第82話 王族の意地



 ホランドがアルニアの農民を犠牲にして血路を開く事が徐々に知れ渡ったのを見計らったオレクは、弓兵を射程ギリギリまで近づけてサピンへの斉射を命じた。ホランドの歩兵は軽装なので軽快な機動性を有しており、迅速に進軍し数千本の矢を一気に放った事から、北側のサピン兵にかなりの損害が出てしまい、その隙に破れかぶれになったアルニア農奴が次々と陣の防柵を壊し始めた。

 どうにか柵を守ろうにも鬼気迫るアルニア人の形相に、恐れを抱いてしまったサピン兵には上官の叱咤も効果が薄く、遂には柵の一部が破壊されて、侵入を許してしまった。陣内に押し入ったアルニア人は斧以外は非武装だったこともあり簡単に討ち取られたが、サピン軍の士気は見るからに萎えていた。

 その期をホランドが逃すはずもなく、次々と矢を放ち投石器の使用を妨害し続けた。その隙をついて残りの歩兵が急いでナパームの火に土や木板を被せて一時的に消火し、進路を確保、その道を待機していた残りの騎兵が進み、穴の開いた柵に次々に雪崩れ込んで行った。



 騎兵に侵入されたサピンは大混乱に陥り、見るも無残な有様だった。陣内を縦横無尽に奔り回る騎兵は正しく戦場の死神であり、その突進力を活かしたランスチャージは歩兵の体を数人纏めて容易く貫いてしまう。流石に深々と胴体部に突き刺さった槍を引き抜くのは困難であり、使い物にならぬと判断した騎兵はあっさりと槍を捨てて腰の片手剣を引き抜き、手あたり次第にサピン兵に振り下ろし始めた。騎乗しながら扱う為に軽量で反りを持たせた片手剣は、地上では鎧を貫くのに不足と言えたが、竜の上では重力の助けもあり、安物の木製兜しか支給されないサピン兵の頭をかち割るのには十分だった。



 次々と倒れ伏すサピン兵を嘲りながら次なる目標を探していたホランド騎兵だったが、不意に自身の脚竜が絶叫を放ち、体勢を崩した事から地上に投げ出されてしまい、したたかに全身を打ち付け、痛みに喘ぎながらも咄嗟に起き上がろうと上半身を持ち上げようとしたが、その努力が叶う事は永遠に無かった。――――彼の頭部と胴体は永遠に二つに別れてしまったからだ。

 ホランド騎兵の首を一閃の下に切り離したのはサピン軍総大将エウリコその人だった。周囲のサピン兵は猛威を振るったホランド騎兵の首を一太刀で斬り飛ばした手腕に歓声を上げたが、当のエウリコは厳しい表情を崩していなかった。彼の心中は今、焦燥感に埋め尽くされており、どうにか戦況を立て直そうと脳みそを全力稼働させていた。


(くそッ!!予想以上の損害が出てしまった。こちらの予想では、ホランド兵に侵入されるなど想定していないというのに―――ドナウの時には近づく事すら出来なかったのではないのか!?確かに地形は不利かも知れないが、それでもナパームの火があれば容易に近づけないというのに。どうする?このままでは破られた柵から際限なく敵が雪崩れ込んで押しつぶされかねん。ええいっ!考えが纏まらん!!)


 今後の立て直しを考えつつも迫りくる複数の脚竜の足を切り飛ばして転倒させたエウリコは、確かに非凡な戦いの才の持ち主かも知れないが、彼一人では傾いた戦況を覆すほどではない。当然エウリコ以外の場所でも侵入してきた騎兵を討ち取る者は多かったが、一度喰い破られた防衛線を再構築するのは容易な事ではない。

 ホランド騎兵とて無敵の存在ではないのはサピン兵も良く分かっている。騎兵の強みとはその足の速さと人間の数倍の重量を持った脚竜の突進力が生み出す破壊力こそが真骨頂であり、一度足を止めてしまった騎兵は非常に脆いものである。特にホランド騎兵は騎乗での戦闘に最も力を入れて訓練を重ねており、地上戦は比較的苦手としていた。騎兵突撃に特化した装備は地上では重く、動きが緩慢となり、比較的容易に歩兵に討ち取られる事が多かったのだ。その為、ホランド騎兵は地上に降りて戦うのを可能な限り避けていた。

 余談だが、もしもホランド騎兵が日本の騎馬武者のように大鎧を身に付けつつ長弓、槍、刀、組打ち、全てに精通し、地上でも無類の強さを誇ったならばドナウはもっと苦戦していただろう。彼等が脚竜から降りて歩兵として戦いに参加していたなら、四万五千の屈強な歩兵集団が出来上ってしまい、最終的に勝ちは見込めても損害は無視出来ないものになっていた。

 そんなIFは杞憂でしか無いものの、大損害を受けたサピン軍にはどうでも良い事だった。彼等からすれば陣地に侵入を許した時点で当初の予定が大幅に狂ってしまい、中と外とで対応に苦慮していた。同士討ちを避けてホランドの弓は飛んでこなくなったものの、ドナウ以上に弱兵のサピン兵では満足に白兵戦闘はこなせない。一部の凄腕が騎兵を討ち取っているものの戦況は芳しくなかった。



 そんな混沌とした戦場に大音量の金属音が打ち鳴らされ、何事かとエウリコは音の方を探ると、北側のホランドの本陣の頭上に複数の銅鑼が掲げられ、大型の木槌で何度も打ち鳴らされていた。エウリコは一瞬訝しんだが、すぐに何のための音なのか思い至り、周囲の見方にあらん限りの声量を以て命令を下す。


「全軍聞け!!手の空いている者は全員本陣の北側に終結せよ!!繰り返す!手の空いている者は北へ迎え!!騎兵の本隊が破られた柵から雪崩れ込んでくる!!侵入した騎兵の排除以外は放って置け!!」


 その言葉を皮切りに、東西に展開していたホランド騎兵部隊が反転して次々と北へと向かっていた。彼等の狙いは明白だ。崩された陣の一角に雪崩れ打って中から完全に喰らい尽す腹積もりなのだ。刻一刻と不利な状況に立たされるサピン軍の兵士の受難はまだまだ続く。



 銅鑼の音を耳にしたユリウスはほくそ笑みつつ、率いる騎兵軍団へ反転の命を下し、重装備過ぎて小回りの利かない重装騎竜を器用に操って方向転換させていた。こうした脚竜操作技術はホランドが西方地域最高であり、普通ならば足を完全に止めて反転させるのだが、最小の旋回半径で方向転換しつつ、速度をあまり損なわない走行を可能としていた。

 どうやら我が半身はそつなく役目を果たしてくれたらしい。破壊した柵への到達にはもう少し時間が掛かるだろうが、浮足立ったサピンよりは我々の方が圧倒的に早く動ける。現に柵の内部では指揮官らしき男が指示を飛ばしているようだが、兵の動きは随分と緩慢な物だった。瞬時にこちらの意図を読んだ事には賛辞を贈るが、率いる兵の弱さには呆れどころか憐憫すら湧いてしまう。徴兵されただけの農民兵には、絶え間無い教練を課し続けた練達のホランド兵の相手は務まらなかったようだ。

 そんな憐れみと嘲りの同居した感情を抱きながらも最短時間で北側に戻った騎兵軍団の半数がサピン陣へと雪崩れ込む。あまり数が多すぎても陣内で身動きが取り辛くなる事から自身も含めて数を絞ったが、それでもサピン軍の総数よりも数が多いのだ。雪崩れ込む前に投石器からナパームが幾らか放たれたものの、散発的な物でしか無く、有効打には程遠かった。それでも数百程度は犠牲になっていたのがユリウスには不愉快なのだ。現状の損害はアルニアの農奴を除けば五百にも満たないが、弱小のサピンにここまで損害を受けた事自体が気に入らない。彼は何よりも大事な兵士を一人でも失いたくなかった。

 しかし目の前の半身にそのような叱咤をしたくなかったユリウスは本心を隠しつつ褒め称えた。


「よくやったぞオレク、流石は我が半身だ。お前が指揮をしてくれたおかげで大勢は決した。あとは数で押しつぶすのみ」


 愛する主人からの掛け値無い称賛に恍惚とした笑みを隠そうともしないオレクが身を震わせる。今すぐに抱きしめたい欲求を懸命に抑えつつ、戦況報告を優先させた。


「全てはユリウス様の想定通りでございます。先行した騎兵部隊の損害が少々大きいものの、既にサピン軍は組織的抵抗が出来ない以上、我が軍の圧勝は揺るぎも致しません。後はこちらで成り行きを見守り下さい」


 オレクの言葉通り、既に結果は見えていたこともあり、ユリウスは自軍の損害に不満を抱きながらも、あとは配下の働きに任せることにした。実は二人とも今回の戦が初陣だったにも関わらず、自らの役割を完璧に演じ切った事は誰もが称賛すべき事だった。

 ホランドの本陣に居た近習らは、二万対七千という有利な条件ではあったものの、戦術的最適解を導き出したユリウスと、その回答を滞りなく形にしたオレクの二人こそホランドにとって新たな時代の象徴のように思えてならなかった。この二人が揃えばドナウとて恐れるに値しない。それほどまでに戦場での二人は輝いていたのだった。



       □□□□□□□□□



 サピンとホランドの戦は既に佳境を迎えていた。とめどもなく侵入してくるホランド騎兵を押し留める事は叶わず、既にサピンの兵は当初の三分の一にまで数を減らしている。散発的な抵抗は続いていたものの、最早殲滅されるのは時間の問題でしかない。この時、主将エウリコはある決断を己に下す決意を固めていた。


「サピン王国王甥エウリコ=ロドリー=エレディアが命ずる!!全ての生き残った者は手近なナパームに火を掛けろ!!既に勝ちは望めぬ、この期に及んでは一人でも多くのホランド兵を道連れに戦い果てるのみ!!ホランドの畜生共は我等を一人として生かす気は無い!全員、覚悟を決めよ!!」


 その言葉に疲れ果てて立っているのがやっとだったサピン兵に最後の力が宿り、数千の男の狂ったような雄叫びが戦場に木霊する。そうだ、ホランドの敗者への仕打ちはこの二十年、嫌と言うほど聞き及んでいる。いまさら降伏した所でこの人面獣心の外道共が自分達を許すはずが無い。散々に嬲った後に全員殺すのは分かり切っている。ならば、主将の言葉通り一人でも多くのホランド人を道連れに果てる事こそサピンの利となる。生き残りの心は一つに繋がり、騎兵の剣を物ともせずナパームの入った樽へと殺到し、転がっていた火打石を打ち鳴らし始める。

 サピン語の分からないホランド人にもその意図が伝わり、慌てて息の根を止めようとするが、狂気に突き動かされていたサピン兵には大した障害になる訳も無く、味方の屍を盾にした一人が樽に火花を落とした。次の瞬間――――――


『ズドオオオオオン!!!』


 一つのナパーム樽が轟音を生みつつホランド人、サピン人関わりなく空中に放り投げた。それに連鎖して近くの樽も次々誘爆して、生きている人間、死んだ人間、脚竜、一切合切区別なく焼き払い、吹き飛ばし、サピン軍の陣は完全に火の檻と化してしまった。それはまるで巨大な石や煉瓦で組まれた竈の内部のようだった。

 そして、薪となるのは人間と脚竜。サピン、ホランド、戦場で敵味方に分かれ、相争う者達がこの炎の檻の中で、等しく燃やし尽されようとしていた。

 その中央で一人の男が狂ったように炎を纏い、笑いながらホランドの本陣に向かって何かを叫んでいた。残念ながらナパームの爆発でまったく聞き取れなかったが、本陣に居たホランド兵の多くは一言だけ彼の言葉が聞こえたような気がした。


『ざ・ま・あ・み・ろ』


 その一言だけが何時までも耳から離れる事無く張り付いていた。多くの兵士は幻聴だと真面目に受け取らなかったが、本陣に一人だけ、わなわなと全身を震わせながらうつむいた男が居た。


「ユ、ユリウスさま!お気を確かに!」


 すぐさまオレクがユリウスを宥めようと、彼の手を握り落ち着かせようとしたが、彼の震えは止まるどころか一層激しいものとなり、遂には目の前のナパームの如く爆発した。


「ふざけるなあああああああああああ!!!!なんだそれはああああああ!!!この半死人の分際で我が栄光あるホランド騎兵をどれだけ道連れにしおったかああああああああああああ!!!馬鹿野郎おお!!!!馬鹿野郎おおお!!!!ばかやろーーーーーー!!!!!!!」


 体面も尊厳もありとあらゆる自制をかなぐり捨てた、ユリウスの魂から搾り出された絶叫が虚しくアルニアの冬空へと消えて行った。



 西方面サピン軍司令官エウリコが率いる七千のサピン兵は一人の生存者も無く、ホランド王国旧アルニア領にて炎の中に消えてしまった。対するホランド軍も騎兵六千を失うという大損害を出したものの、防衛戦そのものは達せられた事となる。ユリウスは本国の土を踏ませなかったという戦略目標は達せられたものの、戦術的には敗北に近い損害を出した事で軍の再編の為に王都カドリアに帰還せざるを得なかった。彼の初陣は勝利に飾られたわけだが、本人には極めて苦い勝利と言えた。



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