第93話 医療商人



 サピンがホランドに宣戦布告してから既に半年近くが経過していた。その間、サピンは周辺のホランド領に攻め込み、小規模の地方駐留軍を各個撃破して、次々と領地を占領していたが、本腰を入れたホランド本国軍との戦いで王甥エウリコの軍勢を殲滅される。

 討ち取られたエウリコも唯では死なず、六千ものホランド騎兵を道連れに果てた事で一時ホランド軍は撤退。再編の為に時間を費やす事となった。その貴重な時間をもう一つの主力軍である娘婿のアルフォンソを王都に呼び戻す事に使い、籠城戦の準備に費やしていた。

 しかし、手早く軍勢を再編したホランドのユリウス王子は、その勢いのままにサピン領土を次々に蹂躙しつつ王都に軍を進めていた。元よりホランド侵攻の為に各地から戦力を引き抜いていたサピンに抵抗力など有るはずが無く、進軍の妨げにならない程度に村々を焼き払っていた。中には領主が保身から恭順を示す為に財貨などを献上し、ホランドへの忠誠を示したが、ユリウスの態度はそっけなかった。

 自らの兵やその家族を蹂躙したサピン人など一括りにして皆殺しにしたかったが、時間が惜しい事もあり、受け入れはしたものの、いずれは清掃するつもりで棚上げした。



 そうして王都までの道のりを最短時間で駆け抜けたユリウスらの目の前には、自国とは違う交易の為に築かれ、城壁の細部にまで贅を凝らした意匠の刻まれたサピン王都が広がっていた。西方随一の文化の高さを誇らしげに主張する城壁をユリウスは嘲笑う。こんな戦の役に立たない模様などありがたがって滅ぼされるサピンの愚かさは西方一だと。近習達も主の言葉に同意し、嘲笑した。

 ユリウスは野営の準備を配下に下し、攻城戦の準備に取り掛かる。攻城戦は長丁場だ。騎兵を重視するホランドは城攻めは得意では無いものの、二十年の経験からそれなりの水準を満たしている。兵の数も大きく上回る以上、敗北など有り得ない。

 そして天幕を用意させていたユリウスの耳に、軍団に近づいてくる一台の竜車と徒歩集団があると報告が入る。一瞬サピン側の降伏の使者かと思ったが、よく聞くと王都側からやって来たのではないらしい。不審に思い、攻撃は控えさせて兵に対応させるよう命を下す。

 続いて入った報告で、どうやら商人の集団だという。どうでもいいとばかりに、適当に商品を売らせて追い払えと命令しようとしたが、商人はドナウ人だと追加報告を聞いて、僅かだが考え込む。

 僅かばかりの興味を持ったユリウスだが、商人風情に自身が出向くのは格式から問題がある事からオレクに対応させることにした。


(わざわざこんな他国にまでやって来るドナウ人か。情報を売り買いする商人なら、いっそホランドの力を見せつけてやるとするか)


 ホランド軍が未だ健在であることを喧伝する為に、わざと商人に情報を漏らすのも一興かと、自らの半身に対応を命じた。



       □□□□□□□□□



 対応を任されたオレクは、一商人風情に対応するなど誇り高いホランド貴族のする事では無いと感じていたが、愛する主人からの命令に背く訳は無く、最低限の職務は果たすつもりでいた。

 目の前のドナウ人の男は若く、艶のある黒髪を短く切り、口髭と顎髭を丁寧に切り揃えた体格の良い男だった。今は膝を着いてこちらを直接見ていないが、その姿勢の良さから商人より軍人のような印象を他者に与えていた。


「お前がこの一団の代表だな」


「はい、ドナウでしがない行商をしていますオウルと申します。私達は主に技能を売り歩く集団でございます。皆さまホランドの精強な軍団が王都エルドラを攻めると聞き及び、こうして商売の為に参上いたしました。ああ、技能だけでなく酒も少数ですが用意しておりますのでお譲り致しますよ」


 技能とはまた妙な商品だとオレクは不審に思う。酒は兵らの不満を逸らすのに大いに役立つので、あるだけ買い取る気でいるが、旅の芸人ならともかく技能を売る商人とは初めて聞く。

 金銭と引き換えに武器の手入れや鎧の修繕を行う鍛冶屋が出入りすることもあるが、それはあくまで職人というだけで自身を商人とは言わない


「参考までに聞くが、どんな技能だ?歌や踊りなどいらんぞ」


「はは、戦に必須の医療技術でございます。特にサピンは良く燃える油を大量に揃えていると聞き及び、火傷によく効く薬も揃えております。勿論、相応に医療技能を修めた者も連れてきておりますし、私自身医術の心得も修めています」


 なるほど、抜け目のない商人らしく、戦場で必要になるものを高く売りつけに来たという事か。

 ホランド軍にも医者は居るが、戦場となれば幾らいても医者は困る者ではない。商人なら金さえ払ってやれば、仕事はするだろうと打算的な考えと、目の前の男の立ち振る舞いから、唯の商人では無く貴族、それもドナウの王政府と繋がりのある商人と見立てて、監視のつもりで軍団内部で働く事を許可した。

 早速オウルと名乗る男は、待機させていた荷車に山と積まれた酒樽を商品として差し出す。


「最近ドナウで作られた新しい蒸留酒でございます。高価ですが、非常に美味ですので存分にお楽しみください」


 ホランドで一般に飲まれるのは羊の乳から作る乳酒だが、貴族の中には他国の酒を好んで飲む者も多い。絢爛豪華な文化を否定しがちなホランドだが、酒は例外的に認めていた。オレクもユリウスもその一人だ。


「―――いいだろう、だがまずは貴様が先に飲め。有り得ないだろうが毒など入っていては叶わんからな」


 兵士の一人に樽を開けさせ、中に入っていた緑色の酒を杯に汲む。それをオウルに突き出し、飲めと催促する。


「勿論構いませんよ。――――では失礼して」


 一切の躊躇なく、杯になみなみと汲まれた蒸留酒を半分程度飲み干し、一息つく。


「失礼、かなり強い酒ですので全ては飲み干せませんでした。ですが毒が入っていないのは十分お分かりになったかと」


「まあいいだろう。この酒は全て買い取ろう。それから治療の方も兵士なら許可しておく。士官はこちらで揃えた医者が担当するから不要だ」


 オレクは見ず知らずの者にいきなり大きな仕事を任せる訳が無いので、この辺りが妥協点と考えて、兵士の治療を任せることにした。オウルもその事は盛り込み済みらしく、何の不満も見せずに了承する。

 あとは戦が始まったら後方で待機していろと、命じてオレクは去って行った。勿論何人かの兵に遠巻きに監視を命じる事も忘れなかった。

 残されたオウルは一団を引き連れて、指示された通りに後方へと向かう。そのさなかに誰にも聞き取れない小ささで一人呟く。


「さて、一番の山場はこれで超えたか。これからは好きにさせてもらうよ、ホランドの諸君」


 一瞬だけ、見る者が怖気を走らせるような暗い笑みを浮かべ、彼はホランド軍を嘲笑っていた。



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