萌え袖にナイフ

久山橙

第1話 本文

 あたしは女子高生。夜を吸い込んで織ったような藍色のセーターと、とてもキュートな萌え袖で成立してる。


 現代の性事業において欠かせない存在。

 馬鹿を食い物にする存在で、馬鹿に食い物にされる存在。

 神秘で淫靡で刹那的な存在。


 あたしはそれに憤りを感じたりはしないけど、なんとなくキモいから全員ぶっ殺したいなって思うんだ。あっ、ちな今日は生理じゃないよ。萌え袖に忍ばせたナイフは、もっとあたしの思想的な鋭さが所以ってところ?文学的に過ぎるかな?


 本、読んだことないけど。ananのセックス特集ぐらいかな?

 あれも嘘ばっかり書いてたけど。


 あたしのとなりでハァハァ言ってる毛むくじゃらの畜生は、犬。

 ママはこの理性宿らぬ黒目を「マカロンちゃーん」だなんて売女根性丸出しの下品な声音で呼ぶ。老いというのはなんて醜いのだろうと思う。

「マカロンちゃん」或いは「犬」は、馬や鹿と同じく馬鹿だからひょこひょこしっぽを振ってママの方へと歩いていく。けれど、きっとこいつには自分の名前が「マカロン」だなんて自意識、クソほどもないだろうとあたしは思う。

 こいつの脳みそを占有してるのは毎日のペディグリーチャムと、週に一度の茹でた牛肉と、雌の犬の穴だけだろう。絶対そうに決まっているのだ。でなければ、黙って首輪に繋がれているなんて耐えられないでしょ?

 この犬がドMなら、話も変わってくるけどね。


 犬の反応に満足したママは「マカロンちゅあーん」とさらに声を下品にして喜ぶ。もはやどちらが飼われてんのか、あたしにはわかんないな。

 ママは犬を抱き上げる。犬はハァハァとくさい息をまき散らし、焼き爛れたような黒い口元からよだれをボタボタこぼす。エサを期待している。

 しかしこの犬にここで与えられるのはペディグリーチャムじゃない。

 いまどきドナルド・マクドナルドでも塗らねえよってぐらいに真っ赤な口紅の塗られた唇が犬の鼻先を覆う。犬のしっぽが激しく揺れる。

 嬉しいのか苦しいのか、犬の気持ちなんてあたしにはわかんないけど、正味の話マジどうでもいいってのが本音。

 犬に気持ちなんてあろうがなかろうが、わかるわけないじゃん。だってうちら人間だし。どうだっていい。キモいし。


 スマホでクソつまんないタイムラインを遡りながら、口の中でポッキーのチョコレートを溶かす。元彼のイカクサいのをなめたときよりも丁寧に。

 あいつのあそこもチョコレートみたく甘くて苦くて切なかったらよかったのにな。だけどなんかでっかいミミズみたいにグロいだけで、あたしはホテルで頼んだジュディマリの曲と同じ名前の料理の皿に乗っていたピザカッターでそれを切り落としてやった。元彼は痛いのか気持ちいいのか確かめるようにして一瞬両の目を西川きよしみたいに「クワッ」ってな感じに見開いて、それから精子よりもっとたくさんの血を流しながら一言「なんで?」とあたしに言って死んだ。ベッドは真っ赤に染まっていた。ラズベリーシャーベットみたいって思った。ヴォネガットの小説の一節を思い出した。

 あたしは全裸に制服のネクタイだけという、元彼の童貞くさくて頭の悪い要望を忠実に聞き入れた間抜けな格好のまま、白ける気持ちを持て余していた。切り取ったミミズは何故か萎まず勃起したまんまで、あたしはそれをピザカッターでサラミみたいに輪切りにして、皿の上に残ってたチーズピザにトッピングして、制服を着て、部屋を出た。


 ホテルのフロントで「彼、殺しちゃったんで、部屋の掃除たいへんかもですけど、ごめんなさい。よろしくお願いします」と無礼を詫びた。


「よくあることなんで、大丈夫ですよ。むしろお気遣いありがとうございます。

 にしても女子高生はいいなあ。人、殺し放題ですもんね。殺人は思春期の特権だ。

 青春はいましかないですからね。

 悔いの残らないよう、たくさん殺して、たくさん楽しんでね」


 フロントの従業員はそう言ってはにかんだ。


 そんなことを思い出しながら、私は犬に覆い被さるママの喉元を萌え袖の中に忍ばせていた果物ナイフで掻っ切った。ハートアンダーブレードって感じ。忍びないね。是非もない、のが正しいか。まっ、どうでもいいけど。

 タイムラインには今日も「○○の死体とピース」みたいなコメントが添えられた女子高生の自撮り投稿で溢れ返っていた。うざんりする。そんなのはインスタでやってろよ。他人の自己顕示欲って、目の当たりにするとなんでこんなに気に障るのだろう。殺したいなって思った。

 ママは、ママの唇よりもさらに赤い紅が喉元からどくどく流れて、最期の一言も残さず死んだ。

「女子高生にもなってママとの自撮り晒すのは、恥ずいんだよなあ」と思いながらも、あたしはママの死体と並んで自撮り写真を撮った。投稿はしない。あとでインスタにアップするかもだけど。


 結局あたしもみんなと同じ。いつか誰かに殺されるのかな?ウケる。


 犬は変わらずハァハァ言っていて、ご主人の死を目の当たりにしても鳴きも、吠えもしなかった。

 ほれ見ろ、どうせ犬は畜生なんだ。大切な人が目の前で死んでも、偲ぶような高等な感情、クソほども持ってないよ。


 バイバイ、ママ。あんたの作る具だくさんのグラタンは大好きだったよ。


 果物ナイフを萌え袖の中に隠して、あたしは外に出る。

 犬がしっぽを振って付いてくる。

 女子高生が殺していいのは人間だけなので、後ろでハァハァしっぽ振る毛むくじゃらの畜生を殺すことはできない。器物損壊で捕まっちゃうし、何より最近は動物愛護団体がうるさい。いつか殺せる機会があればいいな。

 「あんた、人間だったらよかったのにな」と思いながら、あたしは夕焼けのなかを歩き出す。

 今日も真っ赤な放課後を舞うように、全国で女子高生が人間を、快楽のまま、退屈のまま、勢い余って、ノリで、ニコ生で実況しながら、殺しているのだろう。

 平和だなあと思う。


 家を出ると、ご近所さんの山田さんに出会った。山田さんはあたしを見るなり「あらーひさしぶりー少し見ない間におっきくなってー」と絡んできた。殺してやろうかと思ったけれど、このババアに体力や時間を使うのはもったいなく思えて「ごめんおばさん、あたしこれから塾なんだ。急いでるからまた今度ね」と適当な嘘をついて、ご近所付き合いを切り抜ける。

 ババアは「あらーがんばってねー」と能天気な声をかける。犬はババアの足元をうろちょろする。「あらでも、マカロンちゃんも塾、一緒なの?」とつまらない質問を投げかけてくる。あたしはそれに応えず、犬に「行くよ」と叫んだ。犬は短い四脚の足でコンクリの地面を蹴ってこちらへやってくる。

 あのババア、やっぱり明日の放課後に殺そう、できるだけ残酷に、とあたしは誓う。


 家を出、最寄駅と繁華街を過ぎて、あたしは近くの川へ出る。河川敷には多くの社会不適合者が、文化祭の大道具係の方がもっとマシなもん作れるんじゃないって思えるような、紙製のとっても地球にエコな家を建てて、そのなかで息を殺して棲息している。

 地元の人間、主に回覧板の輪でつながるような主婦層は口を酸っぱくして「あそこの河川敷は危ないから近付いちゃダメよ」と言う。

 しかしあたしは、彼らは社会のゴミには変わりないけれど、ゴキブリやネズミのように繁殖しない分、マシじゃないなんて思う。

 そんな話をいつかの学校のお昼休みにそれぞれの昼食を木製の机をくっつけた簡易食卓に広げ食べながら話すと、同中で今でもガチで二個一の親友のカナコが「でもさー、虫のくせに人並みの人権は持ってるんでしょ。それってかなーり目障りっていうか、もう殺しちゃう?うちら女子高生だしさー。てかさー、あいつら絶対毎日シコってんじゃん。キモッ。無駄撃ちおつぽよ~って感じ」と言ってた。


 ごめんカナコ、あたし今日、ここのホームレス、ぜんぶ、ぶっ殺しちゃうよ。今度サーティーワンおごるから許してね。あと、今度現国の芥川、ムカつくから一緒にぶっ殺そ。

 あたしはカナコへの謝罪を脳内で妄想する。


 けれどやっぱりちょっとこの世の中っておかしい。

 だってさ、社会のゴミが地球に優しい生活をして、世を嘆いている反面、金持ちは地球に優しくない贅の限りを尽くし、時折思い出したみたいに環境保護を訴え、自分の国の社会的弱者には目もくれず、どっか遠い国の肌の黒くてハエが常にたかっているのが絵になるような人間にけっこうな額の募金をする。

 まあ、それも金持ちの娯楽だと思えば、納得できるんだけど。


 犬は、魚の鱗のように夕焼けの光をキラキラと反射させる川をじっと見ている。この四足歩行に、いまこの川について思うことを五七五で詠んでみろなんて言ったら、きっと「飲みたいな、たくさん飲みたい、川の水」とか言うんだろうな。


 あたしは萌え袖のなかの果物ナイフを確かめるように再度強く握る。ママの血はもう渇き始めて、生々しい過去になりつつある。

 あたしは手始めにあたしからいちばん近い段ボールハウスを蹴り壊す。

 中から虫のように這い出てきたホームレスの背中の上にあたしは飛び乗って、果物ナイフを虫のうなじへ深々と沈める。

 犬は未だに川を眺めている。

 虫は「あびゃ」みたいなよくわからない虫語を叫ぶ。


 殺した虫の巣の中にまだ虫はいないのか確認する。あたしの後ろでさっき刺した虫は下半身をちょん切られたミミズみたいにのたうち回っている。虫の血は、虫のくせに赤色だった。苦痛に歪んだ顔がキモくて見てられない。早く死ねよ。


 虫の巣でマッチを拾う。

 拾ったマッチに火を付けて、あたしはのたうち回る虫の汚い髪の毛にそれを放った。

 シャワーに浴びるという習慣が虫にはないらしく、髪の毛は汚れて脂ぎっていて、マッチの火は大喜びしてた。カルシファーみたい。虫は声にならない声でさらに激しくのたうち回って、そのうち静かになった。

 肉の焼けるにおいを河川敷の風が夕飯時の街へと運ぶ。


 あたしは楽しくなって、他の虫の巣にもマッチを放った。

 煙が立ち、次第に火があがり、中から悲鳴、それからピタゴラスイッチみたいにホームレスが出てくる。あたしはそいつの脇腹を軽く刺して「家に戻れ」と命令した。ホームレスは恐怖で真っ黒になった黒目をぎょろぎょろして「ふざけんな小娘ぶっ殺すぞ」と威勢よく怒鳴り散らしたが、おなかはみるみる真っ赤になって、手から血がどくどくこぼれていた。グロいしキモいし、もうちょっと弁えてほしいなって思う。

 そんなふうに空気が読めないから、お前ら社会から爪弾きにされんだよバーカ。


「逆らったら、あんた、わかってるよね?」とあたしは凄んだ。

 この国では、放課後の女子高生に逆らったものは否応なく全員、一切の執行猶予もなく即日死刑になる。理由とか成り立ちとか、なんでそんな法律がまかり通っているのかなんてあたしは知らない。でも、この国において放課後の女子高生は無敵なのだ。それだけ知ってればいいじゃんって思うんだ。


 ホームレスはそれでも「年上としての意見」「大人としての威厳」みたいなステレオタイプを支えに抵抗する素振りを見せたので、あたしは目の前のゴミの右肩を今度は強く刺してやった。ついに虫は泣き崩れた。あたしは地面に蹲るそいつの後頭部を何度も蹴った。蹴って蹴って蹴り殺してやった。

 死後硬直だろうか、虫の性器はビンビンに勃起していた。

 ほんとオトコって救いようがないよね。わかりやす過ぎて最早かわいそう。死んだ方がいいよ、やっぱ。


 死んだ虫の頭髪を掴んで、あたしはそれを燃え盛る家の中へと放り込んでやった。虫の葬式は火葬。葬式してもらえるだけ有難いと思えよな。

 ほどなく河川敷一帯漂う肉の焼けるにおいがさらに濃くなった。


 そんな騒ぎを察知してか、紙の家からはいつの間にか結構な数のゴミたちがわらわらと這い出てきていた。

 じっとこちらを見ているもの、機器察知能力に長けているものは既にこの場を逃げ出していた。殺しそびれたなと思いながら、あたしはじっとこちらを見ている虫の群れに向かって歩き出す。


「俺たちが何をしたってんだ」

「法律盾に調子ぶっこいてっと、マジで殺すぞクソガキ」

「殴ってわからせてやろう」

「家ん中引き摺りこんで姦してやろうぜ」

 口々に虫は鳴いた。


 お前らなんか犬と一緒だ。何言ったってあたしには、この女子高生さまには伝わんないよ。


 夕方のあたしは大人より強い。

 殺す。だから、黙って殺されろ。


 虫は、さまざまな反応を見せた。多くは近付くあたしに背を向けて、逃げた。きっとあたしそのものよりも、あたしを守る法律と、彼らに牙を剝く法律に恐れをなしたのだろう。

 中には、向かってくるものもいた。先陣を切って突っ込んできた虫の右目をあたしはナイフで突く。ナイフを握る手の平に、歯でイクラを潰したような感触が伝わってうっとりする。濡れる。虫は右目のあった箇所を覆って地面を転げ回る。キモすぎ。


 後続の虫たちは、しかし怯まなかった。それは続々とあたしの身体に覆い被さって、まずは果物ナイフをあたしの手から奪い、それからセーターを破き、スカートを脱がせ、シャツを引き裂いた。あたしはみるみる間に下着だけの姿になって、河川敷の砂利の上、暗い影になっている橋の下で組み敷かれていた。

 虫たちはすっかり余裕の表情で、中には下半身を露わにして勃起するものもいた。

 あたしは、控えめに言って絶体絶命だった。

 気持ち悪い。どけよ。息、クセェんだよ。


「生きて帰れると思うなよ」

「俺らもどうせ死ぬけどなあ、最後ぐらい楽しませてもらう」

「死んだ方がマシって思わせてやるからな」

「女抱くなんて何年ぶりだ」

「処女だったらいいなあ」

「いいから早く挿れろよ」


 虫が鳴く。犬は未だに川を見ている。いつまで見てんだ馬鹿。


「じゃあ挿れまーす」

 商店街のガラガラの中に当たりの玉を入れる偉い人のような間の抜けた声を上げて、あたしの上にまたがった男がグロテスクなミミズを右手に持った。


 刹那、虫の頭が潰れたトマトのように吹っ飛んで、辺り一面にミートソースのように散らばった。そのまま覆い被さってくる虫の身体をあたしは蹴り飛ばす。


「ごめん、待たせた」

 そこには狙撃銃を担いだカナコが夕日を背に立っていた。

 カナコがいつも言ってる、カナコのママの青春の思い出。マジでヤバいライフル。


 虫たちは事態を確認するため、一瞬停止した。その間にもカナコは次々虫の頭を吹っ飛ばしていった。

 虫たちはようやく事態を把握して、全員が橋の下の影から真っ赤な夕日の射す場所へと走り出した。あたしは立ち上がって虫を仕留めようと駆け出した。カナコがあたしに駆け寄って制止する。


「あんた、殺す武器いま持ってないでしょう」

「でも、やられっぱなしじゃムカつくじゃん。あーもうセーターまた買わなきゃ。マジサイアク。マジ殺す」

「それにその格好じゃ、公然わいせつであんた、捕まっちゃうよ」

「あっ、そっか」

「それに、まあ見てな」


 カナコは言って、虫たちを指差す。

 逃げ出した虫たちは、夕日の中で次々に頭が潰れた。橋の下から抜け出て真っ赤な空を見上げる。

 そこには狙撃銃を持ったナナとチエとルリカがいた。


「おひさー」

「へえそんな下着付けてんだー」

「無事っすかぁー」


 私は「みんな!!」と思わず叫んでしまった。


「いやあ、案外いけるもんだね、我ら弓道部の射撃制度は」


 言って弓道部部長のカナコは胸を張った。


「おいしいとこ総取りじゃん」

「ヒュー部長かっけぇ」

「うちらもがんばったんだからね」と部員たちが口々に騒ぐ。


「ありがとう、助けてくれて」


 あたしは今更改まっている自分自身が恥ずかしくて、とても熱い顔を夕日の赤で隠せているか気になった。

「あたまえじゃん。お礼なんかいらないよ。うちらズッ友っしょ」

 カナコは不敵な笑みのままで言う。友達は一生の宝だ。ホント。


「ほんとあんたら最高」

 言ってあたしはカナコに抱き着いた。橋の上からは「アツアツですなー」「うちにはチューしてね」「てか、まず服着なよ」とヤジが飛んだ。

「お前らもあとで覚悟しとけー」あたしは見上げて、まぶしさに目を細めながら、言う。


「つうか、マック行こ。ウチら最近話してなかったっしょ」カナコが言う。あたしは「うん」と、あたしが出来得る限りの最高のスマイルで返事をして「女子高生、最ッ強!!」と叫びながら、真っ赤な夕日向かって走り出した。


 犬は未だに川を眺めていた。もうずっと眺めてろばーか。


 大学ノートが川を流れていった。


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