ある日、河童に連れられて

晴丸

第1話 ある日、カッパに出会う。

 それは台風が通過した翌日のことでした。

 台風一過、という言葉がふさわしい天気の昼下がり。

 ぼくが川岸に腰かけて、連日の大雨で増水した、家の前の川を眺めていると、奇妙な生きモノが流れてきたのです。

 最初、ぼくにはそれがなんだかわかりませんでした。荒れた波間に緑色をした変なものが流れていて、ジャバジャバと白波を立てて暴れていたのですから。

 ぼくはその様子をぽかんと見ていたのですけど、やがてそれは、力尽きて水面ぷかりと浮いて流されていき、川面に張り出した木の枝にひっかかって、ぼくのすぐ近くの川岸へと流れ着いたのです。

 なんだろう、アレは。

 そう思ったぼくは、土手をおりてそれを見に行きました。

 川岸に引っかかったそれは、形で言えば人間でした。

 ふつうと違うのは、緑のまだらな体をして、口にはくちばしがあり、手足にひれが着いて、頭は時代劇で見るお侍さんみたいにてっぺんがはげていて、その周囲にわかめみたいな髪が生えているという、点でしょうか。

 生きモノであると思います。ですが、なんなのかはわかりません。

 さらに言うと、これが生きているのかどうかもよくわかりませんでした。

 ぼくは恐る恐る、それに近づくと、その辺にあった木の枝でつついてみました。


「……う」


 それがうめき声を上げました。どうやらそれが生きているとわかり、ぼくはほっとすると同時に緊張しました。

 どんな生きモノかわからないわけですから、いつ襲ってくるかもわかりません。


「……み、水を」


 警戒しながら様子を見ているぼくに、それはそう言いました。

 驚きです。こんな姿をしていますが、彼は人だったのです。

 なぜ人とわかるか、と疑問に思われるのならば簡単です。彼が言葉を話したからです。

 なにしろぼくは人間ですし、そのうえ日本語しかわかりません。学校では英語を少々習っていますが、はっきり言って使い物になりません。

 ですから、ぼくに理解できる言葉を発した時点で、彼が人であると思ったのは無理からぬことでした。

 ぼくは日本語を話す生きモノを、人間以外にはオウムぐらいしかしりませんが、どうみても彼はオウムではありませんでしたから。


「お水が欲しいのですか?」

「み、水を……」

「わかりました」


 ぼくは川から水を掬うと、倒れ込む彼の口に水を流し込みました。


「どうですか? もっと欲しいですか?」

「あ……頭にかけて、ください」

「頭、ですか?」


 どうして頭に水をかけて欲しいのかは疑問でしたが、うめくようにつぶやく彼の望み通り、ぼくは彼の頭に川の水を掬ってパシャパシャとかけてあげました。


「おお……生き返る」


 すると、彼はみるみるうちに元気を取り戻したのです。


「大丈夫ですか、おじさん?」

「ええ、助かりました。ありがとう。ありがとう、坊っちゃん」


 よっこいしょ、とじじくさく立ち上がった彼はそういってぼくに深々と頭を下げました。


「いえいえ、どういたしまして……ですが、ぼくはこう見えても、一三歳です。坊っちゃんと呼ばれるのは、ちょっと違和感があります」


 たいていのおとなはぼくがそういうと「はいはい」と笑って流すのですが、彼はそうはしませんでした。


「おや、坊っちゃんは、一三歳でしたか……なるほど。数えで一五歳、もう立派な大人ですね」


 そう言う割に、坊っちゃん、とまたも呼ぶことにぼくはすこしばかり腹を立てましたが、まぁ仕方のないことかな、と思ってしまいます。

 なにしろぼくは、学校の背の順では一番前ですし、中学二年生になった今でも、小学生に間違えられることがしばしばあるのですから。


「ところでおじさんは本当に大丈夫ですか? 全身が緑色で、その……頭もずいぶんと寂しいみたいですが」

「おじさん、と呼ばれるのはわたしもくすぐったいですね。たしかに坊っちゃんから見れば年寄りでしょうけど、わたしはおじさんという歳じゃあ、ありません。まだまだ若いカッパです」

「カッパ、ですか」


 ぼくはカッパという単語に聞き覚えがなく、首を傾げました。


「河太郎、ガワッパ、ガラッパ、ガタロー、まぁいろいろな呼ばれ方をしますが、ええ、一番ポピュラーな名前ですと、カッパ、ですね。知りませんか、カッパ」

「ご存じありません」


 ぼくの言葉に彼は、目を大きく見開きました。

「そうですか。これでもそこそこ名の通った方だと思っていたんですがね」

「それは、ごめんなさい」


 いえいえ、いいのですよ、と彼は笑いました。


「カッパというのは、わたしのような姿をした妖怪のことをいうのです」

「ようかい、ですか?」

「ええ、妖怪です」

「なにか――」

「ようかい? ……そういうのとは違いますよ」


 ぼくの思いついたギャグの後を引き継いでくれたあたり、やはり彼は「おじさん」ではないのかと思うのですが、黙っておきます。


「妖怪も知らないとは……坊っちゃんは変わってらっしゃいますね。いいえ、最近の若い子にとっては妖怪なんて知らなくても、ふつうなのかもしれません……そうでなければ、わたしも川を流されたりしないでしょう」


 彼はそういうと、すこし寂しそうな顔をしました。


「待ってください。おじさんはカッパという妖怪、ということは……人ではないのですか?」

「ええ、もちろんです。といいますか……坊っちゃんはわたしのこの姿を見て、それでも人だと思ったのですか?」

「ええ、おじさんは日本語を話していましたから」


 彼は形容しがたい奇妙な表情をしてぼくの言葉の意味を考えているようでした。


「あの、それで、妖怪とはなんなのでしょう?」

「……妖怪とはなにか、ですか。これまた難しい質問ですねえ」


 ふむ、とうなずいて、彼はそのヒレのついた手を頬に当て、腕を組むと、しばらくじっと黙り込んでいました。

 その間にぼくは、暇になったものですから自分でも妖怪がなにかを考えてみます。

 彼の言葉から察するに、人ではなく、けれど日本語を話したりする生きモノのようですが……オウムぐらいしかやはり思いつきません。


「オウムは妖怪ですか?」

「え、オウム、ですか? 違うと思いますよ。あれは鳥でしょう」


 なんでそんなことを? といった顔をする彼に、なんとなく釈然としない思いを抱えます。そんなぼくの気持ちをよそに、彼はぽんと手を打ちました。


「よし、いいでしょう。助けてもらったお礼に、坊っちゃんをわたしたち妖怪の世界へご案内いたします」

「はぁ」

「そこで、わたしたち妖怪たちを見て、触れて、坊っちゃんご自身で妖怪がなんなのか見定めてください」


 それは果たしてお礼と言えるのでしょうか、とすこしばかりぼくは思ってしまいました。妖怪がなんなのかわかりませんが、その妖怪の世界というのは、そんなに楽しいところなのでしょうか。

 ちょっと想像してみます。

 想像してみると、日本語を話すけれど、人間ではない別の生きモノがたくさんいる場所、というのは非常におもしろそうです。


「ですが、知らない人について行ってはいけないとお母さんが……」


 とくに最近は『物騒だから』と、ぼくがどこに行くのにも常に連絡をしないと怒るぐらいです。

 そうやって心配するぼくを、彼はハハハ、と笑いました。


「大丈夫ですよ。わたしは人じゃなくてカッパですから」

「そうでした……なら、平気でしょうか?」


 そういう問題ではない、ということはわかっていました。しかし、ぼくの中で徐々にその妖怪の世界というところへの興味が大きくなっていたのです。


「ええ、ええ、大丈夫ですよ。遅くならないようにしますし、怖いことはありません。ええ、ええ、わたしの名誉にかけて坊っちゃんをきちんとここまで送り返しましょう」

「……じゃあ、いってみます」


 自信満々に胸を叩く彼に、ぼくはうなずきました。


「そいきた。では早速行きましょう」


 ピョン、と立ち上がった彼はぼくの手を掴み、


「妖怪横町へ、一名様、ご案内!」


 ジャポン、と川へ飛び込みました。

 ぐいっ、と手が引っ張られ、あれ、と思う間にぼくは川へ落ちてしまいました。

 パシャン、と水を叩く音が鼓膜に響きます。

 ぶくぶくと口からあぶくを出しながら、ああ、これは死んでしまうな、とぼくは思いました。なにしろぼくはカナヅチで、まったく泳げないのです。

 やっぱり知らない人についていってはいけなかったのだな、とぼくは母の言っていたことの正しさをぼんやりと実感しながら、苦しくなる呼吸に、意識を失いました。        

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