5−3

 僕の発案した作戦。

 本人しか受け付けないという抽選会場と、柊政権の本丸である生徒会室。その道中に、やつら「柊阿久乃親衛隊」は襲撃してくる可能性が高い、と僕はにらんでいた。ここをなんとか乗り越えたい。しかし、本人が抽選に赴く必要がある以上、阿久乃会長がここを通るのは不可欠だ。

 そこで、背格好の似ているもうひとりの人間を代役に立てた。

 おとり作戦だ。

「わ、わたし、がんばり、ます……っ!」

 阿久乃会長のおとり役という重責を担うことになった夏日は、涙をいっぱい目に溜めながらも力強くうなずいてくれた。環先輩が学園のお祭り騒ぎのなかから会長そっくりのウィッグとリボンを取り寄せてくれる。作戦の実行が決まってからすぐにこんなものを用意できる環先輩の有能さには思わず舌を巻くし、祭りだからといってこんなものが出回っているこの学園も大概だな……。

 小学校高学年くらいの背丈の会長と、小動物みたいな雰囲気の夏日。いつもふんぞり返っている会長とちがってやや威圧感や存在感に欠けるが、会長とおなじ髪型のウィッグをかぶっておなじリボンをつけると、阿久乃会長にそっくりだった。

「……か、かわいい」

 初奈先輩が息を飲んで、じゅるりと舌なめずりする。いや怖えよ。夏日引くだろ。あれ、そうでもない? 夏日を見てみると、いつもどおりもじもじと顔を赤らめてはいるが、どこかまんざらでもなさそうだ。ふと僕のほうを向いて訊ねてくる。

「れ、レンくん……」

「え?」

「か、かかか、かか」ラップ音みたいな怪音を出しながら夏日が震える。「かわいい、ですか……?」

「え、あ、うん。かわいいと思うよ」

 僕がそう言うと、夏日はスマホを取り出して目にも止まらない速度で文字を打ちはじめた。なんかデジャヴだ……やばい、身の危険を感じる!

「こ、コスプレさせた学園女子を恥ずかしめる、ど、ド変態さんが一名、なう」

「ちょいちょいちょいっ!」

 僕は必死で制止する。

「夏日さん、警視庁匿名通報メールフォームはやめて……」ていうか確かに僕が着てほしいって言ったけどコスプレってつもりじゃないし! 立派な変装だし!

 なんやかんやあったが、どうにか作戦は実行に移すことができた。そして、その作戦はみごとに功を奏し、おとりに引っかかった黒頭巾集団「柊阿久乃親衛隊」のひとりの捕獲に成功した、とのことだった。



 僕が駆けつけると、そこには柊政権の役員女子三人に囲まれている男がいた。

 初奈先輩たちと攻防を繰り広げるうちに力尽きたのか、男はうなだれながら膝を抱えて床に座り込んでいる。頭にかぶっていたのであろう黒い三角巾が、しなしなにへこたれて床に落ちているのを見つけた。鮮やかな金髪の美少女、竹刀を持った長身スレンダー美人、そしてコスプレ……じゃなかった、変装をした小動物系女子に囲まれて、黒ずくめの衣装の男が道端の産業廃棄物みたいに風化している。なんだこの光景。冷静に立ち返ってみればあまり関わりたくない構図だが、しかたなく僕はそこへ入っていった。

「レンくん、お疲れさま。抽選は終わった?」

「はい、無事に。十番目でした」

「いちばん最後ね。で、さつきちゃんは?」

「九番目です。阿久乃会長の直前です」

「そう……」環先輩は考え込んだ。そこへ初奈先輩が言う。

「まあ、演説順の良し悪しを考えてもしかたのない話だ。まずはこの男をどうするか」

「そうですね」

 僕は目の前に座り込んでいる男を見た。制服を着ていないから学年はわからない。

「さっきから話しかけているんだけれど、ぜんぜん返事してくれないの。ずっと座ってうつむいているだけ」

 環先輩の「諜報」も効かないのか。どういうことだ?

「死んでんのか、こいつ」

 初奈先輩が竹刀でつんつんする。やめてあげて。

「まさか初奈先輩、竹刀で叩きのめしたんじゃないでしょうね」

「いや、まさか……な?」僕に訊くなよ。自信ねえのかよ。

 僕は男に歩み寄り、のぞき込んだ。組んだ腕のなかに頭をつっこんでいるので、表情をうかがい知ることはできない。「おーい」と声をかけてみる。やはり返事はない。

 こいつ死んでますね、殺人容疑の天形あまがた初奈さん署までご同行願います、とふざけて言おうとしたそのとき。

「……うふふふ」

 とつぜん男が笑い出した。いや、「男が笑った」、というのは僕の勘違いだったのかもしれない。僕がいままで男が座っていたと思っていた場所に、もうすでに男はいなかったのだ。いや、正確に言おう……最初からそこには・・・・・・・・男なんていなかった・・・・・・・・・

「……やっと男子が来たのね♡」

 オネエだった。

「うぎゃあああ」

「きゃああああ」

 思わず悲鳴を上げた僕らは、自分たちが追い詰めていたという立場も忘れてその場から逃げ出した。

「ちょっと待ちなさいよォっ!」

 オネエは飛び上がって、逃げた僕たちを追ってくる。なんなんだこの展開! 一気に形勢逆転、ロックオンされた僕たち(というか主に僕)は、迫り来るオネエから必死に逃げた。

「待ってェ〜〜♡」

「来るなあああ!」

 オネエは見かけによらずめちゃくちゃ足が早かった。あまり人気ひとけのないところでは一気に距離を詰められて終了だ(今日の選挙も、社会的にも、僕の人生という意味でも)。かと言って、人で賑わっている場所では人垣で退路を絶たれてしまう可能性がある。

「アハハ捕まえてごらんなさぁい♡」

「それはこっちの台詞……あ、いや、ちがうから、言ってないから、捕まえないで!」

 どうすればいいのか答えが出ないまま、僕はとにかく必死に逃げた。校舎を出て中庭のほうに向かう。が、やはり中庭も生徒であふれていて通れる隙間がなさそうだ。しかたなく方向転換をしようとしたそのとき、

「……っ!」

 僕の視界の隅に映ったオネエは、着ていた制服の上着とシャツを脱ぎ捨てた。そして黒光りした筋肉を膨張させ、「逃がさないわァッ!」と発奮した。

「うわあっっ」

 冷水でも浴びせられたかのようなおぞましい悪寒が背中を走った。あれに捕まってはいけない、と僕のなかの野生的本能がそう教えてくれる。あれはやばい。具体的にどうやばいのかはわからない(わかりたくもない)が、とにかくあれはやばい。

 しかし、やはり筋肉を黒光りさせたオネエには体力でかなうはずもなく、だんだんと追い詰められていった。「もう意地悪ゥ〜〜でもそんなところもプリティだわッ♡」「情熱的ねェッ!」とかなんとかわめき散らしながらオネエが追ってくる一方、ぜえぜえと息を切らしながら子羊のように逃げ惑う僕。

 そして僕の運命は、最悪の状況で決着を迎えようとしていた。

「まじか……っ!」

 絶望に目がくらむ。僕が走っているその道の先は、フェンスとブロック塀に囲まれている。

 袋小路だ。

 追い込まれた。まずい、と思って振り向くと、満足げな表情のオネエが退路を塞いでいた。

「大人しくなさい……だいじょうぶ、悪いようにはしないワ♡」

「だ、だれか助けて……ていうかなんで僕以外だれもいないんだよ!」

 ふうふうと息を荒げるオネエ。絶体絶命。万策尽きた。僕はここで、社会的にも人間的にも終わるんだ。どうして目の前のオネエがズボンまで脱ぎだしているのかはわからないけれど、それだけはわかる。

 なむなむ……心中で念仏を唱えながら、オネエが飛びかかって来るのをしずかに受け入れようとした、そのとき。

「あの、ちょっといいですか」

 近くから声が聞こえた。

 声の方を向くと、学園のものとはちがう青い制服を着た男が、ふたり立っていた。

 警官だ。

「先ほどメール通報がありまして、この学園にド変態が出没した、とのことです。過去にもおなじような通報があったので捜査をはじめたのですが、なにか心当たりは——」

 警官ふたりは、目の前に立っている半裸の筋肉黒光り男を見とめると、しばらく硬直したあと、警棒を突きつけて叫んだ。

「ド変態だあぁァァッ!」

 警官に羽交い締めにされ、必死の抵抗もむなしくオネエは捕縛された。「ちょっとなにすんの、離しなさいよ……ああ、そこは、ダメ、ああん♡ もっと♡」抵抗しねえのかよ。節操ねえな。

 興奮しながら連行されていくオネエ。ていうかこの学園、規模がでかいだけあっていろんなやつがいるんだな……。

 リアル「署までご同行願います」を目の前で見届ける。それにしてもすげえタイミングで警官きたな、まるで奇蹟みたいだ。しかし、なにか頭に引っかかる。

 メール通報? ド変態? 過去にもおなじような通報……?

 ——こ、コスプレさせた学園女子を恥ずかしめる、ど、ド変態さんが一名、なう。

「あ」

 夏日がせっせと送っていた「警視庁匿名通報メールフォーム」だ。

「ありがとう夏日……きみは命の恩人だよ……」

 十字を切って天を仰いでいると、スマホにまた連絡が入る。環先輩だ。

『レンくん、どこにいるの?』

「どこって、オネエに追われて絶体絶命だったんですよ。先輩たち、いつのまにいなくなったんですか? まあ、夏日のおかげで助かりましたけど」

『そんなことより』おいひでえな。『親衛隊のリーダー格を見つけたわ。電話で指示を送ってた。レンくんも合流して、わたしたちの追跡を手伝って』

 リーダー格。そいつを捕まえれば、そいつと繋がっている黒幕を引っ張り出すことができるはずだ。

「わかりました、いまどこですか?」

『学園の西裏門のあたり。私たちの体力じゃ、彼には追いつけないわっ、レンくんもはやく」

「僕もちょうどそのあたりです、いますぐ向かい——」

 僕が袋小路から這い出ると、目の前をすっと横切った人物がいた。視界に映ったのは、黒い三角巾をかぶった頭。

 あれは……。

「レンくんっ! そいつよ、捕まえて!」

 環先輩の声が聞こえた。声のした方を振り向くと、先輩と夏日が必死になってこちらへ向かってくる。僕はとっさに状況を理解した。さっき横切った人物が、先輩の言っていたリーダー格だ。それを先輩と夏日のふたりで追っている。初奈先輩がいないのは、作戦どおり別行動をしているからだ。

「……っ」

 僕は身体を反転させて走り出した。さっきのタイムロスですこし距離が開けられてしまったうえに、僕はオネエとの情熱的な追いかけっこから生還したばかり。脚は棒切れのようになって痛み、リーダー格との開いた距離はなかなか縮まらない。しかし、ふたりがここまでやつを追い詰めてくれたんだ。彼女たちのためにも、別行動している初奈先輩のためにも、ここで逃がすわけにはいかない。

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