Life Tax

終夜 大翔

プレミス

 正義とは平等ではなくてはならない。それは、悪が不平等を嘆く人々の悲哀であり、悲嘆であり、怨嗟であるからだ。それ故に巨悪があっても巨大な正義はない。正義は一定なのだから。

 よって、正義なんていうものは、存在自体がそもありえない。もしくはあっても役に立たないものである。巨悪を食い千切るのは、同じ大きさの悪だからだ。

 私はそこに辿り着いた。

――タランダ・ベイルノート最後の日記



プレミス


 じめじめと雨が降り、路地裏も濡れている。コンクリで固められた路地裏は端の低い部分に水がたまって、それが溢れ出てもっと低いところへ向かって流れ出していた。

 その地面を覆う水の膜を乱暴に男が踏み抜きながら走っていく。男は、誰かに追われているかのように、振り返りながら走っていた。口からこぼれる言葉は愚痴、怨みごと、毒づきばかりだ。

 男が角を曲がり、更なる逃走を図ろうとしたとき、男は信じられないといった顔をする。そこに今し方自分を追っかけていたはずの少女が傘を差して立っていたからだ。身長は小柄。百五十センチ前後で、体つきも細く、力強いとは縁遠い体格だ。

 片手を顔の高さまで上げている。よく見ればそこには一匹のネズミが行儀よく控えていた。まるで、人間と同じ様な自我をもっているかのように整然としている。女の子は、そのネズミに耳を寄せ、まるで報告を聞いているようであった。

 女の子――月理つぐりは、白のノースリーブのパーカーに黒のアームウォーマーをつけている。下は黒の短パンに、脚には白と黒のストライプのニーソックスをはいていた。

 それは、男にとても不思議なものを見た感覚を喚起させている。顔は傘で隠れて全部は見えていないが、覗いている口元にははっきりと笑みが浮かんでいた。大きな八重歯がとても印象的だ。そして、なにかをくわえていた。

 男は、一瞬呆然としてすぐに我に返り、自分を追っていた者を思い出す。月理は、くわえていた錠剤を噛み砕き、嚥下した。素早く傘を捨てると、逃げようと背を見せた男に駆け寄って、その左腕を掴む。男は、一点に固定された犬のように、円運動して壁に叩きつけられた。その力は、十代に見える女の子が振るっているようなものには見えない。

 男は首を絞められたまま壁に押し付けられていた。月理は、なにかをぶつぶつと言い始めている。男は、傘がなくなった月理の顔を見て、ぞっとした表情を浮かべた。左目がおかしい。眼球が黒く、瞳孔が赤いのだ。

「……強姦、麻薬。以上で全部か?」

「ひあっ」

 男は睨まれて、情けない悲鳴を漏らした。

 月理が、確認を取るが男は話を全く聞いていない。酸素を求めて、首あたりをかきむしっている。

「おい、おまえに薬を回したのは誰だ?」

 男は怯えて、答えられない。

「誰だっ!?」

 なおも強い口調で脅した。首を絞める左手に力を込める。

「ひぃっ。クイーンで、す」

「名前は?」

「柏音さん、です」

 月理は心の中で舌打ちをした。これで、そう答えたやつはこの男で三人目だ。

「まあ、いい。契約名ミシェル・ベイルノートの名においてアンドロマリウスに命じる。その力を我が望みの為に行使せよ」

 月理の口がまた笑みを形取る。しかし、そこに親愛などは全く含まれていない。見るものに恐怖を与える獰猛な笑みだった。

 月理の右手は、男の胸に当てられた。そして、男の目が丸くなる。月理の右手が男の胸に浸潤し始めたのだ。男は、自身を侵される感触に身じろぎする。だが、その侵行はおさまることはなく、ちょうど手首から先がすっぽりと胸に入った。

「散々、他人の性を犯し、人生を侵し、穢してきたんだ。少しはこたえろ」

 ずるりと、何か白いものを掴んで月理の手首は男から出てきた。

「ふん。クズが。これでおまえもお終いだよ。――決済チェック!」

 その白いものを千切り取った。男は、声もなくその場に崩れ落ちる。

 決済――それは、契約した悪魔、アンドロマリウスの力をもってして初めて可能となる罰。月理が悪であると認識したことをアンドロマリウスが裁く。人間の罪は時代ごとに違う。それ故に判じるのは人間。だが、裁くのは第三者。アンドロマリウスの価値感によって罪の対価、寿命を強制的に奪い取るのが決済である。

 このとき、間違った悪の認識は、月理の命によって償われる。濡れ衣は着せられないし、やっているだろうという予想は賭けになる。

 明らかにその男がしたという罪だけを調べ上げ、今晩、その裁可を下した。

 月理は、傘を拾うと、携帯電話を取り出して、電話をかける。非通知で警察へと一報をいれた。二丁目の裏路地で、連続婦女暴行の犯人がいることを告げ、電話を切る。

 数分後、現れた警察官に男が連行されるのを、反対の通りから野次馬の一人として眺めていた。月理は片目に戻っている。左目にはコミカライズされたドクロのアイパッチをしていた。

『はーはっは。よくやった、ミシェル。これで、ここら辺も少しは静けさを取り戻すだろう』

「で、結局どれくらい寿命取れたの?」

『三十年ちょっと、だな。まあ、刑務に服している間にあいつは死ぬな。もしかしたら、裁判中に逝くかもな』

 こうして、月理は姿の見えない相棒と供に犯罪者を裁いて歩いている。

 人間は、罪を犯しながら生きているものだ。だが、その罰からは逃れられない。人間は、その寿命をもって償わなくてはいけない――それが、この世の法則だと、月理は信じていた。そう例え自分であっても。最期に自分を裁くものもまた自分であると思っている。

 正確には、アンドロマリウスが行うのだろうけど。そんなことを可能とする悪魔、アンドロマリウスと彼女は契約しているのだ。


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