第2話「行かないで」

 セバスチャンさまが逮捕されてから二日。

 ロンドンから手紙が三通、同時に届いた。


 一通はフレデリックさまへお母さまから。

 いつまでも遊んでいるなと叱られて、フレデリックさまは慌てて荷物をまとめて一人ロンドンへ帰っていった。


 もう一通は使用人に宛てたもので、別荘を売りに出したことと、別荘の買い手がつくまでは今居る使用人に建物の管理や番犬の世話を任せる旨が書かれていた。


 三通目はハンナおばさまへ、ダイアナさまのご両親から。

 手紙を見るなりハンナおばさまはひどく不機嫌になった。

 また雇ってほしいと頼んだ返事は、色よいものではなかったらしい。




 さらに翌日、わたしは番犬五頭を一度に連れて森へ散歩に出た。

 五本のリードを操るのは思ったよりも大変で、半日がかりの作業になった。

 さんざん振り回されてクタクタになって、夕方どうにか別荘に戻ると、門の前で番犬が急に吠え出した。

 この吠え方には覚えがあった。

「ラウル?」

 呼びかける。

 門柱の陰から姿を現した細身の青年は、包帯はもう必要なく、きっちりと服を着込んで、手には大きなカバンを提げていた。


 番犬がラウルに飛びかろうとして、わたしは慌てて引き止めた。

「一回ぐらい撫でたかったな」

 ラウルは寂しげに頭を掻いた。

 どこまでも穏やかな仕草だった。

「ラウル……出ていくの?」

「ああ。

 君にだけはちゃんと挨拶しておこうと思って。

 何もかもありがとう」

「どうして……?」

「いつも追い出されたり置き去りにされてばっかりだったからな。

 たまには自分から居なくなってみるのもいいかな、って」


 こうして話している間も、番犬は低く唸り続けている。


「これからどうするの……?」

「狼の群れに入るつもりだ」

「入れてもらえるの?」

「ボスにはいつでも来いって言われてる」

「狼が、近くに居るの?」

 急に脅え出したわたしに、ラウルはクスッと笑って肩をすくめた。

「そんなすぐそばじゃあないよ。

 人間達が森の中で騒いでたんで、今は離れた場所に行ってるんだ。

 森は広いからな。

 でも四日後には会える」

「ラウル……」


 行かないでほしい。


「ねえラウル」

 行かないで。

「ちょっと待って」

 行かないで。

「例えばほら」

 行かないで。


 ラウルは儚い微笑を浮かべてわたしを見つめている。


「生まれ故郷へ行って本当の家族を捜してみるのは?」

「何度もやってみたけど収穫はなかったよ」

「養父母のところへ押しかけるのは?」

 ラウルは黙って首を横に振った。

「フレデリックさまに雇ってもらえるように頼んでみるのは?」

「人のしっぽを引っ張るような人だぞ」

 わたしはハッとなってうつむいた。

 わたしもラウルのしっぽに触れてみたいな、なんて、軽々しく考えてしまっていたから。


 わたしはラウルが人として生きたいって望んでいたのを知っている。

 だけど人の世界が狼男を受け入れないのを見せつけられた。

 ラウルに行かないでほしいなんて願うのは、わたしのわがままだ。


 でも……だったら……


「わたしを噛んで!」

「クローディア……」

「わたしも連れていって!! わたしも狼女にして!!」

「駄目だよ、クローディア。

 君がちゃんと人間として暮らしてるところを想像するだけで、俺、少しは幸せになれるから」


 何も言えなかった。

 泣かないようにしているだけで精一杯だった。


「君を忘れない。

 でも君は、俺みたいな狼男なんかのことは忘れてくれ」


 嫌だ。

 泣きたくない。

 ラウルを哀れんで泣いているみたいに思われたくない。

 追い出され……置き去りにされ……

 ラウルは“捨てられた”という言葉をわざと避けてた。

 これはあくまでわたしのための涙。

 わたしが悲しいからの涙。

 そんなものラウルには見せられない。


「じゃあ、元気でな」

「うん……さようなら……」


 ラウルは最後まで微笑み続けていた。

 その瞳はどこまでも透き通っていた。


 ラウルの姿が見えなくなるのを待ってから、わたしは泣き崩れた。

 わたしはラウルを守れなかった。

 ラウルの背中は、いつかの悲しい予感のように、森の緑の向こうに消えた。

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