第165話 時代の徒花



 シズナ川におけるドナウ=ホランドの一大決戦は佳境を迎えつつある。昼前から始まった戦も気が付くと夕暮れが迫っており、通常ならばそろそろ切り上げ時である。

 西方では夜襲の類は基本的に行われない。暗闇では余程訓練を積んだ兵士でも敵味方の識別が困難なので、同士打ちを避けるために夜襲は行わないのが暗黙の了解となっている。ユゴス侵攻での逆襲は、殆ど兵士を使わずに翼竜の爆撃と甲竜を使い捨てにした戦法だったので例外的だ。

 だが、ホランドは一向に戦を止める気が無い。今ここで戦を止めると、次は確実に負けると誰もが理解しているからだ。これまでの戦いで既に五万の内、三万五千を失ってしまった。ここで仕切り直してしまうと、疲労の回復したドナウにどうあっても勝てない。

 それに既に正面の防柵は残り一つ。あと一つ柵を壊してしまえば、騎兵を陣内に雪崩れ込ませて蹂躙出来る。あと一つ、あと一つなのだ。その想いがあるからこそ、ドミニクは多大な犠牲を払い続けても戦を止めようとしない。

 しかし秘密裏に川を渡らせてドナウの裏を襲わせる別動隊と連動して橋を占拠する農奴を突き崩そうと五千を差し向けたが、予想外の抵抗の強さに攻め落とせず、肝心の別動隊がドナウの小勢に壊滅させられたのも確認した。乾坤一擲の策を潰され、失意の将軍達はこれまでだと諦める。


「陛下、遺憾ながらこれ以上戦っても勝機はございません。撤退するか降伏するかをお決めください」


「――――命運尽きたか。ふっ、ふふふふ……」


 何の脈絡も無く笑い出したドミニクを将軍達は、敗北を認められず気が狂ったのかと危ぶんだ。だが、そうではない。彼の瞳には一片の狂気も宿っていない。ドミニクはただ、己の置かれている立場を省みて、かつて自分が下してきた国の王やそれを護る戦士達と同じ境遇に立たされただけだと気付いただけだ。


(弱いから負ける。これまで俺が殺し、蹂躙した敗者のように。それが今自分の番に巡って来ただけ。力を振るって好き勝手生きてきたが、より強い敵に力を振るわれて蹂躙される。ただ、それだけだ。

 ―――そこに後悔は無い。間違っていたとも思わない。己の王としての信念と矜持に従い、邪魔する者全てを蹴散らしてきた。ならば、別の信念と矜持を持つ者が俺を蹴散らしても文句など言える道理か。何を言っても強い者が道理を作る、それが世の道理よ)


「お前達に言っておく。儂やホランドが今まで勝ち続けたのは相手より強かったからだ。だから、儂が負けるのもドナウの方が強かった……いや、性根の悪辣さと根性のねじ曲がりで上を行かれた」


(正確にはあの何処から来たか分からぬ異邦人によってだがな。あの男の底無しの悪意によってホランドは滅ぶ。口惜しいが、あの男一人殺せない儂ではドナウに勝てなかったわけだ)


 ドミニク自ら負けを認めたことで将軍を始めとして近習達も周囲の兵士も完全に戦意が折れてしまった。だが、負けを認めた当人に卑屈さや屈辱、陰鬱な敗北感は微塵も感じられない。むしろ、今まで最も楽しそうに笑う。


「お主等は何処に逃げるというのだ?それとも恥も外聞も無くドナウに命乞いをするというのか?我々誇り高いホランドの草原の民は何時から勝ち戦しか出来なくなった!たかだか勝つ見込みの無い戦況に追い込まれただけで情けない事を口にするな!

 それにここで逃げて次の戦などあるはずがなかろう!」


「で、ですが――――」


「黙れ!!この二十数年を思い起こせ!アルニア、リトニア、プラニア、サピン。そのどれもが王が命乞いをしたか!!家臣や民を捨てて一人で逃げたのか!!どの王も貴族も最後まで抵抗を続けて死んで行ったのだ!ここで我々が命惜しさに無様を晒し、死してなお後の世まで辱めを受けるのを貴様等は甘んじるのか!!

 我らホランドの民は草原に産まれ落ちた時より戦う宿命にある。ならば命ある限り、戦い戦い戦い抜く。それだけだ」


 自らの想い全てを吐き出したドミニク。その想いに家臣達は躊躇う事無く殉じる事を決めた。今まで散々に自分達は好き勝手生きた。なら、その想いのままに生きて死ぬ。それが草原の民の生き様だ。

 残る全軍にドミニクから最後の命令が下る。


『命ある限り、ドナウにホランドの生き様を見せつけよ』


 事実上の玉砕命令だったが、拒否する兵士はごく僅か。さらにゲオルグ達ドナウの使者の護衛兼見張りもその任を解かれ、最後の突撃に参加する。文字通り最後の一兵まで命を惜しまない潔さだった。

 ドナウ=ホランドの戦いの幕引きは近い。



      □□□□□□□□□



 ――――空気が変わった。

 漠然とした感覚だったが、エーリッヒはこの状況をそう感じた。既に時間は夕暮れ時、このままいけば今日の戦は中断するか、ホランド側から降伏の申し入れが入ってくると、傍にいた軍士官が楽観的意見を口にしていたが、その意見には賛同できそうにない。

 今回が初陣と言って良いエーリッヒでも、ホランドの様子が目に見えておかしいと気付くのにそう時間はかからない。その考えは的中、この戦いの中でホランドの勢いは最も強くなり、全ての兵士が後先考えずに真正面から突っ込んで来た。


「何かがおかしい、ツヴァイク司令に会いに行く。着いて来い」


 中央の指揮所に来たエーリッヒに士官達は、手短にホランドが最後の攻勢に出たと伝える。それも、後先考えない無謀と言ってよい玉砕必至の突撃でだ。


「向こうも日を跨げば後が無いと分かっているからこその最後の攻勢なのでしょう。夜襲は平地なら可能性もありますが、ここは薄くとも砦です。攻城兵器の無いホランドではまず抜けない。それが分かっているから、最後の賭けに出たという所でしょう」


「無謀と言いたいが、降伏しても撤退しても先が無いと見切ったか。まあ、百に一つの勝機でも拾おうとするのは王として間違いでは無い。間違いではないが、賢明とは言えない」


 百に一つの勝ち目など有って無いようなもの。逃げた所で王座を追われるのは必定だと分かっていても、堅実な性分のエーリッヒやオリバーにはとても正気とは思えない。面子や矜持は大事かもしれないが、王として最も大事なものをドミニクは分かっていないと、エーリッヒは嘆いた。


「こんな愚劣な王に西方の民は二十数年も引っ掻き回されて涙を流したと思うと情けないし腹立たしい。

 司令、ナパームも弓も残りの火砲もありったけ叩き込んでさっさと終わらせてくれ。こんな誇りを抱いて満足して死ねる輩に情けなど要らない」


「承知しました。聞いての通りだ、出し惜しみ無しで酔っ払い共にたらふくご馳走を喰らわせてやれ」


 こいつらホランドが居なければ軍はずっと仕事が少なくて済んだと、オリバーもいい加減ホランドにはうんざりしていたので、喜んで命令に従った。



 ここからはただの蹂躙劇となる。ホランドは全ての兵力を正面に集中、一切の小細工など無く突っ込んでくるだけ。ドナウはそれを火砲で迎撃しつつ、空から翼竜が後方にナパーム樽を落として退路を断ち、側面を護っていた長弓兵が一斉射撃により敵を少しずつ減らしていく。

 そこには勝利など求めず、ただ己の矜持に酔いしれただけの亡者の群れが居るだけ。故に戦では無く蹂躙と言わざるを得ない。

 しかし、だからこそ後先考えない命を捨てた突撃は勢いがあり、火砲の対応が間に合わない。十全に用意したと思われた火薬も弾も底が見え始め、焼き付いた砲は次々使い物にならなくなり、絶えず予備に交換して凌ぐ状態。どうにか使い切る前に全滅させたいと、兵士の不安が積み上がって行く。不幸中の幸いはホランド側はとうに矢を撃ち切っており、遠距離からの攻撃手段に乏しい事か。



 そして日が落ち、夜の帳が空を覆う頃には、とうとう最後の防柵も破壊され、ホランド騎兵を阻む物は無くなった。しかし残存ホランド兵は既に千を切っており、軍勢としては瀕死と言って良い。対してドナウ側はまだ幾ばくか余裕がある。火薬も弾も残っており、あと数発も叩き込めばそれでホランドは終わりだ。

 しかしここに来て、残存ホランド兵の中を掻き分けて、一騎だけが悠然と陣地へ近づいて来る。一際大柄な脚竜に跨り、細部にまで手の込んだ豪華な造りの鎧兜を身に着けた偉丈夫。薄暗がりでは顔は分からなかったが、一目でそれが誰なのかドナウの兵士達は悟る。


『ホランド王ドミニク』その人が悠然と進む様をドナウの兵士は呆然と見ていた。誰も彼を攻撃出来ない。王に生まれた者だけが纏える、有無を言わさず他者を従わせる説明しようのない力が砲弾飛び交う戦場にあって彼の生存を許していた。


「どうした、ドナウの兵士達よ。この王の首を獲るのが惜しくなったのか?我こそはと言う者は一歩前に出てはどうだ?お前達の戦い方を否定する気はないが、せめて一人の男としての気概を見せてもらいたいものだ」


 まるで家臣や自国民に話しかけるような、穏やかな口調は戦場に似つかわしくなく、至る所に転がるかつてホランド人だった肉片にも何の感情も抱いていないように思えた。

 前線の兵士はその声に呑まれて動けない。火砲の弾込めも、弓兵も矢を番えるのを忘れ、ただただドミニクに見入っていた。


「それは貴殿らホランドの流儀であって我々の流儀では無い。我々はこれまで貴殿らホランドの大好きな戦に付き合ってやったのだ。少しは自重してもらいたい物だな」


 並の者では王の威厳に呑まれる。ならばその沈黙を破る者もまた王に他ならない。兵士達を掻き分けてドミニクの前に立つのは、既に王の装いを解いた、ドナウ王国王太子エーリッヒだった。伴にはアラタとウォラフ、それにリトも居る。


「初めてお目見えする、ホランド王ドミニク。私はドナウ王国王太子エーリッヒだ。短い付き合いになるが、覚えておいて欲しい」


「王子?―――――ふ、そういうことか。そんなところまで儂を謀っていたとはな。ここまでくると怒りよりも感心するわ。貴様の性根の曲がり具合は西方一だアラタ=レオーネ。

 してエーリッヒ王子よ。ここまで出てきたという事は儂と一騎討ちでもする気か?若者の挑戦を受け止めるのも王の責務、遠慮はいらんぞ」


「愚劣な王に挑戦などしても時間の無駄だ。私は貴様を認めない。いたずらに戦火を広げ、民を虐げ、勝ち目のない戦に家臣を巻き込む。己が矜持に拘り、王の責務を放棄した暗君になど失敗例程度しか学ぶべき事は無い」


「ふん、若造が粋がりおって。最近の若い者は年長者を敬う事を知らんようだな。まあ、貴様の言い分も分からなくはない。負けた王など愚劣以外の何者でもないのだからな。だが、矜持に拘らずして何が王か。

 覚えておくが良い若造。王は誰にも指図されず、頭を下げないから王なのだ。家臣や民に気を遣うなど王のする事では無い、どれだけ民を慈しんだところで、民が望むのは強い王だ。強いから他者に指図出来て、頭を下げさせた。強いから儂は矜持を持った王として振る舞えた」


 故に恥ずべき事など何もない。ドミニクは己の生涯、そして今この瞬間を悔いていない。勝てぬと分かっても、死ぬと分かっても、堂々と胸を張って自らの王道を若者達に示す。

 時代は老い先短い自分を選ばなかった。ならばせめて次の世を作る若者に自分の生きた証を教えておかねばなるまい。それが我が子や孫でもない敵なのは大いに不満だが、不思議と悪い気はしなかった。そこには戦いによって育まれた奇妙な親近感故の感情なのかもしれない。


「その結果が国の破滅なら、私はそれを否とする。貴方とは違う遣り方で民を導いてみせる。ホランド王よ、貴方が壊したリトニアを私は命ある限り造り直し、ホランド以上の良き国に育ててやる。死後の世界で見ているが良い」


「良いだろう、期待せずに見ていてやる。儂の王道を否定して造る世がどれほど価値があるのか、父祖たちとじっくりと見させてもらおう」


 エーリッヒ、そしてリトとの対峙にどこかしら満足したドミニクは右手を挙げ、後ろに控えていた残存兵に突撃の用意をさせる。

 それを横で見ていたアラタはエーリッヒに耳打ちする。それを聞いたエーリッヒはアラタの性根の悪さに呆れたが、それはそれで愉快だと思い、オリバーに命令を伝える。

 オリバーもその命令に眉を顰めるが、命令なので仕方が無いと、士官達に命令を下す。

 その命令が伝わったと同時に、ドミニクは手を振り下ろし、ホランド騎兵は正真正銘最後の突撃を敢行した。

 騎兵達はもう自分がこの後生きていると思っていない。一人の戦士として意地を見せ、上手く行けば一人でも良いからドナウ人を道連れにする、ただそれだけの為に千の騎兵はドミニクに率いられ、死神に等しい火砲の正面へと飛び込んでいく。

 不思議な事に砲撃は行われない。命を惜しまぬホランド戦士の心意気に臆したのか、目の前のドナウ兵達は棒立ちになり、自分達をただ茫然と眺めていた。

 ドミニクが残り10メートル、エーリッヒの喉元まで肉薄した時、突如地面が裂け、大地へと飲み込まれた。落ちてゆく中、何が起こったのかまるで分らず、ドミニクは呆然と正面のエーリッヒ達を見続けた。

 それに続くようにホランド騎兵は次々と奈落へと落ちてゆき、優に半数が落ちた所で火砲が火を噴き、残る騎兵全てを蹂躙し尽した。斉射の後、両の足で立っている者はドナウにしか居なかった。

 ドナウ陣地の正面には端から端まで幅5メートル近い穴が掘られていた。それも外側の堀よりずっと深い。それを木枠と布の上に土を被せて、今の今まで隠し通していた。防柵が破られた時の最後の備えとして用意してあり、どうせ最後だから活用しようとアラタは進言していた。実に下衆な発想である。

 何の備えもせずに数メートル下の穴に落ちて行った多くの騎兵は全身を強打、首の骨を折って死亡する者や後から落ちて来た者に押しつぶされて身動きが取れず圧死する。ドミニクも最初に落ちてしまったので、次々と降ってくる後続の下敷きとなって死亡した。

 四つの国を滅ぼし覇を唱えた不世出の王の最後としては甚だ不名誉だろうが、野望の犠牲となったリトから言わせれば、これでも民が受けた仕打ちの一割も屈辱を与えられなかったと、後日酒の席で本心を漏らしていた。



 兎も角、これでシズナ川の戦いはドナウの完勝となり、ホランドは躍進の原動力となった軍事力を完全に喪失した。さらには偉大な王ドミニクも倒れ、後はドナウ、ユゴス、レゴスの草刈り場となる未来だけが残された。

 後世の歴史書はドミニクを、過ぎた野心により国を滅ぼした愚王、ただの欲に狂った人面獣心の輩、あるいは見果てぬ夢を追い続けた夢追い人として、様々な解釈を添えられてドナウ帝国の歴史を取り扱う書物、物語性の高い戯曲の中に登場する。しかし、本当の事を正確に記した書物はどこにもない。彼の心を知るには本人か当時の人間に直接尋ねるしかない。

 歴史の真実とは、当時を生きた者の中にしか存在しないものだ。



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