失った欠片を取り戻す物語
榎澤えのき
プロローグ
僕たちはいつものように歪んだ物語、『カオステラー』を正しく調律する旅を続けていた。楽しいことばかりでは決してなかったが、頼もしい仲間たちと協力して物語を調律してきた。今までも、そして、これからも旅は続いていくことだろう。
そんな風に考えながら仲間たちと旅を続けていたある日のことである。道端に一冊の本が捨てられていたのだ。なぜだかその本のことが気になって目が離せなかった。いてもたってもいられず、本を拾い上げてみてみると、特に汚れているといった様子はないようだった。単にそれだけだったなら、誰かがここに落としていったか捨てたのだと思っただろう。仲間の顔を確認すると、同じ考えが頭に浮かんでいるようだった。
その本はどこからどう見ても、『運命の書』だったのだ。想区という物語に住む住人たちにとって、この書物ほど大切なものはない。自分の運命が記述されているのだから。住人たちを物語に縛りつけ、その運命から逃れることを許さず、ただ与えられた役を忠実にまっとうさせる。それが運命の書。住人たちが決して手放すことのない、いや、手放すことのできない書物。それがどういうわけか、ここにある。この道端に、だ。
あたりを見回してみるが、自分たち以外の影はない。考えられないことだが、その考えられないことが起こってしまっている。
今まで旅した物語では、このようなことはなかった。どの想区であろうと、皆が与えらえた配役を忠実にこなし、それを疑うことなく、ただそうすることが正しいと信じていた。どんなに辛く悲しい役を担おうとも、絶望と希望を繰り返す役を命じられようと、決して叶わぬ夢を抱き続けようとも。それこそが、この世界の在りようであり、概念であり、真理である。なにも間違ってはいない。ここでは絶対的に正しい、疑いようのない唯一つの事実なのだ。
だからこそ、困惑せずにはいられなかった。なぜ、ここに運命の書があるのだろうか、と……
この問いに答えることは、ここにいる仲間も含めてできはしない。できるはずもない。落とすこと、捨てること、置き忘れること、このどれも実行しようとも思わないし、思ったことがないのだから。それ故に、回答を持ち合わせていないのである。
狼狽えていてばかりもいられないと、仲間の一人が本の中を確認するよう言ってきた。運命の書には、持ち主の運命が記されている。それさえ読むことができれば、持ち主を特定することができる、と考えたのだ。確かに、それは疑いようのない事実であった。だが、勝手に他人の人生を覗くということに、抵抗がある。もし、自分の運命の書を他人に読まれたと思うと、背筋を舐められたような嫌な気持ちになる。例え、自分の本には、何も書かれていないとしても、だ。
本を開くべきかどうか悩んでいると、痺れをきらした仲間の一人が書物を奪おうと手を伸ばしてきた。とっさのことに驚いてしまい、本を守ろうと身体を反らした。が、それがいけなかった。すぐ傍にいた別の仲間とぶつかってしまい、その衝撃で手から本を滑り落としてしまったのだ。
本は再び地に落ちた。何も書かれてはいない空白のページを披露するように。
失った欠片を取り戻す物語 榎澤えのき @akisasame
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