第120話 ガサ入れ



 ドナウを含めた西方の国の主要都市には歓楽街が付き物である。庶民向けの安い酒場から貴族御用達の高級賭場まで、人の様々な欲望を満たす為の供給源を有していた。特に娼館はどこの街でも置かれており、人類最古の職業として長い歴史を刻んできた。

 娼館と一口で言っても中身は千差万別。男女関係なく、幅広い年齢の従業員が客の欲望を満たそうと、文字通り身体を使って糧を得ている。それこそ最年少では7歳の男児が客の妙齢の女性に甘える店が、最年長では60を超えた老婆が自分の孫より若い少年に弄ばれるという、良く分からない需要を満たす場を提供し続けていた。

 悪辣な店では、それこそ金さえあれば何でもしていいと割り切った店もあり、客の相手をした従業員が死亡しても割増料金を店に納めれば、何とかなってしまうような、殺人すら金儲けにする店もごく一部では成り立っていた。そうした店の従業員は大抵親から口減らしに売られた子供か、債務者として借金の返済を盾に働いているので文句を言える立場では無かった。



 ドナウ王都フィルモアにも数多くの娼館が軒を連ねており、その中で最も大きく瀟洒な娼館≪宝玉≫は下手な貴族の屋敷より格式高い。この娼館は客を選ぶ事で有名であり、大領地の領主一族や、国内指折りの大商人でもなければ、それこそ立ち入る事すら断られる程の厳しさだった。勿論店で働く娼婦達も、一流の美貌と教養を兼ね備えた才女を取り揃えており、如何に男を楽しませるかを追求した、一種の特殊技能者に近い。

 外観同様に内装も上品な作りかつ、調度品も全て一流の職人の手による品で埋め尽くされ、維持費だけでも莫大な金額が掛かっているのが見て取れた。ホランド産の敷物が敷き詰められ、ドナウ産のガラス細工に埋め尽くされ、さらにサピン式の装飾品を部屋の隅々にまで使っており、大貴族でもここまで手を掛けないのではと、呆気にとられる程に贅を凝らした造りだった。

 そんな超高級娼館の一室で異様な光景が展開されていた。五人の男達が全身を縄で縛られており、さらに男達の対面には別の五人の男達が困惑した様子で立ち尽くしている。

 男娼は西方では珍しい職業では無い。男女共に男娼を買って、一夜を共にする事はよくある事だ。場合によっては複数の男娼を一度に買っての乱交もあるし、縄を使った緊縛行為も一定数の需要はある。だが、この娼館では男娼は取り扱ってもいないし、縄で縛られているのはこの店の男娼でも客でも無かった。

 さらにもう一人、入り口をふさぐように仁王立ちする若い男がいる。彼は部屋に居る十名を只々、つまらないものを見るかの様な醒め切った視線で観ており、事実彼等を路傍の雑草か石ころ程度の価値しか見出していなかった。


「皆さん、見覚えのある顔があるでしょう?今更シラを切った所で時間の無駄ですから用件だけ伝えます。

 お前等は売国奴として処分対象になった。今夜この店で楽しんだのは、贖罪の前のせめてもの慈悲だと思え。以上だ、理解したな」


 慈悲の欠片も無い青年の宣告に、ある者は呆然自失としており、またある者は必死で弁明しようと知恵を巡らせ、ある者はその場から逃げ出そうと、扉の前の青年に向かって腰に差した短剣を向けようとしたが、鞘から抜く前に距離を詰めた青年に蹴りを繰り出され、腕を蹴り砕かれて悶絶している。


「レ、レオーネ…貴様!」


「ふん、貴族なら最後ぐらい潔くしていろ。どの道お前達がここから逃げた所で帰る場所なんぞドナウのどこにも無い。それにお前達の背信行為は陛下もとうに知っている。

 もう一度言う、潔く罪を受け入れろ」


 アラタは這いつくばって痛みに呻く貴族の一人を見下ろしながら、面倒な仕事を増やすなとでも言いたげな視線を向ける。既にこの娼館はリトの命令で、貧民街の自警団がそれとなく囲っているから、例えこの館から外に出た所で簡単に捕まってしまう。袋のネズミとはこうした状況をさした言葉だった。

 このような場面になったのを説明するには、数日前まで時間を遡らねばならない。



      □□□□□□□□□



 まだ夜の空けていない冬の早朝、一日の中でも最も寒い時間帯。

 王都フィルモアの貧民街にあばら家が軒を連ねているが、その中で比較的大きな一軒をリトは住処としている。貧民に身をやつしているとはいえ、元リトニア王族の彼にとっては耐え難い屈辱と言えるのだが、本人はこの隙間風の入り込むボロ屋にそれなりの愛着を持っていた。

 そんなボロい家の主は一人の客人の相手をしていた。リトの上司にあたるアラタだ。彼は現在仕事用の貴族装束ではなく、あまり目立たない平装で来ている。そして彼は現在、目に見えて不機嫌だった。

 本来は配下であるリトの方が城へと出向くのが筋だが、今回は故あって自分で足を運んだのだという。リトが思うに、余人に聞かれたくない話、それもこの鉄のような精神の男を不快にさせる事態があったのだろう。


「朝早くに訪ねて来てすまないが、緊急の仕事を手伝ってもらいたい」


 目の前の男とは約二年の付き合いになるが、急な仕事はそこまで珍しくは無い。と言ってもあまり準備や人の手の掛からない仕事なので、そこまで無茶には感じていないのだが、今回はどうやら様子が違うらしい。特に周りの住民が起き出す夜明け前に単身やって来るなど初めての事だった。

 リト自身も寝ている所を叩き起こされて、今も少し眠気が残ったままアラタの話を聞いている。


「この街にホランド人が拠点を作っているのは知っているだろうが、そこを占拠して中の人間を確保したい。その為の人をすぐに用意してくれ」


「随分急な話ですね。確かに街の北の一角にホランド人が情報収集の拠点を設けているのは知っていますが、いきなり武力行使とは穏やかな話では無いですね。それも、今すぐとは余程の困り事ですか?」


「その通り。昨晩ホランド人に金を握らされた貴族の何人かが、軍の重要情報を売り渡した。どこまで売り渡したかは言えないが、すぐにでもホランド人を確保するなり殺すなりして、口を塞がないと厄介な事になる。そいつらはまだ昨日の酒が抜けずに隠れ家で寝ているはずだ。そこを今から抑える」


 リトはアラタの言葉に寝ぼけていた頭の眠気が完全に吹っ飛び、どうにか彼の言葉を理解しようと苦心する。

 まず第一に、人員を用意する事。まだ夜明け前だが、自警団は交代制で夜も見回りをしているので、起きている者もそれなりにいる為、それは何とかなる。

 第二に貴族が金で国の重要情報を敵国人に売り渡したという事。元王族であるリトも、その危険性は理解出来る。アラタがこれほど焦っているのも無理のない事だ。酒や女を抱いて、うっかり情報を喋ってしまうのはよくある事だが、以前からアラタが軍士官や官僚達に防止の為の指導している事から最近は大分減ってきている。しかし、今回の件はそれを嘲笑うかのような事態だと思った。

 そして最後は、その情報をどうやって手に入れたかだ。情報収集には様々な業種の人間を国内外問わず送り込んで仕事にあたらせているが、その膝元である王都で現場責任者の自分より早く情報を手に入れるとは、どんな手妻を使ったのやら。目の前で苛立ちを隠そうともしない上司の引き出しの多さに怖さを感じたが、今はそれを脇に置いておく。


「すぐに動かせる人員は十人程度ですね。武装は小剣や棍棒に木楯ぐらいしか用意出来ませんが、相手は寝起きですから何とかなるでしょう。こちらから出向いて話をつけますが、御同行願えますか?」


「分かった、今回は時間が肝だからな。それから制圧には俺も参加しよう。

 あと監禁場所の確保も頼む、そこに機密を漏らした貴族と、以前から民生品などの情報を漏らした別の貴族達もおびき出して、ホランド人と対面させて自分達が何をしでかしたのかを自覚させねばならん」


 怒りすら滲ませるアラタに、リトはまあ怒るのは当然だろうと内心同調していた。人間誰しも自分の仕事を虚仮にされたら不愉快だろうし、本来余所者のアラタが、毎日懸命にドナウを守ろうと知恵と労力を絞っているというのに、肝心のドナウ貴族が私欲の為に、最大の敵国であるホランドに情報を売り渡すなど許せるものではない。貴族達の処遇は王に委ねる事になるだろうが、まずは自分達の罪を自覚させることから始めねばなるまい。



 話をまとめた二人は、間髪入れずに貧民街の自警団の詰め所に出向き、事情を説明して人員を借り受けて、ホランド人が拠点に使っている建物付近へとやって来た。建物自体は貧民街では特別珍しくない、あばら家の一軒家だ。二階も無く、大の男が五~六人住むには手狭だろうが、ホランド人が住居を長期間借りようとすると断られる事も多く、色々と妥協せねばならなかったのだろう。

 自警団の人間はどこを見ても荒くれ者といった厳つい風体で、暴力を糧にして生きているのが素人目にも理解出来た。この街では目に見える形で相手を威嚇するのが、無用な争いを避ける手段でもあるのだろう。

 そんな集団の中で小奇麗なアラタとリトは若干浮いていたが、思ったよりも溶け込んでいる。アラタは元軍人として暴力装置の生涯を生きて来たのだから納得出来るし、リトも祖国が滅びてから身一つで生き抜いて、力が物を言うこの街の頭目に収まったのだから弱い筈が無い。


「では手順を説明する。これだけ集まってもらって悪いが、これから踏み込む場所は狭いので、突入するのは俺を含めて三人とする。さらに三人は扉と窓を大槌で破壊する役目。残りは周囲を警戒して、逃げ出す者や怪しい動きをする者を捕らえてくれ。そちらの指揮はリトに任せていいか?」


「それは構いませんが貴方自ら危険を冒さずとも良いのでは?まあ、夜が明けてすぐですから、まだ相手も寝ている可能性は高いのでしょうが」


 元軍人だろうが現在は国王の娘婿という重要人物にも拘らず、率先して荒事に飛び込んでいく上司を危ぶみはしたが、その行動力が却って自警団員には受けが良かった。


「俺が正面から扉を破って侵入する。残りの二人は反対側の窓板を壊して侵入、中の人間を確保してくれ。色々と情報を得たいので殺しは最小限に留める事。取り敢えず動けなくすればそれでいい」


 アラタは団員の中から比較的小柄で身の軽そうな二人を選び、窓からの侵入班に割り振る。酒が入って眠りこけている相手などアラタ一人でも事足りるが、今後の教訓や鎮圧部隊の運用経験も必要だと判断し、協力してもらうことにした。

 団員が周囲を封鎖と警戒するのを確認したアラタは、傍で木槌を装備した男に扉の破壊を命じる。屈強な肉体を持つ団員は、木槌をおおきく振りかぶり、扉に叩き付けると、元からガタが来ていた扉は簡単に粉砕し、役目を放棄した。その轟音を合図に反対側の窓板も同様に破壊されて、アラタと二人の別同隊はホランド人の隠れ家に容易く侵入した。

 ―――結果、三人は隠れ家で寝ぼけていた五人のホランド人を大した抵抗も受けずに確保して、生きたまま各人を袋に詰めて運びやすいように工夫していた。彼等の保管場所には情報を漏らした貴族達を招き入れる場所にも利用する高級娼館が選ばれた。



 自警団にホランド人を娼館に送らせた後、アラタとリトは占拠した家屋を簡単に調べていた。生活感はそれなりにあり、食糧の備蓄や使用済みの衣服などが散乱している。

 二人で手分けして物色していると、所々にホランド人達の身分証明となりそうな所持品が見つかり、後で真偽を精査する為に確保しておく。他にも家具に隠して、斧や手槍などが見つかり、万が一の備えもしてあったのが異国で活動する者の警戒心の顕れだと判断出来る。

 それ以外にも壁に備え付けられていた棚に目を付けたアラタは、引き出しを全て取り外して、引き出しをひっくり返して床に中の小物をぶちまける。多くは生活用品や小銭だったが、問題はそこでは無い。ひっくり返した引き出しを強めに叩くと、薄い木板が外れて何枚かの書面と地図が出てきた。しかも最近市場に出回っている麻紙だ。


「二重底ですか、思っていたより手が込んでいますね」


 こんな仕掛けは普通の家具には付いていないし、大工に作ってもらったら怪しまれるだろうから、恐らくは自前で加工したのだろう。

 リトも王族として生まれた以上は、こういった仕掛けを見る機会はそれなりにあり、自身の家屋にも似たような仕掛けは施してあるが、すぐに当たりを引いた上司の観察眼には恐れ入った。


「―――――地図の方は王都の外の墓地だな。名前が書いてあるから、後で墓を調べるか奴らを尋問して吐かせよう。こっちの書類はホランド本国への報告書だな、ここ一月のドナウの出来事や調べた情報が書き記されている。

 報告する相手はカーレル=メテルカ。バルトロメイ王子かと思っていたが宰相の方か。それが分かっただけでも収穫は大きいな。

 軍の動きや竜レースの事まで載っているし、情報提供をしたドナウ貴族の名もある。全員官僚だが、同時に各地方領の一族でもある奴等だ。バレても家の力でどうにかなると甘く見ているな」


 こうした物証があれば人を動かすのにも色々と面倒が少なくて楽だと語る。アラタの場合、観測機器によって盗聴盗撮し放題だが、その場合証拠となる者が何も無いので、人を動かす理由作りにはそれなりに苦労しているが、今回の様に少し強引でも人を動かして、背信行為の証拠を手に入れてしまえば多少の妖しさは成果で隠せてしまう。尤も、それでも怪しむ人間は一定数居るわけだが。

 ある程度収穫は見込めたので、今後の段取りを軽く話し合い、二人は隠れ家を出る。リトの方はホランド人の監視に、アラタはこれから証拠をルーカスとカリウスに見せて、関わっている貴族達を捕縛する許可を貰いに城へと向かう事になり、それぞれが仕事の為にその場で別れた。



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