第5話『魔物と戦う』

 自宅の安全性が確認されたところで、心に少しだけ余裕が生まれたのか、敏樹はスライムを倒してみたいと思った。

 しかしそのためには武器になるようなものを探さなくてはならない。

 パッ思いつく包丁や金槌などは武器としてそれなりに優れているのだろうが、いかんせんリーチが短い。

 とはいえ遠隔攻撃の手段で今すぐ出来るものといえば投擲ぐらいしかなく、投げるものもレンガやブロックが庭やガレージのあちこちあるぐらいで、それにしたって命中率は悪かろう。

 なにより敏樹は物を投げるという行為が苦手なので、投擲は最初から選択肢に入らない。


 なにかいい武器は無いものかとガレージの物置を物色していたところ、いいものが目に入った。


(トンガか……、悪くないな)


 トンガとはくわの別名、あるいは一種で、耕作に特化した幅の狭い刃がついている農具だ。

 これなら柄が長いので、少し離れた位置から攻撃ができそうだった。


 死んだ父が趣味で畑をやっており、敏樹も子供の頃は随分と手伝わされたのを思い出す。

 トンガ自体手にとるのは十数年ぶりだが、手に取り、軽く素振りをしてみたところ、使い方は体が覚えているらしかった。

 父の死後、畑があった土地は荒れ放題で、いくつかあったものの内の一つは完全な雑木林となっていたのを、少し前に確認していた。

 道に面したところにも土地を持っており、夏になると伸び放題になった草が道路にまではみ出してくるようで、時々苦情を言われる。

 その度に道に面した部分の草を適当に刈り、あとは除草剤を撒いて放置している。

 出来れば誰かに不要な土地をまるごと引き取って欲しいのだが、田舎の荒れ地に買い手などつこうはずもなく、年に数回、面倒な思いをしながら最低限雑草の処理をしているのだった。


(さて、さっきの奴はいるかな?)


 トンガを手に敷地からゆっくり出る。

 大下家は低い山の麓にあり、家の前を通る道路は緩やかな傾斜になっているのだが、先ほどと同じ個体と思われるスライムが、敷地を出て右手、傾斜を上るような形で数メートル移動していた。


(ファンタジーとかの定番設定だと核を壊せばいいはずだが……)


 敏樹はドブ色のスライムを凝視する。

 少しずつ近づいていき、よーく目を凝らしたところで、ゼリー状の体のちょうど真ん中あたりに、球状の核のようなものを見つけた。


「せいっ!!」


 土を耕す要領でトンガを振り上げ、核に向かって振り下ろす。

 目測どおりトンガの刃が核を捉えると、なにやら弾力のある感触が一瞬手に伝わってきたが、すぐにその感触は消え、「カツン」という音ともにアスファルトを叩いた衝撃が返ってきた。

 元々整った形ではなかったスライムがさらにその形を崩し、やがて完全に消滅した。


96,204


(百ポイント増えた?)


 敏樹はあたりを見回し、別のスライムを発見。

 そのまま近づき、トンガで核を壊した。


96,304


(やっぱり百ポイントだ)


 どうやら魔物を倒すとポイントが入るらしい事がわかった。

 倒したスライムは残骸を残さず消滅したが、他の魔物も同じように消滅するのか、それともスライムだけの特徴なのかは今のところ分からない。


(百ポイントとは……また安いな)


 とはいえ戦闘経験はおろか、中学卒業以来まともにスポーツすらしていない敏樹が一撃で倒せるレベルの魔物だ。

 倒した際の報酬が少ないのは致し方ないところだろう。


 魔物を倒せばポイントが入る。

 そのことがわかり、少し気分が良くなった敏樹が、一旦家に帰ろうと歩き始めたときだった。

 突然、背中に衝撃が走る。

 そして、激痛に襲われた。


「がぁ……いてぇ!!」


 痛みのあまり倒れ込み、その場を転がったとこで、背中の方から「バキッ」という音がしたかと思うと、痛みはさらに増した。


「ぎゃああ!! ……いてぇ……いてぇ」


 いつの間にか涙が流れている。

 痛みに耐えつつ四つん這いになり、ぜぇぜぇと息を吐くと、半開きの口からはダラダラとヨダレが垂れてきた。

 鼻水も混じっているかもしれない。


(なんだよ……これ……。めちゃくちゃいてぇ……)


 これまでの人生で感じたことのないような痛みに何とか耐えつつ、片腕で体を支え、もう片方の手を背中に回す。


「あああ!!」


 背中に回した手がなにか棒のようなものに辺り、その衝撃で背中に激痛が走る。


「ゲギャッゲギャッ!!」

「グゲゲ! ギギ!」


 その時背後から声が聞こえた。

 今日、何度か聞いた声だ。


(ゴブリン……? 嘘だろ?)


 背中の痛みに耐えつつ体を起こし、声のする坂の上の方へ体を向ける。

 出来れば首だけ軽く回して姿を確認したかったが、背中の痛みのせいで細かい動きがとれない。

 さりとて声の方を確認しないということは出来なかった。


 道を少し上ったところにゴミ集積場があり、ちょうどその裏手に一反にも満たない小さなぶどう畑がある。

 そこにグリーンカーテンのような形で目隠しがしてあり、ちょうどその陰から二体のゴブリンが姿を表した。


(クソ……隠れてたのかよ)


 ニ体ともが弓を手にしており、内一体がこちらに向けて矢をつがえている。


(嘘だろ……?)


 次の瞬間、「ドツ」という鈍い音とともに、敏樹の胸を矢が貫いた。


「え……?」


 自分の胸に刺さった矢を、敏樹は呆然と見つめていた。



 大下家の次男として生まれた敏樹は、小中と特に考えることなく地元の学校を卒業し、高校進学も、自宅から一番近い普通科、という理由で進学先を決めた。

 高校卒業後は大して偏差値の高くない大学へ進学。

 選んだ理由は「都会だから」


 大学生活の大半をバイトと遊びにつぎ込み、五年かけて就活もせず卒業すると、数年はフリーターを続けた。

 バイトや派遣を転々とし、三十代前半のころ派遣先の会社に登用されて就職。

 それから数年は人生で最も真面目な期間だったかもしれない。

 しかし無理がたたって体を壊してしまい、三十半ばで退職してしまった。


 ただ、敏樹にとって運が良かったのは、就職先がブラックなりにも義理の厚いところだったらしく、敏樹の体調が落ち着いたところで外注スタッフとして在宅で出来る仕事を回してくれるようになったことだ。

 とはいえブラックに変わりはないので、成果の割に報酬は低かったが。


 在宅で、ネット経由で受注~納品が出来るとなると高い家賃を払ってまで都会に住む必要はなくなる。

 というか、都会に住めるだけの収入が得られなくなったので、敏樹は母が一人で住む実家に帰ることとなった。


 それから四十を間近に迎える今の今まで、漫然と暮らしてきた。


 正直に言えば、人生に未練はないと思う。

 この先なにか楽しいことがあるとはあまり思えない。

 結婚して子供でもいればまた違ったかもしれないが、その機会はなかった。


 体を壊してからずっと、早く自分の人生が終わってくれないかと密かに思っていた。

 とはいえ自ら命を絶つような真似は出来ない。

 不謹慎かもしれないが、なにか事故や事件に巻き込まれるとか、ある日突然心不全で死ぬとか。

 出来るだけあっさりと人生の幕を閉じたかった。

 逆縁の不孝は避けたいと思っていたので、母が健在な内はとりあえず生きておこうと思っていたが、それでも何かのアクシデントで死ねるなら、母には申し訳ないがそれはそれでいいかな、と思っていた。

 そしていざ死ぬ時になって、おそらく自分はあまり後悔などしないだろうとも。



 胸に刺さった矢を見て思う。


(これは違うだろう……!!)


 確かに何かに巻き込まれて突然死ぬ、という意味では自分の意に反してはいないのかもしれない。

 にしても、いきなり独りぼっちになり、街からも出られず、周りには正体不明の魔物が徘徊しているという意味不明な状況で、しかもその魔物が放った矢に撃たれて死ぬ?


 これは違う。

 望んでいたものではない。

 こんな終わり方は断じて認められない。


 「ごぶぅ!! ごぼぉっ!! ……ゴォエエェェ」


 矢の位置からして心臓に刺さったか、あるいは近くの動脈でも傷つけたのか。

 背中の矢もどこか大事な器官を傷つけたのかもしれない。

 食道か気管かは判然としないが、喉を逆流してきた血液を、敏樹は大量に吐き出した。


(ああ、こりゃ死ぬな)


 敏樹が認めようが認めまいが、これだけ大量に血を吐いて無事にいられるはずもない。

 その後も咳か嘔吐かよくわからない症状は止まらず、その度に口からは大量の血が溢れ、やがて痛みが薄れていく。

 視界がぼやけ、音が聞こえなくなる。

 視覚が完全に失われ、続けて聴覚も完全に失われる直前、「ドサリ」と音が聞こえた気がした。

 それは自分が地面倒れた音なのだろうが、その衝撃を感じることはなかった。


 もうすぐ完全に意識が途切れるんだろうな、と思った直後、敏樹は寝室で目覚めた。


48,152

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る