Close to you

歌音柚希

『ただ、君の隣にいるだけで』

世界が優しかったら、一体どれだけの人が泣かずに済むのだろう。


すすり泣き、嗚咽、怒り、疲れ。

それらを体感しながら、僕はそんなことを考えた。


きっと、考えられないくらい大勢の人の笑顔が増える。


涙より笑顔が溢れる世界。なんて幸せだろう。


泣くくらいなら笑え。

暗い感情より明るい感情。

悲観的より楽観的。


これを教えてくれたのは、僕の大切な人だ。

彼女は誰よりも明るくて、よく笑って、なにより現実を知っていて。

それでもなお、悲観することなく一から十まで自分の命を使っていた。

そんな彼女が羨ましかった。いや、今も羨ましい。


だって君は、花束に包まれていても、息を止めていても、その花を枯らすことなく眠っているのだから。


可愛らしくも美しくもあり、けれどとても凛と咲き誇る、道端でひっそりと咲いているような力強い花。


僕はその花が大好きだ。

だからこそ、僕は笑う。

たとえ、永久に枯れないその花が、これから炎によって殺されようとも。


花が塩水を嫌うから。


泣いてはいるけど彼女のことを何も知らない人々は、そんな僕を異物を見るような嫌な目で睨みつける。

当然だ、彼女は彼らの前で本音を吐いたことがなかったのだから!

いくら自分の命の終わりを知っていようとも、彼女は怯えて毎日泣きじゃくる弱い存在じゃない。彼女はいつだって、彼らの前で弱気ぶっていた。


どうして? と尋ねたことがある。

その時の彼女の表情と言葉は、一生忘れない。



「求められるからだよ。要求通りじゃないと捨てられる」



まるで、目の前に殺しても殺したりない相手が立っているかのような、そんな憎々しい目だった。

「最期に家族と仲違いとか笑えるでしょ」

「そうかな。最後くらい自分の思うままに生きていいんじゃない」

「私はしたいようにしてるよ」

「そうやって強いフリをするのは、僕の前だからってこと?」

憎々しい目だったかもしれない。

けれど僕は見抜いた。君のその目が、半分は嘘だってこと。


憎しみの裏に絶望が見えた。絶望の裏に、悲しみが隠れていた。


それはきっと、自分のことをしっかり見てくれない母親に対する本心。


君は強い、でも普通の女の子なんだ。

「本当は嫌いじゃないんでしょ。辛いんでしょ。怒りたいんでしょ」

「なんで? 死は誰にでも降りかかるよ。怖いだなんて思わない」

あぁ、君の笑う姿が下手な演技として僕の目に映る。

こんな風に強がる君が嫌い。


「常に死を意識して生きてる女子高校生がどこにいるんだよ」


いずれ人は死ぬ。それはそうだ、誰だって知ってる。

けれど、知っているからなんだという話で。

黙っていたって、親と口を利かなくたって、どうせ明日は来る。

大概の人はそう思って生きてるんだ。僕だって。

「何が言いたいの」

「さぁね。答えは君にしか分からない」

少しの沈黙。

「……私は何なんだろう。何がしたいんだろう。もう、分かんないよ」

そう言った君の声は、わずかに震えていた。

よく聞かないと気づかないくらい。

「君は君だよ。強くもあり、弱くもある、普通の高校生。何がしたいのか分からないなら、一緒に考えよう?」

小さく笑いながら答えた僕の言葉は、君の嗚咽にかき消された。これでいい。

これが正しいはずなんだ。

君は自分の心をまっすぐに伝えていい。

他人の言葉に耳を貸す必要なんてないんだ。他人の求める君であろうとしなくていい。君は何をしても許されるんだから。


「君は、自分の死を盾にして、自分の思うままに過ごしていいんだよ」


泣いている君を、初めて抱き締めた感触。

君は小さかった。誰に対しても気を張っていた君の背中は大きく感じていたのに。


あの日から彼女はありのままの自分になった。

僕の前だけだったけど。彼女の、皮肉ぶっていない純粋な笑顔が見られて嬉しかった。それをもうすぐ失うだなんて、僕は思っていなかったのだ。

そう、僕も結局のところは『大概の人』のうちの一人なんだから。



その証拠に。



これは、

「死にたくない。まだ生きていたい! もっともっと、共に生きていたいの……! 邪魔をしないでよ! せっかく生きたいと思えるようになったのにッ」

君という命がこの世に見捨てられる前日のこと。

君は突然叫んで、手当たり次第に物を投げ始めた。

呆気に取られる暇もなく、僕は君を止めにかかる。

「落ち着いて! どうしたの急に!?」

聞こえているのかいないのか。君は何かに向かって叫び続ける。物を投げる。

「やだ、死にたくない! まだ何もしてない、何も言えてないじゃない!! どうして、どうして私を連れてこうとするの……」

徐々に力を失った君は戦意を喪失する。

やがて、顔を上げた君は泣き笑いで僕の目を見た。


「私、明日死ぬんだよ」


「……は? 何言って」

「迎えが来たんだ。まさか本当だったとはねぇ」

いつも通り、明るく笑う君。変わらないもの。


あれを冗談だと思った僕を殺したい。


「白馬の馬車?」

「あなたに似てる王子様じゃなくて残念」

言いながら、茶目っ気たっぷりに片目を瞑る。

その真意を探るような真似はしない。

気づいてしまったら辛くなるだけだから。


「ごめんね。私、あなたと出会わなければよかった」


「そんなこと言わないでよ。僕は君に出会えた良かったと思っているのに」

「あなたの中に私が居座るのは嫌だ」

嫌なわけがない。当然だ。


「謝らないで。僕は君に隣にいてほしいと願ってる」


叶わない願いでも、願うくらいならいいだろ?

恥ずかしそうな微笑は、消える直前の灯火だった。



……ついに花が燃やされる時が来たみたいだ。


最期のお別れ。それぞれの人が思い思いの言葉を涙ながらに投げかける。どれも全部、形だけの空虚な言葉。

形だけ綺麗に整えてそれで終わり。腐った魂胆が見え見えだ。

人がけたところで、僕は静かに彼女のもとへと進む。

そして、たった一言。


「僕と出会ってくれてありがとう」


たった一言と最上級の笑顔。それで十分だろう?


僕は、残りの想いを心の奥底に封じ込めた。

姫の命でしか解けない封印。


姫の命は、涙と一つの笑顔に見守られて、静かに消えていく。

向こう側へ。


さようならの意味を知るのが怖かった、以前の僕じゃない。


もう、彼女に言えるくらいには強くなれた。


「ありがとう。…………またね」


はずだったんだ。


あぁやっぱり、僕には凛と咲くなんて無理なのかな。

涙が、溢れて止まらないんだ。ごめんね。


僕の中の君が、いとも簡単に封印を解く。



「ただ、君の隣にいたかった」



君の隣が、僕の幸せだったんだよ。

 

                                    fin.













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