第139話 正体不明の敵



 ドナウとユゴスの交易船が頻繁に通る北部に比べて、サピンが滅んだ西方の南西側の海は静かな物だった。

 ホランド人は海に価値を見出さない草原の民だったので船を重要視しない。という事は港町もそれに付随する湾港も大して価値を認めない。その為、征服地にあった港町もわざわざ全てを燃やす事は無いが、整備しようなどとは考えない。そうなると整備保全しない人工物など老朽化によって所々破損していくが、海に無理解なホランドが修繕の為の費用など捻出する訳もなく、かといって苛烈な税の取り立てに喘ぐ地元民だけでは修繕費を賄えない。それでもサピンとレゴスが交易船を出していた頃は、どこの港町にも船乗りからの金が降りて来るので、どうにか日々の糧を得つつ騙し騙し保全に努めてきたわけだが、サピンが滅んだ今、レゴスもあまり船を出さなくなった。一応、ドナウとレゴスが友好を結んでいるので、時々船は出ていても以前ほど多くは無く、減収は確実だった。となると税も割合的に少なくなるが、ホランド人の取り立て金額は変わらない。事情を説明しても、理解しているのかいないのかも分からず、ただ前と同じだけ税を出せとだけ脅し、無いと言えば腹を立てた男達が乱暴狼藉を働き、酷い場合は漁に使う漁船すら腹いせに燃やしてしまうので、自分達が食う魚すら満足に獲れず、住人は首を括るか街を捨てるなどして、多くの港町は荒れに荒れていた。



 この事を外務省から聞いたアラタは、ホランドは真面目に国家運営する気が無い、育てず略奪するだけの蛮族経済にひた走っていると、大いに呆れかえった。家畜に草を食わせて育てるか、草原で獲物を狩る生活をしていた彼等ホランド人からすれば、何の為に港を整備するのか、なぜこれだけ大規模な設備が必要になるのかが理解出来ないのだ。その無理解が無数の港町の衰退に繋がった事を考えると、反対にドナウにとって大きな利点となっていた。何故なら、ホランドが一切海に出てこないので、ドナウやユゴスは我が物顔で北の海を支配出来るからだ。



 そんな中、西側から五隻の船が元リトニアの港町に寄港した。西側となればドナウの船になるが、この五隻は何故かサピン製の軍艦だった。サピンがホランドに滅ぼされて、目敏い人間は早々に見切りを付けてレゴスに逃げ込んでいる。サピン海軍もそれに洩れず、多くはレゴスに逃げ込み、現在はレゴス海軍に編入されたと聞く。だからこそドナウ側からサピンの軍艦が来るのを港の人間は不審に思ったが、あまり詮索しすぎて久しぶりの上客を逃がしたくなかったのと、何となく黙っていた方がホランドが困るのではと、直感が働いたので、料金相応の仕事だけするのに留めていた。

 水と食糧を補給した軍艦を見送る港の男達は、乗組員の洩らした話や運ばれている中身から、これからホランドで何が起きるかをある程度知り、隠しておいた貴重な酒を杯に注いで打ち鳴らした。



      □□□□□□□□□



 ホランド南部の朝はいつも通り晴れていた。朝起きれば太陽が登り、家畜を食い荒らす狼を始めとした肉食獣も早々に諦め退散する、この大地で生きる者にとっては比較的安心出来る時間だった。

 貴重な時間を使い家畜に草を食ませ、糞を回収するのは子供の仕事だ。木々の少ない草原では薪は貴重品、煮炊きの燃料は家畜の乾かした糞を使っていた。あるいは断熱材として家の敷物の下に敷いておく。実に無駄が無い。

 女は家事に専念し、空いた時間は敷物や反物を織るのに費やされる。自分達で使用する物以外にも嫁入り道具として花嫁に持たせる物や、交易品として作っておく事もある。この織物は西方以外にも遠く離れた土地で高値で取引されるので、ホランド人にとって家畜ほどではないが、重要な交易品として機能している。特にホランドは金属が殆ど出土しない土地なので、金属製品を手に入れようとしたら、外部から材料を手に入れるしかない。狩りに必須の鏃や槍の穂先あるいは剣や鎧も、交易か征服した土地から仕入れた物が多かった。

 残る男衆はと言うと、狩りに出かけているか、脚竜の世話と武芸の鍛錬に時間を費やすのが殆どだった。広大な草原では自分達の身は自分達で守れる武力が無ければ、簡単に部族丸ごと滅びかねない。その為、ホランド人の男は誰もが幼少より武芸に打ち込む。この鍛錬期間の長さが西方随一のホランド軍の強さの一端を支えていた。

 狩りの獲物は多岐に渡り、肉と毛皮目的の鹿や兎に狐、害獣として狩られる狼や、矢羽欲しさに狩られる始祖鳥の仲間のミクロラプトルに似た羽毛恐竜も居る。狩りはホランド人にとって生活の手段と同時に最も手軽な軍事演習であり、生き物を殺す経験を積む絶好の機会だった。



 しかし、そのような訓練も当人がその場に居なければ全くの無意味でしかない。

 初めに気付いたのは二百頭近い羊を見張っていた牧羊犬だった。犬の嗅覚は人間の数千倍敏感だったので、風上にも関わらず遠方から流れて来る臭いに、吠え立てて危機を知らせようとしていた。それに気づいた部族の子供が、残っていた女性陣に何かがこちらにやって来る事を教える。

 ホランド人の多くは目が良い。視力の良さが広大な草原で生死を分ける事もあるからだ。その優れた視力を頼りに南へと視線を向けると、何かの塊が蠢いているのが辛うじて見えた。その塊は段々と大きくなってきており、自分達との距離を少しずつ詰めている。

 最初は自分達と同じように草を求めて移動する部族かと思ったが、何か様子がおかしいと女達は口々に漏らす。もしやこの辺りを巡回している軍の部隊かとも思ったが、それにしてはいつもと様子が違う。遠目に見ると装備がホランドの物とは違うのだ。だが、こんな国境から離れた内地に数百人もの野盗集団が居るとも考えにくい。



 そうこう手をこまねいている内に集団は部族を囲い込むように展開する。その数はおよそ二百人を超える大集団であり、それら全てが槍や弓で武装し、何台もの荷車を曳いていた。

 集団の中で特にホランド人の目を引いたのは、男達の晒した肌の色が二種類ある所だった。一方は自分達に近い白い肌の男達、もう一方は彼等に比べると浅黒く、この辺りでは見かけない容姿をしていた。年配の女性は、その身体的特徴はサピン人に多いと話ぐらいは聞いていたが、今この場においては何ら有益な情報では無い。


「あんたら、私達に何ぞ用があるのかね?見てのとおり、女子供ばかりじゃから、手荒な事はしてもらいたくないんじゃがのう」


 男達の留守を預かる、五十を過ぎた中年女性が突然やって来た武装集団に物怖じせずに話しかけるが、相手の方は特に気にした様子も無く、淡々とした様子で後ろに居る男達に何か指示していた。その命令を聞いた他の男達は女達を居ない者のように扱い、脚竜に乗った男達はすぐ近くで放牧されていた家畜へと次々に近づいて行く。

 流石にここまで来ると穏やかな用件ではないと理解した部族の者達は逃げようとしたが、武装した男達が武器をチラつかせて大人しくさせようとする。家畜の監視をしていた少年が男達を羊追いの木の棒で威嚇していたが、金属鎧で武装した屈強な男に簡単に取り押さえられてしまい、猿ぐつわを噛まされて腕を縛り上げられていた。

 主人を捕らえられた家畜達は何が起きているのか理解出来ず、そのまま暢気に草を食む個体も居たが、男達が囲い込んだ後に樽から液体を周囲に撒き始めると、その異臭からあちこちに逃げようとするも、逃げようとした羊は残らず槍で突いて殺してしまう。しかし脚竜だけは別なのか、羊たちとは離されて、男達に無理矢理連れていかれた。

 十分に液体を撒いた男はすぐさま離れて合図を送ると、別の場所で待機していた男が用意していた火矢を家畜の傍に射る。

 液体を撒いた場所は猛烈な勢いで炎を生み、瞬きする間に二百頭もの羊や山羊を囲い込んだ。黒煙と炎の壁に遮られ、家畜達は主人に助けを求めるかのように悲鳴を上げるが、それも無駄だった。撒いた液体はナパーム、水では消せないし、男達は折角点けた炎を消す事を許さない。


「や、やめておくれ!あれは私達の大事な家畜なんじゃ!家畜が無ければ私達は飢えて死ぬ!」


「はん、知らんな。貴様等ホランド人がどうなろうが知った事か」


 ここでようやく浅黒い肌の男の方が部族の女に視線を向けて言葉を投げつける。だが、それは何の温かみも感じない、すぐ傍で燃え盛っているナパームの炎の如き、苛烈で憎悪の煮詰まった物だった。当然、家畜を燃やすのを止めさせようとしている女性の言葉などに耳を傾ける気など一切無かった。中には弓を持ち出して射掛けようとした女性も居たが、すぐさま槍を投擲され、股下に突き刺さった槍を見て腰を抜かし、別の白い肌の男から『手間を取らせるな。次やったら殺す』と淡々とホランド語で告げられ、失禁して恐怖で動かなくなった。

 家畜の処分を済ませた男達が次に目を付けたのはホランド人のテントだった。こちらも家畜と同様に樽を抱えた男達が次々にナパームを掛けていた。それを見た女の中には見るからに狼狽えて喚き散らす。彼女はホランド語で、中に子供が居るから止めて、と懇願するが、男達は気にせずナパームを撒くものの、テントの中を一つ一つ調べて、見つけた赤ん坊は適当な女に押し付けている。



 そして全てのテントに火を付けて燃え上がるのを確認した男達は用が済んだとばかりに退散しようとする。それを憎悪を込めた目で睨み付け、女の一人が男達を罵倒する。


「この人でなしどもめ!!我々を嬲り者にするつもりか!」


 女の言葉に白い肌の男の一人が、彼女を上回る憎悪と侮蔑、あるいは嘲りの籠った視線を返すと、女は恐怖で怯む。


「何だここに居る全員で嬲り者にされた挙句、父親の分からない子を孕む方が好みだったか?だが、俺達は犬畜生を好き好んで抱く事などしないし、殺しも上から止められている。犯されたいなら他をあたれ」


 男のあまりの侮蔑にぽかんと口を開けて暫く放心していたが、意味を理解した女達は顔を紅潮させた。だが、武装した数百の男に敵うはずが無いので、必死で怒りを抑える。

 そんなホランド人の激情など知った事かと、男はさらに嘲る。


「はん、家と食い物が欲しければ王都にでも行って、お優しいドミニクにでもお慈悲を縋れよ。あの糞野郎はホランド人にはお優しいだろうからな。お前らが裸でケツを向ければ、食い物ぐらいは投げ寄越すかもしれないぞ。それを犬みたいに拾って食えよ。

 じゃあな、畜生共が!精々、上手くお情けを貰う事だな」


 最後に唾を吐いた男達は振り返る事すらせず去って行き、草原に残されたのは炭になるまで焼かれた家畜達と住居。そして、嗚咽に塗れた女達と泣き喚く子供達だけだった。

 狩りから帰って来た男達が、自分達の家の惨状を目の当たりにして憤り、すぐさま報復を主張したが、広大な草原を当ても無く探した所で見つかる保障も無く、財産兼食料の家畜が全滅したのをどうにかせねば、今日一日を生き抜く事すら出来ずに野垂れ死ぬ未来しか残されていない。

 とにかく今は生き残る事を最優先に行動するしかなく、皮肉な事に人間以外の全ての家財を焼き払った男達の吐き捨てた言葉通り、王の施しを受けるしか自分達が生き延びる術は無いと認め、手持ちの僅かな食糧を頼りに彼等は王都を目指す事になる。そして、この時を境にホランド南部で同様の事例が頻発し、ホランドはドナウとの抜き差しならぬ外交とユゴスとの戦いの傍ら、武装した略奪者への対応に追われる事となる。



      □□□□□□□□□



 そんなホランドの対応など素知らぬふりをして、ホランド南部の海岸線に停泊している五隻のガレー船に件の男達は物資を運び入れていた。多くは体格の良い脚竜だが、中には何十枚もの敷物や鹿や狐のような獣から剥ぎ取った毛皮、他にも金銀で装飾を施された剣や兜を抱えていた。これらは全てホランド人から巻き上げた戦利品だ。

 大量の財貨を見た船の水兵は、不愉快なホランド人に一泡吹かせられた証拠に喝采を挙げて、無事に戻って来た男達に労いの声を掛ける。


「ご苦労だった、見た所損失は無さそうだな。全員乗り込んだら、一旦レゴス側の港に停泊して兵糧の補給を行う。何か質問は?」


 船から降りて来た褐色肌の男が戦利品を運び入れる作業の指揮を執っていた壮年の男に労いと今後の予定を告げると、男は首を横に振って、特に問題無いとの仕草をする。だが、壮年の男は何かが不満そうにぼやく。


「ひと思いにホランド人を殺せないのが腹立たしいな。お預けを喰らったみたいで疲れるよ。本当は奴等を嬲り殺しにして、死体を杭で突き立てて晒してやりたい気分だ。アルニアで奴らが俺の家族にしたみたいにな」


「その気持ちは私もよく理解出来るが、支援者からの命令は『殺すな、犯すな』だ。その方がホランドにとっては負担が増えるのと、やり過ぎるとホランドも是が非でも我々を探し出して殺そうとするからな。我々の今後の活動にも影響が出るから嫌がらせ程度で良いんだ」


 文句を言う男に、彼より十歳は年上の褐色の男が宥めすかすような言葉を掛ける。しかし、宥める本人も少し甘い気がすると内心では感じていたが、支援してくれる相手の考えも理解出来るので判断が難しい所だ。感情面ではもっとホランド人を痛めつけてやりたいが、部下の命を預かる指揮官としては出来る限り危険は避けたかった。


「分かってるよ。まあ、あの畜生共の泣き喚く姿で少しは気分も晴れた。だから、ドナウの命令にはこれからも従うさ。このまま暫くホランド南部を荒らし回ってやるよ」


「出来れば私も君と同様に略奪に参加して憂さ晴らしをしたい物だが、残念ながら船を預かる身としては気軽に陸に上がれぬ身だからな。次も我々サピン海軍の分までホランドを困らせてやってくれ」


 分かってるよと壮年の男は請け負う。

 しばらくして全ての人間が乗り込んだと報告を受けた二人は船に乗り込み陸から離れる。彼等五隻の船が船首を向けるのは東。目的地はレゴスだった。


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