第150話 暗殺者の矜持



 代官の仕事も無事終わり、帰路に着く一行。明日には王都に入れるとなると、護衛達も気が緩んでいる。そもそもここはドナウ内部の王都周辺であり、軍の定期的な出入りによって野盗や狼のような肉食獣は殆ど駆逐されている。そのためユリアン達も早々危険な場面には出くわさないと知っているから、そこまで警戒をしていないのだ。

 現在は早めの昼食の為に手頃な森の側で足を止めていた。護衛達は獲物と薪集めに森に入っており、今アラタの側に居るのはガートだけだ。

 街道の主道から少し外れた人気のない場所、夕刻には村落で一泊する事を考えれば、今この瞬間がもっとも襲撃に適した機会。ハヴォムはそれを理解し、ゆっくりと目標へと近づく。

 二人はハヴォムに気付いていない。ハヴォムの歩く場所は見晴らしの良い草原だが、身を屈めまるで獣のように標的に近づき二人に己の存在を気取らせなかった。さらに常軌を逸した聴覚と嗅覚によって拾う情報から、周囲に人を潜ませているわけでも何か罠が仕掛けられているわけでもない。しかし慢心せず最大限警戒しつつ二人の元に近づいて行く。

 だが、20メートル程度まで距離を詰めた時点でアラタが気さくに話しかけてくる。感付かれた事に驚きつつも、ばれてしまっては身を隠す必要が無いので、立ち上がってそのまま二人の元へと近づき、さらに10メートル距離を縮めた。


「こうして会うのは二度目だな、暗殺者のハヴォム。何故陛下やエーリッヒ王子でもなく俺を狙うのかは分からないが、素直に殺されてやる程お人好しじゃないぞ」


「全て御存じだったのですか。ですがそれでも凶手の私をここまで近づかせたのは傲慢の極みと言えます。それとも何か対策でも立てているのですか?」


 自身の生業を知りつつ、なおかつ標的にされても穏やかに話しかける相手には今まで出会ったことが無いハヴォムは少々ペースを乱されるが、表面上は何事も無いように装って軽い挑発をする。

 それにアラタは何も答えず、代わりにガートが前へ進み出る。


「―――なるほど、お前は強いな。だが、私ほど強くない」


 それ以外の言葉は不要と、ガートはハヴォムを見据える。彼女はまだ構えも何も取っていないが、その身に闘気が満ちて行くのがアラタとハヴォムの肌の粟立ちに、はっきりと顕れていた。

 アラタは二人の邪魔にならないよう数メートル後ろへと下がる。しかし唯の観客になる気は無く、暗殺者への不意の攻撃に対処出来るように腰を低く屈めていつでも動けるように警戒はしていた。


「サピン人の女――――貴女が兵士が噂していた化物でしたか。これはまんまと罠に引っ掛かったのは私の失態ですね。

 確かに私以上の使い手を護衛に連れて歩けばその慢心も分からなくはない。そして盲いた私にもはっきりと貴女のおかしさが伝わってきます。貴女の体からは耐えられない程の死臭がして鼻がもげそうだ。これなら目など見えずとも貴女の位置がはっきりと分かる」


 ハヴォムもガートの強さを肌で感じ取り、自身がその強さに及ばないとはっきりと認識したにも関わらず、随分と落ち着いていた。

 さらに、普通の女性なら臭いと言われて怒りを覚えるだろうが、相手は数十人の兵士を挽肉に変える人型をしただけの怪物。そんな挑発は何の意味を成さないと言ってる本人すら分かっているだろう。彼のような淡々と標的を狩る凶手が自尊心を護る為だけに軽口を叩くようにはアラタは思えなかった。

 そう、ハヴォムは目など見えなくとも、と確かに口にしていた。そして彼が手に持った杖から黒刃を引き抜き、ガートが構えを取った瞬間、有り得ざる光景が相対するアラタとガートの視界へと飛び込んでくる。

 ―――そこは何も映らない暗黒の世界が広がっていた。

 現在は昼前、天気は雲はあるが晴天と言ってよく、精々森の木々の影がある程度。間違っても星明かりすらない無明の闇が眼前に広がる状況では無い。

 突然、視界が奪われたアラタはほんの数瞬だけ意識を状況把握に割いてしまい身体が硬直した。


(横に飛んで!!)


 そこにほぼラグ無しに電脳部位からドーラの警告が発せられ、反射的にアラタは右へ飛んだ。一秒後、アラタの立っていた場所を数本の短剣が通過して、数メートル先の地面に突き刺さった。さらにアラタが避けた先に一本同じ短剣が飛翔し、これにもアラタは地面を転がって避けた。

 ハヴォムは奇襲が躱されたのを舌打ちしつつも、目の前に迫る災厄の対処に追われる。視界を潰されたにもかかわらず、ガートはかなり正確にハヴォムを捉えて打撃を繰り出してくる。彼女にとっても五感の一つを縛られたのは痛いだろうが、それだけで成す術も無く殺される程、柔な鍛え方はしていないと行動で示していた。

 ドーラからこの現象は神術の行使によるものだとデータが送られてくる。プロジェクター機能に酷似したエリィとは異なり、感覚器官への強制的な介入、それもハヴォム自身の感覚とリンクさせられていると判明したが、今の所対抗手段の構築には至らない。しかし、アラタも突然視界が塞がれたのは驚いたが、状況を認識できればドーラから送られてくる観測データによってハヴォムの正確な位置は簡単に把握できる。こうなれば目が見えなくとも対処可能だが、ガートが戦っている以上は下手に手出ししないほうが良い。

 超一流の武芸者は視覚だけに頼らず、あらゆる感覚を使って相手の情報を手に入れようとする。聴覚であり嗅覚であり、極限まで感覚を高めれば肌の触覚から相手の殺気を敏感に感じ取る。そこに長年の経験と絶え間無い修練によって脳で考える事無く身体に染み込ませた動作を用いれば、例え視界を潰されたところで、条件反射を利用した動作によって敵対者を倒す事すら可能となる。

 だが、それは相手が格下だった場合に限る。ガートが西方最強の戦闘者なのは疑う余地は無いが、相対するハヴォムもホランドに並ぶ者の居ない程の使い手。ガートでも一手取り違えれば容易く命を奪われかねない強さを秘めている。さらに視界を潰された事によって正確に間合いが読み切れない不利が働き、現状両者の天秤を五分に揺らしている。

 重力を操る神術によって全身凶器と化したガートの猛攻を危なげなく躱しては、伸びきった手足を切り裂こうと剣を繰り出すが、空いた手足の一本があれば妨害するだけならそこまで難しく無く、破城鎚と同等以上の破壊力を持つ打撃を掠らせまいと、ハヴォムは大きく距離を離していた。

 一連の動きを把握しているアラタは何故ガートが剣を大げさに避け続けるのか不思議に思ったが、答えがドーラからすぐに示される。


(剣に毒が塗られている?先ほど投げた短剣も全て毒が塗ってあるのか。複数の動植物から摘出した成分を混ぜ合わせて武器に塗っておけば掠っただけで相手は死に至る、暗殺者の常套手段という訳か。

 ガートもそれに気付いているから紙一重で避けず、強引に剣を破壊しようとしない)


 多少傷を負っても重力を倍増した打撃なら武器破壊は可能だが、毒ではかすり傷でも致命傷になりかねない。ガートも攻めあぐんでおり、状況は良くも無ければ悪くも無い。だがガートはそれが何よりも楽しい。本来の実力通りなら既に相手は地に伏しているはずが、不利な条件下によって差は縮まり互角の戦いを強いられている。剣が掠っただけで死に至る緊張感が何よりも心地良く、自身の経験した戦いの中でも今回の戦いは三指に入る程、充実感を感じていた。

 反対にハヴォムは焦っていた。ガートが間合いに入ろうとすれば剣の一閃で妨害、あわよくば掠めさえすれば毒が回ってそれで勝てるのだが、それが随分と遠い。反撃に利き腕を掠める手刀に袖を破かれ、肉を斬られていない事に安堵しつつ、距離を保つ。ハヴォムにとってガートは只の邪魔者、本命はアラタの命。優先順位を違える訳にはいかないので、苛立ちつつも極力慎重に戦いを運ばねばならないが、こう何度も死の体現である暴風を躱し続けるのは神術の行使との併用と相まって、相当に神経を擦り減らす。

 元よりこれほど長引かされる予定では無かった。大抵の獲物は視界を突然奪われた状況に動揺して数秒は硬直する。そこに毒の短剣を数本放てばそれで事足りた。時折、反射的に避ける者もいるが、それでも追撃すれば確実に突き刺さり毒が回って死に至る。にも拘らず、今回の標的は視界を奪われながら二度も奇襲を回避した。こうなると偶然だけで避けたとは思えず、これ以上毒剣を投擲しても当たりはしない。それに投擲は動作の隙が大きいので、化物女に確実に捕捉されて挽肉に変わる未来が待っていた。

 このまま根競べになった場合、確実に自身の方が根を上げる。仮に二人の神術の行使に同等の負担が掛かる場合、自分が根負けしたら相手も神術を行使できないが、化物が視界を取り戻せば元の力量から負けるのは確実だ。

 膠着した戦況どうにかを打開しようと、死角から短剣で斬りつけようとするが、瞬時に見切られて迎撃の肘打ちで危うく手首を砕かれそうになり、回避しつつ体勢を崩さないように大きく後ろへ飛び、追撃を仕掛けてくる化け物に黒剣を突き出し牽制をかけて仕切りそうとするが、かえって苦し紛れの攻撃が隙を生んでしまう。

 単純に後ろへ飛び退くより前に進む方が早い事と、一瞬だが宙に浮いたために逃げ場が失われてしまった。そうなっては剣を躱されて無防備を晒してしまい、ガートの貫手をわき腹に喰らってしまった。

 咄嗟に身をよじって内臓の貫通は避けたが、動脈を引き裂かれてしまい大量出血をしながら数メートル吹き飛ばされ膝を着く。この時点で二人の視界が元に戻った。痛みと失血によって神術を行使出来なくなったのだろう。こうなっては勝敗は既に決したも同然だが、ハヴォムが完全に息絶えるまでガートは油断しない。

 動きを止めたハヴォムに向けて地面を蹴りつけると、十を超える小石が砲弾のような速度で飛翔し、咄嗟に左腕で庇った頭部以外の全身を蹂躙する。流石にこれには堪りかねたのか、剣を取り落とし倒れ伏した。


「これほど長く戦ったのは本当に久しぶりだ。ハヴォムだったか、お前の事は死ぬまで忘れない」


 ガートは短くも力強い賛辞の言葉を血塗れのハヴォムに送る。本人が虫の息なのは関係ない。これは彼女なりの強者への敬意であり、自身の戦いへのけじめのつもりなのだろう。戦いに満足し、止めを刺す気が無いガートはハヴォムから背を向ける。どの道このまま放置しても出血多量で死ぬのが分かっているアラタは遺言ぐらいは聞いてやるかと、反撃を警戒しつつも血の池に沈みつつある暗殺者へと近づく。


「遺言ぐらいなら聞いておくが、何か言い残す事はあるか?」


「――――ごほっごほ、そ、そなも、ない。あるじのめいを、は、はたせ、やくた、はじをのこさぬ」


 途切れ途切れで聞き取りにくいが、はっきりとアラタへ否定の言葉を投げつける。彼にとっては主人への忠義こそ全てであり、それ以外に生にしがみ付く理由が無いのだろう。西方が先天的な障害を抱える人間が生き辛い環境であり、そこから引き上げて貰えた恩が根底にあるのかもしれないと、アラタは自分なりに納得した。仮に尋問した所で碌に情報は持ってないだろうし、引き込んだドナウ貴族は既に分かっているので、これ以上話しても仕方ないと、転がっていた黒剣を主の心臓部に投擲して刺し貫いた。剣としては敵対者では無く主の命を奪うのは甚だ不本意だろうが、不用意に近づいて反撃されたくなかったのと、サバイバルナイフを使うより毒なら確実に止めをさせる故の選択だった。



 ハヴォムが絶命したのを確認したアラタは森から戻って来たユリアンたちに手伝ってもらい、死体を埋める穴を掘った。食材と薪集めから戻って来たら、いきなり剣の刺さった死体がある事に驚き、暗殺者だと説明すると護衛としての義務を果たせなかったと謝罪するが、どの道力量を考えると居ても無駄な犠牲を出すだけなので、居ない方が都合が良かった。ただし、それを馬鹿正直に告げると騎士達の自尊心を酷く傷付けるので黙っていたが。

 ハヴォムを埋めて最低限弔ってから手早く食事を済ませると、一行は移動を再開した。護衛騎士達はまだ納得していないが、アラタ自身が処罰しないと前もって確約しているので、表面上は何事も無いように振る舞っている。


(一つ心配事が片付いて気が楽になった。この調子でホランドの事も早々に片を付けておきたいが)


(暗殺者一人をおびき寄せて殺害するのとは規模が違います。ですが、ホランドもこのような非合法手段に頼る時点で相当追いつめられている証拠です。情勢はこちらに傾いていると言えます)


 ドーラはあくまで状況を冷静に分析して結論を出すので多くは否定的な見解を示す事が多いが、今回はややアラタに同意していた。物量に勝るホランドならば正攻法でもドナウを攻略するのは可能であり、仮に暗殺するにしても政変の期待出来る現王や王太子を最優先で狙うのが最も合理的判断である。それをせずにアラタを狙うというのはどうも感情的な思惑が混じっているように思える。ホランド王が国よりアラタ個人への悪感情を優先させるとなると、今後も判断を誤った行動が期待出来る。そう判断したドーラは今後はドナウが優位に立てると結論付けていた。

 自身より強い暗殺者を排除した成果に満足し、アラタは帰路を急ぐ。その腰には往路には無かった磨き上げられた杖を佩いていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る