6-5
玉座の間に汗が舞い、それに倍する伊那の鮮血が飛び散る。
まるでワルツを踊るように、伊那とルベリアは床を鳴らす。その一挙手一投足が、見る者の心を奪い、強く惹き寄せる。美の闘舞はしかし、リズムを踏み外した者を、確実に死へといざなう。絶え間なく続くかに思われるそれは、突き、払い、薙ぐ、剣技を極めた三拍子だ。
次第に周囲を取り巻く衛士達や、その後ろの文官達からも興奮の声があがる。
誰もが皆、二人の闘争に魅入られていた。
「エル……お伊那、さん、は……」
「大丈夫、大丈夫だプリミ。それより、僕は」
剣を振るって床を跳び、身を捩りながら擦れ違うたびに。伊那の血が床をも赤く染めてゆく。ルベリアの剣は一度として、その身に触れることはなかった。が、剣を交える前から、数多の傷が伊那を苛んでいた。
うっすら汗ばみ、それでも尚普段の冷静さをうかがわせるルベリア。
それに対する伊那の表情は険しく、既に肩を上下させて呼吸を貪っていた。
「お伊那さんっ!」
「何じゃ、エルッ! 気が散るわ、後にせい」
エルフォンソの呼びかけに応えつつ、繰り出される斬撃を半身で避ける。次の瞬間には、身をバネに一撃を繰り出して、伊那は小さく呼気を放った。
石と鉄との剣がぶつかり合い、互いの主を擦過してゆく。
熱狂と興奮の坩堝と化したこの場で、ただエルフォンソだけを見詰めてくる眼差しがあった。
「へ、陛下……?」
天帝はただ、誰よりも近い場所で二人の死闘を見守りながら、エルフォンソへと問うような視線を投じてくる。思わず俯く彼へと、今度は揺るがぬ声が厳として響いた。
「エルフォンソ、お前はどう戦うのだ?」
刃と刃がぶつかりこすれる、金切り声。
限られた空気を奪い合うかのような、荒い息遣い。
それを演じる二人を囲んで包む、嵐のような喝采。
その全てを貫いて、アルビオレの声が真っ直ぐエルフォンソのところへと届いてきた。まるで試すような言葉が、再度繰り返される。お前はどう戦うのか、と。
「ぼ、僕は……」
「剣を手に戦うもよし。だが、お前は今までそれを選ばなかった。何も選んではこなかったな」
「は、はい」
「それが先程、吼えよった。大事なものを守るために戦う、と。さあ、どう戦うのだ! エルフォンソ・ミル・ラ・クーラシカ!」
ビクリ、とエルフォンソは震えた。鼓動が高まり、それを鎮めるように深く息を吸い込む。肺腑に雪崩れ込んでくる空気をゆっくり吐き出すと、彼はそっとプリミを床に横たえた。気遣うような視線に頷きを返して、エルフォンソは立ち上がる。
「陛下、いえ……父上。力こそが全てと、貴方は仰る」
「いかにも」
「それがこの世の理と飲み込み、自分を殺して戦い続ける人達がいる」
今も、目の前に。
「ならば僕もまた、その理で戦いましょう。力こそが全てという、その理を打ち破るために!」
世が力で動くというなら、その理の中で戦うしかない。力に力をもって当たるは、もはや必定か? 答は是だ。ただ、現状を変えたいと望むだけでは、何も変わりはしないから。変えたい現状の中へと、飛び込むのを恐れてはいけない。
亡き母が言いたかったことはそれだ。
そして、エルフォンソが振るうのは力だけではない。寧ろ、力がないからこそ――
「お伊那さんっ! 借りを返して貰うっ! ただし、僕が貸した剣を、だ!」
エルフォンソは叫んだ。その声に視線を返してくれた、伊那の横顔をルベリアの剣が覆った。鮮血が舞う刃の向こうでしかし、微笑する気配がエルフォンソへと伝わってくる。
僅か一瞬だったが、伊那は次の一撃を切り払うと、距離を取って下がった。
その顔には、普段の不敵な笑みが浮かんでいる。
「聞いておったわ。エル、よい覚悟ぞ。しかし、あの剣をわしに返せと言うか、ぬしは」
「あの剣は、あの日お伊那さんが砕いた剣は、今まで何も選んでこなかった僕の剣だ。でも今、僕は望んであの剣を選ぶ。今だけは。だから、借りを返すなら、そのようにお願いしますっ」
「ぬしもわしと同じ道をゆくか。じゃが、エルならわしやこの小娘のようにはなるまいな」
「解りません。力を持てば人は変わる……何が人を力へ駆り立てるか、でしょう」
鼻から小さな笑みを零して、伊那が一度構えを解いた。そうして呼吸を落ち着けると、剣を下段に身を引き絞る。身をしならせて、彼女はルベリアへと向きなおった。
対するルベリアも、次が決着の一撃とばかりに、大上段に剣を掲げた。
「姉上っ! 姉上の気がすむように、如何様でも……でも、母上より戴いたこの命は、無駄にはできません。それは姉上、あなたの命だって同じ筈っ!」
エルフォンソが想いのたけをぶちまけたのは、両者が同時に踏み込んだ瞬間だった。
僅か数歩で、二人は遠間に広がった距離を食い潰す。そうして、激しい剣戟の音と共に、両者は正面からぶつかった。誰もが勝負の結末を感じて息を飲む。
エルフォンソもまた、アルビオレと同時に身を乗り出した。
「命が惜しいかや、小娘っ!」
「お黙りなさい、下賤の獣人っ!」
「エルが、ぬしの命を拾うてくれるそうじゃぞ? どうじゃ?」
「愚問っ! もとよりわたくしの命など、惜しいはずもありません」
苛烈に鍔競り合う両者は、握る刃を全力で相手へと押し込んでゆく。
「……見えてきおったわ、ぬしの虚が。誰とて死にとうはないものよな」
「なっ……わたくしを愚弄して! 引導を渡してくれましょうっ!」
「化かすまでもないの! ぬし、生を望んでおるではないか。サフィーヌ殿を、亡き母君を今も想っておるではないかやっ!」
僅かに押され気味だった伊那が、声を弾ませ総身を振るわせる。激しい出血と共に、彼女は五分五分まで剣を押し返すと、その勢いに言葉を乗せた。
「ぬしはの、小娘! わし以外の皆から、生きよと望まれておるわ」
「よっ、世迷いごとをっ」
「エルやサフィーヌ殿は勿論、ぬしはつわものじゃからの……天帝殿も、惜しまれる、じゃろうて!」
ぴしり、ひび割れる小さな音がはっきりと見えた。長年使い込んだルベリアの業物が、その鍔元から亀裂を走らせ、石の刃に喰い破られてゆく。火ノ本で鍛えられた伊那の宝刀が、大陸の鋼に食い込んだ。
伊那が半歩、地が揺れたかと錯覚するほど、強く踏み込んだ。
ルベリアの剣は根元から断ち割られ、その刃が回転しながら宙を舞う。
「くっ、まだまだ!」
「なんの、終わりじゃ。エルッ! ぬしの剣を……ぬしの選んだ刃なき剣を、その想いと意志を今こそ返そうぞ!」
折れた剣を尚も振るう、ルベリアの突きが伊那へと繰り出された。だが、最後の足掻きも虚しく、伊那の擦り切れた戦衣を僅かに揺らすのみ。
伊那は剣を左の逆手に持ち返るや、もう片方の右腕をルベリアの喉元へと突き出した。無造作に掴んで吊るし上げれば、軽々とルベリアの痩身が宙を舞った。
誰もが息を飲む次の瞬間には、反逆の第九皇女は固い床の上へ叩きつけられていた。
大の字に天を仰ぐ、ルベリアの喉元へと伊那の剣が突きつけられる。
「両者、そこまでぃ!」
アルビオレの声が空気を沸騰させ、振動に肌があわ立つ。エルフォンソは、天帝の言葉を待たずに剣を引く伊那を見た。その身は今にも倒れそうに見えたが、ふらりとよろけた足を踏ん張り、血まみれの体をアルビオレへ……真の敵へと向かわせる。
「ルベリア。此度の謀叛、まことに重畳っ! 次からは小細工を弄せず、正面から挑んで参れい! 貴様はこの玉座を欲するに値する、この大陸で我に次ぐつわものよっ!」
辺りを見渡し、天帝がルベリアを称えている。その声に吸い寄せられるように、伊那は怨敵を目指していた。おぼつかない足取りが、赤い足跡を刻む。
「もののふの姫よ、そのほうも天晴れ、大儀である! さあ、褒美を取らそうぞ!」
待ちわび待ち焦がれたように、アルビオレが床から剣を引っこ抜く。その厳つい肩で風切り、覇王が伊那の前にそびえ立った。
エルフォンソはプリミに押し出されるように、気付けば飛び出していた。
伊那は一度だけ、肩越しにエルフォンソを振り返った。そうして満面の笑みを浮かべると、剣を鞘へと収め、居合い抜刀の構えに身を沈めた。その頭上に、アルビオレの剣が振り上げられる。
「さあ、天帝殿……天帝アルビオレ! 火ノ本安泰のため、我等が民の安寧のため……その首、頂戴つかまつるっ!」
「いい面構えぞ。……やはり、うぬも惜しいわっ!」
刹那、閃光が虚空を切り裂いた。
アルビオレが剣を振り下ろすと、駆け寄るエルフォンソへ伊那が音もなく飛び込んできた。慌てて抱きとめれば、数瞬遅れて風圧がその場を薙ぎ払う。誰もが悲鳴を口にする中、エルフォンソは見た。玉座にとってかえす父の背中を。なびくマントに刻まれた帝國の紋章を。翼を広げた真紅の龍を。
エルフォンソはただ、軍装で重い伊那を抱いて、その場にへたりこんだ。
「火ノ本に総督府を開くっ! かの地を平定し、完全に帝國の領土とせよ! 総督には第九皇女、ルベリア・ミルタ・ラ・クーラシカを任命す。以上っ、これにて余興は終わりぞっ!」
最後に豪快に、高らかに笑うとアルビオレは玉座に身を沈めた。
それは、弱々しくルベリアが上体を起こすのと同時だった。茫然自失の彼女はしかし、飛び起きるや天帝に詰め寄った。
「何を言うのです、天帝アルビオレ! わたくしを殺しなさい! 今まで幾多の者をそうしてきたように、この場で斬り捨てるのです! ……わたくしは、生き恥などっ」
「ならぬ」
「何故です……わたくしが実の娘だからですか」
「うぬが真のつわものだからよ。そこで伸びておる、もののふの姫に勝るとも劣らぬ剛の者よ。されば東の最果て、火ノ本にて今一度、その牙と爪を研ぐがいい」
天帝は口髭を撫で付けると、楽しそうに喉を鳴らしながら呟いた。
「次は、真正面からかかって参れ。それができずば、いつでも我が殺してやろう」
それっきり、二人は黙ってしまった。
エルフォンソはただ伊那を抱いたまま、慌しくなる周囲を眺めていた。
エルフォンソには、己の父親の考えていることが解るようになっていた。自分もまた、父や姉と……何より、この腕に抱く獣人の姫君と、同じ世界に踏み込んだという自覚が芽生えていた。力こそが全て、簒奪こそが美徳という、野蛮で残忍な世界だ。
その中でエルフォンソは、何がしたいのかを忘れぬよう、心に深く刻んだ。
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