第111話 希望と絶望



「突然だが今日は祝杯を挙げさせてもらいたい」


 アラタとウォラフとエーリッヒの三人は昼食を摂る為にいつもの部屋に集まっていたが、エーリッヒが普段と異なり非常にハイテンションで酒を飲み交わしたいと二人に迫って来た。


「それは構いませんが、今日は何か良い事が有ったんですか?」


 ウォラフが首を傾げてエーリッヒの変貌に若干、困惑している。ただ、顔を見るに良い事が有ったのは確かなので、酒の相手はするつもりだった。

 対してアラタは色々と情報を集める道具に事欠かないこともあって、表情だけは不思議そうにしながらも内心は、喜ぶのも当然かと冷静に受け止めていた。


「わははは、実はね――――オレーシャに子が出来たかもしれないんだ」


 それがもう嬉しくて嬉しくて、と心から嬉しそうに笑うエーリッヒに、アラタとウォラフは社交辞令無しに祝いの言葉を送った。

 エーリッヒが言うにはここ最近オレーシャがしきりに嘔吐を繰り返し、それと同じぐらいに食欲を満たそうと食事量を増やしていたので、念の為に医者に診せた所、恐らく妊娠していると判断されたそうだ。アラタも観測機器の情報から彼女の妊娠を確認しており、ようやく秘密を抱え込まずに済んだと胸を撫で下ろしていた。


「私は男でも女でも構わないけど、出来れば世継ぎを産んでもらいたいな。そうしないと彼女も肩身が狭くてなってしまうし」


 エーリッヒは冗談交じりに口にするが、王族である以上は世継ぎ問題は一生付いて回る悩みなので、早めに決着を着けてほしいとも内心は思っているし、オレーシャも正妻としての役目を果たして、周囲の期待と圧力からの解放を求めていた。


「アラタの所はどっちだろうね?娘の方が良いと陛下に食って掛かったと聞いた時は開いた口が塞がらなかったけど、最初は息子の方が安心するよ。特に周りの期待とか、妻が女腹だとかの陰口も気にしなくて良くなるから。私の時もそれでエヴァが随分やきもきしていたよ」


「家の存続の為とはいえ、厄介な問題ですね。そういえば子供の名前をどうするのかと、マリアから尋ねられていた。こちらでは父親か祖父が名を付けるのが習慣だそうですが、二人はどうしたんです?」


 マリアが妊娠して既に半年を過ぎており、かなりお腹が目立っていた。その為、そろそろ子どもの名前を考えて欲しいと頼まれていた。


「私の名は祖父が考えて、カールとマリアは父が考えたと聞いている。名付けには王族とか平民とかはあまり関係無いよ」


「トーマスは私が父と一緒に考えたよ。あの時はお互いに自分の考えた名前が良いと、一歩も引かずに最後は剣を以て決着を着ける羽目になったなあ。あの頃は今よりずっと血の気が多くて、父には勝てないと分かっていても一人の親として命名権を争ったものだよ」


 ウォラフが当時を懐かしそうに振り返り、若気の至りを笑いながら話していた。結局は一度もゲルトに勝てなかったらしいが、ウォラフのあまりのしつこさに、結局ゲルトの方が根負けして、命名権を息子に譲ったのだという。


「ふむ、うちはどうすべきか。――――よし、男の子の名を陛下に考えてもらって、女の子は自分で考えるとしよう」


 どちらも自分で考えても良かったが、貴族からの感情を考慮すると最初の息子は王に任せた方が角が立たないと思い、カリウスに頼むことにする。カリウスも初孫、それも男の命名権を譲られたとなれば喜んでくれるだろう。


「悪くない手だね、父も喜ぶだろうよ。お互い、これから楽しみが増えるね」


 まったくだとアラタとエーリッヒは祝い酒を交わしつつ、お互いのまだ見ぬ子供の事で話が盛り上がり、それを隣で聞いていたウォラフが、『うちももう一人早めに作るとしよう』とこの日を境に頑張り始めるのだった。



      □□□□□□□□□



 ドナウでは次代を担う若手達が明るい未来を話し合いながら酒を酌み交わしていた同時刻、南のサピンには対照的な暗さが全土を覆い尽くしていた。

 ホランドの逆侵攻を許してから既に半年近くが経過し、あらゆる場所の集落がホランド軍に蹂躙されて、財貨や食糧を奪われ、住民は暇つぶしと復讐と称して殺すか凌辱されていた。中には王族の系譜にあたる貴族も居たが、そんな物は関係無いとばかりに、一括りに辱めを与えられている。中には保身から率先して自らの娘や孫をホランド軍指揮官に差し出して、服従する姿を見せる貴族も珍しくなく、隙あらば自らが助かる為に同じサピン人どころか肉親を生贄に差し出して生き残りに奔走する有様だった。



 そしてホランド軍本隊が囲い続けている王都エルドラも、絶望という敵に屈し始めていた。城壁は所々崩れているものの大部分はまだ形を残しており、ホランドの攻城兵器の砲撃によく耐えていたが、中身までは石造りの壁のように頑丈ではないのだ。

 特に攻め手に水源を抑えられているのが非常に大きく、街に流れ込む唯一の川を堰き止められてしまい、その水をホランド軍はサピン人の目の前でこれ見よがしに水浴びに使ったり、地面に撒いていれば、飲み水にも事欠く住民達の精神は確実に攻め立てられ、一日に摂取する水分すら切り詰めている状況では日を追う事に兵士や住民の気力の衰えを見せていた。

 一応、海路は遮断されていないので、船を使った飲み水や酒の輸送は続いているが、それだけで数万人の渇きを癒せるはずもなく、その代金となる財貨も乏しくなって来た事から、自らの行く末が見えてしまい、財産に余裕のある者は少しずつ商人の船に紛れて、友好国のレゴスへと脱出していた。最初は臆病者が減ったと残された者が息巻いていたが、それが日増しに増え続けると、誰もが不安に駆られ始めて、陰鬱な雰囲気を増長させている。

 さらには連日城内で会議と言う名の責任の押し付け合いが開催されており、貴族とは思えないような聞くに堪えない罵詈雑言の怒声が飛び交っているのだから、誰も勝つ気が無いのが透けて見えていた。

 ――――ホランドは自らに歯向かう者を許さない。この事実が自分達の未来を暗示しており、条件付き降伏という選択肢を否定している。それさえなければ、屈辱に塗れながらも膝を折る事も受け入れられただろうが、先に殴りかかったのは自分達である事と、散々にホランド国内で暴れ回り、略奪、凌辱、殺戮を行った事実を許す筈が無い。

 だからこそ後は如何にサピンの意地を見せつつ、一人でも多くのホランド兵を道連れにして華々しく散るかが、王族を含めた貴族達の総意でもあった。



 サピン王国宰相マウリシオ=バルレラは連日連夜のホランド軍の攻撃と突破口の無い会議と言う名の争いに疲れ切って、自室の椅子にもたれかかっていた。

 彼はこの半年間、眠りに就く寸前まで自問自答を繰り返している。


 『いったいどこで道を間違えた?』


 この一文はサピン王政府の全ての人間が抱えていた疑問であり、誰もがその答えに気付いている。王甥エウリコがアルニアの地で果ててから、サピンの置かれる状況は加速度的に悪くなっていた。それまでは各地で連戦連勝するサピン軍の報告に誰もが気を良くして、連日連夜の祝賀会に明け暮れていたが、二つに分けた軍の片割れが文字通り全滅してから、ホランドの逆襲が始まり、あっという間に逆侵攻を受け、王都を包囲される憂き目にあっている。

 それだけならばまだ挽回は出来るのだが、頼みの綱のレゴスの援軍は送られず、どうにか物資を有償で買って持たせてきたが、それも限界が近い。

 ドナウにボロ負けしたホランドなど恐れるに足らずと息巻いていた軍は碌に敵を倒せず、泣き言ばかり垂れており、貴族たちは我が身可愛さに自領の救援ばかり口にする。漸く戦う気概が芽生えたと思ったら、どうやって討ち死にするかだけを延々と相談しているだけで、勝つ気など毛頭無い。

 マウリシオは他者を内心では役立たずどころか、己の足を引っ張る害悪でしか無いと切り捨てているが、他の人間からすれば自信満々に他国の援軍を引っ張ってくると豪語していたのに、結果を出せなかったマウリシオこそが現在の絶望的な状況を作った張本人だと憎悪の対象になっていた。

 その為、毎日怒涛の如き援軍の催促を受け流すだけで疲労困憊となっており、僅かな睡眠時間だけでは碌に疲れも取れず、ホランド兵に殺されるよりも、過労死か怒り狂ったサピン人に殺される可能性の方がずっと高いのではと、内心死を覚悟していた。


(王家の血を引く我が子を王座に据えようと動き続けていたが、まさか国そのものが滅びようとは。ホランドよ呪われよ)


 敵国へ呪いを込めていた時、不意に扉を叩く音が聞こえたので思考を中断し、使用人に開けさせる。

 入って来たのはサピン人の特徴を良く表した、小麦色の肌と豊かなブルネットの髪を腰まで伸ばした十代半ばの美貌の少女だった。その瞳の奥は憂いを宿していたが、その感情こそが一片の歪み無く均整の取れた芸術品のような彼女の美しさを一層際立たせているのが甚だ世の理不尽と言える。


「お呼びでしょうか、おじい様」


「おお、待っていたぞロベルタ。実はお前に仕事を頼みたかったのだ」


 疲れ切っていたマウリシオだったが、そのような素振りをこの可憐な少女には微塵も見せたくは無かった。彼は孫娘であるロベルタを何よりも尊い宝だと思っていた。そしてロベルタも祖父を尊敬し、慕っている。彼の頼みとあらば自らの力の及ぶ限り、叶えてあげたかった。


「実はな、お前にエルドラから離れてもらおうと考えている」


「ど、どういうことでしょうか?おじい様やお父様はどうなさるのです?他の方々はその事を知っていらっしゃるのですか?」


 いきなり生まれ故郷であり戦場となっている街から出て行けと言われ、ロベルタが混乱する。彼女も見慣れた使用人が何人か何時の間にか姿を消しているのには気付いていたが、まさか貴族、それも王家の血を引く自分が逃げ出す事になるとは微塵も思っていなかった。例えこの国が滅び去ろうとも、王族だけは命惜しさに逃げてはいけないと今日まで矜持を持ち続けていたが、よりにもよって敬愛する祖父からそのような言葉を聞きたくは無かった。


「落ち着きなさいロベルタ、国を離れるのはお前や幼い娘だけだ。私や一族の男はここに残って死ぬまで戦う義務がある。

 そして他の者たちも見て見ぬ振りはしてくれるだろう。何せお前達はまだ幼い、戦えぬ者が居ても邪魔である以上は、無駄な食い扶持を消費せずに済むと却って喜ぶかもしれんな」


 最後の一言は冗談だと笑っていたが、それ以外は偽りの無い言葉だろう。確かに十代の少女一人が居た所で戦力になどならないのはロベルタ自身も承知しているが、それでも炊き出しや負傷者の治療など出来る事は多い。それより幼い子供なら祖父の言葉も正しいが、今更命惜しさに逃げ出すような事をしたくない。


「私は、私だって死ぬのは怖いです!ホランド人の男に組み伏せられて、死ぬまで辱めを受けるのも嫌です!ですが、我が身可愛さでおじい様やお父様を見捨てて生きたくはありません!!」


 マウリシオの自室に絶叫が響き渡り、ロベルタは顔を背けてしまう。それは祖父に泣き顔を見せたくないという反発心でもあった。しかし、自分を含めた一族への想いを嬉しく思いながらも、大事な孫娘を突き放さねばならなかった。


「その気持ちだけで十分だ。だがロベルタよ、お前はそれで良いのかも知れんが残された者はどうする?お前の従姉妹のクロエとラケルをそのまま放って置くのか?あの二人はまだ7歳と4歳だ、あの二人の母がここに残る事を決めた以上、母親代わりになれる女が必要だ。それをお前に頼みたい」


「で、ですがそうなったらお母様やおば様は―――それに男の子はどうなさるのです、私より年下のホセや弟のエミリオは?」


 その質問にはマウリシオが首を横に振って否定の意を示した。ロベルタの母もその叔母も、まだ12歳の弟と従兄弟も戦う事を選んだのだと知り、死よりも辛い仕打ちがこの世にあるのかと嘆き悲しんだ。


「子供の私に出る幕など最早無いのですね。分かりました、おじい様の命に従います。――――所で私達はどちらに行くのでしょうか、レゴスですか?」


「いや、お前達はドナウに行ってもらう。それからこれを選別に持って行け」


 そう言って、脇に置いてあった鞄をロベルタに差し出す。受け取った時の重みと音から貴金属の類では無く、書類なのだと気付く。


「レゴスは既に王家の傍流や多くの貴族が落ち延びている。そんな中お前達が行っても、一括りにされて扱われるだけだ。それよりも殆どサピンと関わりの無いドナウの方が、お前達の価値を高めてくれる。

 そしてその鞄の中身は、サピンそのものと言って良い。それさえあれば、お前達三人の身の安全と生活は保障される。良いな、決して失くしてはならぬ」


 出立は明日の夜明け前なので今日の内に荷造りをさせておくとロベルタを言い含めると、マウリシオは己が死ぬ事など恐くないと言わんばかりに笑みを浮かべる。


「お前とは今生の別れとなるが、私達の元には50年先まで来てはならん。そしてどのような形でも良い、生きて私とエレディア王家の血を繋げてくれ。それがお前に託す、最後の願いであり頼みだ」


 そこまで祖父に言われてしまってはロベルタも頷かざるを得ず、記憶の最後が泣き顔では辛いと、有らん限りの自制心を以て涙を堪え、笑顔を作ってマウシリオを安心させた。


「それではおじい様、健やかな最後を迎えられる事を遠い異国の地で願っております」




 そしてこの日から一月後、サピン王都エルドラは落城し、王族を始めとしたサピンの主だった貴族達はその悉くが討ち死にし、城に残っていた僅かな女性達もそれぞれが毒を煽るか、自ら剣で首を切って命を落とした。

 抵抗を続けていた街の平民達も最後は命を惜しみ、ホランドに降伏したが、彼等はこれより先、農奴や鉱奴、あるいは見目麗しい者は男女に関わらず戦利品として扱われる事となった。

 さらに金目の物が殆ど残っていなかった事に腹を立てた一部のホランド兵が、腹いせに残っていたナパームに火を着けて街を焼いてしまい、西方でも指折りの美しさを誇った都は、湾港と一部の城壁が残るだけの廃墟と化してしまった。

 ドナウ歴494年12月―――――サピンと呼ばれた国が歴史書の中にしか存在しなくなった瞬間である。


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