第四十四県の怪

@Boku_me_moi

疑念 - Transfer -

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 北海道。

 青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県。

 茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県。

 新潟県、富山県、石川県、福井県、山梨県、長野県、岐阜県、静岡県、愛知県。

 三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県。

 鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県。

 徳島県、香川県、愛媛県、高知県。

 福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県。

 沖縄県。

 計、四七都道府県。


 手元に広げた地図との睨めっこに興じながら、一つ一つ丁寧に数え上げていく。

「お父さん、あとどれくらいで着くの?」

 僕の前の席、助手席に座った妹が問う。

「そうだな……。あと、一時間くらいか」

 運転席からそんな声が返ってくる。

「そっかー。楽しみだなあ。どんなところなんだろう」

 父も母も妹も、今回の転居に関して概ね好意的だ。

 僕一人が、それを煮え切らない思いで捉えていた。

「もう一度確認したいんだけど、僕たちはどこに引っ越すんだっけ?」

 地図に視線を落としたまま、もう何度目になるか分からない質問を父に投げかける。

「うん? 緋紗納ひしゃな県の――」

 父が細かな住所まで懇切丁寧に教えてくれる。しかし、後ろの部分はどうでもいい。僕が聞きたかったのは、その聞き慣れない県名だけだ。

「ああ、そう……そうだったな」

 心境を悟られないよう、出来る限り平静を装う。

「お前、最近そればっかりだぞ。……そんなに嫌だったか?」

「そういう訳でもないんだけど」

 僕の記憶が確かならば、日本の行政区分は四七都道府県だったはずだ。実際に、先程が、その四七都道府県である。

 ここから一都一道二府を差し引けば、四三県となる。

 手元の日本地図、その関東地方へと視線を動かす。

 北を栃木県、東を茨城県、南を埼玉県、西を群馬県に囲まれた、比較的小さな区画。

 そこに、四四番目の県――父の言う『緋紗納ひしゃな県』は存在した。

 面積で言えば約二千平方キロメートルと、東京と大阪の間に収まる。

 人口は約百万人で、その面から見ても、決して大きな県とは言えない。

 しかし、そこには確実に、僕の知らない地方自治体の名が記されている。

 もう一度思い出してみよう。

 関東地方。

 茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県。

 この一都六県からなる地方で、国の総人口の三分の一が集中する、政治・経済の中心地である。

 というのが、僕が今まで学んできたこの国の知識。

 ……だったのだけれど、いつからだろう。

 気が付けば関東地方には『緋紗納ひしゃな県』なる謎の自治体が存在していた。心なしか、この四四番目の県の存在により、関東地方――ひいては日本列島の形が、僕の記憶より少しだけ膨らんでいるような気がする。

 地図を見ても、教科書を開いても、天気予報を眺めても――それは当然のようにそこに登場し、そのことに関して誰かが疑問を抱く、ということもない。

 ただ一人――この僕を除いては。

 そんな僕の疑念に答えるかのように――あるいは、僕の違和感を嘲笑うかのように――この五月、父の緋紗納ひしゃな県への転勤が決定し、僕たちも住み慣れた東京を出て、新天地で暮らすことになった。

 更に奇妙なことに――どこをどう調べてみても、この緋紗納ひしゃな県に関する情報はほとんど見つからない。面積や人口といった、統計的な数字は目にすることができても、どういった料理があるのかとか、どんな観光名所があるのかとか、どんな方言が話されているのかとか、とりわけ文化に関する記述は全くと言っていいほど見受けられない。

 これに関しても、僕以外の人間が疑問を抱くことはなかった。

 今回の引っ越しを幼馴染に伝えた時も、彼女は疑問を抱くどころかむしろ、新しいものに興味を示す子供のように、あるいは変わったものに知識欲を掻き立てられる学者のように、目を輝かせるのだった。

 おかしいのは、僕なのだろうか。


 僕の違和感をよそに、家族四人を乗せた車は埼玉県をひた走る。

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