第114話 理解者



 ロベルタ、クロエ、ラケルがレオーネ家に来てから三日が過ぎた。

 4歳のラケルは相変わらず状況をあまり理解しておらず、遊んでは疲れて眠っていた。彼女が一番興味を持ったのが妊婦のマリアで、よく膝の上に座って大きなお腹を撫でている。あと数日もすれば子供が生まれると聞くと、『じゃあラケルはおねえちゃんだね』と無邪気に笑顔を振りまいており、マリアに頭を撫でられて気を良くしていた。

 それとは別にラケルが一番懐いていた相手がアンナだ。ラケルの髪の色はサピン人の中では珍しく赤髪で母親からの遺伝でもある。その為、髪の色が同じアンナの事を『かあさまみたい』と言って、ちょこちょこと後を付いて回るのが、ここ最近の屋敷の名物となっている。そしてアンナが冗談で『お母さんって呼んでもいいのよ』とラケルに言うと、何の躊躇もせず『アンナかあさま』と呼んで、彼女を恍惚とさせてしまう。それ以来二人は疑似的な母子関係を続けていた。

 そんなラケルを少し寂しそうに見ながらも、手が掛からなくなって少しほっとしていた最年長のロベルタは、ドナウ王家の客人と言う不安定な立場からの脱却を考えて、手始めに人脈を広げようと行動を起こしていた。手元にある祖父から託された物を使えば、充分実現可能ではあるものの、それを有効に使える立場であり誠実な人間を見つける事こそ第一歩と考え、彼女は様々な貴族や王族の情報をマリアやアンナに尋ねて貴族の物色をしていた。

 そして7歳のクロエは、屋敷に来てからも毎日泣き続けていた。王都に来てからロベルタやラケルの居ない所で、よく泣いているのを城の使用人達が目撃しており、それがカリウスの耳に入ったので、どうにかしてくれとアラタに預けられたのだが、両親に二度と会えないという絶望が根底にある以上、大きな変化はない。

 僅かばかり状態が好転しているのは、閉鎖的な城から出て屋敷に移った事と、マリアやアンナがそれとなく気を遣っている事、ドナウ人ではないセシルとローザと交流を持った事が挙げられる。

 サピンを滅ぼしたホランドではないにしてもドナウとサピンは仲が悪い。それを何度も周囲から聞かされていたクロエにとってドナウは居心地の良い国では無い。その為、ドナウ人にも精神的に一歩引いた考えを持っていた。だが、プラニア人のセシルとローザにはそれがなく、比較的歳も近い事もあり、幾らか心を開いていた。



 この事実に気づいたアラタは、ここが突破口となり得ると判断し、夕食後に三人に明日の予定を伝える。


「はあ、孤児院へ外出ですか?私達は構いませんが、どのような意図があっての行動でしょう?」


 ロベルタは唐突にアラタが自分達を下町にある孤児院に連れて行くと言い出したのを不審に感じて理由を問いただす。彼女自身はサピンに居た時に一族が出資していた孤児院を何度か視察した事があるが、サピン人の自分達がドナウの孤児院を訪れるのに何の意味があるのかが、良く分からない。


「そこまで大きな意味は無いかな。あまり屋敷に籠ってばかりだと気分が沈む、だから同じ年頃の子供と触れ合うのも、いい機会だと思ってね。あそこはドナウの中にあってドナウでない、かなり特異な環境の中にあるから、一つの勉強のようなものだよ。無理強いはしないが、出来れば俺の顔を立てて付き合ってくれると嬉しい」


 強制ではないが、出来れば付いて来てほしいと言われると居候の身のロベルタは断り難い。この三日間で目の前の男がどのような人となりをしているのかはある程度把握しており、庇護者として多少は信頼していたので、疑問に感じても要求は受け入れた。


「ラケルたちもおでかけ?アンナかあさまもいくの?」


「そうだよ、明日は沢山ラケルのような子供のいる場所にお出かけだよ。沢山遊んで、沢山お友達をつくるんだ」


「おともだち!?ラケルいっぱいおともだちつくるね!」


 衣食住に困らなくとも、同世代との触れ合いに少々餓えていたラケルは、アラタの提案に興奮し、アンナの膝の上で元気よく手を挙げて快諾する。

 二人の従姉妹の様子から、一人屋敷に取り残されるぐらいなら、気乗りしなくとも一緒に行動したほうが安心出来ると考えたクロエもこの提案に消極的ながら賛成して、明日の外出を承諾した。



      □□□□□□□□□



 翌日、予定通りアラタとアンナ、そしてサピンの三人は下町の外国人用孤児院へとやって来た。出産を控えたマリアには自重してもらい、留守番をしてもらっている。

 ロベルタはこうした孤児院への視察は何度か経験があるので珍しくも無かったが、他の二人は初めて訪れる施設に強弱の違いはあるが興味を抱いていた。

 現在は授業の合間の休み時間だったので、子供達は外で元気に遊び回っていた。冬の寒空だったが、子供にはそんな寒さも関係ないのはどこも共通らしい。

 アラタやアンナの姿に気づいた子供達が彼等の周囲にどんどん駆け寄り、ちょっとした人だかりが出来ると、サピンの娘達は身構える。


「みんな、元気に過ごしてるか、病気とかになってないな?冬は寒いが勉強も遊びも、元気にするんだぞ」


「「「はーい!!」」」


 孤児達がアラタ達にそれぞれ、引き算が出来るようになっただの、複数の国の言語で自分の名前が書けるようになったと、自慢げに話していた。他にも女の子は美味しくお茶を淹れれる様になったり、綺麗な刺繍を作れるようになったと芸事が上達した事をアンナに報告していた。

 そして、子供達は見慣れない三人について、新しい子かと尋ねると、首を横に振り否定する。


「こっちの三人は今日は遊びに来ただけだよ。これからもこっちに来るかもしれないから、仲良くしてくれ。じゃあ、三人ともちょっとみんなと遊んでくるといい」


 アラタは三人に多くは語らず、ただ孤児達と遊んできなさいとだけ言って送り出した。三人のうちラケルは真っ先に男女関係なく同じ年頃の子達と土遊びをしに走って行った。ロベルタは少々歳が離れていたので、それより年下の子に遊んで欲しいとせがまれて、手を引っ張られて引き摺られていった。あの様子では年少組の良い玩具として扱われるだろう。

 最後に残ったクロエは、不安そうに子供達やアラタ達を見まわすが、


「クロエ、今だけは頭をからっぽにして身体を動かしなさい。何も考えず、ただ自分が楽しいと思うように遊ぶといい」


 それだけ言うと、別の子供達が気後れするクロエの両手を引っ張って行き、残されたアラタとアンナは互いを見合わせ、子供の行動力に苦笑する。



 あとの事は子供達に任せておけばいいと、二人は職員室を訪れると、職員以外によく見た顔が居た。


「あら、アンナにアラタさん、こんにちは。今日はサピンから来た子達を連れて来たんですって?」


「こんにちはお婆様、みなさんもお仕事お疲れ様です。あの娘達、色々と抱え込んでいますから、アラタ様が気分転換に連れて来たんです。早速子供達に引っ張られて遊んでいますよ」


 教師として時々孤児達に教鞭を振るっているアンナの祖母のリザが二人を出迎える。


「ご無沙汰しています、リザおばあさん。子供は子供と遊ばせておくのが一番の精神安定剤になりますから。特にここは表向き諸々のしがらみとは無縁ですので。

 それから、いつも感謝しています。孤児に勉学を教えようと願い出てくれる人間は希少ですから、貴女のような方がいると助かります」


 彼女は年寄りの手慰みだと言って謙遜しているが、碌に作法を知らない孤児に長時間付き合える我慢強い人間は希少だ。特に複数言語を操れるのも非常に大きな強みである。


「良いのよ、どうせ屋敷に居ても日向ぼっこしているだけだから。子供達に元気を分けてもらっているようで、私の方こそ助かっているわ」


 付き合うのも大変ですけどね、と小声で笑いかけるのを見たアラタは、以前アンナに膝枕してもらっていた時に、似たような会話をしたなあ、と思い出し、不思議な所で祖母と孫娘が繋がっていると感じた。

 子供達を遊ばせている間、アンナは決裁が必要な書類に目を通している。マリアが妊娠してからは大事を取ってあまり孤児院へ来ていないので、ほぼ仕事を代行している状態だ。その為、前に比べると自ら教鞭を執る事は減り、こうした書類仕事や名義貸しが多くなっていた。



 もう一人の責任者であるアラタは邪魔にならない様にリザと世間話をしていた。ここにいる残りの職員も諜報部の意向によって働いているので、その長であるアラタに仕事の報告もあるのだが断られていた。曰く、


「その仕事は部下に任せているので、それを飛び越えて報告を受ける訳にはいかない。それに問題があれば聞くが、緊急性の無い内容なら仕事の手順は守るべきだ」


 杓子定規と思われがちな言葉だが、上司であれ何であれ人の仕事の領分を無断で侵害するのは、誰しも気持ちの良い事ではない。せめて当人が納得しているか、余程の緊急懸案であれば違っただろうが、今はその時ではないので、自分で淹れた茶を飲んで座っていた。尤も、偉い人間が職場で寛いでいるのだから職員の胃はキリキリと痛みを訴えていたわけだが。

 アラタと対面で座っていたリザが、在りし日の思い出を辿るように遠い目をしながらサピンへの思いを語り出す。


「もう三十年も前かしら、夫に連れられてサピンに滞在した事があったけど、あの頃は毎日がピリピリして、居心地も悪かったわ。ちょっとした海での諍いから戦争になって、それが終わってすぐ和平交渉のために何か月も滞在したのよ。決してドナウとサピンは仲が良いとは言えない間柄だったけど、これからはもう戦う事すら出来ないのね」


「あの三人のように弱い者が親も国も失うのは悲しい事ですが、彼等が自ら選び取った道ですのでこればかりは仕方の無い事です。ドナウとしては他山の石として扱い、我々が滅びないよう手を尽くす他ありません」


 アラタの言葉は非常にドライであり、情の入り込む余地のないものだった。だが、それが国政に携わる者の共通意識でもある。この場に居る者は全員それが理解出来たので否定しなかった。


「所であの子達は大丈夫でしょうか?御両親を始め、一族の方々や親しい方を殆ど失っていますから、同じ境遇の子達と触れ合って、少しでも気を紛らわせれば良いのですが」


 アンナがここ数日、自分の事を母と慕ってくれるラケルを始めとした三人の少女達の心の安らぎを願っていた。彼女もアラタが何故ここに三人を連れて来たのか、その意図を凡そ理解している。親を失った孤児のメンタルケアには、同じ境遇の孤児に引き合わせて、自分達の心を理解してくれる者が居ると思わせる必要がある。

 尤もアラタからすればそんな物は一時的な痛み止めに過ぎないとも思っており、根本的な解決には至らないと、他ならぬ自分自身の実体験から理解していた。

 人は誰しも別れを経験して生きている。親兄弟ともいずれ別れて一人で生きて行かねばならない。それが死であり、自らの伴侶や家族を見つけて離れるかはそれぞれの都合だが、どこかで折り合いを付ける必要がある。それは誰でもない自分自身の意志で行うものであるとアラタは考えていた。


「彼女達の歳で両親と決別する事は容易ではないだろうが、先人として手助けぐらいはするよ。ただまあ、最後はどのような形であれ自分で折り合いを付けてもらわないと困るんだが」


「そうね、私も主人もそうして色々な人と別れを済ませて生きてきたわ。いずれは私達のような老人も父祖の下へ旅立って行くでしょう。アンナもアラタさんも、その時は悲しまずに笑って送り出してね」


 なかなか難しい事を二人に願うが、送り出される方は悲しみの中で旅立って行くより、笑顔で死後の世界へと向かいたいのだろう。一応承諾はしたが、アラタは兎も角、実の孫のアンナには難しそうである。



 二人は暫く雑談と仕事を続けると子供達の授業の時間となったので、お暇する事になり、三人を迎えに行くことにした。

 三人はそれぞれ仲良くなった孤児達との別れを残念そうにしていたが、またいつでも来れるとアラタが慰めると、ラケルとクロエは絶対だよと、念を押していた。

 特に三人の中でクロエが一番楽しかったと、ドナウに来て初めての笑顔を見せており、アラタの目論見は一応の成功と言えたのだった。


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