が残されてる。それを無事に返して貰うために、彼らの助命も選択肢に入れなきゃいけない。と、上の人たちは考えてると思う。破れかぶれで地球に致命的攻撃をしてきても困るし。そこも考慮して、人類は致命傷にならない攻撃をこの十二年間続けてきた。
神々も少子化で先がないとはいえ、後100年やそこらで滅ぶわけじゃない。乗ってくるとは思うな。
麗華には受け入れがたいかもしれないけど」
「いえ……」
麗華は首を振った。この惑星に囚われた人類と、そして眷属の素体となった人々が救われるとすれば今ミカエルが言った道しかないだろう。それはドナが還ってくる唯一の道でもある。反対する謂れはなかった。
それに、仮に神々が根絶やしになったところで、麗華の気が晴れることはないだろう。彼らの存在全てと引き換えにしても釣り合わない。今までに失ったものが、あまりにも大きすぎたから。
神戸は———故郷の地は一度、遺伝子戦争序盤に消滅したという事実を、麗華は知っていた。そこに居合わせたはずの家族や友人たちが生き残っている可能性は限りなく低い。もしその時生きのこることができたとしても、今度は寿命が来る。
麗華が眷属として過ごした五十四年の歳月とは、それほどの時間なのだ。
「こんな戦争、終わるのが一番です。犠牲が少ないならその方がいい」
「だね。
さて。食後の紅茶とコーヒー。どっちにする?」
「あ、じゃあコーヒーを……」
カップを受け取った麗華は、ひとくち。
美味かった。
地球からのコーヒーを味わいながら、晩餐は終わった。
この夜麗華は久しぶりに、暖かい毛布にくるまって眠った。
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