短編開花
『深夜のラジオ、あの頃、今度の曲は』
深夜のラジオ、あの頃、今度の曲は
深夜の甲州街道は、流しのタクシーで溢れかえっていた。
そのうちの一台に乗り、流れ行く東京の夜景を眺めながら、私はあの頃を思い出していた。
カーラジオが流行りの音楽をかけている。今風の商業音楽に食傷気味の私であったが、残業で疲れた身体を後部座席にもたれながら、ぼんやりとそのラジオ番組に耳を傾けた。
あの頃……私が彼らとバンドを組んでいた頃。あの頃は楽しかった。一緒にいたい人たちといて、やりたい音楽をやって、見たい夢だけを追いかけて……。でももう「あの頃」は終わってしまった。二度と戻らない過去になってしまった。私のせいで。
「それでは、次の曲……」
ラジオのDJが次の曲紹介をする。また使い古された陳腐なポップソングか、私が深い溜息をつきかけたそのときだった。
ラジオから流れてきたメロディは、懐かしく聴き覚えある曲だった。
――どうしてこの曲が……。
私は戸惑った。残業終わりの疲れなどすべて吹き飛ぶくらいに、ひどく動揺していた。
ラジオから流れてきた曲は、楽しかったあの頃、私と彼が一緒に作った曲だったからだ。
私が考えたサビのメロディをなぞる歌声。甘く伸びやかに響く声は、聴き間違えようのない、紛れもなく彼の声だった。
「運転手さん」私は思わず身を乗り出して言った。「ラジオの音量上げてください」
初老のタクシーの運転手は、いきなりの私の大声にやや驚きながらも、おもむろに手を伸ばしてラジオのツマミをいじった。
「お客さん、この曲好きなの? いいよねえこの曲。なんだか懐かしい響きで、昔を思い出すよねえ」
思い出話を語り始める運転手の後ろで、私は呆けていた。バンドが解散してから、メンバー一人ひとりがなにをしているのかわからなかった。私が壊してしまった関係のなかで、それぞれに連絡など取れるはずもなかった。しかし彼だけは、まだ音楽を続けていることを風の噂で聞いていた。それがまさか、こんな形で彼のデビューを知ることになろうとは。
それにこの曲――彼が歌っているこの曲は、私たちのバンドが、私たちの関係が、壊れてしまうきっかけとなった曲。
あの頃、私もわかっていたんだ。男と女が一緒にバンドをやって、ずっと同じ時を過ごしていたら、こうなってしまうことはわかっていた。それでも、私は想いを止めることができなかった。他のメンバーがいる前で、彼に想いを伝えてしまった。だから壊れてしまった。私は壊してしまった。この曲は、バンドが解散する直前に、私と彼が一緒に作った最後の曲だ。
どうしてそんな曲を……。
「――今日はゲストとしてスタジオに来てもらってます」
DJがそう言うと、誰かを呼び込んだ。その人物が発した声色を聴いて、私の胸には大きな感情の波が渦巻いた。
彼だ。
スタジオでインタビューを受ける彼の声を聞きながら、私は叫び出しそうになるのを必死に抑えた。今かけた曲は自分にとってとても大切な曲であること、大切な人たちと作った曲であること、出来ることならもう一度やりなおしたいこと――。公共の電波に私信ばかりを乗せた彼の声は、私の心を打ち震わせるのには、充分すぎるほどだった。
「――おもしろい話でしたね。では最後に、この番組を聴いているリスナーに一言」
DJのその言葉をうけて、彼はひとつ大きな深呼吸をした。
そして、私の名前を呼んだ。
「あのとき、伝えてくれてありがとう。突然のことだったし、バンドのこととか考えると、ちゃんと答えてあげられないままこんな風になっちゃったけど、今ならちゃんと言えます」
私の嗚咽は、街道を走るタクシーの走行音にかき消されていく。
「もう一度逢いたい。今度の曲は、また君と一緒に作りたい」
「運転手さん、このスタジオまでっ! 早くっ!」
ええ、すたじお? ちょっと待ってねカーナビ設定し直すから……。タクシーは街道の路肩に停車した。しかし、私の気持ちは全速力で走り出していた。
今度の曲は、きっととてもいい曲になるに違いない。
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