第13話 辻堂の優しいオバケ 1

 ゴールデンウィークをJは海で過ごすことにした。



 まだ薄暗い夜明け前に、Jはバイクに生命の火を灯す。

 シュポッ、ボボボ...,..


 マシーンは、Jの1日を共に駆け抜けていく、愛馬として、いま目覚めた。

 彼は車を何台か所有していたが、こうして時々バイクも使っている。

 それは、天気と湿度が抑えられた日で、なおかつJの体調が万全という好条件が揃った時にのみ、使用されるのだった。


 ——なぜ、オレはバイクのシートにまたがっているのだろうか?——


 自問自答することもある。

 それは、J自身の健康状態の確認になったし、ドアや屋根の無い究極のオープンカーであるバイクは、ドライビング・プレジャーとエキサイトメントの両方を、Jにもたらしてくれるのだった。


 暖機運転のバイクのサウンドが、ゆるやかな安定したリズムになってきたことを確認してから、Jはそれにまたがった。

 左手でクラッチレバーを握り、右手でアクセルのスロットルを絞り上げる。


 ウォオオーンッ......雄叫び


 吹け上がりは上々だった。

 右後方確認、スタート......


 数え切れないほどの大型トラックを追い越して、何度かETCをくぐり抜ける頃には、朝焼けの赤い光が地平線に広がり始めていた。


 ——間違いない。今日は快晴だ。


 身体を傾けて高速道路のスラロームを降りていく時が、いちばんサーフィンの感覚と似ているかもしれない。身体を思いきり傾ける。


 とにかく、落ちないことが大事。

 そして、下を見ないで前方を見続けること。

 バイクでメーター機器を見過ぎると、危ない。

 スピードは肌感覚で確認して、前方への集中を途切れさせてはならなかった.......



 国道1号線に抜けると、潮の匂いがしてくる。

 海岸沿いを辻堂へと向かった。


 神奈川の海は千葉よりも暖かいので、リラックスできる。

 知り合いと遭遇することが少ないのもよかった。


 Jは、まだ開店前のサーフィンショップに着くと、下駄箱の下に隠してある倉庫の鍵をつまみあげた。

 ボードやスーツなどの装備品はそこに置いてあるので、Jは手ぶらでくればよかった。


 ボードを抱えて海岸まで歩いていく。

 途中で辻堂海浜公園を通り抜けたのだが、誰もいなかった。

 ただ、赤いツツジだけは、たくさん咲いていた。

 Jは、その公園の花壇の片隅に、人影を見つけた。

 近寄ってみると、ボードを抱えているから、サーファーに違いない。


 彼は老人で、公園の高台から、目を細めて海を眺めていた。


「ここには、海を好きなヤツがくるんだよな......」


 Jが通り過ぎる時に、彼がつぶやいた。


 潮の匂いがキツイ日は、海水温が高い。

 辻堂海岸は鎌倉や湘南に比べると、海岸がえぐれて海底の段差がキツく、高い波がくるポイントだった。

 そのために人影はまばらだった。


 ——海が、好きだ......


 Jは老人のコトバを繰り返した。


 ——彼は、どれくらい、ここに来ているんだろう?

 ......


 その姿はまるで仙人のようで、あの海を見つめる眼差しは、一度見たら忘れられない。

 その眼は、都会🏙では見かけないもので、優しさと希望に溢れていた。


 海人(ウミンチュ)、か......


 水の浮遊感で、思考がとりとめなく流れ出す。

 やがて最高の瞬間がやってくる。

 それは、何も考えない白い時間だった。

 そこから、またすべてのものが湧いてくる。

 海が生命を創造して育んできたように......


 ウネリと次々に押し寄せる波に身をまかせて、Jは街に居た時とは別の何者かに変貌していった......



 何時間も経ってから、Jは海から上がってシャワーを浴びるために、公園に向かった。

 そこには、あの老人はもういなかった。


 だが、ひとりの少女がそこを走っていた。

 彼女は場違いな白いドレスを来ていて👗、楽しそうにジャンプすると、ツツジの垣根を越えて、その先に続いている森の中に消えて行った......


 シャワー室には数人が先にいて、声が聞こえてくる。

「此処はさぁ、出るんだよなぁ......」


「あれか⁈」


「そうだよ、あれ......あれだよ」


「老人と、女の子だろ......」


 ——それなら、オレも見た‼︎ ——


 あれが、ウワサで聞いたことのある、辻堂のオバケだったのか?

 老人はこの海岸に通い続けていたサーファーで、彼の遺言により、この海に遺灰がまかれたらしい。


 しかし、Jは彼を、怖いというよりも、この海とそこに集う者たちを見つめる、守護神のように感じられた。


 もうひとりの少女についての情報は、なにも無かった。

 彼女は、ちょうど山下公園にある、赤い靴履いてた女の子の銅像くらいの背格好で、顔や髪型もよく似ていた。


 ショップにボードを置いていく時には、もう店は開いていて、店員のひとりに、Jは辻堂のオバケのことをきいてみる。

 店員は、黙ってうなずいて、しばらくしてから言った、

「きっと、イイことがありますよ」



 帰りの道は、どしゃ降りの雨だった。

 ベイブリッジ🌉を渡る手前の大黒サービスエリアで、Jは走行を断念した。

 ——今夜は横浜に泊まって、明朝、ここから仕事に行くことにしよう......


 コーヒー☕️を飲みながら、運良く老舗のホテルに予約が取れた。

 Jは再び下道に降りてから、軽い食事を済ませると、山下公園の近くのホテルにバイクを置いて、散策を始めた。

 念のために、赤い靴の少女が公園にいるかどうかも、確かめた。

 氷川丸を通り過ぎてから、関内を抜けると、翁町、寿町、長者町......

 ——やたらと、縁起がイイところだな......


 夜も更けてきていた。

 中華街はシャッターを下ろした店ばかりで閑散としている。

 遠くに、紫色の看板が見える。

 近寄ると、Bar ツツジ、と書いてある。


 Jが扉を開けると、カランコロンと🎶懐かしい音がした。

 店の中にはパステルカラーのドレスを着た女の子たちがいて、帰り仕度をしていた。


「大丈夫ですか?」


「どうぞ、どうぞ! 今夜は雨でヒマだから女の子は返しますけど、アタシでよければ......」


若くて可愛いママさんが言った。


 カウンターの奥に、ひとりだけ客がいる。

 彼は、チラッとJをみると、またグラスを傾けた。


 Jがドアの前で、雨に濡れた顔を拭こうとジャッケットの内ポケットに片手を伸ばした時だった。

 すかさずカウンターの奥の男の手も、自身の内ポケットに伸びた。


 ——そういう場所なのか⁈——


 いつかアメリカで経験したことをJは思い出した。

 ——内ポケットに伸ばした手は、この場合は、ゆっくりと出さないといけない。さもないと.....


 撃たれることになる。

 Jは、ゆっくりと手を動かしながら、ハンカチを取り出して濡れた顔を拭いた。


 ママは2人の緊張を解くように、カラオケ🎤をセットして、中森明菜を歌い出した。

 さっきまで流れていた🎶ヤザワは、カウンターの奥の男の好みなのかも知れない。


 Jは、男から少し離れたところに、腰をおろした.......

(続く、つぎは5/3に♪)
















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