第83話 オウル・アイ



 冬の厳しさが僅かばかり和らぎ始めた三月でも、まだまだドナウは寒さが堪えたが、とある場所にはそんな寒さなど無縁だった。多くの屈強な男達が汗だくになりながら模擬戦用の剣や盾を懸命に振るい鍛錬を続けている。彼等はドナウ王国近衛騎士団。ほぼ全員が貴族の出身であり、王家や王国の首脳部を守護する者達だ。

 彼等は訓練であっても手を抜く事は無い。不要な怪我を避けるために武器だけは訓練用のを使用しているが、それ以外の防具などは全て実戦で使用するのと同じ物を身に付けて訓練に励んでいた。



 冶金技術の未発達な西方ではフルプレートアーマーは発明されていない。専ら直轄軍の兵士はチェインメイル、士官以上ならスケイルメイルを好んで着用し、近衛騎士団も殆どを貴族階級出身者が占めているのでスケイルメイルを標準装備していた。

 西方の他の国も似たり寄ったりな装備で、唯一ホランド騎兵だけは分厚いラメラアーマーを装備していた。これは高い防御力を誇り、その分重量があったものの、その突進力を活かす重装騎兵にはむしろ有利に働くと考えたホランドが採用している。

 技術が未発達な場合、防御側が優位なのは地球でも同じだ。そもそも防具とは敵の攻撃を防ぐ事を前提として作られている。金属製の防具を超えて肉体を破壊できる人間など極僅かな達人ぐらいだ。幾ら金属加工技術が未熟とは言え、武器より重厚に作られる防具を剣で切断するのは容易ではない。兜割など奇跡の類似品でしかないのだ。

 その為、剣術や槍術とは鎧で護られていない関節や首といった箇所を狙う為の技術と言える。そうでなければ鉞や鉄棒のような巨大な重量武器を力任せに振り回すのが最も手っ取り早い殺人手段だろう。

 しかしながら城や市街地といった閉鎖空間ではそのような長大な武器は取り回しに難があり、四六時中身に付けておけないという理由から携帯性に優れた剣が近衛騎士団の主力武器なのだ。



 剣を主体とする近衛騎士団の中で、一人だけ鎧すら身に纏わず一振りの短剣だけを構える青年が近衛騎士の一人を相手に対峙していた。動きやすさを前提にした軽装が重装備の近衛騎士と対極的だったが、見る物が見れば纏った剣呑な雰囲気は同質と言える。

 近衛騎士団最強の男―――ゲルト=ベルツと対峙したアラタは、自身が勝てるビジョンがさっぱり思い浮かばなかった。元よりアラタは憲兵や歩兵では無いが、それでも限界まで人体改造を施された超人と称しても差し障りない存在なのだ。それを生まれたままの生身の体で打倒するなど、目の前の男は獅子を絞殺したヘラクレスか何かではないかと疑ってしまう。

 アラタがゲルトと模擬戦をするのはこれが初めてではない。既にドナウに来てから二年近くが経過しており、その間何度も近衛騎士団の訓練場で騎士達と模擬戦を繰り返していた。最初は新米騎士のマルクスが相手をしていたが、どんどん手合わせを願い出る騎士が増え、二年でかなりの人間と試合を重ねている。

 その中にはアラタ以上の強さを持つ者も数人いた。今対峙しているゲルトもその一人だ。伊達や縁故で団長を務めている訳では無く、自他共に認めるドナウ最強騎士には一度たりとも勝てなかった。

 今回も負けるのは分かっていたが、最近はせめて一太刀でもと考えるようになっている。自身はさほど負けず嫌いではないが、こうも負けが続くと少しばかり悔しくなるのだ。だからこそ手合わせを願い出て、多少なりとも技量を磨く努力を重ねていた。


「―――では、行きます」


「来なさい」


 ――――――意気込みはあっても、結果に結びつくとは限らないのだが。



 あっという間に剣を首筋に突き付けられたアラタはすぐさま降参した。しかし周囲には二人の技術を己の物にしようと、盛んに意見交換や体を動かしながら確認する者で溢れかえっていた。


「結果は見えていましたが、そろそろ一矢報いたかったですよ」


「そうなったら貴方には指南役を勤めてもらうよ。ただまあ、貴方の戦い方は我々と随分毛色が違うので指南役には向かないのかも知れないがね」


 二人は互いに礼をしながら軽い談笑をしている。口の上では指南役と言ってはいるもののリップサービスの類だろう。ゲルトの言葉通り、アラタの戦闘技術はドナウの技術とは違い過ぎる。

 騎士の剣術とは剣の型を体に記憶させるものだ。型通りの動きを何千何万と繰り返す事で思考せず反射だけで攻撃を行えるよう鍛錬を積み、そして如何に無駄な動きを排除して型を淀みなく繰り出せるかが術の本質なのだ。

 対してアラタの扱う戦闘技術は人体改造技術によって限界まで強化された思考速度と反応速度を利用し、相手の動作を見切った上でそれに合わせて対処する、徹底した『後の先』である。

 完全な後天的要素ではあったが、そんな物が存在すらしないドナウでは完全に才能の領域に踏み込んでおり、特別技術が優れている訳では無いので技術指導など出来無いのだ。ゲルトの『指南役に向かない』という言葉はそれを指摘した言葉なのだ。

 アラタも宇宙軍にいた頃は暇さえあれば訓練をしていたが、白兵戦は専門外だったので最低限で済ませていた。彼の本分は航宙管制官として情報の分析と宇宙戦闘機の操縦なのだから、訓練の比重は必然的にそちらに重きを置く事になる。どれだけ地球軍の格闘技術の完成度が高くても使い手の鍛錬不足は補えないし、なにより銃が主体の地球では近接戦闘は大して重視されない。それでもこの国でアラタに勝てる人間が片手程度しか居ないのだから、人体改造の恩恵とは凄まじい物なのだ。もし改造を受けていなかったら騎士団では並程度の使い手に収まるだろう。

 そんな超人を軽くあしらう、努力した天才たるゲルトこそアラタは化け物の類だと畏怖していた。そして貧民街に居たガートも彼と同質の人間であり、何かしらの神術の使い手かつ、ゲルトのように組織を預かる身ではない事から全てを鍛錬に費やせる彼女こそ西方最強の武人だとアラタは確信していた。



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 夕刻――――訓練を終えた騎士団の面々は馴染みの酒場で陽気に酒盛りをしていた。アラタも若手団員に誘われて、彼等と一緒に酒を飲み交わしている。毎回ではないが時折アラタも誘いを受けており、騎士達からは部署こそ違えども身内のような扱いだった。普段から講義や訓練で顔を付き合わせる事がそこそこ多い事もあり、王女の夫であるアラタの扱いは些か気安い物があった。

 酒場にはアラタに馴染みのある顔も多かった。以前一緒に旅をしたイザークもその一人で、騎士団では相変わらず便利屋だったが本人はそれに満足していたので特に何も言わなかった。

 他にもマルクスやウォラフが参加しており、マルクスは一同の前で陽気に歌を歌っている。吟遊詩人ほどではないものの、なかなか上手いもので、騎士達から合いの手が止む事は無かった。


「しかし、レオーネ教官を簡単にあしらう団長は本当に恐ろしいですね。私も腕に自信がある方でしたが、あの人だけには勝てる気がしませんよ」


 若手騎士の一人が酒臭い息を吐きながら呟く。他の面々も似たような事を思っていたのか、しきりに頷いている。ゲルトと強さは騎士団の全員が認めるものであり、誰もが彼を目標としつつ届かない存在だと見ていた。ウォラフも同様に頷いており、親子であってもその才能は遺伝しなかったのだろう。


「あの人は努力した天才だからな。努力の足りない私では到底届かない存在だよ。まあ、職種が違うから君達ほど悔しさは無いが、せめて苦戦ぐらいはさせたかったよ」


 彼等とて悔しさが無い訳では無い。多くの男は強さを求め、強く惹かれるものである。そしてそれが決して届かない存在であったとしても、手を伸ばし続ける物なのだ。それが武に身を置く者の本能であり、生き甲斐に等しかった。

 アラタもその欲求は持ち合わせているし、圧倒的強者であるゲルトを屈服させたいという欲望は強かったが、同じステージで勝てない以上、別の手段を模索するつもりだったが、単に殺す気なら毒でも銃でも用いればそれで事足りるものの、敵ではないので自重している。これがホランドのように純然たる敵なら、嬉々として謀略による誅殺を仕掛けていたが、味方にそこまでする気は無い。だからこそ今は模擬戦ぐらいしか手段が取れないのだ。



 少しばかり湿っぽい雰囲気になったのを感じ取ったウォラフがさりげなく話題転換をしており、そんな父でも家では孫に駄々甘だと話しているとドッと笑いが生まれた。どれ程武人であってもやはり初孫は可愛いものなのだろう。最近は色々なオモチャを買い与えすぎて、奥方から小言を貰っていたと暴露すると、さらに笑いが巻き起こった。

 騎士の中には結婚している者も多く、やはり話題の中心は子供の事が多かった。最近言葉を喋り始めたとか、あちこち歩き回って体をぶつけて泣いているなど微笑ましい話も多く、それより大きな子だと、ようやく剣を持てるようになったので、少しずつ剣術を教えるのだと張り切る騎士もいた。

 そんな中、新婚のアラタも話に上っており、子供はどうなのだとしきりに聞かれていた。


「今の所は出来ていないかな?ただまあ、授かり物である以上、焦る必要は無いさ。しばらくは新婚気分を堪能させてもらうよ」


「教官の奥方は二人も居ますからねえ。毎日お相手大変でしょう?聞けば、ほとんど毎晩二人同時に相手をしているとか。羨ましいにも程がありますよ」


 レオーネ家の情事は割と有名で、仲の良さを喧伝する目的もあったが、アラタは王都中の男からの羨望の思念を一身に浴びていた。以前から出世を望む若い男の間で、アラタを真似て短髪剃髭をする者はいたわけだが、この事実が知れ渡った頃にその数が加速度的に増えていた事から、余程三人プレイが羨ましかったのかと、アラタは呆れていた。尤もアラタも楽しんでいるので、似たようなものだが。


「君達も妾はいるだろうが、やはり正妻とは仲が悪いなんだろうな。家のように四六時中一緒にはいられないか」


「普通はそういうものです。女と言うのはどんな相手であれ互いを敵と見なす事が多いんですから、正妻と妾が仲良くなれるのは稀ですよ。教官の所は二人が元から知己だったのと、ある程度身分差があるので上手くやれるんだと思いますよ。それ以上に本人達の性格の相性が良かったからでしょうが」


 本当にマリアとアンナの仲が良いのは幸運な事だったと、騎士達の話を聞いたアラタは感じていた。仮に正妻に子が出来なかった場合、妾の子が家を継ぐ事になれば正妻は立場を失う。子供を産む事が第一と考える西方でそうなっては生きる価値さえ無いと烙印を押されるに等しいのだ。過去にもそういった事例が複数あり、正妻が憎悪に駆られて妾やその子供を殺す事も時折あったらしい。それほどに家督相続の問題とは重い物なのだ。

 もしマリアとの婚姻が無かった場合、アンナが正妻の座についていたら、もしかしたら彼女はアラタを取られたくない一心で、同じ事をしていたのかも知れない。まあアラタはアンナ以外の女に身体を許す気は無いが、政治的な理由で側室を迎える可能性も有り得たのだ。そうなったらレオーネ家は円満とはいかなくなっていただろう。



 家の相続問題は無視して良い物ではないが、陽気な酒の席には似合わないこともあり、騎士の一人が話題を変えるつもりで前々から聞いておきたかった事があると、アラタに話しかけていた。


「所でレオーネ教官の紋章はどうなさるつもりです?所帯を持った以上、この国の貴族として扱われますから、紋章が無いと印章の一つだって作れませんし、書類作成も困りますよ。差出がましいですが、早めにお決めになった方がよろしいかと」


 今までは王家の客分兼顧問役だったこともあり王家の印璽を借りていたわけだが、正式な役職を得た以上は自分の家の印章も必要だと助言を受け、アラタはしばらく考え込む。地球でも自らの出自や経歴を示すための印として発達した紋章があり、西方でも同様に重要な物だった。

 参考までに騎士達の紋章を聞いてみると、脚竜や狼といった強さを示す動物の意匠が多く、騎士の家系らしく楯や剣を取り入れる家も多いようだ。


「王家の血の入った家でしたら鷹の翼を取り入れる家が殆どです。彼等は紋章で王家と縁があると示しているんです。教官もマリア殿下を娶ったのですから、鷹を取り入れても問題無いですよ」


 他にも虫の意匠を取り入れる家や、海に近い領地の貴族には鯨やシャチを紋章にする所もあるそうだ。ちなみにベッカー家の紋章は猫である。


「―――フクロウが良いな。最初に思いついた」


「フクロウですか、渋いのを選びますね。何か思い入れがあるのですか?」


「故郷の軍にいた時に、フクロウの眼と呼ばれていたからだ。作戦中の役職名だったが、結構思い入れがあるんだ。姓のレオーネも考えたが、西方に獅子はいないから分かり辛いだろうし、フクロウにするよ」


 地球統合軍の航宙情報管制官はコールサインに『眼』が付く事が多い。アラタもその例に洩れず『オウル・アイ』のコールサインを支給されていた。狩りの名手であるフクロウと同一視されるのはそれなりに気に入っていた。

 アラタからすれば大々的に王家の一員だと喧伝するように鷹の意匠を取り入れるのは他の貴族の不興を買いかねないので避けたかったし、かと言って獅子だと同じ猫科のベッカーの意匠から、正妻である王女を蔑ろにしていると言い掛かりを付けられかねない。そうした理由から、同じ猛禽であっても直接関係の無いフクロウは都合が良かった。

 このフクロウが今後、レオーネ家の紋章になり印章にも使われ、アラタの立ち上げた諜報部は、その発足経緯と役割から『フクロウの眼と耳』と恐れられる事になるのだった。


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