第96話 歪な勝者
「最後に勝つのは、金を持っている奴だ」
ビジネスホテルの一室、カップ酒片手に胡坐を掻き、目の据わった男がそう言い切った。
すぐさま、その右側で膝を抱える、レモンチューハイを持った眼鏡の男が噴き出した。
「園さん、それ、もう三回目ですよ」
「そうか?」
園と呼ばれた男は、とぼけたように首を傾げた。指摘した男は苦笑しながら、チューハイを煽る。
「野島の言う通り三回目だけど、園さんの言いたいことも分かる」
園の向かいに座り、オレンジジュースのパックを傾ける男が、しみじみと頷いた。
それを見て、園とオレンジジュースの男の間に正座する缶ビールの男が、茶色い髪をいじりながら陽気な笑い声を立てた。
「河井、アルコール入っていないのに、お前の方が出来上がってんじゃん」
「田崎、俺は常々思っていることを言っているだけだよ」
オレンジジュースを床に置いて、四人の真ん中のつまみのスルメに手を伸ばしながら、河井は淡々と続ける。
「小さい頃は純粋に、正義は必ず勝つって信じていたからなぁ」
「それが嘘だと気付いた時、子供が大人に変わるんだぜ」
園の一言に、三人は一斉に手を叩いた。
「名言が出ました!」
「園さん、流石の人生観ですね。重みが違います」
野島と田崎にもてはやされて、園は政治家のように片手を挙げ、方々に会釈を返した。
その様子をスルメを噛みながら、河井はうっとりと目を細める。
「それが明日、証明されるんですね」
「そう。明日、大金を握り締める勝者は俺たちだ」
呂律が怪しくともそう断言して、園はカップ酒を掲げる。残りの三人もそれに向かって、各々の飲み物をぶつけあった。
△
「では、船場さん、十四時に林公園で、よろしくお願いします」
『はい……。四百万払えば、本当に息子の不祥事を不問にしていただけるんですよね?』
「もちろんです。それでは、お待ちしています」
不安げな老女の声に対して、神妙な顔をしながら話していた田崎は、力強く頷いた。
それから電話を切った後、打って変わって嫌な笑みを浮かべて茶髪を撫でつつ、田崎はホテルにいる面々を見回した。
「巧くいきました。必ず、あの婆さんは金を持ってくるでしょう」
「よし。そろそろ準備するか」
十三時を過ぎた腕時計を確認した園がそう言って椅子から立ち上がり、各々も動き出す。
簡単に荷物をまとめながら、田崎は隣の河井に話しかけた。
「思ったより信じ込んでいたよ、あの婆さん」
「若干世間知らずだとは思っていたけれど、あっさりしすぎだったな」
「今回は河井が知り合いを紹介してくれて助かったよ。おかげで安上がりだ」
車の鍵を握った園がそう言うので、野島が不思議そうに尋ねた。
「いつもは、どうやって標的を見つけてるんですか?」
「裏で名簿が回ってるんだよな。名前、年齢、家族構成とか色々載っているんだが、如何せん、詳しい情報となると高くなる」
「はあー」
感心しきりの三人を連れて、園はホテルから出た。偽装ナンバープレートの白い乗用車に乗り、指定した林公園の駐車場に止める。
十四時丁度、時計の下のベンチにいる受け子役の野島の元に、少し腰の曲がったの老女が現れた。黒くて小さな鞄を、赤ん坊のように抱えている。
「船場さんですか?」
「はい……あの、お金はこちらに……」
「はい。確かに承りました」
息子の失敗を金で揉み消そうとしている船場には、不安が色濃く表れていた。
そんな彼女に対して、眼鏡の奥で爽やかな笑顔を返した野島は、鞄を受け取った後、即座に駐車場へ戻ってきた。車の後部座席に乗った彼は、当然のごとく拍手喝采で迎えられる。
「手に入れました! 四百万!」
「す、すげぇ!」
「見てもいいか?」
後部座席の田崎と、助手席の河井も興奮で鼻息が荒くなっている。
「あんまり、目立たないようにな」
三人よりも少々冷静な園に言われつつ、野島は鞄のチャックを開けた。
中に入っていた、四つの札束を目にして、河井は生唾を飲み込んだ。
「こんな大金、見たことない……」
「一人百万円……」
「今回だけって言うのがもったいない……」
田崎の震える声と、野島のうっとりした声に頷いて、園は口笛を吹くような軽い調子で言った。
「後腐れなく、一度きりのチームって言うのは気楽だが、病みつきになってしまいそうだろ」
「確かに……」
「園さん、次もまた俺を呼んでください!」
「俺も、お願いします!」
河井と田崎と野島が口々にそう言うのを豪快に笑い飛ばしながら、園は車の鍵を回して、エンジンをかけた。
「じゃあ、帰りにコンビに寄って、パーッと打ち上げするか!」
「あ、俺はオレンジジュースでお願いします」
「河井、またそれかよ」
「下戸だから仕方ないよな。俺もまた、チューハイにしよう」
陽気な言葉を交わしながら、四人の車は滑らかに駐車場を出ていった。
△
「あいつはどこに行った!」
あちこちに空き缶や空の袋が転がるビジネスホテルの一室で、園の怒号がこだまする。
彼以外の二人は、青い顔をして、分からないと首を振った。
「電話しても、繋がりません」
「金も持っていかれたようです」
「クソッ!」
園は奥歯を噛みしめながらそう叫び、ドカリとベッドの縁に座った。激高に任せるがまま、頭を掻きむしる。
その様子を見つめながら、一人がこわごわ提案した。
「あの……園さんのツテを使って、あいつを探し出すことはできないのでしょうか……?」
「……俺たち、あいつのことをどこまで知ってるんだ? 名前もどうせ偽名だ。写真も撮っていない。どこに住んでいるのか、何をしているのかも分からない相手を探し出せるほど、裏社会は甘くねぇよ」
園はそう吐き捨てる。しかし、現実を直視したことで幾分か落ち着きを取り戻し、何やら思案するように腕を組んだ。
「それよりも、もう一度船場の婆さんから巻き上げた方が手っ取り早い」
「え? 二回も騙されるんですか?」
間抜けな声で尋ねた相手に、園はにやにやと笑い掛ける。
「意外とな。昨日のあれは詐欺だったんですと、警察のふりをするとか、方法はいくらでもある」
「なるほど!」
二人の表情にも、明るさが戻ってきた。
園が床に座り直し、三人で二日前のように車座を描く。
「電話はお前がしろ。そんで、第一声は……」
こうして三人は、二回目の詐欺に向けて話し合いを始めた。
△
「船場さん。今回は訓練へのご協力、ありがとうございます」
「いえ……。こちらこそ、非常に勉強になりました」
人気のほとんどない公園の中。警察の制服を着た青年に対して、船場は深々と頭を下げた。
未だ不安の残る表情で顔を上げた船場は、ニコニコしている青年に向けて、「でも」と遠い目をした。
「訓練とはいえ、生々しかったですね。電話の様子とか、お金の受け渡しの瞬間とか」
「はい。実際に行われた手口をそのまま再現しました。犯人役も、演技派の警察ばかりですから」
「ええ。ほんと、ちょっと怖かったです」
一瞬だけくすりと笑った船場だったが、再び緊張感を帯びた顔で会釈をした。
「カメラマンの方……ヨモさん、でしたっけ? 彼女にもよろしくお伝えください」
「分かりました。当ビデオは、振り込め詐欺の啓発に役立てていきます。ところで……」
そのまま立ち去ろうとした船場に向けて、青年は右の掌を差し出した。
彼女は、不思議そうに青年の顔と掌を見比べる。口元は笑っているが、右端が引き攣っていた。
「あの……どうか致しましたか?」
「昨日渡した携帯電話を回収します」
「あ、ああ、そうでしたわね。すみません、うっかりしていて」
船場は苦笑しながら、自身の鞄の中からスマートフォンを一台取り出して、青年の掌の上に乗せた。
「はい、ありがとうございます。重ね重ねになりますが、今回の訓練にご協力いただき、誠にありがとうございました。そして、本当の詐欺には、くれぐれもご注意ください」
「はい。分かりました。それでは、さようなら」
船場は、敬礼をする青年を何度も振り返り、ぺこぺこ頭を下げながら、公園から出ていった。
△
公園の公衆トイレを利用して警察の服装から着替えた青年は、丁度出入り口に止まった黒いバンを見つけ、そこへ駆け寄った。
助手席のドアを開けると、運転席に座っていた女性が軽く手を振った。
「白木君、お疲れさま」
「夜見さんもお疲れ様です」
白木は軽く頭を下げて、助手席に乗り、警察の制服が入った紙袋を乱暴に後部座席へ投げる。その時、黒い鞄が置いてあることに気付き、それを抱えて、助手席に座り直した。
シートベルトを締める白木に、夜見はドリンクホルダーに置いた缶を指さした。
「オレンジジュース買ってきたよ。白木君が好きな、粒入り」
「マジっすか! あざーす!」
大喜びで冷えたジュースを手に取った白木は、すぐに開けて、早速飲んだ。オレンジの果肉を楽しむ間もなく、「あー」と嬉しそうに唸る。
「やっぱ、一仕事終えた後のオレンジジュースは最高ですね!」
「ビールでその台詞はよく聞くけれど、オレンジジュースでそう言うのは白木君だけだよ」
夜見はそう言って苦笑しつつ、エンジンをかけた。道路脇から車道に入った黒いバンは、住宅街から大通りへと向かう。
「中身、見てもいいっすか?」
「どうぞー」
白木は鞄の中を見た。三つの札束と、そこに敷き詰められた大量の一万円札を見て、熱い溜息をつく。
「この光景、何回見てもいいもんですねぇ」
「園は気付いていた?」
「いや全然です。前情報通り、園は実行の前日とその後の酒盛りで、完全に酔いつぶれていましたから。多分まだ、俺がスキミングしたことなんて、気付いていないじゃないですか?」
白木は、カードを掌サイズの機械に入れるようなジェスチャーをした。
それを横目に見た夜見は、思わず噴き出した。
「まさか、自分で自分のお金を騙し取っていたなんて、思いもしないだろうね」
「それよりも、園が結構溜め込んでいたのに驚きましたよ」
「意外と多いんだよね。溜め込む詐欺師」
「あー、確かに、最後に金を持っている奴が勝ちだとか言っていましたね」
「有言実行してるね。今回は敗者だけど」
「そうっすね。今は金を持っているので、俺たちの方が勝者ですね。ま、悪人から金を巻き上げている時点で、俺たちも正義とは言えませんが」
「いつもリーダーが口を酸っぱくして言っているからねー。義賊じゃないって」
手持無沙汰に、白木は札束を指で素早くパラパラとめくりながら、大金を手にしているとは思えないほど軽々しく話す。
大通りに合流したバンは、他の車に紛れながら、静かに走る。
「でも正直、園のことはどうでもよくて、俺は船場さんの方が心配ですよ。あの人、俺たちが警察だって言っただけで、すぐに信じたじゃないですか」
「分かるなー。警察を語る詐欺だって、色々あるんだけどねぇ」
「今回は大丈夫でしたけれど、何かしら別の詐欺に掛かってしまうかもしれませんよね……ん?」
赤信号で止まったタイミングで、札束をめくり続けていた白木は、疑問を口に出した。
「どうした?」と問いかけながら夜見が見ると、白木は札束をまとめている紙を執拗に触っていた。
「なんか……スカスカしている気がするんですよ」
「え? まさか、足りていないとか?」
驚きの声を上げる夜見の横で、白木は不審な札束を改めて数えてみた。
信号が青になり、数百メートル走った後、白木はがっくりと肩を落とした。
「間違いないです。三万、無くなっています」
「お酒とか買う時に使ったんじゃない?」
「その時の金は、底でバラバラになっています」
「じゃあ、受け子が?」
「野島は駐車場に入ってくる時、可笑しな動きはしていなかったですよ」
「私は、受け取ってからをずっと見ていたけれど、開けてはいなかったね」
「まさか……船場さんが?」
その可能性を口にした時、白木は引き攣った笑みを浮かべていた。
彼の不安に反して、夜見は「あ、」とひっくり返った声を上げる。
「一瞬だけ、私のカメラから外れた瞬間があったよ。その時に、見ちゃって、魔が差して……。中身が重いことを気にしていたからさ、適当に誤魔化していたけれど」
「えー、船場さんがー?」
未だに信じられない様子で、白木は車の天井を仰ぐ。その時、「ああ、でも」と呟いた。
「この前会った時は、すごく人懐っこい感じの船場さん、今日は妙に余所余所しかったな……やけに帰りたがっている様子だったし……」
「残念だけど、確定だね、白木君」
意地悪そうに目を細める夜見に、白木も諦めたように笑い掛けた。
「これで、金を持っている船場さんも勝者ということになりましたね」
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