第53話 王家の結婚事情




 アラタとマリアの婚約が発表されてから一ヵ月が経った頃には国中がその話題で持ちきりになっていた。ホランドとの戦争もドナウの圧勝に終わり、王家の権威はかつて無い程に高まっており、おめでたい話題なので国内の平民達は素直に喜んだ。ただし、結婚相手が全く無名の外国人だと発表されると皆一様に困惑したが、今回のホランドとの戦で多大な功績を挙げた人物だと伝わると、それなりに歓迎する雰囲気が生まれた。

 自分達にそれほど関係の無い平民はそれで良かったのだが、困るのは貴族だった。特に今回の戦でほぼ蚊帳の外に置かれた地方領主は、ぽっと出の平民に王女を奪われた形になるので、憤慨する者はかなりの数に膨れ上がった。ただしこれは王の決めた事であり、一貴族が異を唱えた所で覆る訳も無く、目敏い者はそれを見越してさっさとアラタにすり寄る選択をしていた。

 講義への参加もその一環で、王家の新たな縁戚に顔を覚えてもらおうと動き出していた。アラタは学問に政治を持ち込む事を良しとしなかったが、最低限の顔繋ぎは認めていた。アラタにとっても必要以上に敵対者を増やす事は考えていない。

 実はアラタと縁を結ぼうとする者は近衛騎士や官僚の縁者が多い。彼等からアラタの事をある程度聞いており、敵対するより仲良くなった方が利になると判断していた。

 ただし、そのような選択をした貴族は三割程度で、残りは様子見か、あからさまに敵愾心を抱いていた。何せ、得体のしれない外国の平民が王家の中に入りこむのだ。損得勘定では割り切れない感情や、どれだけ有能でもバックボーンを持たない身一つのアラタを低く評価して、王女の伴侶に相応しくないと判断していたのだ。

 アラタも全ての貴族が好意的に受け入れるとは微塵も思っていない。むしろ三割が受け入れた事の方が驚きだった。幾ら王の取り決めでも感情までは好きに出来ない。それを抑えて貴族として利益を追求する姿勢は評価すべきと判断していた。

 現状ホランドを退けた実績を持つアラタに公然と敵対する者はいないが、今後ホランドの脅威が消えた時、どう行動するかは未知数だ。出来れば穏便に済ませたいと思っているが、それで済むなら世の中はもう少し生きやすく出来ている。彼等が力で己の排除を考えるなら手心は加えないし、あらゆる手段も厭わない。公然とねじ伏せる事が出来ると、内心愉悦を感じるアラタだった。



 そして、アンナを含めたベッカー家はと言えば、来客の対応に追われ目の回る忙しさで日々を過ごしていた。結婚するアンナへの祝いの挨拶と言って普段から付き合いのある他家が訪ねて来たのは予想の範疇だったが、意図せず王家と繋がりを持った事から全く関わりの無い地方領主すらやって来る自体に陥り、ミハエルは当主の代理として客に対応している。伊達に王の相談役を請け負っている訳では無く、程々に客をあしらっていた。

 現状は前当主のミハエルが取り仕切っているが、流石に身内の結婚となれば外交官と言えど配置転換をする程度の情けは国にもある。あと一月もしない内にサピンに居る当主のゲオルグとヴィクトリア、東に居るアンナの兄のヴィルヘルムも一時帰国する手はずになっていた。

 結婚する当のアンナは身体が弱い事もあり、ごく近しい親族に挨拶周りをしたり、来客が知人だった場合に対応していた。ただし元来屋敷に籠りがちな深窓の令嬢然とした生活を送っていたので、その数は大して多くなかった。それでも年の近い友人からは、ようやく結婚出来た事を盛大に祝福されたのだった。

 その近しい者も貴族である以上、家の利益を第一に考えて行動しているので、情報収集や縁を結ぶ事も兼ねている事は当然だが、それでもアンナ個人を祝福していた事に変わりは無い。そこはアンナも理解しており、側室という事実を除けば人生最良の時を過ごしていた。



 そんな戦時とは異なった忙しさの中、比較的時間に余裕のあるエーリッヒがアラタを捕まえて、カールを含めた男三人でお茶を飲んでいた。


「アラタとマリアが結婚するなんて一年前は考えもしなかったけど、私は悪い気はしないな。ただ、当然だけど貴族からの反発が凄いね。私の方にもそれとなく父上に撤回の上奏をしてほしいと何人もやって来るから正直困ってるよ。私は二人の結婚に賛成してるのに、それをやめろだなんて出来る訳ないのに」


 エーリッヒはようやく戦時の非常事態から解放されて一息ついたというのに、つまらない事に時間を取られて少々不機嫌だった。王族として、兄として歓迎すべき結婚だというのに大して関係の無い者が横槍を入れてくるのだから面白い筈が無い。貴族としての矜持は必要な物だが、国や民を犠牲にするほどの価値など無い。まして自らの家の利の為だけに、それ以上のアラタという大きな利を失うなど大局が見えていない愚か者だと扱き下ろしてやりたいと内心感じていたのだ。

 カールもエーリッヒ程、政治的に判断したわけではないが、アラタの知識や能力はドナウに必要だと思っており、姉もアラタの事を嫌いではないと話していた事から賛成している。


「王族というのも面倒ですよ。好きな相手同士で結婚すればいいのに、家の格とか力関係とか煩わしい事が多すぎます。権力なんて関係なしに、みんなもっと楽しく生きられないのでしょうか」


 楽しく生きる為には財力や武力もある程度必要で、それを効率よく集めるには権力が必須な以上、彼等の言い分も幾らか利があるのだが、それを理解するにはカールはまだ幼いのだろう。

 特に衣食住一切の心配無く、趣味の世界に没頭できる環境など本当に限られた身分の人間にしか与えられないのが、まだ理解できていないので、そのような世間知らずな事が言えるのだとアラタは分析していた。性教育以外に政治学や、平民の生活をもっと教えないと困るのではと未来の義理の弟の将来を心配していた。

 孤児のアラタとて衣食住に困った事は生涯無いが、カールと同じぐらいの年頃はずっと勉強か成長を阻害しない程度の軍事訓練に没頭していたので、余計に自分の記憶と照らし合わせて齟齬を感じているのだ。ただし、王位継承が絡む話になると、利発な第二王子の場合、担ぎ上げられる可能性も考慮すると、これぐらいでちょうどいいのかも知れない。

 ホランドも敗戦をきっかけに、王子二人の権力闘争が活発化しているはずなので、一概に全ての王族が優秀かつ野心的なのは考え物なのだ。


「自らの栄達が何よりも大事な者はどこにでも居るものです。問題はその地位や力に付随する責任と上手く向き合えるかどうかが問題なんですよ。私のような平民から言わせれば、王ほど割に合わない職は無いです。その重みが分かっている人間は寧ろ王になりたがらなかったと、古い時代の話が幾つも残っていますよ。賢明な人間ほど王には成りたがらず、それ以上に責任感がある者しか王には成れません。権力者は不自由な存在、彼等にそれが分かっていれば良いのですが」


 分かってないからグダグダ言ってるんだろうなー、と小さくぼやき、エーリッヒは無言で頷いた。この年上の男二人の阿吽の呼吸を見たカールが若干の疎外感を感じてしまい、後日政治や法律の勉強を始めたのはまた別の話である。


「そ、そうだ!以前アラタに言われた通り、兄上に側女の身体を見せてもらいました。男と女の体って随分違いますね!」


 話題の転換がよりにもよってそれかよ、と内心悪態を吐いたが興奮した様子でまくし立てるカールに水を差すのも悪いと思い、黙って聞いていた。

 ちらりとエーリッヒを盗み見ると、当のエーリッヒもアラタを盗み見て、目が合うと、どちらも視線を逸らす。

 アラタは王族なんだから性教育ぐらい自分の家でやっておけよと言いたかったし、エーリッヒも面倒事を押し付けるなと言いたかったが、カールが満足してるならそれで良いやと半ば投げやりだった。


「それは何よりです。私もエーリッヒ殿下に頼んだ甲斐がありましたよ。所で、側女はどのような方でしたか?容姿や、年齢は?殿下との伽はどうだったかとか聞いてます?」


「こらー!!そこっ!妙な事を聞くんじゃない!カールも余計な事を言うんじゃないぞ!言ったら洗いざらい父に話してお前にも側女の世話をさせるからな!」


 流石にシモの事情を身内に知られるのは恥ずかしいらしい。そう言えばこんな会話、地球時代には一度も経験していない。戦いの記憶しか無い故郷と、一年だが満ち足りた時間を過ごした異国。どちらがより充実した時間だと言われたら、迷わずこの国の一年を選ぶと思うと、自然と笑みが零れていた。


 はははっと声を上げて笑うアラタにつられ、カールも笑い出す。こういう所は実の兄弟よりアラタの方と気が合うのだから、人間とは面白いものである。


「失礼しました殿下。ですが、王族として世継ぎの問題は常に考慮すべき事です。今の殿下に子が居ないのは色々と不都合がありまして。そうそう、外国から妻を娶ると聞いていますが、お相手はお決まりになりましたか?」


 幾ら義兄弟になるとはいえ、あまり王子をからかうのも体面的に不味いと思い、話題を逸らす為にマリア王女の結婚以外で話題になりそうな話に誘導する。エーリッヒもいささか強引に話題を変えた事は知っているが、恥部から離れたかった事もあり、そのままアラタの話題に乗っかることにした。


「まだ本決まりではないけど、レゴス王家に何人か年頃の王女がいるらしい。まだ婚約者が決まっていなければ、うちが名乗り出るそうだ。取り敢えず父の親書を届けさせて反応を見ない事には確定ではないよ」


「ドナウはユゴスと関係が深かったので、さらなる関係強化を図ると見ていましたが、レゴスの方に行きましたか。まあ、殿下の婚姻を期にこれから良い関係を築ければ十分利が見込めますか。ユゴスとは引き続き交易で良好な関係を築けますし、弱い所から補強していく選択ですね」


 流石にサピンやホランドから嫁を取る選択肢は無いが、長年の宿敵が友好国と縁戚になるのだからユゴスにとってはあまり良い気はしないだろう。無闇に敵を増やす愚は犯さないだろうが、人の感情は御し難い以上、注意は必要だ。

 アラタもそこまで口出しする気は無いが、それとなく調べておく必要があるので諜報部に情報を集めさせておく命令を下す事を考えていた。外務省の連中は良い気はしないだろうが、必要な事なのである程度は妥協してもらうとしよう。


「外務省の官僚も同じ事を口にしていたよ。ユゴスとは通常の交易の他にホランドとの共同戦線を構築する事で繋がりが維持できる以上、あまり関係の深くないレゴスの方に今は力を入れたいそうだ。それに場合によっては両国にもナパームを輸出する事を検討しているそうだよ。今の内に高値で売り払っておきたいそうだ」


 確かに一度実戦で使われた以上、もう隠す必要も無いので高値で売れる内に大々的に売り払っておけば相手に好印象を与えられるし、ホランドを撃退した新兵器という触れ込みならば、どの国にも飛ぶように高値で売れるだろう。稼げる期間に出来るだけ稼いでおく、交易国家のドナウらしい発想である。


「後は出来ればエーリッヒ殿下の好みに合う女性が来てくれるのを祈るだけですね。嫁いで来て早々、性格の不一致で冷え切った夫婦生活など、周りも気を遣いますから」


「まったくだ。そうなったら最低限世継ぎだけ作って、後は当たり障りの無いよう接して遠ざけるしかない。けど、出来れば仲良くやっていきたいよ。向こうだって見知らぬ外国に嫁いで不安だろうから、出来れば力になってやりたい」


 まだ見ぬ未来の妻が自身に合う女性である事を祈らずにはいられないエーリッヒだった。

 側室とは言え恋愛結婚が出来、それなりに良好な関係の女性を正妻に迎える事の出来たアラタは本当に幸運だったのだ。

 王族とは本当に自由の無い身分だとカールは自分の事を棚に上げて、兄の今後の生活が上手くいくように神に祈った。その数年後、自身もまた結婚相手に戦々恐々する羽目になる事になるとは、この時のカールには予想できなかった。



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