第8話

 丁寧に組まれた枯れ枝の上にセルフィムが腰を降ろすと、

パチパチと火が起こり始めた。

機嫌良さそうに身体を揺すると、小さな火は炎となって安定する。

「火の精はね、箱だけじゃなくて、かまどやランプにもこだわりがあるんだよ。」

少し自慢げなフィリップは、リュックから栗くらいの小さなフライパンや食器を取り出して並べ始めた。

指で摘まむと、いつもの大きさに膨らんでゆく。

持ち出し用の膨らむ食器だ。

だったらリュックにぶら下げたマグカップも、このシリーズにすればいいのに。

イライザは決まってそう言うが、

「え~、それは違~う。夢が無い~。」

と反論される。

解るような、解らないような・・・。

でも今回もそう思ってしまったので、やっぱり私は解ってないんだな。

考えている間に、こじんまりした食卓が完成していた。

「よろしくお願いします。」

フィリップがかしこまって差し出したフライパンを、セルフィムが炎の手を伸ばして包む。

煙が立ち始めた。ちょうどいい頃合いの合図だ。

セルフィムにフライパンを任せている間に、フィリップはリュックから厚切りにしたベーコンと卵、バターを取り出す。

フィリップ愛用のこのリュックは、ピクニック用のリュックサック。

名をピクリュック。ちなみにこれはスカイブルーのMサイズ。

ピクリュックは、ピクニックに必要なものであれば何でも入るが、不要なものは何一つ入らないという魔法のリュックサックで、その判断はピクリュック自身が行う。

ピクリュックがOKならどんなに大きなもの、例えばベッドでも毛玉くらいの重さになって、するん。と入るが、NGならトランプ1箱だって入りはしない。

ぺっ。と吐き出されてしまうのだ。

それでもどうしても入れたい場合は、「それがいかに必要か。それを持っていくことでいかにピクニックが楽しくなるか。」をピクリュックにプレゼンし、直談判するしかない。

いささか面倒なアイテムにも思えるが、ピクリュックに受け入れられたものは、大きいものは小さく、冷たいものはきちんと冷蔵され、取り出すまでの間、それぞれ最適な状態で落ち着くことができる。

ガラスや卵といった割れやすいものを入れて転んでも、ピクリュックと中身だけはなんの問題もない。

耐久性も利便性も抜群。

大きいものは小さく・・・てことはやっぱり膨らむ食器シリーズじゃなくてもいいんじゃない。

男心?遊び心?は解らないわ。

現実的なイライザを尻目に、フィリップは手際よくベーコンエッグを作ってゆく。

桜のチップで燻製されたマーガレットお手製のベーコンが、フライパンからはみ出ている。

男らしく特大サイズに切ってきたらしい。

セルフィムが炎の舌を伸ばして、ベーコンから滴り落ちた脂を美味しそうになめていた。

木のへらでしばらくじゅうじゅうやっていると、ぷくぷく泡を作っていたバターとベーコンが焦げ始める。

香ばしい匂いがたち上ると、今朝産まれたばかりの卵をコンコンと割りいれた。

「半熟がよろしいかな?お嬢様は。」

そういえば父さんのせいで朝食にありつけてなかった!

ぷるると揺れるオレンジの黄身と、香ばしいベーコンの香り。イライザとジョジョの食欲は一気に刺激され、フライパンから目が離せない。

釘付けのまま二人が頷くと、フィリップは微笑んで蓋をした。

次は、チェダーチーズを小枝に刺して炙ってゆく。

フィリップがかまどに小枝をかざすと、セルフィムは優しくチロチロとチーズを炙りながら、嬉しそうに声をあげた。

「あ、美味い!チェダーチーズだな!」

「いい熟成具合だろ?今年は気候が良かったからね。」

チーズがとろけたところで、胚芽パンに乗せてイライザへ渡してくれる。

おくるみからジョジョが出ていて、順番を待っている。

「さぁ、ベーコンエッグも食べごろだ。ポットには母さんに詰めてもらったカフェオレもあるぞ。はい皆、いただきます!」

「いただきます!」

口いっぱいに頬張ったパンから、チーズがとろけ落ちる。

「美味しい!」

フィリップは自分のベーコンを小さく切って、ちょんちょんと卵を付けると、葉っぱの皿に乗せてジョジョに渡してやった。

「だろ~!?格別だよな~!」

はぐはぐ言いながら、自分は厚切りの一枚ベーコンと格闘している。あっという間に平らげたジョジョが、くかーと口を大きく開けて催促すると、

「え?あぁはいはい。ちょっと待てよ。こっちのパンとチーズも最高だぞ。」

そう言って、爪楊枝に刺したチーズをセルフィムへ差し出した。セルフィムは弱めた炎で、チロッとチーズを炙る。

「絶妙のとろけ具合だろ?熱いから火傷するなよ。」

フィリップは小さなパンのかけらを上から刺すと、

「はい、どうぞ。」

と差し出した。

「熱いから気をつけろってさ。」

楊枝を受け取ったジョジョは、抱きかかえるようにして、はむはむと口を動かし始める。

イライザも自分のベーコンを口いっぱいに頬張った。

カリッと焼けた端の香ばしさと脂の甘さ。

分厚いベーコンのジューシーさが堪らない。

自分で切り分けたら、躊躇してもっと薄くなってる!

「外で食べる食事がこんな美味しいなんて知らなかった!私ずっとピクニックでも構わないわ。この洞窟なら雨が降ってもへっちゃらだし。それに、ここを出て奥へ行けば、それこそフォレストに行けばもっと素敵な場所があるんじゃないかしら?」

ぽっかり開いた洞窟の入り口は、額縁のように森を半円に切り取って、緑をより鮮やかに見せている。

「やっぱりそうなるだろ?だからだめだったんだよな~。イライザ、今のセリフはじいさんに言っちゃだめだぞ。言われただろう?オリビアの人にとって、森は神聖な場所なんだ。」

フィリップは苦笑いしている。

そうだった。

オリビアでは、王国の外にある森には、それがすぐ目の前であったとしてもむやみに立ち入らない。

いや、王国の中にあっても、やはり森は特別な場所なのだ。

大人たちは口を酸っぱくして言ったものだ。

神聖な場所である森に、気安く入ってはいけないと。

フォレストとなるともう、神様の領域だからと論外だ。

「そんな素敵なところを独り占めしているなんて、神様はずるいわ。ピクニックくらいさせてくれたっていいじゃない。こうやって美味しい空気を吸いながらランチするぐらい。」

「最初はな、そうなんだよ。ほんのちょっとだけ、入り口から直ぐ、あの木のところまでなら、あの泉のほとりまでならって思うのさ。けど、きっと先へ進みたくなる。進まずにはいられなくなる。それがフォレストなんだ。フォレストは、私たちがいつも接している森とは訳が違う。やっぱり、神が支配する魔法の森なんだよ。例えば、木々はしょっちゅう移動するから、目印になんかなりゃしない。道もすぐに閉ざされる。精霊たちは悪戯をして、奥へ奥へと引き込もうとする。入った者は、森の不思議な力に取り込まれる。神の領域に一度足を踏み入れたら、決して出られない。」

「何よ。それじゃまるで、フォレストの神様は悪魔じゃない。ねぇ、ジョジョ。」

イライザはむくれてジョジョに同意を求めた。

「普通そう思うよなぁ。僕も最初は、正直同じように思ったよ。王国の森も、表向き許された場所とは言え、気軽に遊びに行っちゃだめだろう?山や森に入る時には、いつだってある程度の覚悟がいるじゃないか。ってね。」

そして、

「これはあくまでも父さんが勝手に思ってる、ただの仮説なんだけど。」

と前置きした上で、こんなことを言った。

「たぶん、フォレストに対するさっきの説明は、有る意味本当なんだけど、でもちょっとマニュアル通りなのさ。」

「マニュアル通り?どういうこと?」

ジョジョが身をのりだしている。

いつの間にか冷たい石畳の上に両足が出てしまっているが、今はそれどころではないらしい。


 フィリップはポットを取り出すと、そばに落ちていた大きな蜜の実の殻を2つと、小さな胡桃の殻を1つ手にした。

胡桃の方には砂糖を入れ、そっと暖かいカフェオレを注ぐ。

イライザが受け取ったのは蜜の実だ。殻にはメープルに似た甘い香りが残っている。

ミルクの濃厚なコクとキリッとした苦味が走るコーヒーに、蜜の実のほのか香りと甘みが加わって、カフェオレの味を絶妙に引き立てていた。

ジョジョは石畳の上に置かれた胡桃の殻に舌を伸ばして、チロチロと美味しそうに飲んでいる。こちらはナッツの香ばしさがアクセントになった、甘い胡桃オレだ。

愛おしそうに香りを楽しんでいたフィリップが顔をあげた。

「森に入るなってのはね。父さん本当は違うと思ってる。そうじゃなくて、きっと入れたくないんだ、ってね。だってフォレストに何回も入って、何事もなく帰ってきてる人いるし。」

いきなりの爆弾発言に、イライザは思わずカフェオレを吹き出しそうになった。

「え!?そんなことする人いるの?おじいちゃんやノーランが死にかけるぐらいのフォレストに?誰?そんな無謀なことするのは。」

「あ~あ。俺様は何も聞いてないぜ。ホンジャカバンバン、ホンジャカバンバン!」

セルフィムが炎の手で耳を塞いでいる。

興味はあれど、イライザもやはりフォレストに立ち入ろうとは思わない。

さっきの話を聞いたらなおさらだ。

盗賊の家で勇敢なところを見せたジョジョでさえ、さすがに驚いて目をぱちくりさせている。

フィリップは通った鼻筋を上げた。

「僕。」

「ぶっ!あちちちち。あっきれた、何やってるのよ!?」

危うく火傷をするところだった。

「言っとくけど!俺は寝てて知らなかったんだぜ。気づいたら、フォレストの中だったのさ!なので俺様は入ってないこととする。」

セルフィムが両手を振って弁明している。

「まぁまぁ。フォレストと言ってもブラックフォレストじゃないぞ。さすがにあそこは入る気になれん、気が滅入る。僕が入ったのは南の森、グリーンフォレストさ。」

「そんなの何の言い訳にもならないわよ!全く何自慢げに言ってるんだか!」

「で?どんなところなの???」

即座に返したものの、フォレストのことは気になる。イライザは目を輝かせて、すぐに聞いてしまっていた。

 きらきらと射し込む光が筋になって、フィリップを囲んでいる。

父の周りはいつもこうだ。

植物にも太陽にも風にも、ひらひらと行き交う蝶からも、全てから祝福されているような、護られているような。父にはいつもそんな気配がある。

動物や木々と話しているんじゃないか?と思うことも多い。

陽の光が眩しい朝、キッチンの窓から何の気なしに見かけた庭先では、父の肩に手に蝶や小鳥がいつもとまっていた。

うららかな午後、父が昼寝をする木陰のハンモックには、決まってという程、リスやうさぎが潜り込んでいた。

そして木々は自ら枝を伸ばして木陰を作り、風は昼寝をする父へと、一際優しい風を送っているように見えたものである。

そんな父には、フォレストの神も侵入を許してしまうのかな?

懐かしむように目を細め、フィリップはゆっくり語り始めた。

「グリーンフォレストはね、文字通り緑の森だ。別名グリューナーの森という。

深くて濃い緑が、むせ返るような森でね。

それでいて、植物たちが放つ清浄な空気には浄化される。

いるだけで幸せな気分になる。そんな森だった。

何故か雨が多くてね。

雨といっても何というか、植物を育もうという感じの、芽吹いたばかりの小さな双葉を気遣うような優しい雨がよく降る、しっとりとした森なんだ。

ある日、散歩の途中で偶然フォレストを見かけたんだ。

周りは晴れているのに、フォレストの上だけは細かい霧雨が降っていてね。

太陽の光を反射して、空にはまんまるの虹がかかっていた。

細かい雨粒が水蒸気となり、木々の隙間から立ち上っている。まるで森全体が深呼吸をしているようで、まだほんの子供だった僕は釘付けになってしまってね。

いてもたってもいられなくなって走り出した僕は、引き込まれるようにグリーンフォレストへと足を踏み入れたんだ。

フォレストの中はしんとしていて、細かい霧のシャワーの中を歩いているような感じだったよ。

植物はしっとり濡れて、気持ちよさそうに呼吸をしている。

きらきら差し込んだ陽の光は木々を優しく照らし、下から見上げると若葉が透けるようだった。

薄緑の衣をひらひらさせて、小さな精霊たちがあちこちで笑っている。

その余りの美しさに杉苔の上に寝転がって上を見ていると、陽の光を滑り台にして、精霊がするすると降りてきたんだ。

小さな精霊は滑り降りた瞬間に、ぽんっと僕の目の前に浮いて、何か言いたげにふわふわと漂い始めた。

じっと見つめると消え、消えたかと思うとまた現れる。

誘われるように、僕は更に森の奥深くへ入っていった。

神が住むという森は、分け入るほどに空気が濃くなっていく。

木々は目の前では開いて道を作るが、振り返ると既に移動し、今来た道は消えている。

かなり歩いたはずなのに、体は軽く、息も上がらなかった。」

「精霊が父さんを惑わそうとしてるのかも、とか思わなかったの?神様への生贄にしちゃうとか。」

イライザが口を挟むと、

「あ。そういう考え方もあるか。イライザは意外と慎重派だな。父さんはとにかく見失わないように必死だった。」

「一番に迷子になる口よねぇ、ジョジョ。」

「そうかなぁ?」

とフィリップは頭を掻いている。

「でも、そうだな。直感って感じたことあるかい?」

「直感?そうね、さっきベーコンが焼けたとき、これは絶対美味しいって直感したわ。」

「それは直感じゃなくて、当たり前だね。母さんが作ったベーコンだから。いいかい?父さんはね、自分の感覚を信じてるし、とても大切にしてるんだ。これ以上進んではだめだ。ここは大丈夫とか、必要なことは全て自分が教えてくれるってね。その時の直感は、進め。だったのさ。」

現実的なイライザに言わせれば、やはり「無謀」である。

まぁ、この人なら解る気もするけれど。

「で?何があったの?」

フィリップは嬉しそうに、ムフフ。と微笑んだ。

「文字通り、神様がいた。」

「え!?まさかドラゴン?!」

イライザは思わず息を呑んだ。

大きな目を見開いたジョジョも、白目を剥くいきおいだ。 

神様に会ったですって!?天空にいるはずのドラゴンに!?入ったら決して出られないという、禁断の森に住む神に?

さっきまで耳を塞いでいたセルフィムの手も、いつの間にかかまどの上だ。

昔を懐かしむように、フィリップの話に耳を傾けている。

「いいかい?この世には、神の森と言われる特別な森がある。

そして神とは、ドラゴンの事だ。神の森は、それぞれ一匹のドラゴンが支配し、古来より人々はこれをフォレストと呼んでドラゴンと共に敬ってきた。

オリビアの近くには4つのフォレストがある。

神であるドラゴンは、決して人に心を許さない。

遥か天空からいつも自分のフォレストを見ていて、誰かが進入しようとすれば即座に舞い降り、一瞬で命を奪い去ってしまう。目も耳もとってもいいからね。どこにいたって、自分の森の中ぐらいわけないのさ。これが、王国の人たちに繰り返し伝えられてきたことだけど。」

フィリップはいったん言葉を切って、森を見つめた。

視線の先で、さらさらと木の葉が揺れている。

「だけど、父さんが若い頃、緑の精霊に導かれ分け入ったグリーンフォレストには、グリューナーと呼ばれる緑瞳の若いドラゴンがいたんだ。天空にいるはずの神がね。」

イライザは小さく声を上げた。セルフィムは黙っている。

きょろきょろとジョジョが辺りを見渡している。

まだ食べたりないのか。と勘違いしたフィリップはジョジョにパンを持たせると、続きを話し始めた。





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