あいらぶらざー!
50まい
失恋する姉
涼しい鳥の鳴き声。綺麗な朝露。濡れた緑の木々。清々しい朝。あたしはうーんっと背伸びをした。窓を大きく開ければ、冷たい風が寝起きの頬を引き締める。
幸先いいわ。うん、うん。良いに決まってるわよね!
なんてったって今日は、あの、レアンオン兄さまが、帰ってくる日なんだから!
あたしは勢いよく階段を駆け降りた。騒がしい弟たちの声も、今日は都の楽団が奏でる音楽のよう、なんて浮かれすぎ?
「おはよう!」
みんなから口々に朝の挨拶が返るけど、あたしがいちばん元気。
「サラ。今日は早いねぇ」
なんて、恰幅のいい母さんが、7つ上のミシェル兄さんと、5つ下の弟のオーラの間にひしゃげた木の皿を置く。あたしのお皿だ。
あたしは席に着く前に、後ろからミシェル兄さんに飛びついてサービスにほっぺにキスしてあげた。
食事中だったミシェル兄さんはいきなりのことに盛大に噎せている。
なによ、失礼ね。あたしという愛らしい妹からのキスよキス。涙を流して喜ぶところでしょうここは。
まぁ、いいわ。今日のあたしは最高に気分がいいですからね。
ああ、太陽さん、こんにちは!今日も一日、がんばりましょうね、うふ。
世界中の人に投げキッスを配りたい気分であたしは席に着いた。
いや、着こうとした。
しかしその時、あたしの態度を訝しげにしていた母さんが、ピンときたとでも言うようににこにこと口を開いたのだ。
「ははぁ、サラ、あんた聞いたんだね?でも正直、意外だねぇ。昔っからあんたは隣のレアンオンと結婚するとか言ってたから、てっきり泣いて布団から出てこないと思ってたんだけどねぇ。でもあんたも慕ってたレアンオンの結婚でそこまで喜べるなんて、大人になったんだねぇ。レアンオンもここに腰を落ち着けるっていうし、賑やかになっていいねぇ」
ガタン、と椅子が倒れた。わたしの椅子だ。一番上のゾル兄さんが作ってくれた、椅子。
「けっ、けけけっけ、けけけけけけっけっけっけ…」
動揺しすぎて、変な妖怪みたいに、言葉が「け」しか出てこない。
けっ、けっ、結婚ですって!?
あの場で、泡を吹いて倒れなかったことを褒めてほしい。
結婚と聞いて、「え、あたしと?」なんて間抜けな考えが浮かんだのも一瞬だけで、あとはもうもう、怒涛のような悲しみの嵐だった。
物置から、ほこり臭い鞄をずるずると取り出す。亡くなった父さんのものだ。男ものだから重い、が仕方ない。
服は、詰めた。必要最低限だ。そもそも持っていくものなんてそんなにない。
うちは、兄弟だけで10人はいる大家族も大家族だ。おかげさまで貧乏金なし、お下がりはすりきれるまで着るが鉄則で、紅一点のあたしも全部持っている服は男物だ。
ぎゃんぎゃん騒ぐ弟たちを押しのけ、それを解いて、生地は贅沢言わないとしても少しでも女らしく見せようと、都のドレスを想像しながら繕ったスカート、花の汁で紅をさし、椿の油を絞り髪を整え…ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶずぇーーーんぶ、レアンオン兄さまのため、だったのに!
「…う…」
ずり、とあたしは鼻水をすすりあげた。俯くと腰まではある髪が、重く顔を覆う。
…切ってしまおうか、こんなもの。
いくら農作業をするのに邪魔でも、針仕事をするのにうっとおしくても、「綺麗だよ」と言ってくれたその一言であたしの誇りになった。
でも、そう言ってくれた人は、もうあたしだけの兄さまじゃ、ない。
だったら、こんなもの、何の意味もない。
ハサミ…ああいいや獲った獲物を捌く用に短刀を持っていこうと思ってたんだった。錆びてるけど、しょっちゅう研いでいるから見た目ほど切れ味は悪くない。
後ろで髪を掴んで、目の前に持ってくればまた涙が出た。
ひどい、よ、兄さま…あたしをお嫁さんにしてくれるって、言ったのに…。
「サラっ!?」
「えっ!?」
あたしは、いきなり片手を押さえられて誰かに抱きしめられていた。勢いで短刀が手から零れてしまう。
匂いですぐにわかった。というより、あたしが泣いているといつもきてくれるのは、この子だった。ふたつ下の弟、ジャン。
「ジャぁぁン~」
ジャンとわかった途端、あたしはもっと涙が出てきた。
「サラ、おまえ…!なに、しようとしてたんだ…!」
ジャンはなぜか物凄く怒っているみたいだった。
か、髪切るのってそんなにいけないこと?あんまり短い髪って見ないけど…。でもジャン達も短いし…。
「俺が来なかったら、どうする気だったんだ…!見損なったぞ!」
ジャンはあたしの頬を両手で挟んで顔を覗き込んだ。
あたしははっとした。ジャンの緑の瞳、その目尻に、涙が溜まっている…。
「ご、ごめんなさいジャン」
あたしは謝った。そんなに髪を切るのがいけないことだとは思わなかった。というより髪切っちゃいけないなんて聞いたことないから、ジャンがこんなにあたしの髪を大事にしてくれているなんて、知らなかった。
歳が近くて、兄弟の中でも一番仲がいいのがジャンだった。レアンオン兄さまの話もジャンには沢山した。きっと、あたしの髪にかける思いいれも覚えててくれたのだろう。優しい子だから…。
「ごめんなさい…。でも、もう、いいの。あたし、わかってるから、ちゃんと。思いきるためにも、いっそ」
「バカなこと言うな!」
ジャンの言葉がより強くなる。
あれ…失恋したら髪を切る、って女の子だけにしか知られていないのかな。
ジャンを泣かせたくないから、髪を切るのは諦めよう。
「ごめんね、ジャン。泣かないで。わかった、もう諦めるから…」
「当たり前だ!もう、絶対するなよ。二度とだぞ。約束しろ」
「うん、約束する。もう二度としない」
…でも私このままじゃ髪オバケになりそうだけど…いいや、ジャンが泣かないんなら。
「あ、待って今の取り消し!5分だけ取り消し!」
あたしは床に転がった短剣をさっと拾った。
「サラ!」
ジャンが血の気の引いた顔で叫んで手を伸ばしてきた。
ごめんね、ジャン!
あたしは、素早く自分の髪をひと束掴むと切り落とした。ジャンが邪魔する隙も与えなかった。
ジャンは青い顔で、あたしを呆けたように見ている。
「ごめんね、切っちゃった」
ジャンは、切られたあたしの髪に目を落とした。
「サラ!バカ野郎なんてことするんだ心臓が止まるかと思っただろ!」
ジャンはあたしの首に腕をまわして抱きついた。
昔ならまだしも、あたしと同じぐらいの身長になったジャンに加減なく抱きしめられると、ちょっと苦しい。
「ジャン、これをあたしだと思って大事にしてね。お姉ちゃんは、ずっとあんたたちのこと見守ってるからね。」
そう言ったら、ジャンが不思議そうに顔をあげた。
「サラおねーちゃんいっちゃやだああぁあああ」
「うわあああああぁぁああぁん」
「サラ!女の子の一人旅なんて危ないから、止めるんだ!」
「せめて兄さんがついて行く!」
「絶対に止めろ、母さん」
「サラになんて無理だ!」
我が家が大家族だと言うことは先に述べたとおりだが、我が一つ下の弟で、ノエルというやつがいる。
そのノエルは、5年前旅という名の家出をした。11歳でだから、大したものよね。
「母さん…」
あたしは準備万端、すっかり旅支度の整った手で、そっと母さんの手を握った。
涙ぐむ目で見つめる。
設定はこう。
「昨日ね、ノエルが夢枕に立ってね、姉さんに会いたい、って泣くの…そしたら神様の声が『弟を愛しく思わば、行け』って。あたし、ノエルに会いたい。行かなきゃならないんだと思う。」
「そんなの、嘘だ!絶対にサラを行かせるなよ、母さん!」
ジャンが叫ぶ。
母さんは難しい顔で腕を組んでいた。
はぁ、と息をついて顔をあげた。その目には涙が光っている。
「ノエルが、ねぇ…。あんなに大人しく良い子が、なんで、とも思ったけれど…神のお導きなら…あたしもそろそろあの子に会いたい…サラ」
「はい」
「気をつけて、行っておいで。くれぐれも、無茶はしないこと」
「はい、母さん。きっと、ノエルと一緒に戻ります」
「母さん!」
後ろで兄弟たちの悲痛な叫びが聞こえた。我が家は母さんが掟。決まりだ!
よっし!母さん、待っててね、ノエルをちゃんと探して、連れてくるからね!
そしてノエルには悪いけど、こっちが本命!失恋の痛手を、癒さなきゃ!隣のうちでレアンオン兄さまが奥さんと…いちゃいちゃしてるのなんて…ぜっっったいに、見たくない!
少なくとも1年は帰らないんだからね!くすん。
「サラ!」
ジャンがあたしに走り寄って、手を握った。
「俺も行く。止めるのが駄目なら、俺も」
「神様はこうおっしゃいました。『汝、誰の助けも借りず為せば、成らん』」
「そんなの、サラの嘘だ」
「あたしは神様を疑うような子に育てた覚えはありません」
「ジャン!女々しい男だねぇ。こういうときは、スカッと潔く見送るもんだ。あんたたちも!いつまでも泣いてんじゃないよ」
「ほら、ジャン。いいかげんお姉さん離れしなきゃね。あたしも、良い機会だから兄弟離れできるように、頑張ってみるよ」
「サラ!」
「またね」
こうしてあたしは、失恋の痛手を癒す旅…とと、ノエルを探す旅に出たのでした。
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