後編


「何しろ長生きできる人は僅かですから」

「……え?」


 この女神は今何を言ったのか。


「例えば記憶の継承を希望した人は大半が心因性のストレスで早逝しますので」

「な、何故……?」

「そうですね、原因を言うなれば──」


 顎に指を当てて考えに耽る姿は優美だが、語る内容は酷薄が過ぎる。


「あなたはそれなりに機械文明の発達した先進国の生まれですが、そんなあなたが中世暗黒時代に転移させられたとして、そこでまともに暮らしていけると思いますか?」


 中世暗黒時代。

 世界史で聞いた覚えはあるが、どんな時代だったか。


「文明の利器で環境、インフラの整った社会での生活が当たり前だった時代の人間が、電気もガスも水道もない、エアコンどころか冷蔵庫もないので食料の多くはある程度腐敗しているのが当たり前、それを誤魔化す香辛料は高級品で出回らず、土地によっては塩すら手に入るか分からない世界で暮らせますか?」


 ……黒死病やら魔女狩りやらがヨーロッパを席巻した頃だったろうか?


「衛生管理の概念を欠き、汚物を踏む量を少なくするという理由でハイヒールが作り出されるほどに町中には糞尿が溢れ、腐臭を誤魔化すために香水が生まれた時代。匂いや汚物にたかる虫の数も十分苦痛でしょうけど、それが原因で疫病が蔓延し、罹患すればまともな治療をされる事なく閉じ込められ、ただ死を待つだけになるような環境ですが、それを受け入れられますか?」


 俺の知る今の時代と過去を比べる事に本来なら意味はないはずだが。


「記憶を継承した人というのは、より便利な、楽に生きられる生活を知った状態で不遇な環境に身を置くのと同義です。これは知識の優位を誇る以前に恵まれた環境を失って路頭に迷うよりも過酷なスタートに感じる事でしょう」


 『小公女』という話がある。

 金持ちのヒロインが没落し、貧乏な暮らしを強いられる話である。

 ヒロインは突然放り込まれた貧困生活に苦しみつつ前向きに生きるのだが、今の女神の話を聞くに、記憶を持ったままファンタジー世界に生まれ落ちるのはこの比ではない事が分かる。


 その世界に生きる住人にとっては当然の事が、現代の先進国に生きる俺のような人間には耐えられない可能性が高い。

 というか無理としか思えなかった。


「他にも人権意識なんて言葉もない世界ですから、人の命は軽いですよ。あなたの世界だとペットの死に葬式を出す人もいるようですが、転生先に選ばれるファンタジー世界では道端に浮浪者の死体が転がっているような事も多いですし、奴隷制度も普通に」

「……もういいです」


 聞いているだけでつらくなる話を制止する。


「まあそういった感じです。私の知る限り、記憶の継承を選んだ転生者は大半が心を壊して生を終えています。寿命を全うした例は数えるほどですね」

「……」


 女神の説明を受け、記憶の継承を選ぶのは無謀だと判断せざるを得ない。

 少なくとも俺はこれを選ばないでおこう。


「次に知識のみの継承。現地に存在しない概念を持ち込む事で有利に生きる、その発想はいいのですが──その知識は、どんな言語で頭に刻み込むと思います?」


 マヨネーズの無い世界にマヨネーズの作り方を知った状態で生まれ変わるとすれば、マヨネーズが何かを理解している事が前提になる。

 転生先にその概念がないのなら、


「そ、そりゃあ、生前の──」

「はい、つまり知識を有するため生前の言語を習得した状態で転生する事になるのですが──」


 意味ありげな物言いに悪寒が走る。

 これも碌でもない結果が待っているのではないか。


「子供が言語の基幹部を覚えるのは努力の賜物ではなく、何も覚えていない真っ新な状態から知識を吸収できるからです。それを他の文明の知識をあらかじめ習得した状態では『異国に放り出された』のに等しくなります」


 異国に放り出される。

 頭に浮かんだのは、コメディアンが慣れない異国で四苦八苦しながらコミュニケーションを取ろうとして笑われているTV番組だった。


「ある程度は自助努力でカバーできる問題ですが、既に言語を習得し、完熟した『大人』が第2外国語を習得するにはかなりの労力を要します。何しろ骨子となる言語体系が出来上がり、それを使うのが当たり前の状態で異なる文法や発音、単語を覚えなければならないのですから。その『他人とコミュニケーションが取れない状態』を、知識継承者は物心ついた直後から味わう羽目になります。誰ひとり言葉が通じない隔絶された環境──それがどれほどのストレスになるか、分かります?」


 それは話し相手がいないのとは全く異なる。

 人がいながら話す事が出来ない、何を言ってるのか理解できない環境。


 俺も教育課程で外国語を学んだ身ではあるが、日常会話を行えるレベルにも遠く及んでいない。

 学習してもそうなのだ、果たして別世界に生まれ落ちた知識の継承者は駅前外国語教室よりも親切丁寧な教育を受ける事が出来るのか──異世界のイメージ的には難しそうだ。


「仮に習得が進んでも『たどたどしい言葉を話す外国人』のようになるケースが多く、人権意識の存在しない世界で『当たり前にできる事が出来ない』人間はヒトとして扱われない事が多々あります」


 優れた知識を事前に有しながら、それが遠因で他者より劣る者として見られ冷遇される。

 なんとも救いの無い。


「勿論そこから這い上がる事も不可能ではないですが、私の知る限りで成功例は非常に稀です」


 その世界にない知識を持つメリットは、その世界に馴染めないデメリットと表裏一体という事だった。

 うん、これも遠慮したい。


「じゃあ記憶も知識もなく、能力だけ貰うのが一番いいと……?」

「無難ではありますが、問題がふたつ」


 女神は頷きながら指を2本立てる。


「ひとつは、転生者が望むを得られない事」

「は?」

「『異世界に生まれ変わって成功者になる!』という充足感は得られないという事です。当然ですね、あくまで異能力を持った現地人に成りきるのですから」


 なるほど、言われてみればその通りだ。

 前世の事、女神との会話なんて全て忘れてただ生まれ変わるのだ、そこに「転生先で無双する」なんて認識は残らない。

 何も覚えていないという事は、生まれ変わる際につけた注文や目的を意識できるはずがないのだ。


「まあその事すら覚えてないので問題ないといえばないのですが、第2の問題は覚えてないからこそ起き易いです」

「……?」

「あなたが言ったように、転生者であれば自身が異物である事を自覚できていますが、現地人に成り切った転生者はその事を弁え難い」


 女神が言うには実に皮肉の効いた表現で、


「そう、自身が神の生まれ変わりとでも増長する事が多いですね」


 想像はつく。

 優れた能力をひけらかし、他者を蹂躙する姿も。

 その後、世間からどのような目を向けられ、どのような対処をされるかも。


「フィクションだと超能力者は弾圧されるのが常だけど──」

「弾圧されるか、抹殺されるか、彼を祀り上げた勢力が世界を乱すのか……火種になる事が多いのは確かです」


 なるほど、一番無難な結果が待っている。

 他所からやってきた転生者としてそこそこの満足で終わらず、その世界に生まれた異能者としての無難な結果が。


 結末は栄光か破滅か。


「──と、珍しい質問をしてくれたあなたが下す判断に、少しでも助けになるよう色々説明してきましたが」


 これでもう解説は終わりなのだろう、女神さまが話を締めくくってきた。

 そして決断を促す、今の話を聞かせてもなお。


「決まりましたか? どの加護を得て転生を果たすのか」

「俺が死んだ事故は不運でもなんでもなく『しょうがない』と受け入れますから今まで通り元の世界に生まれ変わらせてください」

「……それは残念です。同意が得られなければ入植は果たせませんからね」


 女神は困ったように微笑んだ。


「そう望んだのも、転生を紹介した472万4315人の中であなたが4人目です」


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