悪い人と姉

「・・・」




 縺れあったまま、互いに一言も発さない奇妙な時間が流れる。




「サラ」




 なんだかよく分からないけど名前を呼ばれた。




「何」




「・・・ルッペンの特性を知っているか」




「特性?」




 この距離でなにを普通に話しているんだと思いながら、あたしは首を振る。




「知らない」




「ルッペンはな・・・野次馬根性が凄い鳥なんだ」




 あたしは一瞬、何を言われているのか意味が分からなかった。




「特に人間の男女がいちゃついているのを見るのが・・・おい聞いているか」




「あ・・・あ・・・あんた自分が何いってんのかわかってんの!?」




「仕方が無いだろう!俺だってこんな事好きで言っているわけじゃない!」




 アムが怒ったような顔であたしから目を逸らす。・・・照れているのか。可愛いところもあるもんだ。おかげであたしは少し落ち着けた。




「え、つまり、何。ルッペンを油断させるために、あたしがあんたといちゃつけばいいわけ?」




「・・・まぁ、有り体に言えば」




「・・・」




 金貨、金貨の為よサラ・・・金貨・・・いいえノエルのために!




「それで、どうすればいいの」




 覚悟を決めて聞いたが、アムはあたしから目線を逸らせたままだ。




「・・・俺だってわからん」




「へ?あんたそんな女遊びが趣味ですみたいな顔して、何もわかんないの?」




「失礼なことを言うな!」




 怒ったようにアムが言って、起き上がり様あたしを抱きすくめた。




「ギャーセクハラ!」




「おい、大人しくしろ!とりあえずくっついていれば良いだろ」




 距離をとりながら「あいしてるー」「わたしもー」と言うカップルは確かに見たことが無いので、あたしはひとまずアムを殴る手を休めた。




 胡座をかいて座るアムの上にあたしがちょこんと乗っている。これでもあたし女子としてはそこまで小さくない方なんだけど、このアムが男にしては大きいのかあたしがすっぽりその体に覆われてしまう。




「・・・どう、ルッペンいる?」




 あたしは声を潜めて聞いた。




「まだいないようだ」




 頭の上から声がする。




「先に言っておきますけど・・・ヘンなとこ触ったらぶっとばす」




 はぁ、と溜息が聞こえた。




「何よその溜息は」




「別に」




 そのまま無言で時間だけが過ぎる。大分たったからもういいかなと思ってあたしはアムに声をかける。




「・・・どう、ルッペン来た?」




「来ていない」




 その言葉にあたしはキレた。




「来ていないって何よ!あたしはこんなに我慢してあんたとくっついているのに!どこがだめなのよ!」




「そういうところがだろ!?」




 そう言われてあたしはぐぬぬと口を閉じた。ならば-・・・。




「アイシテイルワアナター」




「とんだ大根女優だ」




 自分でもそう思っていたのでぐうの音も出ない。




 わかった。つまり、リアリティが足りないと言うことなのだ。本当の恋人じゃ無いから当たり前なんだけど、あたし達の言葉や態度には心が無い。それが分かるのか、ルッペンは姿を現さない。どんな鬼監督だ!




 それならばと、あたしは愛しのレアンオン兄さまを思い浮かべた。いつだって、格好良くて、優しかった、あたしのレアンオン兄さまー・・・。




 あたしは後ろのアムに甘えるように寄りかかると、その顔を見上げた。




「兄さまー・・・」




 アムの黒い瞳が見開かれ、驚いたようにあたしを映す。




「あたし、あなたのこと、だいすー・・・」




 その時、風が吹き、炎が燃え上がった。




 アムの、黒い髪が、黒い瞳が、紅(くれない)に染まる。




 それは、いつか見た優しそうな面影に重なる-・・・。




「…大好き」




 その音は、意図しない強さで以て響いた。




 あたしは自分が落とした言葉に、口を押さえて俯いた。




 あたし、今、いま、誰を想像して、誰にー・・・。




 顔が熱い。ノエルの風邪がうつったんだ。きっとそうだ。そうに決まっている。じゃなかったら、どうしてこんなに心臓がばくばくと鳴っているものか。




「サラ」




 しかし間髪入れず低い声が降ってきて、あたしの頤をひやりとした手が押し上げる。




 まるで自分の視線から逃げることを許さないと言わんばかりの強引さだった。




「愛している」




 あたしの目をしっかり捕らえて、アムは言った。その声は、あたしと同じように、強く、強く、アムの心を表すようにあたしに届く。きっとアムも、好きな恋人を思い出しているのだろう。けれど、その目は、言葉とは裏腹にとても、怒って、いる?一体、何に。




 す、とあたしの顔に影が落ちる。アムの顔が近づいてくる。え、やだ!彼が何をしようとしているのか、あたしは混乱して思わず腕を突っ張って抵抗した。




「サラ、サラ・・・聞け。ルッペンがいる」




 けれど、近づいた唇が耳元で囁いた言葉で、あたしは動きを止めた。




 ルッペンが、いるって言った?

 



「鳴き声が聞こえる」




 鳴き声?あたしは耳を澄ませた。




「・・・うへ、うへ、うへ・・・」




「・・・」




 いや、確かに何か聞こえるけど・・・。




「うへ、うへ、うへへ・・・」




「え、アムさんもしかしてこの酔っ払ったオッサンみたいな笑い声がルッペンの鳴き声って言ったりしませんよね?」




「そうだ。その酔っ払ったオッサンみたいな、心底不愉快な笑い声がルッペンの鳴き声だ」




「ルッペンって・・・人なの?もしかして今回の依頼はキモいオッサン退治?だから裏依頼だったり…」




「そう言いたくなる気持ちも分からなく無いが、ルッペンは正真正銘の鳥だ」




「トリ!」




「それにしても、妙だな・・・数が多い。それに、近づいて・・・」




 ふと、アムはあたしの腕を持ち上げて言葉を失った。あたしもつられて自分の腕を見るが、特に普段と変わったところは無い。強いて言うのであれば、そこには森の道々で切った傷が沢山ついている。痛いは痛いけど、そんな心配されるほどのものじゃないし・・・。




 しかしアムは、噛みつくようにあたしに食ってかかった。




「おまえ・・・!上着はどうした・・・!」




「上着?持ってないけど・・・」




 あまりの剣幕に驚いて、あたしは腕を掴まれたまま体を引いた。




「くそ!」




 アムはいきなり立ち上がった。あたしもアムに引きずられるようにして共に立つ。




 アムは素早く自分の外套を脱ぐと、あたしを包んだ。それから自分に引き寄せる。あたしは何が起こったかさっぱり分からない頭で、されるがままだ。




「いいか、サラ、良く聞け・・・このまま逃げる」




「えっ、何で!?」




「ルッペンの生態を知らないんだろう。ギルドの奴らも、どうして何も知らせずにおまえを送り出したんだ!」




 アムは激しく怒っていた。




 それはあなたが退治した後、安全に横取りする予定だったからです。とは言えない雰囲気よね、やっぱり・・・。




「ルッペンはな、吸血性だ。普段は温厚な鳥だが、食事の時は獲物が皮になるまで狂ったように血を啜る。血の臭いにも敏感だ。植物で切ったのか!ならその植物にも血がついているはずだ。それを嗅いで、ルッペンは町まで来る。血の臭いを、おまえを追って!」




 あたしは青くなった。傷だらけになった足と腕が視界に入る。どれだけ血を落としてきたのかなんて、考えたくも無い・・・。




「ルッペンがなぜ裏依頼だったのか教えてやろう。ルッペンの体液は、混じりけの無い濃硫酸だ。皮膚も武器も、触れた傍から溶け落ちる。退治しても五体満足で済む保証はないんだ!」




 アムが強くあたしの肩を抱いた。あたしもアムにしがみつく。




「うへ、うへ、うへ・・・」




 さっきまでバカにしていた鳴き声が、急に不気味に聞こえてくる。




「囲まれた・・・」




 アムが嫌なことを言う。




「もう二人では逃げられないな。・・・いいか、サラ。その外套は特別製だ。濃硫酸も防ぐことが出来る。俺が合図をしたら、それを被って蹲っているんだ」




「え、待って、あんたは、あんたはどうするのよ!」




「俺は大丈夫だ」




「大丈夫なわけ無いでしょ!あたしはいい。あんたのものだからあんたが着て!」




 あたしが外套を脱ごうとする手をアムが止めた。




「本当に大丈夫なんだ、俺は。カルミナ族だから」




 よくわからないことをアムは言う。カルミナ族も人間では無いのか。カルミナ族だから大丈夫とはどういう意味だ。




「大丈夫なわけ、ない・・・!」




 あたしは叫んでアムの胸を押した。




「アム!あんたが思ったよりいいやつってのはもう分かってる。あたしを助けようとしてくれているのよね。でもね。守って貰わなくていいから、あんたはこれ着て、逃げて。あたしなら大丈夫。こんなところで死ぬ気は無いし、ひとりでもどうにか切り抜けてみせるから」




「サラ・・・」




 アムが強く、その両の腕であたしを抱きしめる。




「俺を信じてくれ。お願いだ。おまえを絶対に傷つけさせないと誓うから。信じると、そう言ってくれ」




「あたしのことはいい。でも、『信じる』」




 あたしは躊躇なく言った。なんとなく、この男は、信じられると思った。




「ありがとう」




 男は少しだけ驚いた顔をして、それからふわりと笑った。邪気の無い笑顔だった。普段仏頂面だからか、笑うと年相応に幼く見えた。




「伏せろ!」




 レアな笑顔に驚く暇なくアムが叫んだ。あたしは咄嗟に外套を被って蹲る。視界が闇に染まる。




「うへ、うへ、うへ」




 鳴き声が近い。本当にアムは、アムは大丈夫なんだろうか・・・。




 でも信じると言った手前、あたしは、心配ないと言うアムを信じて祈るしかない…。




「うへへぇ」




 ドクドクと鳴る心臓の音がうるさい。土を踏みしめる音、草が擦れる音、そう言うものに、耳が集中する。びしゃっと背のあたりに大量の水分がかかった感覚があってあたしは大袈裟なくらいびくりと体を震わせた。




「・・・もういいぞ」




 アムの声がして、視界に光が戻ってきた。アムが外套を剥いでくれたのだ。あたしはその黒髪が見えるや否や飛びついた。




 驚いたように見開かれる目も、あたしを受け止める腕も、足も、ある、ある、ある・・・!




 アムはその体を何一つ損なうこと無く、そこに立っていた。




「よ、よかったぁ・・・!」




 あたしは思わずへなへなとその場に崩れ落ちそうになった。それをアムが腕を掴んで防ぐ。




「そこら中体液だらけだからな。座れば腰から溶けるぞ」




「ハイイッ!」




 あたしは壊れたバネのように、命綱のアムにしがみついた。アムはまた驚いたように体を揺らして、それからひょいとあたしを横抱きにした。




「は!?え!何で!」




「歩き回れば足が溶ける。いちいち俺の靴を貸すより、こっちの方が楽だ」




 いきなり空に浮いた足をバタつかせていると、そんなことを言われた。




 靴まで特別製なのか・・・!用意の良いことで。いや、問題はそこじゃ無い。あたし、重いでしょ・・・!男兄弟に混ざって畑仕事しているからか、一般女子の体重よりもあたしは重いのだ!




「暴れるな。死にたいのか」




 そう言われて、あたしはやっと諦めた。まだ死にたくありません・・・。




 まぁいいや、こいつに重いと思われようが、もういいと思おう・・・。




 そう思ってあたしは全身の力を抜いた。もうこうなったらむしろ運んでもらえてラッキーぐらいに思っとこう。




 あ、そうだ。ルッペンって結局どんな鳥だったんだろ。




 興味本位できょろりと周りを見渡した途端に、ばさりとまた視界が遮られた。




「うわぷ」




「見るな。細切れにしたから、見ても分からないぞ」




 それは、どうやらあたしがさっきまで被っていた外套であるらしい。



 

 細切れ・・・えっ。どうやって?アムの武器は、棍の筈だ。それは切る武器じゃ無い。叩き潰す武器。どう頑張っても、動物を切断できる訳がない。それなら、他にも刃のついた暗器を隠し持っていると言うこと?




 あたしはにゅっと手を伸ばして、外套を触ろうとする。制止の声は無い。硬い皮に指先を滑らせる。・・・乾いている。これを被って震えていた時は、確かに液体が降りかかった感覚があったのに・・・。




「・・・あんた、ナニモノ?」




 あたしは外套を目の下まで下げると言った。目の前にある喉が動き、アムの口元がにやりと歪んだ。














 やっと森を出れたのは、日が薄っすらと地平線を照らし始める時刻だった。




「俺は、カルミナ族だから」




 そう、アムは言う。




「カルミナ族はみんなあんたみたいに強いの?」




「みんな、ではないがな」




「ねぇどうやってルッペン倒したの?教えて」




「おまえにはできない」




「どうして?」




「俺は、カルミナ族だから」




 そうして話は振り出しに戻る。




 あたしはもう、自分の足で立って歩いていた。流石に重いあたしを抱えさせて、足元の不安定な森の中を歩かせるのは申し訳ないし、それで二人とも転んで骨折でもして共倒れになっても嫌だからと早々にあたしは降ろして貰っていた。




 アムというこの男。やっぱり、悪い人じゃないみたいだ。表情の変化はそんなに激しくないけれど、話していると薄く笑うことも多くなってきた。




「え、あれ!?」




 あたしは叫んだ。




 なんと、遠く町の入り口に、ぽつんと人が立っている。




 細っこい体を震わせながら、金の髪を朝日に輝かせて、人がー…。




 それが誰かわかった瞬間、思わずあたしは駆けだした。




「ノエル!」




 ノエル!ノエルだ!あんな天使みたいな人間、ノエルしかいるわけない!ノエルが、この姉さんを迎えに来てくれたんだ!誰かから、あたしが森に行ったと聞いて。心配してくれたんだろう。ああ、あんな薄着で…風邪引いているのに、なんて姉さん思いのいい子!




 ノエルが走ってくるあたしを認識する。ぱあっと花が綻ぶように笑いかけ、てその表情が固く強張った。




 え?と思う間もなく腕を強く後ろに引かれた。あたしはそのままの勢いで地面に尻餅をつく。その横を、黒の衣が翻った。




 あたしが顔を上げた時に見たのは、ノエルの頭部を太い腕で薙ぎ払った、アムだった。




 ノエルは軽く五歩分も吹き飛び、近くの民家の壁に激しい音を立てて叩きつけられた。




「ノエル!」




 あたしは何が起こったか理解できないまま、悲鳴のような声を上げた。




「ノエル、ノエル、ノエル!」




 無我夢中でピクリとも動かないノエルに駆け寄ろうとするあたしの腕を、すばやくアムが掴んだ。




「アム!」




あたしは、あたしを引き留める人間を、激しい瞳で振り仰いだ。生まれてから、一度だってこんなに憎しみをこめて他人の名前を呼んだことはなかった。でも、あたしはあたしの家族を傷つけた人間と仲良しこよしなんてできない!




「離して!」




「あれが、お前の弟か」




 アムが低い声で言った。前髪が落ち、その表情は全くわからない。




「そうよ!あたしの、大事な、大事な、弟よ!」




 あたしは懐の短剣を抜いた!躊躇などなかった。




 短剣はあたしとアムの間を薙いだ。アムの拘束が緩む。その瞬間を見逃さず、あたしは転がりながら、ノエルに走り寄った。




「ああ…!」




 あたしは口を覆い、思わず声を漏らす。ノエルは真っ青な顔で、気を失っているようでぐったりとしていた。頬の辺りや唇から血が流れていて見るからに痛ましい姿だ。




「ノエル、ノエル…!」




 あたしは震える手でノエルを抱きしめた。




 きっと振り返れば、歩み去っていく背中が見える。




 あたしは涙に塗れた燃えるような瞳でその背を睨み付けた。




 呑気にいい人だなんて思ったあたしが、馬鹿だった。カルミナ族のアム。ノエルを傷つけた男。絶対に、許さない…!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る