第166話 綻びは静かに広がる



 マンフレート=ザルツブルグは不機嫌極まりなかった。理由は数多くある。

 酒が不味い、食事が貧相、女が居ない、寝床の寝心地が悪い、脚竜の鞍で尻が痛い。例を挙げればきりが無い程に不満がある。その根本には、何もかもが自分の思い通りにならないという事実が居座っている。

 幼い頃から自分には全てがあった。叶わない願いなど無いと思っていた。この世の全てが思い通りになる全能の力が備わっている。そう思いながら生きてきた。歳を重ねるにつれて、その思いは幻想だったと知る事になるが、生まれ持った家と地位により大抵の事は思い通りなると分かり、全能とさほど変わらぬと気付いた。

 精々が自分より上位の王家と王が居る事、永遠の命など無いと分かったぐらいだ。どんなに珍しい物も美酒も女も、ありとあらゆるものが望めば手に入った。美しい妻に可愛い子供達、自らのドナウ王家に連らなる貴い血を受け継ぎ次代に繋げる。何もかもが満ち足り、不安など隣国を次々攻め滅ぼした蛮夷のホランドぐらいだ。

 そのホランドさえ自分やブランシュ王家に流れる貴い血にひれ伏す、そう信じていた。事実、今この瞬間も次々と蛮族を蹴散らし、長年の競合国サピンの地を領土に収めていた。何もかもが上手く行っている。そう、ドナウと言う国はこれ以上に無い程に勢いに乗って走り続けている。そこにこのマンフレート=ザルツブルグの名が碌に無いのを除けばだ。


「おのれっカールめ!まだ髭も生えていないガキが、この私を蔑ろにしおって!!」


「御館様、どうかお声をお鎮めください。周りに聞かれてはお立場が危うくなりますぞ」


 与力の一人がマンフレートを宥める。彼はザルツブルグに隣接する小領の主で、マンフレートの副官も兼ねている貴族だった。それなりに頭もよく、気配りの出来る男だったので幼少から重用されていた。幼馴染の学友とも言う。

 他の者なら無礼だと言って剣の鞘で殴りつけるが、気心の知れた幼馴染には少し睨むだけで済ませている。

 怒鳴り散らしたためか、少し落ち着きを取り戻したマンフレートは酒を飲んで気分を落ち着ける。


「ここは我々の陣営だ、他所の奴等は入って来ない。目障りなサピン人も、口煩い近衛騎士も来やしない。愚痴ぐらい言わせろ」


 彼の言う通り、ここはザルツブルグ家とその与力の兵士が野営している陣の中央。他の領地の兵や近衛騎士が近づく事はそう無い。それを分かっているからマンフレートは南進軍の総司令官であるカールの罵倒を止めはしなかった。そうなると出るは出る、カールへの不満と罵倒が。慣れない行軍によるストレスや疲れも相まって、濁流のように口から絶え間なく出続けた。

 要は女がこちらに来ずに他の領地の兵士や貴族にばかり流れるのでどうにかしろと進言したら、それは女の勝手だろうと冷たくあしらわれたという事だ。どうやら以前、マンフレートの甥のゲハルト=ザントが村に押し入って強盗強姦を働こうした噂がサピンに広がって、サピン人は誰もこちらに近寄らなくなったらしい。

 自業自得と言いたい所だが、それで連れてきた兵士は憂さ晴らしが出来ずに殺気立っている。普段ならそんなものは放置しているが、今回の遠征では配下の不始末は領主の責任として処罰を受ける。仕方なく領主はそれぞれ自分の連れてきた兵士を見張らねばならず、多くの領主は不満そうにしており、マンフレートもそうした領主や兵士の不満を抑えるのに四苦八苦している。と言っても命令するだけで、実際に動いているのは家臣や隣の副官なのだが。



 ひとしきり愚痴を言い切ったマンフレートはスッキリしたのか黙って聞いていた副官に礼を言う。彼は自分に従う者や身内にはかなり気を遣う所があった。

 そして愚痴が終わったのを見計らったかのように外に控えさせていた兵士が入って来て、客を待たせていると伝える。実はもっと前から客は待っていたが、主人の愚痴の邪魔をするとどんな罰があるか分からないので、終わるのを待っていたのだ。

 兵士に誰が来たのか尋ねると、意外な名、というより殆ど接点の無い人物が訪ねてきたので二人は疑問に思うが、会わずに追い返すのも非礼なので、会うだけ会うと天幕に案内させた。

 天幕に入って来たのは二人。四十前後の中年と三十前の青年騎士だった。どちらも顔は見た事あるが直接的な面識はお互い無いに等しい。ただし、二人の家名はよく聞く名だった。


「こうして直接お声をかけるのは初めてですなザルツブルグ殿。私はルードビッヒ=デーニッツ。こちらの騎士はトビアス=ハインリヒです」


「初めましてザルツブルグ殿、間近でお顔を拝見出来て光栄に思います」


「ほほう、これはこれは。高名な長官の方々の御子息達とお会い出来て、私も嬉しく思いますぞ。してこのような夜分にどのようなお話があるのですかな?明日はレンシアに駐留するホランド兵との一大決戦。出来れば手短にして頂きたいものだ」


 全く面識のない人物が訪ねてきたのだから、それなりに警戒するのは当たり前。軽い探りから会話は始まった。


「夜分に失礼とは思いましたが、こちらも何分切羽詰まっておりまして、どうかご容赦を。では本題に入ります。

 我々はカール殿下に不満を持つ者の代表として貴殿に助けを求めに来ました」


 マンフレートはどういうことかと尋ねると、二人は順を追って話し始める。

 略奪は戦の慣例で認められているのに碌に戦利品にありつけず、配下の兵士は不満を募らせている事。カールはドナウ人を信用せずに、プラニア人やサピン人ばかり大事に扱う。派手な戦をしてホランドを蹴散らして戦功を建てたい。

 そうした不満が地方領主はおろか近衛騎士の中にも燻っていると二人は語る。いましがたマンフレートがぶちまけていた内容と変わらない。


「近衛騎士も人ですから、手柄を立てて領地を貰いたい。それにはどうしても派手な戦が必要なのです。今までのように他国人を盾にするような戦いではなく、自らが剣を振るい堂々と精強なホランド騎兵を倒す。そんな武勲を騎士は欲しています!

 騎士団長はまったく我々の心を酌んで頂けません!ザルツブルグ殿、どうか殿下にお頼みいただけないでしょうか」


 ここぞとばかりに近衛騎士のトビアスは膝を着き、頭を地にこすりつけて、マンフレートに情で訴えかけた。それを見たマンフレートは幾らか心動かされそうになったが、隣の副官が長年の付き合いから、彼が自分に頭を下げる者に弱いのを知っていたので肘打ちして牽制する。

 しかし近くで見ていたルードビッヒがそれに気づき、追撃とばかりに自身も頭を下げて頼み込んだ。


「私も父から、何か困った事があればザルツブルグ殿を頼れと言い聞かされております。どうか貴殿の手でカール殿下を正しき道に導いて頂きたい!それは貴方に流れる高貴な血にしか出来ない、尊い役目なのです」


 高貴な血。そうだ、自分にはこの世で最も尊いドナウ王家の血が流れている。そして同じ血を持つ若い王子が道を外そうとしているなら、それを正すのも高貴な者の宿命。自分は何も間違っていない。

 特にルードビッヒの父親であるルドルフ=デーニッツとは知らない仲では無い。その息子がこうして頼み込んでいるのを無碍にするのは良心が痛む。


「それで貴殿らは、いや、現状に不満を持つ貴族や騎士は私に何を望んでいるのかね?こうして頼りにしてくれるのは悪い気はしないが、私も殿下からはどうも嫌われているようなのだ。素直に私の言葉に耳を傾けてくれるとは言えないのだよ」


 自分を慕って頭を下げた二人に心から申し訳なさそうに力になれないと告げる。だが、二人はそこで引き下がらなかった。


「殿下の説得など私達はとうに諦めております。ですからここは行動で示せばよいのです!

 私に賛同してくれた地方領主の軍勢はおよそ千。貴殿の影響力のある軍勢も千。合わせて二千!」


「近衛騎士も五十名ほどが私と同意見です。これだけの兵が一斉にホランドに仕掛ければ、軍事に疎いお優しい殿下は見捨ててはおけません。必ず全軍で助けに向かうでしょう。そうなればなし崩しで我々は先鋒として戦う事になります。これは大きな功績であり、誉れでありましょう。ザルツブルグ殿、どうか我々に助力をして頂きたい!」


「む、むう。それは、確かに魅力的な策だな。ただ待つだけでは誇り高いドナウ貴族の名折れよ。貴殿らの忸怩たる思い、このマンフレートしかと受け取った。ならば明日、私がすべきことは唯一つ。ドナウ王家の血に恥じぬ勇敢な戦いをするだけよ。

 二人ともお立ちになられよ。今この瞬間より我らは友だ。モリッツ、杯を二つ持ってこい」


 そう言って二人を起ち上らせ、副官のモリッツに杯と酒を用意させる。モリッツはこうなると頑として主は意見を翻してくれないと分かっており、成功した所でどういう未来が待っているのかを予想して杯を持つ手が震えた。今この場で二人を殺せればと思ったが、片方は近衛騎士。易々と死んでくれるとは思わないし、彼等の言葉通りなら仲間が大勢いる。二人が帰ってこないとなると、自分達への報復すらあり得た。

 そこまで思い至った副官の諦観など知る由も無いマンフレートは上機嫌に新しく出来た友人達と酒を飲み交わす。ただ、残念な事に明日の決戦に二日酔いで参加しては締まらないと、二人は一杯だけで遠慮して天幕を辞した。

 これで生意気な若造の鼻を明かせるのと、自分に賛同してくれる者があちこちに居た事を嬉しく思ったマンフレートは上機嫌なまま床に就いた。

 この独断専行がドナウとホランドに何をもたらすのかはまだ分からない。


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