3−2

 彼女はまたふわふわ笑ったあと、遠く沈む夕陽を見つめながら言った。

「どう? 生徒会活動のほうは順調?」

「順調……ではないですね。問題が山積みで」

「ふふ。生徒会の仕事なんてそんなものよ。それに、あの阿久乃のもとで活動するんだもの、たいへんじゃないほうがおかしいわ」

「やっぱりそうなんですか」

「『悪の生徒会』だものね」

 それを聞いて僕は肩を落とす。

「どうせ生徒会に入るなら、さつき会長の政権で働きたかったです……」

 会長はふわりと笑う。やさしい風が彼女の髪を撫でる。

「そんなこと阿久乃に言ったらだめよ。あの子、意外と根に持つタイプよ?」

「肝に銘じます……」

 いままでいくつか会長の地雷を踏んでいるが、いま生きてここに立っていることは奇跡なんだろう。このままだといつか、初奈先輩の竹刀と桐宮さんの毒舌で消される気がする。

「でも、本気できみがうちに来たいって言うなら……私はかまわないわ」

 僕は鉄みたいな味のする生唾を飲み込んだ。一気に胸が高鳴る。心の奥底まで見通されるような澄んだ瞳に射られて、僕はしばらく呼吸ができなくなる。

「うそよ。それこそ、私が阿久乃に怒られちゃう」

 両肩をすくめる仕草をするさつき会長。僕はようやく肺に酸素を取り戻した。

「はあ……もう、からかわないでくださいよ」

「あはは、ごめんなさい」

 彼女の笑顔は茜空に煌めいた。まるで内側に光をいっぱいに溜めたシャボン玉がはじけたみたいに、夕暮れの時計塔はあたたかな空気に揺らめく。

「興味があるわ」

 彼女の声が茜空に染み渡る。

「阿久乃がきみをどうして招き入れたのか……阿久乃がきみを選んだのには、どういう秘密があるのか。興味があるわ」

「『どうして』……」

 どうして阿久乃会長が僕を選んだのか。その秘密はなんなのか。

 阿久乃会長は「あたしがおまえを必要としている」と言ってくれた。それだけだと言ってくれた。じゃあ、どうして会長は僕を必要としてくれているんだろう。その思いに応えるには、僕はどうすれば役に立つんだろう。

 時計塔の頂上にいる僕たちふたりのあいだに、あたたかい晩春の風が吹き抜けた。

「まあ、ひとがひとを選ぶ基準なんて、第三者にはわからないものよね」

「……そうですね」

 なにげなく放たれた彼女の言葉のなかに、僕はなんだか周囲の空気が変わったように感じた。

「先代の生徒会長もそうだったの」

「……え?」

 さつき会長の声色にかすかな影がさす。僕は思わず訊き返す。

「あのひとが後継に選んだのは、私じゃなかった。阿久乃だったのよ」

「……はづきさんですか」

 僕がそう言うと、彼女は「知ってたの?」と訊ねる。

「はい。先日お逢いしました。後継生徒会に阿久乃会長を選んだって話、僕も聞きました」

「そう」

 彼女は力なく微笑む。さつき会長のこんな表情を見るのははじめてだ。

「……どうだった?」

「どうって、なにがですか」

「善桜寺はづき」

 僕は言葉を選びながら答えようとする。でもけっきょく「なんだか、すごいひとでした」というしょうもない回答しかできなかった。桐宮さんに聞かれたら間髪入れず罵られそうな回答だったが、さつき会長はしずかにうなずいた。

「そう、すごいひとなのよ」

「……お姉さん、なんですよね」

「ええ。善桜寺はづきは、私の実の姉」

 さつき会長は、時計塔の手すりに浮いたサビを軽く払い落としながら、しずかにつぶやく。

「この場所もね、お姉ちゃんに教えてもらったの」

「お姉ちゃん」、というのはもちろんはづきさんのことだろう。清楚でおとなしそうなさつき会長が言うとまたちがう印象を受ける言葉だ。

「はづきさんにですか」

「そう。『とても好きな場所があるんだ』って、この学園に入学したあとすぐに。きみとおんなじようなこと言っていたなあ」

「はづきさんはなんて?」

「『ここからなら学校全体を見渡せるんだ、まるで世界のてっぺんを取った気分だよ』って」

「へえ……って、僕そんなこと言ってないですよ」

「そうだったっけ?」

 彼女はそう言ってぺろりと舌を出す。

「……阿久乃もよく連れられて来てたみたい」

「阿久乃会長が?」

「ええ。高いところが好きなのよ、あの子。高所恐怖症なのにね」

「そういえば、そうでしたね」

 そうだ。阿久乃会長は高いところが好きだ。だれよりも高いところに立って、だれよりも遠い星を掴む。それが柊阿久乃の存在意義。彼女の見つめる星の輝きの意味。……高所恐怖症なのに。

「お姉ちゃんはよく阿久乃を連れて来てた。私じゃない、阿久乃を。阿久乃はそれをどう思っていたのかわからないけれど、私には、そう……とても大きな意味のあることだったわ」

 彼女の寄りかかる手すりが、ギイ、と音をたてた。

「善桜寺はづき。私はずっと、あのひとの背中を見て歩いてきたの」

 善桜寺姉妹。

 白銀川学園の永世名誉会長と、現・執政会長。

 僕にとってはどっちもすごいひとだ。この巨大な学園の生徒会長を務めるだけでもまねできないのに、かたや五期連続当選で永世名誉会長任命、かたや四期連続当選中で永世名誉会長に王手。ほんとうにすごい姉妹だ。

 でも、それは「姉妹」という関係性の外側から見たときの話。

「生まれたときから、私はあのひとの背中を見てきた。生まれたときから、あのひとと比べられてきた。はづきちゃんはすごいね、さつきちゃんもきっとすごいんだろうね、だって姉妹なんだからね……私はあのひとに追いつくために、あのひとの妹だって認められてもらえるために、これまでがんばってきた。そしてこの学園の生徒会長になったの。かならず次の選挙にも勝って、永世名誉会長として、あのひとと対等の立場になるの」

 僕は息を呑んだ。

 見てしまったような気がした。さつき会長を永世名誉会長へと衝き動かす、その原動力の正体を。

 劣等感だ。

 一見完璧に見える善桜寺さつきでも、その心の奥底に渦巻いているのは「もっと完璧な姉に対する劣等感」だったんだ。善桜寺姉妹の関係性の、その触れてはいけない秘密に、僕は触れてしまったような気がした。

「……いけない。しゃべりすぎちゃったわ」

 さつき会長が取り繕うように笑顔を浮かべる。

「なんだかきみといると、思ってもいないことまでしゃべっていまいそう。いまのは忘れて、ね?」

 片目をつぶってさつき会長がお願いしてくる。僕は彼女にいらぬ心配をかけないように、「は、はいっ、もちろん!」努めて明るく振る舞った。

 ふふ、ありがと、じゃあまたね……彼女はひらひらと手を振って帰っていってしまった。僕もそれをしばらく見送ったあと、ふうと溜息をつく。

 やっぱり、さつき会長は首謀者ではない気がする。僕の前であんなふうに笑う少女が、馴染みの友人に危害を加えるよう仕向けたりするだろうか。でも、僕になにがわかるんだろう。さつき会長が垣間見せた原動力の源は、「劣等感」だった。それは彼女のイメージからは想像もつかないものだ。まだ僕の知らない一面をたくさん持っている会長のことを、僕はどれだけ理解できているんだろうか。じつは僕が見ているさつき会長は氷山のほんの一角で、その下にはとんでもない素性を隠しているんじゃないのか……。

 そんなさつき会長に、「あなたが犯人ですか」だなんて、直截ちょくせつ訊けるわけがなかった。

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