3−3

「ひいらぎあくの、しんえいたい……?」

 僕がそう言って開いた口を塞げないでいると、環先輩はこくりとゆっくりうなずく。いまの自分の顔はわれながらアホ面かましているだろうなあとは思いつつ、僕はさきほどの怪単語を放った環先輩のぷりっとした上唇を見つめた。先輩の言った言葉をうまく咀嚼できずにひくひくと痙攣している僕のその表情筋を見てもなお、環先輩はまじめくさったようすで説明を続ける。

「そう。柊阿久乃親衛隊」

「なんですか、それ」

 いつものごとく質問を投げかけてみる。ふだんは僕の質問を親身になって無視してくれる先輩たちだが、しかし今回はなんだか表情が晴れない。

「……それが、よくわからないのよ」

「わからない?」

「ええ、謎が多くてまだ正確な情報は掴みきれていないの。でも数少ない情報を合わせてみると、いくつかの事実がわかったわ」

 そう言って先輩は、右手を開いて手のひらを僕に向ける。

「まずひとつめ、組織の名前が『柊阿久乃親衛隊』だということ」

 僕がひそかに目を向けると、会長がかすかに眉を寄せたのが見えた。環先輩が指折り数えながら言葉を繋ぐ。

「ふたつめ、最近設立された組織だということ。少なくとも、この選挙期間がはじまるころ」

 前期の執政政権の任期が解けたころ、つまり約一ヶ月前。

「そしてみっつめ、構成員は黒いマスクをかぶっていること」

 腹のなかでいやな空気が膨らんでいくのを感じた。不気味な予感に僕は思わず顔をしかめる。

 阿久乃会長が言っていた言葉を思い出す。犯人は黒いマスクみたいな布をかぶっていた。後ろから押し倒されて、気づいたらいなくなっていた。黒いマスク、それは会長に向けられた、むき出しの悪意をつかさどる象徴。

「組織の名前と不気味なその出で立ちから、『悪の生徒会の手先だ』って、まことしやかにささやかれているみたい。極悪非道な悪の生徒会にぴったりだって」

「阿久乃はなにか知っているのか」

 初奈先輩が訊ねかけると、会長は定位置だった椅子から飛び降りながら「ふんっ」とわざとらしく鼻を鳴らし、

「知ってるわけないじゃん。なにその組織、きもいんだけど」

 そう一蹴する。

「『親衛隊』とかいいながらあたしに喧嘩売ってくるなんて、いい度胸してんじゃん。じゃあなに、そいつらがこの間の事件の犯人だってわけ?」

「どうかしら。まだそう言い切れるだけの証拠がないわ」

 ふくれっ面で文句を垂れる阿久乃会長。でも言っていることはごもっともだ。親衛隊を名乗るくせに、どうして護衛するべき対象を襲ったりするのだろう。

 僕がそう言ってみると、初奈先輩がきりっと僕をにらみつける。なんだ、僕なんかへんなこと言ったかな?

「それはな、阿久乃」

 先輩が口を挟む。「阿久乃にも非があるんだよ」

「……え? そうなの?」

 会長が困ったような表情を浮かべる。

「そう。青春まっただ中の男子は、好きな女子にはついついちょっかいを出してしまう、それと同じだ。金閣寺を燃やしたなんとかって僧侶も、金閣寺の美しさに嫉妬して火を放ったと言われている。かわいさ余って憎さ百倍! それはすべて阿久乃がかわいすぎるのが罪なのだ!」

「うううう、初奈ああああああ」

 ドヤ顔を決めている初奈先輩に対して顔を真っ赤にした会長がべしべしとペンギンをぶつけている。なんとも微笑ましい光景だ。僕はにっこりとそれを眺めながら、この竹刀女ここぞというときにろくなこと言わねえな、となんとなく気づきはじめた。

「たしかにおかしな話よね。今回の事件のことは抜きにしても、阿久乃の親衛隊を名乗りながら本人には面と向かって接触して来ないうえに、危害を加えようとするだなんて」

 環先輩は頬に手を当てて考えこむ。

「構成員に接触できれば、なにか手がかりが掴めると思うんだけれど。構成員がだれなのか、そしてこの学園にどれくらいいるのか、まったくわからないのよ」

 聞けば聞くほど不気味な話だ。自分の名前を冠した得体の知れない組織が暗躍していることを知った阿久乃会長は、心中穏やかではいられないだろう。

 そして僕は、いままでずっと喉まで出かかっていた言葉を口にする。

「……首謀者は、だれなんですか」

 その言葉を聞いて、環先輩はゆっくり首を横に振る。

「わからない」

「……そうですか」

 僕は溜息をついた。腹のなかにでっぷりと溜まっていた悪い予感を絞り出すように、深呼吸を何度もなんども繰り返した。

 僕は安心していた。阿久乃会長を傷つけた可能性のある謎の組織の首謀者について、環先輩が「わからない」と言ってくれたことに対して、僕は安心していたのだ。もしも仮に、僕の知っているあのひとの名前が出て来ていたらと思うと、腹のなかからどす黒い予感がもくもくと立ちこめるのだった。

「そのなんたらって名前の組織については、もう少し調べる必要があるね」

 阿久乃会長が言った。

「そうね」

「環、もう少し調査よろしく」

「もちろん」

 阿久乃の指示に対して、環先輩は快くうなずいた。

「……それにしても、環先輩」

「なに?」

「そんな情報、よく仕入れて来ますよね。このなかのだれも知らなかったのに」

 僕がそう言うと、先輩は艶かしく微笑んだ。

「まあね。私はこの柊政権の生徒会広報でもあるし……同時に、『生徒会諜報』でもあるのよ」

「……諜報?」

 ふだんの学生生活ではおおよそ耳にすることのないような単語に、僕は思わず訊き返してしまった。

「そう、環はこの生徒会の諜報。対策を立てて選挙を有利に進めるために、敵情に関する情報を収集するのが担当」

「なるほど。ようはスパイみたいなものですね」

 僕はそう言って環先輩を見つめた。「スパイ」という響きにまさにぴったりの、外国人のように通った鼻筋、煌びやかな金髪、琴のような声を紡ぐ唇……。

「つまり……お、女スパイ……」

 思わずそう言葉をこぼした。環先輩はふたたび艶かしく微笑む。恍惚に震える未草蓮……この世の楽園のような光景に、彼はしばし言葉を失った……先輩を見つめながら僕が脳内ナレーションをしていると、とつぜん頭頂部に激痛が走った。

「いってええ!」

 思い切り顔をしかめて後ろを振り返ると、そこには竹刀を持った初奈先輩が立っていた。

「環をへんな呼び方するな」

「ごめんなさい……」

 ひりひり痛む頭頂部をさすりながら、めずらしく今回は罵倒されないな、と思い桐宮さんに目を向けた。すると彼女は、震える手で一心不乱にスマートフォンをいじっている。

「が、学園の女子を……ひ、卑猥な目で見る、変態さんが一名……なう……」

「ちょちょちょ」

 僕はあわてて彼女を制止した。

「桐宮さんっ、へんなことSNSでつぶやかないでよ……」

 あぶないあぶない。危うく僕の奇行が全世界にネット配信されるところだった。さすがにおまわりさんに見つかったら実刑は免れないだろう。ていうか「なう」って久しぶりに聞いた気がするけどみんなまだ使ってんのかな。

「あ、安心して、ください……これは、SNSじゃない、です」

「あ、そうなの? それならよかった」

「け、『警視庁匿名通報メールフォーム』、です」

「おまわりさん直通じゃねえか!」実刑は免れない! 未草くんピンチ!

 あわてた僕は息を切らしながら桐宮さんに詰め寄る。

「桐宮さん、さすがに通報はやばいから、いつもどおり僕を罵倒してください」

 すると桐宮さんの顔がみるみるうちに赤くなり、両目いっぱいに涙がたまっていった。そのようすを見て、ようやく冷静になった僕はこの状況を正しく理解した。学園の生徒会室に、息を荒げながら同級生の女子に詰め寄り、「僕を罵倒してください」とせがむ男子高校生がいる! それはほかでもない、この僕だ!

「レン……こともあろうに、うちのだいじな生徒会総務を汚そうとは……歯を食いしばれ……」

「こいつ殺す!」

「あらあら……レンくんったら」

 初奈先輩が竹刀を握りしめ、会長がペンギンをぶんぶん振り回しながら僕のほうに詰め寄ってくる。それを環先輩がおもしろそうに眺めている……まあ、このあと僕がどうなったのかについては、あえてここで言うまでもないだろう。

 生徒会室の床に敗残兵のように斃れた僕。抑えきれない憤りをまき散らしながら僕のもとを離れていく会長と初奈先輩。桐宮さんも道ばたでひからびた犬のフンでも見るような一瞥をくれたあと、僕のもとを去っていった。嗚呼……生徒会奴隷とは、なんとも業の深い役職であることよ……。

「レンくん」

 ふと声を掛けられたのでそちらに目を向けると、環先輩がしゃがんで僕を覗き込んでいる。

「例の件、どうする?」

 先輩がそう訊いてくる。僕は立ち上がり、制服についたほこりを払った。

「そうですね……」

 先輩の言う「例の件」とは、会長からロビー活動を命じられた河川敷愛好会のことだ。僕は環先輩とともに、次期選挙における彼らの投票を確約しなければならないことになっている。

「環先輩。じつは行ってみたいところがありまして」

「どこ?」

「吹奏楽部です」

 その言葉に、環先輩は複雑そうな顔をした。しかし、すぐに「わかったわ」とうなずきを返してくれる。僕もそれに応える。

 吹奏楽部。それは、河川敷愛好会会長・桐宮氏の妹である桐宮夏日が、かつて在籍していた部活動。吹奏楽部の部員に話を聞くことができれば、なにか情報が掴めるかもしれない。

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