第58話 ディグナティ

【概要:女兵士レイベッカvs凶人ドイ 決着】


レイベッカvsドイ。

数十m離れて向かい合う二人。


レイベッカは最強のバイク、ナイトメアを頼りに。

ドイは己の災厄の体躯に絶大なる自信を持って。


お互いが次の一撃で仕留める気でいる。

そして爆音を轟かせ動き出すナイトメア。


その機体はわずか2秒でレイベッカを100km超えの

高速の世界へと連れ去った。


それをドイは腰を落として迎え撃つ。

もう先刻のようなミスは犯さない。

直前で、どう変化しようとも対応できるよう備えた。


刹那、バイクが消えた。

正確にはバイクは消えてはいない。

バイクの"音"だけが消えたのだ。


しかしドイの感覚的には消えたという表現が正しかった。

そう錯覚するほどまでにバイクは音を発しなくなっていた。


ステルスバイクの特性の一つ"サイレントモード"の効果である。

最新のハイブリッド式マルチフューエルエンジンを搭載したナイトメアは

瞬時にバッテリー駆動に切り替えることができるのだ。

バッテリー走行時の走行音は何と電動歯ブラシと同程度の55デシベル。

軍用バイクであるナイトメアはこのモードでほぼ無音状態になり

誰にも気取られることなく敵地を偵察できるよう設計されている。


そのサイレントモードをドイに衝突する直前に起動させたのだ。

すべてはレイベッカが以前見た学術書の記載内容を思い出してのこと。


フォアリンクス。

人間はボールを取るときなど視覚のみならず、

聴覚や触覚や嗅覚をもリンクさせ、タイミングを

計っていることが知られている。

集中状態の時、人は使用箇所以外の感覚を

排除するようにできているが決して閉ざしているわけではないのだ。


ゆえに、捕球する直前に体を触られると

排除されていた感覚に意識が分断され捕球率が極端に下がってしまう。

それが音であっても同様である。


直前まで鳴っていた音がなくなる。

たったそれだけのことでもドイの感覚を

一時、崩すには十分であるのだ。


タイミングを外されたドイの体に

再度ナイトメアの体当たりがまともに決まる。

骨の砕ける音を響かせドイは宙を舞った。

そして地面へと転がる。


再び、間合いを離すレイベッカ。

再び、ゆっくりと立ち上がるドイ。

目には怒りの色が見える。

獲物である女にここまでコケにされたのだ。

もうドイはこの女を生かして仕留めることを諦めていた。


再びレイベッカと向き合ったドイの構えは先刻のものと違っていた。

両腕を下に垂らし、脱力しきっている。


これは危険な構え。

レイベッカはドイの様子が変わったことに気付き

身震いする。

本能が次の突撃は危険だと告げているのだ。

サイレントモードの奇襲もくるとわかっているなら

対応することもできる。もはや通じはしないだろう。


しかし行く。

勝ち負けは重要である。

勝つことは必要である。

負けることは死に繋がるだろう。


だが、この災厄の男を前に恐れをなして

逃げることは魂の敗北を意味する。

人間性の放棄を意味する。


巨凶を前に成せる者は成さねばならない。

そしてこれは尊厳の問題。


ドイの悦楽のために無残に踏みにじられた者たちの

その無念の想いを晴らすための戦い。

ならばここで行かないという選択肢などはない。


そして私ならできる。

運命に導かれたレイベッカは、アクセルを踏み込んだ。


迫るナイトメア。

不敵な笑みでそれを迎え打つドイ。

ドイは接触直前で体を翻し、半身になる。

そして片手をフロントバーに引っ掛け投げつけた。


柔法・牛車返し。

古流柔術に伝わる投げである。

力の流れを見極め、一点の抑えと体捌きだけで投げる

大変高度な技であり、これがただしく運用できるのなら積荷を満載した牛車さえも

転がせるといわれた伝説的な投げ。


それを高速度で突進してくるバイクにまともに決めたのだ。

ドイの集中力と技量は、もはや人の域ではなかった。


仰向けになったレイベッカとナイトメア。

軌道を変えられ眼前には壁が迫る。

このまま当たれば即死は確実であろう。


しかし、レイベッカはこの絶体絶命の

事態に冷静に動く。

力の流れに逆らわず、バイクとともに一回転半。

機体を垂直に立て直した。


まるで、蜘蛛が巣を張るように。

まるで、赤子が水から顔を上げるように。

それは極々自然に行なわれた。

遺伝子に刻まれた無垢の動きである。


垂直に壁に着地したナイトメアは建物の壁面を駆け上がり跳躍。

ドイの頭上へと飛来する。


「嘘…だろ?」


ドイはそう呟く。

牛車返しで崩れた体勢のドイには、

まさかのレイベッカの反撃に

なすすべはなかったのだ。


そして高速度で落下するその鉄の巨塊は

すべてを終わらせた。


乗り手を死へと誘うバイク、ナイトメア。

だがその悪夢も乗りこなせるのならば、

周りに死を振りまく無敵の兵器と化すのだ。


鉄塊に踏み潰され絶命するドイを尻目に

レイベッカは片足を引きずりながら

歩いてきた丸メガネの女兵士ベティと抱擁する。


もう大丈夫だよと呟くレイベッカの表情は

元のやさしい彼女の顔へと戻っていた。

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