第163話 英雄の時代の終焉



 ホランド騎兵が悉く火薬兵器の餌食となったドナウ陣正面、都合八度の斉射によって正面のホランド軍の動きは止まった。

 両翼は接近するホランド騎兵に遠距離から長弓兵が絶え間ない斉射を繰り返し、徐々にその数を減らしていく。脚竜では外側に向けて突き立てられた杭や土壁は乗り越えられない。後は騎兵も降りて進まなければならないが、重装備の兵士は地上では動きが鈍く、中々堀や壁を越えられない。中には軽装弓兵がギリギリまで近づいて矢を射掛け、少数だったがドナウの歩兵にも被害が出ていた。さらに脚竜に乗ったままでも弓を引ける達人が混じっており、ひたすら動き回って矢を回避ながら騎射を繰り返していた。

 しかしそんな両翼のホランド兵も空からの爆撃には何の対抗手段も持たなかった。動きの鈍い歩兵はナパームの炎で簡単に焼き殺され、軽装弓兵は直撃を避けても燃え広がる炎によって移動しながらの組織的斉射は難しく、時々まばらに矢を射掛ける程度だ。唯一効果的な攻撃手段を持つ騎乗弓兵も全体で数えれば五十人程度しかおらず被害は軽微だった。仮に壁を全て乗り越えても最前列には長槍兵が多数待機しており対策は万全。両翼は今の所問題は無かった。

 となると焦点はやはり正面になる。堀が何本か掘ってある程度で一切遮蔽物の無い開けた箇所だが、敵兵は近づく事さえままならない。何故か打ち込まれた丸太を通過しようとすると、どの場所も騎兵は壁にぶつかったように弾かれてしまう。その原因を探ろうとするも、近づけば雷の如き轟音の後に何かが飛来し、兵を脚竜共々肉片に変えてしまう。いくらホランドの士気が高くとも、八回も同じ事を繰り返せば慎重になる。無策で突っ込むほどホランドも馬鹿ではない。

 何か仕掛けがあると読んだ指揮官の一人が、脚竜から降りて地面に這いつくばって慎重に近づいて行く。途中で死んだ兵士の肉片や臓物の臭いに胃酸がこみ上げて来るが、無視して匍匐で丸太のある位置まで到達した。

 注意深く突き刺さる丸太を観察すると、何も無いはずの場所から血の滴が落ちて来る。よく見るとそこには金属光沢のある細い銅の棒が視界に入る。それも一本では無く何本も丸太に巻き付けられており、全ての丸太に繋がっていた。

 それも丸太の上部、騎兵の兵士だけが引っ掛かる高さに仕掛けられており、どうにか竜から降りて屈んで進めば通れるだろうが、騎兵はそのままでは通れない。


(随分といやらしい仕掛けをしてくれる)


 ドナウの性格の悪さに悪態を吐くが、タネが分かればやりようはある。要はこの金属棒を切るか、丸太を切り倒せば騎兵の突撃を阻む物は無いに等しい。


「丸太に金属棒が巻き付いている!!誰でもいいから手あたり次第に斧で切ってしまえ!!」


 その場で士官はあらん限りの声を張り上げ、障害物の排除を命じた。その声はドナウ、ホランド両陣営に届き、突破口が見つかり勢い付いたホランド側は斧を手に持つ兵士が百人ばかり突っ込んできた。それを見るからに狼狽しながら止めさせようと攻撃を命じるドナウ士官。ホランド指揮官の読み通り、銅の棒を切られては困るらしい。

 だが、指揮官の仕事もここまでだ。彼は近づく斧兵共々、火砲の斉射によって鉄片を全身に打ち込まれ絶命した。消えゆく意識の中、どうか祖国に勝利をもたらしてくれとドミニク王に願う。願いが聞き届けられるかはまだ分からない。



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 勢い付いて殺到するホランド軍にひたすらキャニスター弾を撃ち込んで肉片を量産するドナウ軍だったが、先程よりは心持余裕が無いように見える。士官が狼狽して兵士にそれが伝播したのだろう。それを中央部で見ていたリトは隣のアラタに拙いのではと小声で囁く。しかしアラタは軽く笑って、それは良かったと口にした。


「今のは砲兵部隊の芝居だからな。元々の予定では三列の内、一列目の防柵は壊されても構わないように伝えてある。その方がホランドもやる気になるからな」


「ふむ、ですが折角の騎兵を防ぐ柵が一つ無くなる事には変わりない。そうなったら困るのはこちらだ。あの火砲だって殺傷力は極めて高いでしょうが無敵ではない」


 騎兵突撃の打撃力をリトニア人の死で嫌と言うほど味わったリトにとって、ホランド騎兵が柵を破って陣内に飛び込んでくる危うさも孕んでいると指摘する。事実火砲の斉射に怯みもせず、脚竜を盾代わりに前に立たせて弾を防ぎ、足りなければそこかしこに横たわる戦友の死体を担いで盾にして、斧で次々と銅の棒を切断していく。

 棒と言っても視認しにくいように細く作っており、直径は小指の三分の一も無い太さだ。それに錫を少し混ぜて強度を確保しているが銅は比較的柔らかい金属であり、斧のような重量のある刃物なら容易に切断出来る。持ち運びや扱いやすさを重視した結果、壊れやすさも相応にある。

 本来なら敵の侵入を防ぐには有刺鉄線などの方が効果的だが、技術的に鉄は細く長く作るのが難しかった。不純物や炭素含有量の多い鋳鉄では使い物にならず、鍛造では作るのに時間が掛かるし、何十メートルも一本繋がった鉄棒は無理だと職人に断られた。それに比べて銅は融点も低く、加工が容易で途中で棒同士を繋げてもさほど強度は落ちない。代用品としては十分実用的だった。

 ただ、現状次々と切断されるのを見ると、本当にこれで良かったのかとリト以外にもドナウ兵士は不安そうにしていたが、その不安を吹き飛ばすかのように火砲が再度火を噴いて、斧持ちを始めホランド兵を殺戮して被害を最小限に留めた。


「古来から優れた砦や城塞はわざと弱点を一つ用意しておくそうだ。そこに敵が群がって攻撃を集中させやすいようにする処置らしい。ご覧の通り、目に見える希望を目の前にぶら下げたおかげでホランドも逃げずに群がってくれる。

 鉄壁の要塞相手ならホランドももう少し冷静になって仕切り直そうと考えるだろうが、今の奴等は目先の弱い箇所に目が眩んで勢いだけで突っ込んでくる。あんなものは自殺と大差が無い」


 アラタの冷笑交じりの解説にリトは、相変わらず人の心理を的確に読んで効率的に殺すのを躊躇わない人だと恐れと警戒、そして味方である事への安心感を抱く。正確にはこの戦術を考えついたのはアラタでは無く、その教え子の直轄軍士官達なのだが、どんな残虐な方法だろうが可能な限り効率的に敵を殺して味方の被害を最小限に抑えるという思想はしっかりと引き継がれており、事実上アラタと同質の思考をするようなってしまったので、リトの感情もまるっきり的外れではない。


「古来より戦場には英雄豪傑が数多く居た。軍という集団でもそこには必ず突出した個の力が強烈な光を放って、見る者聞く者を魅了し、人々は英雄譚に酔いしれた。

 だが、これからは違う。戦場から英雄譚や武勇伝が消え去り、無双の戦士は姿を消す。力も技も必要としない。ただ筒に弾と火薬を詰めて火を付ければ、一年訓練を積んだ雑兵が十年修練を積んだ熟練の戦士を片手間に殺す。

 個人の技量など歯牙にもかけず、ただひたすらに死を撒き散らす炎の時代の夜明けだ」


 アラタの言葉通り、砲兵は二年程度しか訓練を積んでいない。その経験の浅い兵士が柵で騎兵の足を止めさせて火砲で狙いを付ける必要も無く、ただ正面に撃ち続けて殺戮する。しかも相手は幼少より戦士として弛まぬ修練を重ねた歴戦の強者、それを失ったホランドの損失は計り知れない。

 リトは一方的に殺されるホランド兵に胸のすくような思いだったが、同時に憐れみと憤りも感じていた。こんな戦いとは呼べず、狩猟どころか遊びのように一方的に殺される獲物に、自分の国は滅ぼされたと思うと、言いようのない怒りと悲しみ、その感情が薄れて行く喪失感をどうしても飲み下せない。戦は楽に勝つのに越した事は無いが、どうしてもホランドに複雑な思いを抱いてしまう。



 そうしたリトの複雑な思いを他所に、ドナウとホランドの戦いは一つの目的が焦点になって推移していく。ホランドが銅棒の防柵を全て破壊してドナウ陣地に騎兵を送り込めば勝ち。反対にドナウが守り切るか、ホランドを全滅させればこの戦は勝ち。一応両翼への攻撃も続いているが、どちらかと言えば左右に注意を引き付けて正面への圧力を分散させる目的の方が強くなった。それでもドナウ側のほうが数は少ないので油断は出来ない。

 かと言ってホランドに余裕があるかと言われたら首を横に振るだろう。最前列の防柵は既に何か所も破壊されて次の柵を壊そうと躍起になっているが、途切れない砲撃によって手足や頭の無い戦友の死体が山のように量産されており、今度はその死体が邪魔で前に進めない。そうなると今度はその死体を即席の盾にして、柵の下を潜り抜けて接近をしようとする豪の者も現れて、事実全ての柵を通過した。それに触発されて後に続く者も増えるが、火砲により纏めて吹き飛ばされて攻めあぐんでいる。開戦から二時間で既に五千を超える死者を出し、負傷者はその倍だ。しかもその負傷者は手足をもがれた者かナパームの火で重度の火傷を負って治療不可能と判定された者が殆ど。実質、全軍の三割を失ったに等しい。

 だがそれでもホランドは止まらない。自分達も苦しいが、ドナウも余裕がある訳では無い。現に一列目の柵を壊されると抵抗が激しくなった。それは防柵が生命線だと誰よりもドナウが理解しているので、ホランドもそこに勝機を見出し、多大な犠牲を払っても攻め続けた。



 さらに一時間後、ホランドの死傷者は一万人増え、ドナウも死傷者が三百を数え始めた。多くはホランド弓兵による被害だが、中には火砲の撃ち過ぎで砲自体が破裂して負傷する者が何人かいる。そうした砲は砲兵込みで予備に三十門ほど用意してあるので、即座に交換し、戦線に穴を開けさせない。


「やはりまだ製造技術が未熟だな。青銅を鋳型に流し込んだだけでは耐久性に問題がある。出来れば鍛造した鋼鉄で造りたかったが、こればかりは技術が追い付いていないから仕方が無いか。

 戦が終わってひと段落着いたら、鋼鉄を量産出来る製鉄所の建造を進言するか」


 使用中にいきなり暴発して兵を負傷させるような危なっかしい兵器など御免被るとアラタは日頃から考えていたが、今のドナウの技術レベルではこの青銅砲が限界だった。

 だからと言ってこのままにするつもりもなく、どれだけ時間が掛かっても技術を引き上げるつもりだ。それに鉄は武器以外にも民間で今後も大量に使用する。鉄の農具などが今より安価に手に入れば穀物生産量も向上し、養える人口も必然的に伸びて行く。これから内政に力を振るドナウに絶対に必要になると考えていた。


「まだ戦が続いているというのに気の早い事ですね。まあ、ずっとドナウが優位に戦況を進めていますから分からなくも無いですが。確かに貴方の言う通り、ホランドは正面の弱い箇所にばかり注力して力攻めを止めません。上手く誘導されている事に気が付いていないのでしょうか?」


「さて、どうだろうな。そこまで考え無しが西方の覇権を獲ったとは思えないが。ただ、軍を半壊させてでも勝利を望む時点で賢明とは言えない。ここまで来たら上手く負ける事を模索してもおかしくないが、そうなると今度はホランドの民から忠誠を失い王座を追われる。

 武断派の王は常に強い王を民に見せつけねば民を従えさせられない。厄介な事だ」


 既に戦の後の内政の事を考えていたアラタをリトは気が早いと窘めるが、彼もこのままドナウの優位は揺るがないと楽観視している。既に五万の内半数を戦闘不能にしており、ドナウ側の疲労を差し引いても五万で出来なかった事が残りの二万五千で出来ると思えない。

 それは二人だけでなくドナウ全軍の総意であり、油断はしていないし攻撃の手を緩めてなどいないが、心のどこかでこの戦は自分達の勝ちだという空気が漂っていた。

 しかしその空気に冷や水を浴びせるような情報がもたらされる。その情報を持ち込んだのは上空より陣地に降りてきた一騎の翼竜兵。兵士はすぐに司令官オリバーを見つけ、焦る気持ちを抑えて可能な限り正確に報告をしようと息を整える。


「報告いたします!北よりホランド騎兵の一団が南下しております。その数は二千を超えており、奴らは既に川を渡ってリトニア側にいます!」


 その報告に幾人もの士官は浮足立つ。川を背にしたのは後ろからの攻撃を心配しなくていいようにする為だが、ホランドの用兵はその前提を覆す。川があるので直接騎兵突撃は無いだろうが、それでも矢は余裕で届くし、橋を抑えているリトニア人に襲い掛かられたら厄介だ。

 ホランドの乾坤一擲の策がドナウに襲い掛かる。


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