第17話 格子戸の#向こうの女 1 (コウシドノムコウノヒト1)

 にぎやかな繁華街を抜けて、少し裏通りをいくと、すぐに古い民家が立ち並ぶ一角にきた。


 そこでは、みなが知り合いらしく、他人の家の子供が、気軽に近所のおばさんのところで御飯を食べて帰ってくるような場所だった。


 Jは、ご主人を亡くしたお客様のところに、死亡保険の手続きのために向かっていた。


 彼は、これから会う未亡人が、どんな様子なのだろうかと、アレコレ思いを巡らせていた。


 ほとんどの奥さんがたは、ご主人を亡くした後は、意外なほどサバサバとしている。

 高額な保険金の受け取りに、笑みさえこぼれることも珍しくはない。

 だが相続には税金もかかることから、誤解のないように、彼はよく説明するようにしていた。


 たまには、ご主人が生前に保険金を前倒しで使っていたり、負の遺産が発覚して相続を放棄するようなこともあった。

 人が長いこと生きたからには、相応の事後処理があるものだ。


 じつはJは、人の生命に値段をつける、保険というものが大嫌いだった。

 たとえ1億円の死亡保険金が出たとしても、その人間の価値はそんな値段では無いだろうと思っていた。

 そもそも、人の生命を金に置き換えることなどできないのだ。

 だが、家のローンの保証や家族の安心のために、このシステムは社会に根づいている。

 彼もやむを得ず、それに従っていた。



 Jは、高橋という表札のかかった、古い日本式家屋の前に来た。そこが今日の訪問先のようだった。


 家の前には小さな黒い格子戸の門があり、その前の道は綺麗に掃き清められていて、打ち水がしてあり濡れていた。

 Jが来るから水をまいたのではなくて、この家の奥さんは、毎日このように掃除をするのが日課だということが、Jにはすぐにわかった。


 格子戸#をくぐり抜けると、気持ちよくヒンヤリとした湿気が感じられて、小さな池の側の草むらに向かってヤモリが走っていくのが見えた。

 薄暗いが手入れがゆき届いている日本庭園の中には、色とりどりの紫陽花が咲いている。

 東京のど真ん中とは思えない空間で、Jは確かめるように周りの高層ビルを見上げた。



『 ピンポーン 🎶 』


 呼び鈴🛎の音が空に響くと、家の中でガタゴトと音がした。


「はーい......」


 艶のある高音の女の声が聞こえた。


 家の中から出てきたのは、気品のある色白の女性で、ウグイス色の麻の長襦袢をさりげなく着こなしていた。

 ——きっと、普段から和服を身につけているのだろう。

 それにしても、なんて若いんだろう......


 Jには、彼女が30才くらいにしか見えなかった。

 よく似合っている和服が👘、彼女の美しい躰のラインをくっきりと際立たせている。

 着物の襟からは白いうなじが誘っていて、大きな胸は帯で隠してもわかるくらいだ。

 豊かな尻からすっと下に伸びる脚にも、Jの視線はクギ付けだった。


 女性が笑顔を残して奥の間にいくと、さっそくJは手にしていた契約書に眼を落として、確かめた。


『 受取人 高橋さゆり 47才 』



 Jは奥の間に案内されて、座布団の上にすわった。



 つけっぱなしのTV📺からは逃走犯のニュースが流れている。


 ——暗記勉強しかしなかった公務員が、裏社会を渡り歩いてきた犯人を逃がしてしまうのは、起こるべくして起きたことだろう......


 そして、Jは昔いたことのある、犯罪の多いアメリカの街を思い出していた。

 そこは夜には歩けないところで、銃と死が、いつも身近にあった。

 保釈中の人間が逃走した時には、専門の賞金稼ぎがいて、犯人を地の果てまでも追いかけていく。

 いつの日か、日本も同じようになっていくのだろう。



 ——こんな美人の女性が、大都会の家でひとり暮らしとは......危ないな。


 Jの心の中には、この女性を守りたいという思いが湧いていた。

 だが、ここにくる道すがらも、彼のようなヨソ者は目立って、近所の人たちに違和感を感じさせてしまっていた。

 若くてイイ男が後家の家に入っていったのである。

 1時間や2時間も居れば、たちまちウワサになって、ここの奥さんに迷惑がかかるだろう。

 それをよくわきまえているJは、事務的に仕事をこなして、早めにそこを出るつもりだった。



 さゆりがJの待つ部屋にきた。


「この度は、誠に残念なことでございました。

 さぞ、奥様も、お淋しくなられたことと思います」


 Jが、さゆりの顔いろをうかがいながら言うと、彼女がこたえた。


「いいえ。

 主人が病気で伏せってから10年になりますから、心の準備はできていました。

 毎日、主人の介護をしていましたから、今でも居るような気がして、主人の世話をあれこれと考えてしまうんですよ」


 Jはうなづいた。


「そうですか。

 仲がよろしかったのですね。

 これからは奥様も、趣味や旅行など、第2の人生を大いに楽しんでください」


 Jがさゆりから渡された書類に目を通すと、必要なものは全て揃っていた。


「それでは、5営業日以内には、ご指定のお口座に保険金が当社から振り込まれますので、ご確認ください。

 また、保険金の運用や老後資金のご準備など、なにかございましたら、いつでもご相談にまいりますので......」


 Jは、主人の生前には多くの客を紹介してもらっていたので、さゆりからも色々と相談を受けながら、仕事の見通しをつけたいと思っていた。


 Jが今日はここまでと立ち上がろうとすると、さゆりが慌てた様子で言った、


「ちょっとお待ちください。

 お電話のやりとりだけでも済んだのに、せっかく来てくださったのですから、冷たいものでも召し上がってくださいな。」


 さゆりはキッチンの冷蔵庫から、準備してあった麦茶と和菓子をとり出すと、Jの前に置いた。


「ありがとうございます。

 いただきます。」


 冷えた水ようかんは美味しかった。

 Jは麦茶のグラスを手にとって、さゆりを見つめた。


 彼女はJの視線を浴びると、戸惑いを隠すように自分のグラスに🥂手を伸ばした。

 しかし手を滑らせて、グラスを落とし自分の着物を濡らしてしまった。


「あらあら、私ったら......

 ちょっと着替えてきますから、待っていてください」


 さゆりはそう言うと、立ち上がって小走りで隣室に消えていった。


 しばらく静かな時間が流れて、Jが何の気なしに隣室のほうを振り向くと、襖が5センチほど開いている。

 その中は薄暗かったが、さゆりが後ろ向きで立っているのがわかった。

 彼女はJの視線が注がれるのを待っていたかのように、突然、羽織っていた着物を畳の上に落とした。


 白い生まれたままのさゆりの躰が現れて、爬虫類のように艶めかしい光を放っていた。


 ——まるで、白い、ヤモリのようだ。


 Jはキツネにつままれたような気持ちで、見てはいけないと思いながらも、美しいさゆりの躰から、眼をそらすことができなくなってしまっていた......


( 続く )
























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