Rainy

中原 みなみ

第1話 prologue 晴れのち雨

 新村 湊、28歳。ただただ普通の女性、独身。

 平日は仕事をし、休日は友達とランチしたり、録り貯めたテレビ番組を見たり。ほら、普通でしょ?

 彼氏はいない。だって面倒じゃない。今の生活で満足しているから。誰にも気を使わず、無理に笑うこともなく、苦しい思いもする事ない。周りの友達は結婚したり、出産したりして幸せそうにしているけど、私は一人でも幸せだ。

 今まで、彼氏がいなかった訳でも、結婚したいって思ったことが無いことはない。本気でこの人とならって思った人もいた。でもどうしてだろう、うまくいかない。きっと男運が無いんだ。いや、男を見る目が無いんだ。

 恋愛と結婚は別。でも恋愛の延長上に結婚がやってくる。私はその延長が出来ない。相手が悪いのではない。きっと私が悪いのだ。理由なんて上げだしたらきりがない。

 って今のは全部言い訳。

きっと彼の存在が私の中で大きすぎて離れないこと。どうしても比べてしまう。あれからもうすぐ10年、彼は今何しているんだろう。もう、会うことはないその彼は今、どんな人と出会い、誰と笑顔で過ごしているのだろう。

 あの空の上で…。


 

 「湊の未来予想図に俺の姿はない。お前は一人で生きていける。だからしたいことをしろ。」

 8年前、彼に言われたその言葉、今も私の心に刺さる。その言葉は棘となり、今や一体化しようとしている。完全に心と棘が一体化すれば一生捕らわれ続けるのだろう。

 その言葉をくれたのは、中村 浩行。先にも述べた私の中で大きすぎる彼。大好きだった。好きすぎて、どうしようもなくて、想いを告げたのも私だ。

 彼はクールで、物静かで、頭も良い。頑固で、自分の中に一本ちゃんと筋が通っていた。仲間と話しているときは、たまにボソッと発言したりする言葉が面白い。

まるで私とは真逆な人だった。私は、うるさくて、頭も悪い。楽しい事が大好きで、ワイワイしているところに寄っていく。気がつけば、彼はそこにいた。そして目が離せなくなった。

 

 あの頃私達は高校生だった。お互い夢があった。私は高校教師になりたかった。彼は起業する事。高校の3年間は、メールしたり、遊びに行ったりしていたが、付き合う事は無かった。いや、決定的な言葉が無かったのだ。

 卒業が近付き、お互いの進路は別々。私は家庭の事情から大学進学は諦め、専門学校に通う事にした。彼は、第一志望の公立大学に落ちてしまった。滑り止めの私立大学には全て受かっていたのにも関わらず、浪人の道を選んだ。それを聞いた私は、彼らしい選択だと笑ってしまった。

 そのまま卒業して、連絡するのも躊躇していた私に、私達の共通の友人のタケちゃんが言った言葉が私の背中を押した。

 「お前ら焦れったい。まだ付き合ってないとか…。この際、お前から言え。あいつ絶対自分から言われへんから。」

 女の子なら誰でも夢見るんじゃないのか?なぜ私が責められている?いやいや、好きな人からの告白は憧れだろ。っと考え込んでいた。しかし、タケちゃんは止まらない。

 「大丈夫。絶対上手く行く。確かにあいつなに考えてるかわからんけど、俺は分かる。なぁ、湊から言ってやって?」

 確かに、タケちゃんは彼と一番仲が良かった。ただ、彼の本心は分からない。チキン過ぎる二人にきっとタケちゃんは救いの手を差しのべたつもりだろう。私は意を決してタケちゃんに言った。

 「分かった。メールでもいい?」

 メールかぁーい!!私達がいたカフェにタケちゃんの言葉が響いた。周りの人達もびっくりしている。迷惑な人だ。

 「だって、直接言ってフラれたらどうしたらいい?」

 「大丈夫。湊はフラれへん。」

 「そんなん分からへんやん。タケちゃん調子いいし、信じられへんわ。」

 あっ、言い過ぎたかも。って思い俯いた私に、思ってもない、タケちゃんの今まで以上に優しい声が、私の上に降りかかった。

 「湊は大丈夫。俺はそんなお前もかわいいって思う。だから自信持てよ。お前にもあいつにも幸せになって欲しい。百歩譲ってメールでいい。頑張れ!!なっ?」

 その言葉に、なぜか泣きそうになった私は、俯いた顔をタケちゃんに向けた。泣くなよー!なんていいながら私の頭をわしゃわしゃ撫でながら笑っていたタケちゃんの手は優しくて、もっと泣きそうになった。心の中では何回もありがとうと感謝しながら、私は言った。

 「ちょっと…。頭ぐちゃぐちゃなるやん。」

 口から出たのはなんともかわいくない言葉だった。

 

 その日の夜、私は彼にメールをした。いや、しようと試みた。

 打っては消しの繰り返し。数え切れない数を繰り返し、やっと出来た時には深夜だった。

 「突然ごめんね。気付いてるかもしれんけど、私は中村くんが好きでした。」

 出来た文面はこれだけ。今の私にはこれしか浮かばなかった。

 当たって砕けろ!タケちゃんのばかやろーって思いながら送信ボタンを押した。そして、そのままふて寝した。

 眠りにつく前、返信が来たような気がしたけど、見る勇気もなく、そのまま意識を手放した。

 

 次の日の朝、やっぱり返信が来ていた。メールを開ける勇気が無く、ケータイを片手に家中をぐるぐる歩き回り、再びタケちゃんのばかやろーっと心の中で叫び、メールを開いた。

 「知ってた。でもそれって過去形?」

 ん?それだけ?どういう意味?ってか知ってたんかぁーい!誰か助けて…。っと思いながらもとりあえず返信。

 「現在進行形。」

 「遅っ。俺、正直好きとかあんまり分からんけど、湊の事もっと知りたいと思う。」

 なにそれ、やっぱりダメなんじゃん。なのに私のこと知りたい?

 「それはどういう意味ですか?」

 「だから、知ったら本当に好きになるかもしれへんし、ならんかもしれへん。だから、どうする?」

 どうする?何を?なんやこいつ?新村 湊。パニックです。

 「どうするって?どうします?」

 「じゃあそういうことで。」

 はい?どういうことになったの?私は彼の何?

 「ごめん。理解力なくて…。私は中村くんの何?友達?」

 「えっ?付き合うんじゃないの?」

 あーそういう事ですか。ごめんね分からなくて。でもきっと万人が聞いても分かってなかったと思う。きっとあたしがバカなんじゃない。

 「じゃあ彼女って思っていいってこと?」

 「思っていいじゃなくて、湊は今日から俺の彼女。」

 ん?良く分からないが、私は今日から中村くんの彼女になったらしい。

 なんとも良く分からない始まりだった。

 

 それからは、デートしたり、普通のカップルがするような事をした。

彼の昔好きだったという女の子にやきもち妬いたり、夜中に彼の家に忍び込んだり、わがまま言って困らせたり。

 好きとか良く分からないと言っていた彼が、付き合って一ヶ月目の記念日を言い出したのにはびっくりした。

正直私は忘れていた。女の子は記念日とかしたいんじゃないの?って言った彼には本当に驚いた。  


 年が明けたら、彼は大学入試があり、勉強に明け暮れ、会うことは無くなり、連絡をとることも少なくなった。

 でも、不安とか寂しいとか思うことなかった。

 彼から受かったと連絡が、来たときは本当に嬉しかった。彼の夢が一歩近づいたから。経済学部で学んで起業して社長になる。彼はずっといい続けていた。

 大学生になった彼と、専門学校2年生の私はなかなか時間が会わなくなった。そう、私は就活生になったのだ。

 バイトに就活に忙しい時間を過ごしていた。彼は、そんなあたしを頑張れって応援してくれた。

 彼は、講義をたくさんとって、部活も始めた。まさかの応援団だった。あの、物静かでクールな彼が。彼曰く、そんな自分を変えたかったらしい。

 尚更、時間があわなくなった私達だけど、メールや電話したり、月に1回か2回くらいは会っていた。

 完全に就活に躓いていた私は、フリーターでもいいかなぁって思い始めていた。すると、彼はそんなあたしに気づいているのかいないのか、こんなことを言い出した。

 「湊は就職どうすんの?こっちで探してる?」

 「うん…。」

 「就活って大変?俺、2年後やからいろいろ聞かせて?」

 そんなこと言われたって、話せることなんてない。だって決まらないんだもん。黙って俯いた私に彼が言った。

 「無理すんな。お前が就職してるかフリーターしてるか分からんけど、俺が卒業したらこっちで就職するからとりあえず一緒に住もうか。それから結婚だって考えればいい。まぁ3年後やけどなぁ。」

 えっ?そんなこと考えてたの?なんだかんだ好きだとか、愛してるとか言葉にしてくれないけど、私は大事にされてるんだ。結婚なんて思ったことも無かった。

 「えっ?結婚すんの?」

 「いやいや、すぐじゃなくて。とりあえず同棲してみようって話。それとも何?結婚する気ないの?」

 真剣な眼差しを向ける彼に、私は目が離せなくなった。きっと、彼の精一杯を私にぶつけてくれている。これに答えない訳がない。

 「する!絶対する!私、浩行と結婚する。」

 「やっと笑った。別に無理に就職せんでもいい。フリーターでもいい。俺が、お前養うくらい出来るし、いつか子どもも欲しいなぁ。だから笑え。」

 やっぱりこの人が好きだ。私の人生には、彼がいないとダメなんだ。彼がいる限り、私は笑える。そう、心から。

 「私は、ホテルで働きたい。今のバイト先で卒業しても働きたいと思ってる。社員で働けるか分からないけど、フリーターでも雇ってもらえるならそこにいたい。」

 「そっか。湊が好きなようにすればいい。俺は、お前を応援する。やると決めたらやるんだろ?それが湊だろ。」

 「うん。でもね、私のもう一つの夢が出来た。」

 「夢?さっき言った以外で?」

 「うん。それはね、浩行だよ。あなたが私の夢。私も応援してる。」

 「よし!じゃあ冬休みにでも温泉にでも行くか。」

 「えっ?温泉?突然なんで?でも行く!」

 「じゃあ俺はバイトするかなぁ。お金貯めよ。」

 そんなことを言い出した彼がバイトを決めたのは一週間後だった。

塾の講師をするらしい。場所はまさかの、あたしがバイトしているホテルから目とはなの先ほどの近さだった。

 それから尚更、時間が合わなくなってしまったけど、連絡をとる事はしていた。

 

 あれは、突然の事だった。

 いつもと変わらずバイトをしていたら、チーフの上本さんが声を掛けてきた。

 「湊さぁ、就職どうすんの?」

 「はい来たその質問…。」

 それもそうだ。同期が私含め三人、就職が決まっていないのは私だけ。チーフは志望していたところを落ちて、やる気を失ってしまっていることは知っていた。

 「お前さぁ、いつまでも落ちてんなよ。次行け、次!ってことでいいところあるけど行く?」

 「はい?どういう事ですか。なんか飲みにでも行く?みたいな言い方しますね。因みにどこですか?」

 「食いついたな!そこはな、ここや!」

 見せられたパンフレットは地方のホテルだった。リゾートホテルか、結構有名だな。

 「空きが出た。湊の専門の先輩でここのホテルでも働いてた人がいる。その人に会ってみるか?とりあえず見学だけでも行け。」

 「上本さん強引ですね。ここ遠いです。」

 「いいから、そんなこと言ってたらお前だけ残留やぞ。ここは湊にぴったりな職場やと思うけど。まぁ見てから決めたらいい。」

 「そうですね。」

 そこからはトントン拍子で進んでいった。チーフはすぐ向こうのホテルに連絡をとってくれて、見学へ行って、面接の日取りまで決まってしまった。浩行にも言わないといけないとは思っていたけれど、タイミングも、切り出す言葉も見つからず、面接まで来てしまった。

 面接もほぼ内定が決まっているんではないかと思うくらいの内容だった。

 しばらくして、内定の連絡が来た。

 チーフは喜んでくれた。でも、私は正直喜べなかった。心境は複雑だ。

 知らない土地で、誰も知らない。たった一人で生きていく。家族も友達も、浩行だって…。

 浩行、そうだ!彼に言わなきゃ。

 なんて言うだろう。行くなって言うかな?きっと行くなって言われたら私は行かない。でも、彼はそんなこと言わない。私達、どうなるんだろう。

 

 あれから一ヶ月がたった。もうすぐ12月だ。私は彼に何度も話そうと思った。でも、この度に私の思いは口から出ることなく、ただの空気となって溶けていく。

 そんなある日のことだった。

 タケちゃんから電話がかかってきた。

 「湊…。お前まさかまだ言ってなかったのか?」

 戸惑いながら彼は言った。

 確かに私達の関係には彼が欠かせなかった。いつも相談に乗ってくれる大切な友達。

 「うん。でも今週の日曜日に言うつもり。このままじゃダメだから…。」

 「ごめん。俺、もう言ってるのかと思って…。」

 いまにもタケちゃんの声は消え入りそうだ。

 彼の話は、昨日浩行と飲んでいた時、私の就職の話が出なかったから聞いてみたそうだ。浩行は浩行なりに悩んでいると思ったからだ。浩行は、一度悩んだら自分の中で溜め込んでしまう。答えが出なければ脳内回線がショートして、潰れてしまう。それを心配したタケちゃんは浩行にいってしまったそうだ。

 「本当にごめん。あいつあれから様子おかしくて…。この話は俺から聞く話じゃない。お前が最初に言わないとダメな事、分かってるよな?」

 「分かってる。今から連絡してみる。タケちゃんごめんね。あと、ありがとう。」

 そういって一方的に電話を切った。

 

 それからは、何回も電話もメールもした。でも、一向に繋がることはなかった。

 「浩行に大事な話がある。タケちゃんから聞いたみたいやけど、私からちゃんと言いたい。」

 「ねぇ…ちゃんと話そう?」

 「お願い。浩行の声聞きたい。」

 「浩行、ごめんね。」

 メールを打ち続けた。この度に涙が込み上げる。でも自分で蒔いた種だ。泣いてはいけない。

 

 約束の日曜日、浩行からの連絡は来ないまま。昼は大学に居ると言っていたので、大学の前で待とう。そうすれば彼に会えるはず。私は待って待ってずっと待った。相変わらず音信不通。このまま終わるなんて嫌だ。

 日も暮れはじめ、夕日が綺麗に沈もうとしていたとき、浩行が誰かと自転車で出てきた。一瞬目が合ったのに、そのまま行こうとした。彼を見つけたとたんに私の目には涙がいっぱいで浩行が滲んで見える。彼が私の横を通り過ぎようとした瞬間、「浩行…ごめんね。」っと自然に発していた。彼はしばらく過ぎ去って言ったが、一人で引き返して来てくれた。

 沈黙が私達を襲う。何から言えばいいんだろう…。そう考えていた時、最初に口を開いたのは浩行だった。

 「お前、俺に話すことあるだろ。早く言えよ。」

 今まで聞いたことないくらい冷徹で、悲しい声だった。

 「なんで何も言わない?俺はそんなに頼りない?なんでタケから聞かないといけない?お前にとって俺はそんなもんなんだよな。お前の我儘に付き合うの疲れた。好きなとこ行って好きな事をやれ。その代わり俺はもうお前とは居れない。お前に俺は必要ない。一人でも生きていける。」

 浩行は一気に感情を私にぶつけた。

 初めてだった。

 「私は…。三年経ったら帰ってくる。必ず…。だから…」

 「行くな…。」

 私の思いも彼にきちんと言わないとと思い、言葉を選びながら話していたら被せるように浩行が言った。驚いて何も言えなくなった。

 すると、しばらくの沈黙の後、また話し出した。

 「この一週間、ずっと言おうと思った。行くなって言えば、湊は絶対行かない。でも湊の人生を俺の言葉で変えてはいけない。だから連絡もできなかった。3年で帰ってくる?俺はそうは思わない。仕事が楽しくなってきたら帰りたくなくなくなる。また3年後に今のように同じことになる。お前はやり始めたら辞めないから。俺に縛られるなよ。ここでもう別れよう。」

 「嫌だ!なんで…なんでこうなるの?そういわれると思ってたから私は…」

 「泣くなよ。なんで湊が泣くの?卑怯だよな…。お前が決めたことだろ?だったら泣くな。」

 私は気づかなかった。泣いている事に…。

 「俺の未来予想図には湊がいた。でも、湊の未来予想図に俺の姿は無い。お前は一人で生きていける。したいことをしろ。」

 そういって自転車に乗ろうとする彼に、私はどうすることも出来なかった。でも気づけば叫んでいた…。

 「嫌だ。私には浩行が必要やもん…。一人にしないで!」

 なのに彼は振り返る事もなく行ってしまった。

ただ一言、捨て台詞のように残して。

 「湊、頑張れよ。」


 そう、ここで私達は終わったのだ。

 私のカラフルに色図いていた世界は一瞬にして色を無くしグレーの世界になった。

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