壱・死地より拾うは

2-1

 正装もそこそこに、袖のカフスをもどかしく留めながらエルフォンソは歩く。天井の高い王宮の廊下は、ブーツの足音を遠く響かせた。窓から差し込む西日は強く、一日を折り返したばかりの太陽はいまだ高い。

「エル、どうしたの急に。あなたらしくもない」

 数歩後を歩くプリミから帽子を受け取る。それを被る間も、足は止めない。

 確かに、自分らしくないとエルフォンソには自覚があった。だが、言葉にできない焦りと怒りが、我が身を急きたてる。

「もう全ては決まってしまったことなのよ。あれだけの無礼を働いて、許されるわけがないもの」

 いちいち、利発的な近衛女中の言うことはもっともだ。

 三日前の戦勝記念、そして争覇五十周年記念式典における、輿入れの儀の暴挙。本来なら火ノ本の姫君は、その場で即刻天帝アルビオレに斬り捨てられていてもおかしくない。

 だからといって、多くの民の前で公開処刑というのはくだらない。少なくとも、エルフォンソにはくだらなく思えて仕方がなかった。

 率直に言って悪趣味に過ぎる。しかし、半世紀の覇道を歩んできたアルビオレには、裏切りや謀りの類は日常茶飯事。前例を数えたらきりがないのだろう。自然と日常化している罪人の処刑は、それ自体が天帝の名を飾る恐怖の代名詞でもあった。

「やっぱり大陸人と違って、獣人達の住む火ノ本は完全には屈服していないのね」

「大陸内だって怪しいものさ。それでも、一応は平和になったんだ。それを今更」

「また戦争になるのかしら……獣人達は好戦的と聞きますわ」

 もしもそうなら、あの人は小躍りして狂喜乱舞するだろう。エルフォンソは心からそう思う。

 アルビオレ・ジル・クーラシカにとって平和とは、戦争と言う目的の結果でしかないのだから。親子でありながら、エルフォンソとは手段と目的が真逆の人間なのだ。もっとも、エルフォンソが戦争という手段を肯定したことはないが。

「兎に角、エルが掛け合ってももう遅いですわ。それと――」

「まだ何か? プリミ・テルミル……いや、うん。解っているんだけども」

 苛立ちが足を止める。それを自らに戒め諌めて、エルフォンソは振り返った。

「剣を。処刑に立ち会うなら、もっとシャンとして貰わないと。皇族として」

 プリミが両手で、お飾りの剣を捧げてくる。エルフォンソは鼻から溜息を零して、それを受け取り腰に下げた。相変わらず収まりの悪い柄へ、忌々しげに手を置く。その間も、プリミはエルフォンソの襟元へ手を伸ばして、ボタンをそっと首元まで留めた。

 僅かに息苦しく、エルフォンソは嘆息を一つ。

「これでよし! さ、エル。馬車を手配したわ。行くなら急ぎましょう」

「随分と手際がいいね」

「何年一緒にいると思って? コロッセオまで小一時間はかかりますもの」

「コロッセオ?」

 王都の郊外にある、大規模な公共施設である。帝國成立の頃より存在し、さまざまな競技や芸能、時には騎士同士の御前試合で民に娯楽を与えている。エルフォンソに言わせれば、父親が辺境の猛獣や武芸者達と自ら戦っては、己の闘争本能を満たすだけの場所だが。

 そんな血生臭くも華やいだ場所で、何故?

 今まで天帝に牙を剥いた者達は、ただ事務的に往来へ骸をさらしただけだというのに。

「火ノ本の獣人が珍しいのもあるでしょうが……陛下は恐らく、民に知らしめたいのです」

 エルフォンソの心中に答える、静かな声音が響いた。思わず、さらなる疑問を声に出して問う。

「知らしめたい? 今更何をです。あの姫君を見世物にでもするつもりですか? 姉上」

「そうではありません。火ノ本よりの刺客を民の前で処断し、かの地が帝國領となったことを広く喧伝するのです。陛下の御心のままに。民も真の平定を知り、安心しましょう」

 豪奢な蒼い巻き毛をくゆらし、一人の麗人が現れた。その姿は男装ながらも、かえって静謐なる玲瓏な美しさをたたえている。知的に細められた目が、優雅な微笑を湛えていた。

 クーラシカ帝國第九皇女、ルベリア・ミルタ・ラ・クーラシカ。

 十も歳の離れた、エルフォンソの実の姉だ。

 背後であのプリミが、恐縮して数歩下がり、頭を垂れて控える気配が伝わった。

「あの地は……火ノ本はまだ、平定などされてはいません。……姉上」

「そうですね。ですから、先日のようなことが起こるのです。人質と称して刺客を送り込んでくる。蛮族達はまだ、完全に屈してはいません」

 当然にも思えた。エルフォンソ達は火ノ本にとって、大陸からの侵略者なのだから。

 千年もの間閉ざされてきた、東の最果てに浮かぶ孤島……火ノ本。大陸の文明と文化から隔絶された、獣人達だけが住む未開の地。初めての外敵である帝國を前に、その抵抗は壮烈を極めたと聞いている。

「エル、あなたは火ノ本攻めの際も前線には立ちませんでしたね」

「え、ええ。それはでも、姉上」

 エルフォンソは父親とは違った。恐らく、姉とも。戦争とは無縁の場所で生きてきた。

 ルベリアはいつでも、天帝の傍らで共に剣を振るい、轡を並べて戦ってきたが。

「では、あの娘の……もののふ姫の恐ろしさが解らないのも、無理はありません」

「もののふ姫?」

「あの、弧黍氏の姫君のことです。あれほどの戦上手、恐らく帝國にもいないでしょう」

 姉上がやわらかに頬を緩めた。その笑みはどこか、エルフォンソに父と同じものを感じさせる。

「帝國数百万の兵を前に、鉄器も銃もなく、少数で……しかし彼女は奮戦しました」

「あの人は……陛下は、何度も首を狙われたと」

「実際、幾度も危機はありました。彼女自身の胆力もさることながら、その巧みな兵法と用兵、夜襲に奇襲、遅滞戦闘。わたくしが傍にいながら、陛下の陣に肉薄すること数知れず。あれぞ火ノ本のさぶらい、恐るべき智将にして狂戦士、もののふです」

「それでついた二つ名がもののふ姫ですか。しかし火ノ本は、その彼女を差し出してきました! 人質として! ……それはまあ、その、ああいう形になった訳ですが」

 つい声を荒げるエルフォンソに、意外そうな顔で彼の姉は目を見開き、口元を手で押さえる。

 背中に痛いほど、プリミの咎めるような視線をエルフォンソは感じていた。

「そうでもありますが、結果は明白です。エル、何故そうももののふ姫の肩を持つのです」

「また戦になります! あの人が喜ぶだけだ……帝國にはもう、大陸全土を平定した、豊かな領地があるのに。政情も安定し、重税に泣く民も消えた。その上何故、小さな獣人の島国までも望まれますか」

 半分は本心だ。だが、もう半分はエルフォンソ自身にも解らない。

 あの真っ白な少女が、ぼんやり安穏に煙っていた第十七皇子の心を漂白してしまったのだ。

 ただ平和を願う心を、より白く鮮明に際立たせてしまったのだ。

「全ては陛下の望むままに……今はただ。それとエル、忘れてはいけません。攻めたわたくし達もまた、多くの同胞を失ったのです。四人の皇子と数え切れぬ兵達が、もののふ姫の率いる軍勢に散っていったのです」

「攻めておいてそれはないでしょう! 誰もが嬉々として、あの人についていくから」

 エルフォンソの父親は、天帝アルビオレは強い。剛力無双、知略に長け膂力に富み、何より王の器がある。生来の戦好きだが、その治世は大陸を今、有史以来の安定で包んでいる。

 しかし、それが闘争を求めていい免罪符にはならない。

「――エル、あなたはお母様に似たのでしょうね」

 不意に姉が目を背け、懐の手袋を取り出した。それで手を覆いながら歩き出す、揺れる蒼髪をエルフォンソは追う。隣に並んで歩を進めるプリミが、袖を引っ張り自制を促してきた。

 ツカツカと足早に歩くルベリアは言葉を続ける。

「お母様は争いを好まぬ、優しい人でした。思えば陛下もそんな、自分とは真逆の穏やかさに惹かれたのかもしれません。陛下の寵愛がしかし、後宮内でお母様を追い詰めていった……」

 天帝アルビオレは、百を超える寵姫を囲う一方で、正室を一人として娶らなかった。英雄色を好むとは、よく言ったものだ。

 エルフォンソとルベリアの母親も、後宮の寵姫の一人だった。多くの兄弟姉妹達の母親も、皆そうだ。中には、攻め滅ぼした国の姫君との間に、戦火の中で生れ落ちた者さえいる。

「わたくしの方で人選を進めていますが、火ノ本に総督府を開かねばなりません」

 不意にルベリアが、母の思い出を避けるように話題を変えた。自分から切り出しておいて、唐突に。先を行くその表情は読み取れないが、その声色はあいも変わらず、平静で澄んでよく通る。

 天帝の懐刀、第九皇女ルベリア・ミルタ・ラ・クーラシカ……文武に優れ、皇子ではなく皇女であることだけが、唯一惜しまれるとさえ言わしめる才女。民の信奉も厚く、兵の信頼は何より強い。ルベリアが弟を母親似だと言うなら、その彼女の身を流れる、より色濃い血は天帝アルビオレのそれと同じだ。

「エル、火ノ本を治めてみますか? 貴重な十代を宮中の雑務で費やすのは、わたくしにはもったいなく思うのです。かの地はまだ荒れていますが、プリミが守ってくれましょう」

「あ、いや……その、火ノ本は、どうしても征服すべきなんでしょうか?」

「蛮族鎮定は陛下の悲願なのです」

「あの人は、ただ伝説の獣人と、さぶらい達と戦いたかっただけですよ」

 扉を開け放つ姉の背が、陽光の中へと溶けてゆく。その眩しさに目を庇いながら、エルフォンソは尚も姉に食い下がった。

「エル、馬車が……ルベリア殿下、よろしければどうぞ、ご同道くださいませ」

 前半は声をひそめて、プリミが近付く蹄と車輪の音に手を上げる。

 かいがいしく御者に背伸びして働く、プリミを見詰めるルベリアの目は熱っぽく潤んでいた。そこに宿る想いが何か、この時エルフォンソには想像もつかなかったが。

 ただ、完璧な礼節を持って頭を垂れるプリミに、ルベリアは僅かに頬を崩す。

「いつも苦労をかけます、プリミ・テルミル」

「もったいないお言葉でございます、ルベリア殿下。エルは……あ、いえ、エルフォンソ殿下は」

 プリミは、はっ、とした表情で上げた面を再び伏した。

「ふふ、よいのです。プリミ、貴女はわたくし以上に、エルの姉であれば……親しければ。それでエル? 先程の話ですが、わたくしからも陛下に伝えておきますよ」

「僕は火ノ本の征服者に、その代表になる気はないですよ。自治を与えるなら兎も角、総督府を開くだなんて」

 結局、大役は辞退しつつも、その存在自体を問うて答えも貰えず。エルフォンソは姉と、姉気取りの近衛女中と車上の人となった。

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