4-6

 その夜は、狩りに招かれた客を歓迎する、盛大な晩餐会がとりおこなわれた。城内の使用人達は忙しそうに、会場のアチコチを行き来する。接待を受ける貴族達は誰もが、今日の狩果を語らいつつ、その中に今後の帝國情勢を探り合っていた。

 エルフォンソは昼間の一件もあって、賑やかなパーティの中で城の主人を探した。

「旦那様はただいま、少々席を外しております。戻り次第、殿下にはお声をお掛けいたしましよう」

 白髭の痩せた執事は、エルフォンソに同じ言葉を繰り返すだけだった。

「至急お取次ぎを。早急に確認せねばならないことがあるのです」

 エルフォンソの要求にも、鉄面皮の執事は応じる様子を見せない。黒のイブニングを着こなし、ただ黙って先程と同じ内容を伝えてくるだけだった。埒のあかない押し問答をエルフォンソは諦める。

 結局、楽隊が音楽を奏でる会場へと、エルフォンソは借り物の燕尾服を翻した。

「城の主が主賓を放り出して……やっぱり、ただごとじゃないわね」

「ああ」

 プリミの言葉にエルフォンソは、憮然とした返事を短く切る。何も、ないがしろにもてなされていることへ腹を立てているのではない。そんな彼の前に回りこむと、プリミは曲がった蝶ネクタイを背伸びしてなおした。

「焦ればことを仕損じるばかりか、あなたの命も危ういわ。勿論エル、あなたはあたしが命に代えても守るけど」

 これでよし、とエルフォンソの正装を完璧に整えて、プリミが表情を引き締める。近衛女中のエプロンドレスは、帝國のあらゆる式典で通用する第一種礼装だ。その、普段通りのメイド姿で彼女は言葉を続けた。

「謀叛の疑いと、それを裏付ける最新式の銃の製造。そしてエル、あなたの暗殺未遂」

「一つずつ片付けていかなければいけないけど、先ずは公爵だ」

 公爵に真意を、今一度正す。

 一歩対応を間違えれば、世界を平定したクーラシカ帝國は、その平和を感受する前に再び内乱に襲われるだろう。戦だけは避けねばという想いは、エルフォンソの中で強かった。

 たとえ実の父が、望んで火種をあおり、その炎に身を躍らせようと歓喜しても。

「公爵にもし叛意がない場合、僕を襲った連中のメリットはなんだろう? プリミ」

「真っ先に思いつくのは、陛下の後継者問題ですわ。こう言っちゃ悪いけどエル、あなたが玉座に興味がなくても、他の殿下はどうかしらね」

「近衛女中仲間からは、何か普段聞いてないかい?」

「誰かさんがそうであるように、あたしも近衛女中の中では変わり者扱いですもの。でも、ここ最近は大きな動きは聞かないわね。先だっての火ノ本攻めで、沢山の皇族が戦死したもの」

 なるほど、腹違いの兄や姉、弟や妹達は、目下のところはライバルが減って満足しているのかもしれない。だが、中にはさらに自分を玉座へ近付けんとする者がいてもおかしくないのだ。

 皇族が住まう王宮は正に、互いをんで喰い合う龍の巣だ。

「では、公爵があの人の……陛下の言う通り、叛意を持っている場合は」

「単純に、陛下の送り込んできた、あたし達を消す」

 その可能性はしかし、もう一つの悲劇をはらんでいる。極めて最悪の結果に近く、限りなく平和や平穏とは遠い結末だ。それは――

「お伊那さんは最初から、そっちの線をずっと疑ってたみたいだね」

「そうね。どっちにしろ、エル。明日にもここを発ちましょう。これ以上は危険だわ」

 プリミの判断は妥当で、的確だ。正当性もある。

 彼女はエルフォンソの生命と安全を守る、彼だけの近衛女中なのだから。

「ん……兎に角、今は現状を正しく把握し、できるなら穏便にことを収めよう」

「エル!」

「プリミ、戦になるかもしれないんだ」

 それは、エルフォンソには耐えられない。

 プリミが大きな溜息を零した。エルフォンソは申し訳なく思う反面、皇族として最低限の義務は果たしたいと思う。自分なりに秘めた、小さな矜持も守りたい。

 そうして彼等が、壁際の花になりつつ声をひそめていると、ホールを感嘆の声が満たした。

「おお、おお」

「お似合いですぞ、もののふ姫」

「ささ、こちらに」

 瀟洒なドレスに着飾られて、伊那が現れた。

 真っ白な彼女には、ありとあらゆる色が馴染む。淡い紫色のドレスをしかし、彼女は窮屈に感じているようだった。何やら仏頂面で、むすっと周囲の貴族達に囲まれている。勿論その背後には、当然のように迅雷が控えていた。

「エル、今思えばここ数日のうちに招待された客達……大半が公爵の息がかかった門閥貴族達だわ。言うなれば火ノ本攻めの際、公爵が率いた軍勢の関係者……エル?」

「ん? あ、ああ、うん。こうなるともう、誰もが怪しく見えてくるな」

 一瞬、エルフォンソは伊那に見とれていた。

 大陸の洋服も、いい。

 周囲の相手もそこそこに、料理を求めてずんずか歩く、伊那の腰元が窮屈そうに膨らんでいた。それが今、スカートの下でもそもそとうごめいている。

「もののふ姫はドレスもお似合いですな。お美しい……作法を身に付ければ、よき寵姫として陛下の寵愛をたまわることでしょう」

 意外な声に、エルフォンソは背後へと振り返る。

 そこには、執事との短いやり取りを終えた公爵の姿があった。

「わたくしにお話があるそうで……殿下。なんなりとうけたまわりますぞ」

「いえ、怪我のお加減はいかがかと心配していたのです。肩の銃創が痛むのでは?」

 エルフォンソはかまをかけてみた。この手の駆け引きというやつは、正直得意ではない。変な汗が手袋の内側に滲んで、彼の声は僅かに震えた。

「はて、怪我ですか。わたくし、ここ最近は怪我らしい怪我をした覚えは……殿下の勘違いでは? 何はともあれ、ご心配いただきもったいなく思います」

「そうですか。いえ、失礼はご容赦を。私の覚え違いだったようです」

 下手はうてない。今日、命を狙われたとも、その犯人が公爵だとも、今は口にできない。

 エルフォンソは慎重に言葉を選び、どうにか公爵の本心を聞き出そうと苦心していた。その時。

「ええい、駄目じゃあ。窮屈でたまらぬっ!」

 絹を裂くような、もとい、絹を裂く音が会場に響いた。

 伊那が、ドレスのスカートを足元から腰まで、一直線に引き裂いたのだ。そうしてできた隙間から、純白の先端に朱をあしらった尻尾をゆるゆると覗かせる。

 周囲の貴族達も、あまりの無作法に言葉を失っていた。

 伊那だけが気にした様子もなく、一心地ついた表情で料理を物色し始めた。

「お伊那さん!? ああもう……借り物のドレスを」

 エルフォンソがめまいを感じて、額に手を当てていると、隣で空気が重みを増した。

 それも一瞬のことで、高らかな笑い声があがった。

「結構、気にすることでもありますまい。火ノ本のもののふ姫にはさぞ、大陸のドレスは窮屈でありましょう。何、母も笑ろうておりますわ」

 公爵は頬を崩して、伊那を何とか取り繕う自分の夫人へと歩み寄っていった。

 その背を追うエルフォンソはもう、嫌疑も忘れて語彙から謝罪の言葉をかき集めていた。

「度重なるご無礼非礼、申し訳ありません、公爵。……もしやあのドレスは」

「亡き母のものです」

 その一言は、エルフォンソには酷く堪えた。もう、今日の暗殺未遂や、最新の銃を大量生産していた理由を、冷静に問い質すことができない。

 無邪気さも無知も、時には罪だ。そして伊那は、罪を罪とも思わず、料理を頬張っている。

「味はいかがですかな? もののふ姫。ご希望通り、姫の仕留めた鹿を焼かせましたが」

「おう、ディッケンか。美味じゃ。しかし、大陸では鹿は食わぬのかや?」

「我々の鹿狩りは、兵錬の一種でありますからな。食すのは主に牛や豚、鶏です」

「火ノ本では鹿、羊、猪なんかも食うがのう。エル! わしが仕留めた鹿じゃあ。ぬしもこっちに来て食わぬか。プリミも、はよう」

 相変わらず公爵への目は険しいが、窮屈から解放された伊那は上機嫌らしい。千切れんばかりに尾が揺れている。エルフォンソは、本来なら彼女が抱えるべき罪の意識に胸が重かった。

「エル、とりあえずはやっぱり、明日発ちましょう」

「いや、まだ……姉上の口添えも、手紙もあったんだ。まだ、何かできることが」

 そう言うエルフォンソは上の空で、ただ罪悪感を懐いて立ち尽くした。

 なら、とプリミが小声で呟く独り言は、耳に入っても考えることができない。

「手紙……ルベリア殿下の。そうだわ、あの手紙。ひょっとしたら……ううん、まさか。でも」

 ただ漠然と、異国の姫君、火ノ本の獣人への小さな憤りが込み上げた。

 賑やかな晩餐の宴は、伊那を中心に笑い声が渦巻く。

 エルフォンソはただ、母の形見と言った公爵の、その心中を察して胸が痛んだ。

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