第161話 縫い目
着なくなったTシャツを雑巾にしようと、その縫い目を解いていた。
ハサミで切ってしまえば一瞬で終わることなのだが、この日は何にもすることなくて、暇すぎたから、ちょっと作業過程を増やしてみた。そもそも雑巾も、特に必要性を感じて作るわけでもなく、そういえば、大掃除した時に出てきた着古したTシャツ、せっかくだったら雑巾にリメイクしようかな、という思い付きだった。
まずは、襟の真後ろの二重の縫い目に、糸切りハサミで一カ所だけを切る。その切った所の隣が緩むので、裁縫箱にあった糸抜きの道具の二手に分かれた長い方を差し込んで、ぐっと引っ張る。そうしたら、今度はその隣が緩むので、またそこを引っ張る。
それを繰り返して、襟から肩にかけての糸を解く。でも、そこは二重になっているから、また二周目もやり遂げて、今度は、胴体と袖を繋ぐ糸を切り、また解いていく。そうして袖をぐるっと回って、反対側も同じように。
以上で、Tシャツを繋いだ縫い目を全部解ける。襟のびろびろした部分、筒型になった袖が二つ、三分の一までに切り込みが入っている胴体の四カ所に分かれる。
ちゃんと雑巾として作り直すのならば、胴体をおなか側と背中側に切り分けるべきだろうが、それは後回しにしていた。ともかく今は、集中力が続く限り、Tシャツの縫い目解きをやりたかったのだ。
首周りを解く。肩に移る。同じ箇所の二つ目の縫い目を解く。袖回りの糸を切って解く。もう反対側を解く。バラバラになったパーツごとに分けておいてから、別のTシャツに取り掛かる……。
それを、繰り返し、繰り返し、繰り返し……飽きは来なかったが、先に体の方が疲れてきた。手の限界になったので、膝上に置いて作業する。それだと今度は腰が痛くなってきたので、丁度畳の上だから、Tシャツをそこに置いて、寝っ転がって作業する。
目と縫い目の位置が近くて、もはや縫い目しか見えていなかった。縫い目、解く、縫い目、解く、縫い目、解く、縫い目、解く、縫い目、解く…………。
「あ」
声が出たのは、集中しすぎて、畳と畳の間の縫い目まで解いていたことに気付いた瞬間だった。すでに、十の縫い目分くらい、解いてしまっている。
どうしよう。ここ、賃貸だから、大家さんに相談すべきだろうか? そんなことを考えていて、はたと気付く。
畳のへりならともかく、畳と畳の間に、縫い目なんてあったっけ?
改めて、解いてしまったことによって見える、隙間を観察してみる。畳の下は床板のはずなのに、ただの黒が、いや、黒というよりもすべての色を混ぜたようなどんよりとした闇が、そこに埋まっていた。さすがに、ここに手を入れてまでして確認しようとは思わない。
なんてことだ。集中しすぎて、世界の縫い目まで解いてしまった。
その事実におののくが、これ以上解かなかったら大丈夫だと、自分に言い聞かす。でもこれは、誰に相談すべきだろう? まず、大家さんに言えば、直してくれる業者を呼んでくれるかもしれない。
とりあえず、畳の隙間には、捨てようと畳んでいた段ボールを蓋代わりに被せて、大家さんが来ても大丈夫なように、周囲の掃除から始めた。
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