第72話 「吾輩は猫である」「吾輩も猫である」「吾輩だって猫である」
公園の出入り口から、イッセイが自慢の尻尾をぴんと立てたまま歩いてくるのが見えた。
「ちぃーす」
「こんにちは」
「遅いぞ」
イッセイの軽い挨拶に対して、ベンチで香箱座りのリョウコはのんびり返すが、俺は苛立ちをはっきりと示した。
この中で一番若いイッセイだが、必ず集会には遅れてくる。
「ユカタは気にしすぎなんだって」
俺の斜め前、ベンチの隣に座ったイッセイは、相変わらずへらへらしている。
ただ、こいつに対しては何度も説教して上に、一度思いっきり噛んだこともあるのだが、それでも治らないから、これ以上何言っても無駄だと俺は諦めている。
「えー、では、つつじ公園猫集会を始める」
「はい。よろしくお願いします」
「しゃーす」
この三匹の中では、中間の年齢である俺が、集会の議長を務めている。ただ、キョウコは年上なのにだいぶ暢気すぎて頼りにならず、ユカタは年上を敬わないため、いつも割を食うのが俺だ。
少しでも威厳を見せようと、俺は尻尾で半円を描いて、皆を見回した。
「最近、気になることはあるか?」
「じゃあ、私から良いかしら」
「どうぞ」
いつも日の当たる位置を陣取っているキョウコは、温かい太陽に目を細めながら、またゆったりと話し始める。
「噴水広場のボスとアンナが喧嘩をしてね、とうとうアンナが追い出されたそうよ」
「アンナが? こっちに来るだろうか?」
「噂ではね、北の方に向かったらしいわ」
「そうか……」
新しく縄張りに入ってきたらトラブルになるのだが、それは回避できたようでちょっとほっとする。
しかし、ここの仲間も減ってきているので、もしもアンナが現れても、受け入れる余裕はあるのだがな……と思いながら横を見たら、イッセイは退屈そうに大きなあくびをしていた。相変わらず過ぎて、注意する気にもなれない。
「イッセイは、なんかあるか?」
「へっ? ……ああ、俺の方はー」
完全に不意を突かれたイッセイは、上の方を見ながら何か思い出そうとしていた。
しばらくして、そうそうと話し始める。
「最近、一つ隣の道路でうろうろしている奴がいただろ?」
「ああ、シンタローが仲良くしている奴か。名前、なんて言ったっけな……」
「あいつ、家出だったみたいで、ちょっと前に連れ戻されたらしいよ」
「やっぱりそうか」
イッセイが話している猫のことは、一度だけ見たことあった。
野良には思えないほどの綺麗な毛並みで、その後に聞いた噂では、かなり世間知らずだという印象だった。
「家でぬくぬく暮らしていたのに、家出するなんて、バカね」
「……」
「……」
キョウコが不機嫌そうにそう言い切ったのを見て、俺たちは気まずさを感じながら顔を合わせる。こういう時、さすがのイッセイも茶化すことはしない。
俺たちは、キョウコが元飼い猫だということを知っている。俺たちが生まれるずっと前に捨てられて、飼い猫時代よりも野良時代の方が長いが、気品あふれる振る舞いはかつての名残りなのだろう。
「そんなことより、ユカタはどう? なんかあった?」
「あー、そうだな、報告することでもないんだが……」
特に意味もなく、上を見上げてしまう。
葉をつけていない頭上の枝が、ざわざわと揺れていた。
「最近、近くの家に引っ越してきた家族がいただろ?」
「ええ。子供の方はたまに来るわね」
「あの家の前を通りかかった時に、窓辺にメスがいたんだが、」
じっと、目の前の二匹が俺へ耳をそばだてているのを感じながら、覚悟を決めて、たった一言だけを呟いた。
「あれは、マキだった」
はっと、二匹とも息を呑んだ。
「マジで?」
「あの模様は、見間違えないよ」
俺は断言する。
白い毛に、ぽつぽつと散らばった黒い点の位置も、俺とそっくりだと言われたカギの尻尾も、みんな子供だったマキと同じだった。
「大きくなっていたでしょ」
「だいぶな。でもまだ子供っぽくてな、俺には気が付かずに、飛んでるチョウの方を眺めていた」
母親似の横顔で、大きく黄色の眼を見開いたマキは、こっちを見ずにチョウの動きをじっと追っていた。
俺の方に気が付かなくてよかった。その隙にそっと離れることができたから。
「話しかけなかったんすか?」
「できるかよ」
恐れ知らずなイッセイの一言に、俺はきっと彼を睨みつける。
言えるわけがない。目が開いて間もない頃に拾われたあの子の前に現れて、俺が父親ですなんて。
「マキちゃんが幸せだったら、それでいいのよ」
「そうだな」
リョウコが言ってくれた以上のことを、俺は望まない。イッセイは納得していないけれど、アイツはまだ若いからぴんと来ていないのだろう。
公園に来る者も、去っていく者もいたけれど、今はこの三匹だけなんだなと、悲しいとか寂しいとかではなく、今の俺は淡々と受け入れている。
「今日は以上で解散」
「はーい」
「へい」
俺がそう言っても、キョウコはベンチの上でそのまま目をつぶって、イッセイは毛づくろいを始めた。こういうマイペースな奴らだからこそ、衝突せずに続いているのだろうな。
俺も大きくあくびをした。いつもの木陰で眠ろう。今日も太陽が暖かい。
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